EX82 宝石の涙 甘美な未来の果実
彼女にとって、死は安らぎでありご褒美。
7歳の時に、薄暗い地下室に監禁されて早10年。
彼女の心は7歳のまま、ただ絶望だけを広げていった。
創造主であるユグドラシルを憎んだこともあった。
だけど。
「少女よ、また来たぞ」
夢の中で、ユグドラシルだけが少女の話し相手になってくれた。
ユグドラシルの姿は、人間の少女と変わらなかった。人間なら10歳前後。
髪の色と瞳の色が浅緑で、全体的な雰囲気が少し神秘的。
「妾は全ての存在に平等でなければならん」ユグドラシルが言う。「故に、お主を直接助けることはできんが、夢の中で話をするぐらいはな」
ユグドラシルは時々、人々の夢に現れては悩み相談を受け付けていた。直接助けたり、介入したりはしないが、アドバイスをすることはあるのだ。
「ユグユグ……久しぶり……」
監禁されている少女は、痩せ細った顔で柔らかく微笑んだ。
この夢の世界には何もない。
ただ少女とユグドラシルだけが存在している。そういう場所。寂しいような、美しいような、空白の世界。
「朗報かどうかは分からんが、銀色の奴が来るぞ」とユグドラシル。
「銀色?」
「そう。いつかの未来で『滅びの使者』となる者。一足先に、お主に滅びをくれるであろう。お主がお願いすれば」
「死ねるってこと?」
少女は少し戸惑った風に言った。
ユグドラシルは微笑み、頷いた。
「ああ、良かった……」
少女は涙を流した。
現実世界で搾取され続けたその涙は、夢の世界では普通に頬を伝ってどこかへ落ちた。
そのことに気付いて、少女は自分の涙に触れた。
「宝石にならない……」
「夢だから」
少女は生まれながらにギフトを持っていた。今はもう滅びた帝国において、特殊な能力を持っている者は『ギフト持ち』と呼ばれ、それなりの地位に就いていた。
でも少女は隠された。
隠され、搾取され続けた。
少女のギフトは、『涙が宝石になる』というクソみたいなギフトだったから。
祝福ではなく呪いだ、と少女はいつも思っていた。
少女を監禁した者は、少女を泣かせるためにありとあらゆる努力をした。
この世界に地獄が存在するなら、きっとこの部屋だろうと、そう思える程度には。
「さぁ、起きるのだ。お主の終わりがやってくる。お願いの方法を間違うなよ」
そう言って、ユグドラシルは溶けるように消えて、少女は目を醒ます。
◇
少女は薄暗い部屋で、とても綺麗な人を見た。
銀色の長い髪に、緑の目。
黒いローブを羽織ったその人は、「なんだこのボロ雑巾みたいな子は」と言った。
天使なのかな? と少女は思った。
同時に、少女は母親のことを思い出した。
母親はいつも、少女に辛く当たっていて、最終的には少女を売り払った。
母のことは今でも愛している。なぜなら、母はとっても美しかったから。天使のように美しくて、そしてそれだけで生きていた。
美しさだけが、母のよりどころだった。
目の前のこの人と、どっちが美しいだろうか?
そんなことを考えた。
もう、声すら思い出せない母。顔だってぼんやりしていて、細部が分からない。ただ美しかったというだけ。
酷く懐かしくて、そして酷く悲しい。
母のことは今でも愛しているけれど、できれば苦しんで死んでいますように、と少女は願った。
「ママ……」
その人を見ながら、そう呟いた。
◇
「聞いたかマルクス! どうやら私はこの子のママらしいぞ!」
伯爵邸の地下室で、アスラが両手を叩いて喜んだ。
「母性とは程遠いと思いますがね」マルクスがやれやれと肩を竦めた。「きっと意識が朦朧としているのでしょう。ケガが酷いようだ」
マルクスは鎖で繋がれたボロ服の少女を見て、それから伯爵を見た。
伯爵は30代の男性で、見た目は可も無く不可も無い。一般的な帝国貴族という見た目。まぁ、帝国などもう滅びてしまったけれど。
もっと言うなら、アスラたちが滅ぼしたわけだが。
「いやぁ、私ほどの存在になると、気付いたら子供が誕生しているというわけか」
うんうん、とアスラが真面目な様子で頷く。
「そんなわけないでしょう団長」
マルクスが溜息混じりに言った。
「さてアスラさん」伯爵が言う。「あなたを信用したからこそ、このガキに会わせたのです」
「ふむ」とアスラは少女を見た。
薄汚れ、痩せ細り、こぢんまりとした少女。
ケガと骨折の痕が多い。日常的に暴力を受けていることは明らかだった。
少女は真っ直ぐにアスラを見ていた。
「この子と成功報酬に何の関係が?」とアスラ。
アスラとマルクスはこの伯爵の依頼を受けて、ある仕事を完遂した。
前金は金貨で貰ったのだが、成功報酬は宝石で支払いたいと伯爵が申し出て、アスラはそれを許可した。
で、宝石を受け取るために伯爵邸を訪れ、そのまま地下室に案内されたというわけ。
「今後とも、傭兵団《月花》とはいい関係を築きたい」伯爵が言う。「率直に言うなら、私の依頼は全て受けて頂きたいのです」
「正当な報酬が貰えるなら、そりゃ受けるさ」
アスラが小さく両手を広げた。
「ええ。ですので、私の資金源を明かそうと思いまして」ニヤリ、と伯爵が笑う。「私はどんな依頼をしても、絶対に報酬を支払える、という信頼を得たい」
「分かった。それで宝石はどこだね?」アスラが言う。「この子がケツから産むってわけじゃないだろう?」
「……ケツ……?」
黙ってアスラを見ていた少女が、ポカンと口を開いた。
「勝手に喋るな!」
伯爵が少女を蹴り飛ばした。
「おい貴様」マルクスが低い声で言う。「なんのつもりだ? 虐待すれば宝石が生まれるとでも?」
伯爵が笑う。
「実はその通りなのです! なんと! この少女はギフト持ちなのです!」
「どんなギフトか詳しく」とアスラ。
「涙が宝石になるのです! つまり! ただ泣かせるだけで! 無限に宝石を得られるのです! 素晴らしいでしょう!?」
「そりゃすごい。なぁマルクス、君もそう思うだろう?」
「ええ団長。それは本当にすごいことです」
「そうでしょう! そうでしょう! それでは、早速証拠をお見せしますね」伯爵が少女を睨む。「泣け。それとも今日も拷問を受けるか?」
いつもなら、少女は怯えて頭を抱えるのだが、今日は違った。
アスラを見て、微笑んだのだ。
そして。
「ママ……殺して」
両手を広げ、目を瞑って、安らかな表情で、そう言った。
まるでアスラなら自分を殺してくれると、知っているかのように。
実際、ユグドラシルに聞いて知っているわけだが。
今日が滅びの日であり、終わりの日であり、ずっと耐えてきたご褒美を貰える日だと。
少女にとって、死は安らぎであり、そしてご褒美なのだ。
「いいとも。その依頼を受けよう」
アスラは迷わなかった。
「はい?」と伯爵が間抜けな声を出した。
「そういうわけだ伯爵」アスラが酷く薄暗い笑みを浮かべた。「悪いね」
「いやいや! ふざけるな! 資金源を殺されてたまるか! そもそもそのガキに依頼料を支払う能力……」
話の途中で、マルクスが伯爵の首を斬った。
伯爵の首が床に転がり、身体は血を噴きながら倒れる。
「心配するな伯爵」アスラが言う。「身体で払って貰えばいい」
言ってから、アスラは花びらを創造して、少女を繋いでいた鎖を爆発させる。
少女は目をパチパチとしながらアスラを見ていた。
「ブリット」
「あいよ」
アスラが呼ぶと、アスラのローブの裾から人形が姿を現す。
「クロノスの準備をしておけ。この子を戻す」
「了解」
「それと、イーナたちを伯爵邸に寄越してくれ。で、財産を根こそぎ持って行くよう伝えろ」
「それも了解」
「マルクス、私の娘を自称するこの子を運んでくれ」
「ええ、喜んで」
言ってから、マルクスは少女を抱き上げた。
少女は今も、何がなんだか分からない、という表情をしている。
「どうした? 君の望み通りだろう? 我が愛しの娘よ」
アスラが楽しそうに笑った。
「娘設定を続けるんですか?」とマルクス。
「設定も何も、この子は私をママだと認識しているようだよ。つまり、私は黙っていても母性が溢れ出る存在ということだよ」
「……ないでしょう、それは……」
マルクスの頬がヒクヒクと動いた。
「じゃあ本当に私がママなのかも?」
「もっとないでしょうよ……」
◇
だから言ったであろう。
お願いの方法を間違うな、と
ユグドラシルは苦笑いを浮かべた。
◇
少女は古城で、7歳の姿に巻き戻った。
どこもケガをしていない、まだ綺麗だった身体に。
そのことに本当に驚いたけど、それ以上に驚いたのは。
「しばらくここで暮らすといい。いずれ独り立ちしてもいいし、ずっといてもいい」
銀髪の綺麗な人が、とっても優しかったこと。
その人だけではなく、その古城にいた人たちはみんな優しかった。
「メルがしばらくお姉さんとして面倒みてあげるからね!」
今の少女とそう変わらないぐらいの年齢に見える少女が、そう言った。
「実に可愛らしいですな」30代後半ぐらいの男性が言った。「おっと、わたくしはこの古城の執事長をやっている者です」
彼の礼はとっても美しかった。
◇
「そして、わたくしこそがあなたの真のお姉様!」
どん、といきなり登場したメイド服の少女が言った。
ここは傭兵国家《月花》の帝城、その中庭。
少女が日当たりのいいベンチでぼんやり座っていた時のこと。
「お……お姉様……?」
少女はコテンと首を傾げた。
「髪型と髪色がわたくしと同じというのは、狙ったのですか?」
メイド少女がジーッと少女を見詰める。
メイド少女は少女の真ん前に立っている。
「……えっと……?」
少女もメイド少女も、黒くて長い髪の毛だった。
「瞳の色は違いますが。ふむ、美しいですね」
メイド少女の瞳は黒で、少女の瞳は紫だった。
「アスラお母様の一番の娘、十六夜と申します。こう見えてわたくし、剣ですの」
「剣……?」
人間にしか見えないのだが。
少女がそう思っていると、メイド少女の十六夜が、剣の姿に変化した。
全体的に白っぽい剣。とっても綺麗だ、と少女は思った。
「こちらが本来の姿ですが、最近は人間の格好をするのがトレンドなのです」
再び、十六夜がメイド姿に戻る。
「で、わたくしの妹の名前は?」
「名前……?」
少女に名前はなかった。
十六夜はそのことを察した。察しのいい剣、それが十六夜。
特に、人間の負の感情を読むことには定評がある。そもそも十六夜が負の感情の塊のようなもの。
少女を取り巻く負のエネルギーは、少女がどんな人生を歩んだか如実に語っている。
「お母様ぁぁぁ!! 大変ですぅぅぅぅ!! 妹に名前がないみたいですぅぅぅ!!」
十六夜は走ってお城の中へと消えていった。
そして中庭に静寂が戻る。
少女は中庭に突き立てられた2本の剣に視線を移した。
蔦植物が絡まっていて、どこか幻想的。
剣の周囲には花が咲いている。
少女は知らないが、その剣はお墓なのだ。誰かの大切な2人が眠っている。
ちなみに、花を供えるより咲かせた方がよくね? という精神でティナが剣の周囲に花を植えたのだ。
少女が少し視線を走らせると、隅の方に大麻畑があった。もちろん、少女は大麻など知らないけれど。
なんだかあの一角だけ、ちょっと他と違うなぁ、という程度の認識。
パチン、という指を鳴らす音が聞こえたので、少女は空を見上げた。空から聞こえたからだ。
そうすると、花びらの階段を下りてくるアスラの姿があった。
わぁ、やっぱり天使なのでは? と少女は思った。
「やぁ私の娘、ママだよ」
地面に降り立ったアスラが言った。
本当に母親だと思ってアスラにママと言ったわけではない。その美しさが、母を思い出させたというだけのこと。
「君に名前を授けよう」とアスラ。
「私の……名前?」と少女。
アスラがコクンと頷く。
「リーサ。君は今日からリーサ・リョナと名乗れ」
「リーサ……」
初めて与えられたもの。
実の母ですら、少女に、リーサに何も与えなかったのに。
「ああそうだ、言い忘れたのだけど」アスラが言う。「ここでは無理に泣く必要はない。君の宝石など私らは欲していない。いつか依頼料だけ払ってくれればいい」
「どうして……?」
「君の面倒を見る理由なら、そうしないと怒る奴がいるからだよ」アスラが言う。「助けたならある程度の責任を持て、と主張する奴がいるんでね。少なくとも、君が自立するまでは……ってなぜ泣く!?」
リーサはボロボロと宝石の涙を零した。
「初めて……貰ったの……」
キラキラと輝く色とりどりの宝石が、地面に転がる。
「名前のことかね? 気に入ってくれたなら、良かったよ」
「……優しさ……」
リーサが言って、アスラは察した。
涙の宝石が、積み重なる。
キラキラと。
綺麗だけど、悲しみの塊。
「君の涙の恩恵を受けた全ての者を殺そうか?」
「え?」
「今日から君を養子にする。君が望むなら、私の娘である君を悲しませた全てを滅ぼそう」
言いながら、アスラは思った。
君が私を愛し、私に依存し、だけど最後には敵対するように、と。
「えっと……そこまでは……しなくて大丈夫……です」
◇
ユグドラシルの夢の欠片。
未来の可能性。その1つを、アスラはリーサを通して見た。
なぜそれが見えたのか分からないし、ただの幻だったのかもしれないし、夢なのかもしれない。
それでも、それは掃いて捨てるには甘美な未来。
遠い未来で。
リーサはアスラを愛していて、だけど敵になる。
アイリスと同じ陣営に行くのだ。
最愛のアイリスと、最愛の娘が手を組んで、最愛のアスラを殺しに来る。
なんて素敵なのだろう。
次話も来週の金曜日に更新します。




