2話 よくある話さ ムカつくからぶっ殺すなんてのは
東部戦線総司令官のフランシス・デルヴァンクールは、両手を机に叩きつけた。
フランシスは座ったままだが、立ち上がりそうな勢いだった。
「なぜだ!? なぜ連中は補給路を確実に狙えるんだ!?」
ここはラスディアに設置された東部戦線司令部の司令室。高級ホテルを徴発して本部とした場所だ。
ラスディアは犯罪者天国と呼ばれる無法国家で、ゾーヤのフルセンマーク統一宣言を完全無視した。
だからというわけではないが、イーティス軍は東フルセンでは最初にラスディアを攻め落とした。
「申し訳ありません……」
報告にきた兵士が俯いて言った。
この司令室にはフランシスと報告に来た兵士、それからフランシスが連れて来たメイドが1人、壁の側で控えている。
「謝罪が聞きたいわけではない!」フランシスは再び机を叩いた。「原因を究明しろ! このままではまた戦線を下げねばならん!」
フランシスは50代の男性で、イーティスの出身。熱心なゾーヤ信者ではないが、イーティスという国に尽くしてきた根っからの軍人である。
「分かったのか!?」
「は、はい! 直ちに原因究明に尽力します!」
兵士は敬礼してから司令室を出た。
心の中では、「どれだけ頑張って調査しても、理由が分からんから困っているのだボケが」と思いながら。
はぁー、とフランシスは大きな溜息を吐いた。
「ベンノの奴は西部を完全に制圧したというのに……」
「旦那様……西部は……元々、多くの国が……恭順の意を……示してたです」
フランシスお気に入りのダウナー系メイド、ナーナがソッとフランシスの背中に手を置いた。
「おお、ナーナ、お前だけがワシの癒やしだ……」
フランシスがナーナの顔を見るために身体の位置をずらした。
ナーナは17歳の少女で、黒髪をショートカットにしている。いわゆる前下がりのボブカットで、前髪が長い。
ナーナはいつも気怠そうな雰囲気で、目の下に少しクマがある。左目の下には小さな泣きぼくろ。目の色は暗い赤。
美人ではないが、不細工でもない。パッと見るとやや悪人っぽい。
服装はオーソドックスなメイド服。
「旦那様、なんでも……あたしに相談して……」
「ナーナ、また《月花》の連中が補給部隊を潰したのだ。どのルートを選んでも、時間帯をランダムで選んでも、必ず連中が現れる」
フランシスは酷く疲れた様子で言った。
「まるで……悪夢のような連中」
ナーナが共感を示すように言った。
「そうなんだ。まさに我々にとっては悪夢!」
「可哀想な旦那様……」
ナーナが優しい手つきでフランシスの頭を撫でた。
「それで次の補給路は……どこにするんです?」
◇
「きぃぃぃんも!」
メイド服のイーナは濡らした布で手を拭きながら言った。
「おいおい、そんな大きな声で言って、聞かれたらどうすんだよイーナさん」
兵士の服装をしているシモンが、苦笑いしつつ言った。
ここは司令室のあるホテル、イーナに割り当てられた部屋。
「ここではナーナ」
イーナはシモンを睨み、シモンが肩を竦める。
ナーナの本名はイーナ・クーセラ。傭兵団《月花》の古参メンバーである。
初陣の頃から比べると、少しだけ背が伸びていた。
イーナには無駄な脂肪がなく、引き締まっている。よって、胸のサイズも引き締まっている。
「いやぁ、しかしあのオッサンも」シモンが少し楽しそうに言う。「まさか自宅から連れてきたメイドがスパイだとは思うまい」
シモンは元怪盗で、今は《月花》のメンバー。フルネームはシモン・カセロ。
特徴のない見た目をしているので、どこにでも溶け込めてしまう。
雑踏からシモンを見つけるのは、イーナでも難しい。
その上、シモンは声色も複数操ることができる。今は特徴のない声を演じているが、シモンの地声はかなりのイケメンボイスだ。
アイリス曰く、目を瞑ってシモンの声を聴いたらキュンとするレベル。
まぁ、イーナは人間に興味がないので、キュンとしないけれど。
「本当にね」
イーナは布を丸めてシモンに投げた。
シモンは布を受け止めて、ハンガーに引っかけた。
「あいつ……あたしにベタ惚れ」やれやれ、とイーナ。「美女は辛い……」
「あのオッサン、ダウナー系女子が死ぬほど好きだからなぁ」
それは調査してすぐに分かったこと。
「そっちは、何かある?」とイーナ。
「兵たちの不満は高いな」シモンが首を振る。「だいたい団長らのせい」
イーナは主に司令官をスパイして、シモンは司令部全体をスパイしている。
「団長は絶対……空で踊ってると思う」
「だろうな。楽しいからなのか、挑発してるのか」
「楽しいから、だと思う」
イーナが小さく両手を広げた。
「そっか。まぁ、スパイ活動に戻る。また定刻に」
「あい」
イーナが頷くと、シモンはすでにその場にいなかった。
「あれ偽物だった……のかな?」
シモンの魔法は影を操ることに長けていて、本物ソックリの影を作ることもできる。
◇
「来たのねアイリス」
自宅の庭でお茶を飲んでいたエルナが、振り返ることなく言った。
エルナは椅子に座っていて、丸テーブルにはお菓子と2人分のお茶が置いてあった。
エルナは40代半ばの女性で、クリーム色の髪を低い位置で1つに結んでいる。もうずっと、長いことエルナは髪型を変えていない。
エルナは美人で細身。狩人の服装をしているが、今は弓も矢も持っていない。
英雄たちの頂点、大英雄だった女性で、全ての英雄の中でも最強の存在だった。そう、ただ1人、アイリスを除けば。
「いい天気ですね、エルナ様」
アイリスはゆっくりとエルナに近寄った。
アイリスの瞳は透き通った青色で、髪の色は金色。今は陽の光を反射して輝いて見える。
今日の髪型はツインテールで、服装はフリフリしたブラウスと、同じくフリフリしたスカート。
アイリスの服装はだいたいいつもフリフリした可愛い系の服だが、髪型は気分でサイドテール&カクテルハットに変わることもある。
「そうね。それより、顔が少し大人っぽくなったかしら?」
エルナは振り返り、アイリスの顔を見ながら言った。
アイリスの顔面偏差値は元から高かったけれど、今は更に磨きがかかっている。エルナはそう思ったし、アイリスも自覚している。
「あたしも、もう17歳ですから」
アイリスは史上最年少で英雄になった天才少女で、英雄選抜試験でエルナと初めて会った時はまだ14歳だった。
アイリスはエルナの対面の椅子に腰を下ろした。そしてクッキーを1つ摘まんで食べた。
サクサクしてて美味しい、とアイリスは思った。
「人も世界も、嫌になるほど変わっていくわねー」
言ってから、エルナはお茶を一口飲んだ。
それからアイリスに視線を移して言う。
「英雄を解散させたこと、怒ってるかしら?」
エルナは淡々とした声音で、感情は読み取れない。表情も特に動かなかった。
「昔のあたしなら、怒ったかも」
「意見の統一は不可能だったの。壊滅的なレベルで」
「そうでしょうね」とアイリス。
ゾーヤのフルセンマーク統一宣言は、英雄たちを分断した。中央の英雄たちは概ね、ゾーヤの思想に賛成したけれど、東の英雄たちは反対派が多かった。
西側の英雄は祖国のために、滅びないために、恭順する者と最後まで反抗する者に別れた。
「英雄も人間ですもの」アイリスが言う。「それぞれに故郷があって、それぞれに大事な人がいる」
「あなたは本当に大人になったのねー」
「望んでいたでしょう? エルナ様も、そしてアクセル様も」
アクセルの名を出した瞬間、エルナは酷く悲しそうな表情を見せた。
「もし世界にスカーレットがいなくて」エルナが言う。「英雄が英雄のままだったなら、あなたはきっと立派な大英雄になったでしょうね」
その言葉に、アイリスは素直に喜び、そして微笑んだ。
だけど。
「それはないです」
「なぜ?」
「あたしはあたしが怪物だと知ってしまったから」
アイリスはすでに理解してしまったのだ。自分の中にスカーレットになる要素がいくつも転がっていることを。
「そうだと言うなら、私やアクセル……今はアルと名乗っているあいつだって、正真正銘の怪物だわー」
「そうかもしれないですけど、それでもあたしには及ばない」
唯一、あたしと対等な怪物はアスラだけだ、とアイリスは思った。
もしも万が一、将来アイリスがスカーレットと同じように闇に落ちたならば、止めてくれるのは、殺してくれるのは、アスラだけだ。
少なくとも、アイリスは強くそう思っている。
「ねぇアイリス、あなたは今、どれほど強いの?」
「試しますか?」
アイリスが立ち上がる。
エルナも立ち上がり、左手を伸ばした。
そうすると、空間がビリビリと裂けて、魔王弓が姿を現した。
「のんびりしすぎです」
アイリスは右手で魔王弓を掴み、左手でエルナの首を掴んでいた。
「なるほど……私は死んだわねー」
「昔のあたしなら、エルナ様が弓を構えるまで待っていたと思います」
「ええ。そうだわねー」
エルナが言って、アイリスはエルナの首から手を離した。
次に魔王弓のことも手放す。
「ついでに昔のあなたなら、魔王弓に取り込まれていたわねー」
「ですね」
アイリスは小さく肩を竦めた。
「ねぇアイリス、アルを殺したいの、手伝ってくれない?」
「いいですよ」
アイリスはアッサリと頷いた。
アイリスは人間を殺さない。殺すのはたった1人、アスラだけ。それはアイリスの矜持だ。
人を殺さないことで、どのような不利益が生じようと、アイリスは殺さない。そう決めたからだ。
そしてアルは人間ではない。たとえ、かつて人だったとしても。今は違う。心情的な辛さなんて、アイリスはいつだって乗り越えてきた。
「驚いたわー……」エルナが言う。「てっきり、断られるかと……」
「あたし、スカーレットの侵略を許してないですから。あと、忘れられがちですけど、あたしの家、東フルセンですから! 領地ありますから! 侵略ダメ絶対!」
アイリスはすでに立場を固めている。
領主である両親とも話し合って、反スカーレット連合軍に与すると。
その際、アイリスは自由に動き、スカーレット陣営の『人間ではない者たち』を全員殺害する、とか。
英雄という組織が解散したからこそできる自由意志による行動。ある意味では、アイリスにとって英雄解散は都合が良かった。
「むしろエルナ様はなんでアルを殺したいんです!?」
アイリスが聞くと、エルナは急に真顔になった。
「ムカつくのよー」
「え?」
「アルのこと、すごくすごく、ムカつくの」
「は、はぁ……」
「英雄よりもスカーレットを選んだことも腹立たしいし、付き合っていた私よりも最強だのなんだの、そういうのを選んだことも!」
「あ、はい、痴情のもつれということですかね?」
アイリスは苦笑いしつつ言った。
「あのクソバカ、私になんて言ったと思う!?」エルナがキレ気味で言う。「『テメェもセブンアイズになったらいいんじゃネェか? 俺様が痛くネェように殺してやるぞ?』よ!」
「うわぁ……」
アクセルは脳筋だったが、身内への気配りや配慮はできる人だった。少なくとも、人間だった頃は。
てゆーか、一言一句まで覚えているエルナもエルナだけど、とアイリスは思った。
「他にも『俺様が1番強いってことに比べりゃ、全てがどうだっていい』なんて言うのよ!? じゃあ私たちの時間は何だったのって話でしょう!? どうでもいいって! 酷くない!? もうずぅぅぅぅっと腹が立ってるの私!」
「酷いですね……」
恋人にそんなこと言われたらショックだな、とアイリスは思った。
「でしょ! だからねアイリス、これはただの私怨なの。それでも手伝ってくれる?」
「はい。元々あたし、スカーレットの戦力を削るつもりだったので」
立派な思想など不要。
それに、とアイリスは思う。
気に入らないからぶっ殺す、なんて考えの人たちにはもう慣れっこだもの。
「それともう1つ」エルナは急に真面目な雰囲気で言う。「東フルセンを、私の故郷を、自分の故郷を、平気で侵略するような奴はもう本当に人間じゃないわー」
アルは東部戦線に参加している。
そう、彼は東フルセンの人々を殺して回っているのだ。
かつて、英雄として守った人々を!
「同感です」アイリスも真面目に言う。「あの人はもう、生きてちゃいけないタイプの人です」




