16話 未来のために 遠い未来を救うために
オンディーナは船に乗っていた。
大きな客船で、大帝国エトニアルから別の大陸へと移動する唯一の手段。
オンディーナは甲板で空と海をぼんやりと眺めている。
「……はぁ、まさか帝国が滅びるなんて……」
自分の直感は外れたのだろうか?
あるいは、滅亡こそが帝国のためだったのだろうか?
大帝キリルの支配からの脱却こそが、未来のためだったのだろうか?
はぁ、とオンディーナが長い溜息を吐いた。
ちなみに、オンディーナは薄汚れたローブを着て、フードで顔を隠している。
念のためだ。エトニアルの聖女だとバレると色々、面倒だと思うから。
当然、聖帽は被っていないし、聖衣も羽織っていない。
「こんなはずでは……」
大聖女に就任し、強大な権力を得るはずだったのに。
傭兵団《月花》がキリルを殺してしまった上、いつの間にか帝国を掌握していたティナが全ての属国を解放した。
更に、無理やり帝国に組み込まれた小国や領地も全部、解放した。今やエトニアルの領土は普通の国のそれと変わらない。
ティナと《月花》はある程度の戦後処理を行ったら、普通に「じゃあ帰るね」とフルセンマークに帰還してしまった。
「いずれ完全に……滅ぶのでしょうねぇ……」
「そうだろうね」
その返答に驚き、オンディーナが振り返ると、そこに傭兵王アスラ・リョナが立っていた。
「まぁでも、一応、各国を解放した時に条約を結ばせたよ。5年間はエトニアルを攻撃しないって条約」アスラが言う。「もちろん私も《月花》も関係ない。あくまでティナが考えた措置だからね。それが守られるかどうかも怪しいところさ」
「そんなことより……一体、いつから……」
オンディーナはアスラを警戒した。
偶然のはずがない。
「ん? 今さっきだよ。ドラゴンに乗って来たのだけど、私は君を驚かせたかったから、遙か上空から飛び降りて」アスラが空を見上げた。「花びらを何度か経由して、音がしないように丁寧に着地したってわけ」
「ええ、そうですか。驚きましたよ、あなたの希望通りに……」
オンディーナはいつでも攻撃魔法が放てるよう準備。
「そりゃ良かった」とアスラがニヤニヤ笑う。
「わたくしがここにいると、よく分かりましたね……」
「ああ……、私はただ、自分の魔力を辿ってきただけだよ」
アスラが右手をクイッと動かすと、オンディーナの背中から1枚の花びらが出て来た。
その花びらはオンディーナの目の前でフワフワと浮いている。
「これは……?」
「私の魔法だけど、無害だよ」アスラが言う。「君が逃げるのが見えたから、仕込んでおいた。追跡魔法、とでも言おうかねぇ」
なるほど、とオンディーナは納得した。
無害だからこそ、防御魔法も発動しなかった。
「わたくし1人、見逃してもいいでしょう? なぜ今になって、追ってくるのです?」
「いや、忙しかったから放置してただけで、君を見逃すつもりは最初からない」
アスラが気軽にオンディーナに歩み寄った。
オンディーナは下がらなかった。防御魔法があるので、ひとまずは大丈夫のはず。問題は、魔力が尽きるまで攻撃された時だ。
「なぜかと言うと、君はうちの国家運営副大臣を拉致したから。これを放置しては、国家として舐められちゃうだろう?」
アスラが極悪な表情で言ったので、オンディーナはビクッとなった。
「ああ、忘れるところだった」アスラの表情が普通に戻る。「ティナから伝言。『最後にもう一度聞きますわ。尻派の一員になるなら、命だけは助けてあげますわ。もちろん、大臣を拉致した刑罰は受けてもらいますけれど』だそうだよ。ティナは本当に優しいね。楽しみにしていた集会を潰されたのに、君に生きる道を示してくれている。私が君なら感動で泣いてしまうところさ」
やれやれ、という風にアスラが言った。
「わたくしは、そんな謎の集団に加入する気はありません」
オンディーナの能力なら、新天地でもきっとやっていける。
絶対的な防御魔法に、対象だけを潰す攻撃魔法、それからギフトである直感。
ああ、でも、とオンディーナは泣きそうになった。
その直感が未来を否定している。
自分に未来がないと告げている。
「そう不安そうな顔をするな」アスラが言う。「私は君を殺すが、何も酷い殺し方をするわけじゃない」
アスラがまたオンディーナに歩み寄る。
逃げ場がない、とオンディーナは今更になって気付いた。ここは海の上。どこにも逃げられない。
防御魔法が優秀でも、いつかは魔力が尽きてしまう。
「君の防御魔法は素晴らしい」アスラが言う。「私も防御魔法を使うからね。よく分かるよ。君のそれはどれだけ速度を上げても、同時に攻撃しても、防いでしまえる」
アスラはオンディーナに近寄り、ゆっくり手を伸ばし、オンディーナの頬に触れる。
最初に右手を添え、次に左手を添えた。
「まぁ、でも防ぐのは攻撃だけだろう?」
言ったあと、アスラはオンディーナの首を折った。
優しく、一切の害意なく、殺意もなく、ただ折った。花を摘まんで、香りと美しさを愛でるかのように、ただ自然に。
死んでしまったオンディーナは、自分が何をされたのか、なぜ死んだのか理解できないままだった。
「やっぱりそうか。攻撃でなければ防御する必要がない。私は優しかっただろう?」
アスラにとって、他人の首を折ることなど攻撃のうちに入らない。
なんなら、君がもう怯えなくていいように、安心させてあげるね、と思いながら殺すこともできる。
純粋に、ただ純粋に、何の害意も敵意もなく相手を殺せてしまえる。
◇
ゾーヤは諸々の処理に一度区切りを付け、神王城でスカーレットに会うことにした。どうしても伝えなければならないことが、あったから。
ゾーヤはナシオと2人で神王城の謁見の間に入った。
そこは相変わらず数多の剣が突き刺さった異様な場所だった。
ゾーヤは心の中で「0点」と呟いた。
「おかえり」と玉座に座ったスカーレット。
スカーレットの左右にはメロディとトリスタンが立っている。
「早速だけど、死んでくれない?」
スカーレットが言うと、メロディがジャンプしてゾーヤの前に立った。
「それはマイナス点ですよ」とゾーヤ。
「あたしさぁ、ゾーヤ信仰を破壊したからさぁ」スカーレットが肩を竦めつつ言う。「なんというか、体裁が悪いのよね、あんたがいると」
「そんなくだらない理由で、わたくしを殺すと?」
「ま、殺したあと、あたしがキッチリと『あたしこそが神である』って宣言してあげるから安心して」
「何を安心しろと……」ゾーヤが苦笑い。「そもそも、わたくしは神ではありませんし」
「それも分かってるけど、でも死んでくれると助かるのよね」
「スカーレット」ナシオが言う。「姉さんを殺すと言うなら、僕も敵だよ」
「いいわよ。でもあたし、あんたが異空間に逃げるより早く、あんたを殺せるわ」
スカーレットは淡々と言った。それが事実だから。
「もう始めていい?」とメロディ。
「待って下さい! どうしても伝えることがあります!」ゾーヤが必死な様子で言う。「そのために今日は来たのです! せめて話だけでも!」
スカーレットは少し考えるような仕草を見せてから、「いいわよ。聞きましょう」と言った。
メロディは「えー」と少し不満そうだったが、スカーレットの決定に従った。
「わたくしとナシオは使えます。殺すのは勿体ないかと」
「何? 命乞い?」
「そうです。戦後処理もまだ終わったわけでは、ありませんし……」
「その点は心配しなくていいわ」スカーレットがニヤッと笑う。「どうせまた1年もしないうちに戦後になるから」
それはつまり、1年以内にスカーレットが統一戦争を始めるということ。
「正式にあなたの配下になる、と言ってもダメですか?」
「フルセンマークの創造主が、あたしの手下に?」
さすがのスカーレットも、その申し出には驚いた。まったくこれっぽっちも想定していなかったから。
ゾーヤが強く頷く。
「なんで? あたしが思うに、そもそもあんた、命乞いをするタイプじゃないでしょ? 何があんたを、そこまで必死にさせるわけ?」
「遠い未来の話ですが、わたくしは見てしまった」ゾーヤが深刻な表情で言う。「世界大戦と呼ばれる悍ましい戦争を」
「世界大戦?」とスカーレット。
「はい。世界中の国々が戦争に参加する、本当に恐ろしい戦争です。わたくしは全てを見たわけでは、ありませんが、それでも2000万人が死にました」
「なんですって?」
規模が大きすぎて、スカーレットには想像もできなかった。
「1度目の大戦だけで、です」
「それって何回起こるわけ?」
スカーレットがフルセンマークを統一する目的は、戦争をなくすためでもある。愚かな人間たちを管理し、二度と戦争をさせないようにと。
全ての戦争を終わらせるための戦争を、スカーレットはしているのだ。
「分かりません。少なくとも4回です」
ゾーヤが悲痛な面持ちで言った。
「あんたの予言、ってわけね」
「はい。そうです。神託です。この世界の真の創造主であるユグドラシル様の夢の欠片。未来の可能性の一つ」
「可能性ってことは」スカーレットが言う。「変えられるのね?」
ゾーヤが強く頷く。
「わたくしは思うのです、あなたが世界を征服すれば、それはきっと起こらないと。あなたは結束主義者で、人間を管理し、愚かな戦争に終止符を打つのが目的でしょう?」
「そうね」
「ですから、わたくしはあなたに世界の命運を託したいのです」ゾーヤが強い口調で言う。「この世界に住まう人々が、そんな悲惨な戦争に駆り出されなくていいように」
「世界を征服ってあんたは言ったけど、この世界の広さがあたしにはまだ分からない」
「わたくしにも、正確な広さは分かりません。が、世界大戦を分析する限り、エトニアル大帝国並の国が複数ありましたね。それ以上の国も」
ゾーヤの言葉に、スカーレットが長い息を吐く。
「クロノスを取り戻さなきゃいけないわね」スカーレットが言う。「世界を大戦から救うなら」
「それと、アスラ・リョナは滅ぼして下さい」
「言われなくても、そうするつもりだけど?」
「最初の大戦のキッカケは、アスラです」
「つまり、あたしはアスラに殺されたのね、その未来では」
アスラが生きているなら、スカーレットが死んだということ。両方生きている、なんてことは有り得ない。
「はい。ですが、その未来はたぶん、あなたがわたくしとナシオを排除した世界でしょう」
「でしょうね」
ゾーヤが未来を見ていなければ、今のこの状況すら存在していない。
よって、本来ならゾーヤとナシオは間違いなく死んでいる。
「ええっと、お姉様、つまりその……」とメロディ。
「ゾーヤは生かしておくわ。フルセンマークの外のことまで、知ったことか、って思いもあるけど、人類は全てあたしに管理されるべき、って思いもあるのよ」
スカーレットはそもそも、フルセンマークの統一だけを目的にしていた。
その理由の大部分は、この世界はフルセンマークだけだと思っていたから。でもそうではないと、今は知っている。
「つーかアスラのやつ」トリスタンが言う。「世界大戦のキッカケになったって、何したんだ?」
これで20章は終わりです。
次はEXを更新する予定ですが、
早ければ8月、遅ければ9月になるかと思います。




