15話 その少女は唯一の救い 「ただ死ね。遺言も伝言もなしよ」
マルクスは心象世界で呪いと対峙していた。
幾千の憎しみと、幾千の悲しみと、幾千の絶望。
幾万の死と幾万の呪詛。
それらはマルクスの心を壊そうと襲いかかったのだが。
「団長が言うほど簡単ではないな」
かつて、アスラは魔王の元を脅迫したことがある。その上、この状況が楽しかったと笑っていた。
「更に団長は数万の死を疑似体験したんだったか」
マルクスは瞑想するように心を落ち着け、呪いの次の攻撃に備えた。
と、アスラの声が聞こえた。
どうやら、呪いに打ち勝たなければ殺されるらしい。
「正直、呪いなどより団長の方が怖い。さっさと諦めろ!」
マルクスは瞑想を止め、逆に積極的に呪いを受け入れ、全て無駄だと分からせることにした。
◇
「シモンとチェリーはダメだったか」とアスラ。
他の団員たちは、割とすぐにキリルの呪いを跳ね返した。
「呪いは怖いですが、団長さんはもっと怖いので……」
サルメが苦笑いしながら言った。
「あの2人はまだ《月花》歴が短いから」とレコ。
グルル、とチェリーが獣みたいに唸って、マルクスに向けて駆けた。
チェリーはすでに人間では有り得ない程のパワーとMPを手にしていた。
まるで獣が吠えるような声を上げながら、チェリーが右手にMPを纏い、マルクスに殴りかかる。
マルクスはチェリーの攻撃をあっさりと躱し、カウンターでチェリーの腹部を殴った。
チェリーが崩れ落ち、そのまま気を失う。
「……マホロの技を使わないチェリーなど、脅威でも何でもないな」
やれやれ、とマルクスが小さく首を振った。
チェリーが強いのはマホロ候補だからだ。その強みを消して、その技を忘れ、ケダモノになったら、そりゃ弱い。
チェリーが気を失った時、アスラが小太刀の峰でシモンをぶん殴って気絶させていた。
「シモンも同じだね。怪盗としての、というかシモンとしての影魔法を使わないなら、何の脅威にもならない」
単純にパワーが上がっても、当たらなければ意味が無い。
単純にMPが増えても、その使い方を忘れては何の意味もない。
「本当に」キリルが言う。「仲間に対しても容赦がないな……」
「君が弱体化させたから、殺さずに済んだよ」アスラがヘラヘラと言う。「私はてっきり、強化された仲間と戦うと思っていたからね」
「所詮、パワーとMPが凄いだけなら魔物と同じですからね」
マルクスが淡々と言った。
「数が多ければ、どうだ?」
キリルが言うと、数多の魔法陣が浮かび、それぞれから魔王相当の呪いが出現。
「いいのかい? そんなに一気に呪いを使ってしまって」アスラが言う。「死期が早まるだろう?」
「余が滅ぶより先に、貴様らを滅ぼす」
「だといいね! 諸君、ひとまず1体撃破だ!」
アスラが言って、全員で一体を囲んで速攻でくびり殺した。
今回はアスラとアイリスが加わっているので、秒殺と言っても過言ではなかった。
そうやって順番に倒しつつ、【紅の破壊】を魔王同士で打ち合うように誘導したり、アスラたちは戦術的に戦った。
戦って、戦って、戦い続けて。
倒しても倒してもキリルが新たに魔王を生み、この戦争はまさに総力戦の様相を呈していた。
空が赤く染まり始め、日が落ちて、そしてまた日が昇った。
途中、チェリーとシモンが目を醒ましたが、まだ呪われていたので再び気絶させた。
「団長、ごめん……オレそろそろダメかも」
レコが珍しく泣き言を吐いた。
「では交代してあげましょう」
そう言ったのは【守護者】ジャンヌ。
ティナがサッとレコを抱き上げて、雷のような速度でどこかに消えた。
「戻ったのかい?」とアスラ。
「ティナがどうしても、と言うので」ジャンヌが言う。「まさか1日経っても戦っているとは驚きですよ」
アスラたちはジャンヌを加えて更に戦闘を続けた。
◇
さすがに限界だ、とアイリスは思った。
レコだけじゃなく、みんな本当はもう倒れてしまいたいと思っているはずだ。
疲れから、徐々に戦術的な動きが乱れ始めている。
しかし、キリルはまだ余裕の表情を浮かべている。
「なんて絶望的な……」とアイリスは呟いた。
誰もキリルに逆らわないはずだ。大帝国が栄えるはずだ。戦争に負けないはずだ。最後にはキリルが出れば絶対に勝てるのだから。
と、ドラゴン型の魔王が尻尾でサルメを弾き飛ばした。
サルメは死んだかも、とアイリスは思った。
しかしティナがサルメを受け止め、そのままサルメを抱えてどこかに消えた。
なるほど、ティナは後方支援をしてくれてるのね、とアイリスは理解。
「オラァ! 俺様、復活だぜ!」
魔装状態のアルが戦闘に加わった。
しっかり一晩休んでいたので、アルの調子はかなり良さそうだった。
「参加しないわけには……いかないよねぇ……嫌だけど」
ギルベルトも参戦。お前は昨日のうちから参加しろ、とアイリスは思った。
腐ってもフルセンマークの大英雄だろうが、と。
まぁしかし、《月花》が元気なうちは、他人は連携の邪魔になる。参戦するならこのタイミングが最適だというのも理解している。
呪いの力はあとどれだけ残ってるの?
肩で息をしながら、アイリスは思った。
(だいぶ消耗してますよ)と十六夜。
(分かるの?)とアイリス。
(まぁ実家ですし)
なるほど、とアイリスは納得した。
同時に、十六夜と話したことでアイリスは1つの閃きを得た。
(そうだ! フルセンマークの呪いってそろそろ魔王になれるんじゃないの!?)
今回の戦争で、ジャンヌの絶滅戦争以上の死傷者が出ている。だから、負のエネルギーも凄まじい速度で溜まっているはず。
(そうですね。依り代が見つかれば、今でもなれるかと)
(あんた、あたしを依り代にできる?)
(できますよ)
(じゃあ、やって!)
アイリスは十六夜と話をしながらも、戦闘はサボっていない。ちゃんと目の前の魔王を攻撃している。
(では【呪印】をどうぞ)
十六夜が言うと、アイリスの背中が熱くなる。
幾何学的な黒い模様がアイリスの背中に刻まれたが、アイリスからは見えない。
(それでは、ちょっと呼んで来ますね)
そう言って、十六夜がしばらく沈黙。
ちなみに、アイリスと十六夜の変化に気付く者はいなかった。みんな自分の役割でいっぱいいっぱいなのだ。
まぁ、ジャンヌとアルは元気だが、元気故に敵を攻撃することしか考えていない。
(お待たせしました)
十六夜が言うと、アイリスは一瞬にして心象世界に落ちた。
「アイリス!」とグレーテルが叫んだ。
周囲からは、アイリスが力尽きて倒れたように見えたから。
(大丈夫)十六夜が言う。(しばらくママを護ってあげてくださいお母様)
「よろしい。あとで説明したまえよ」
アスラは倒れたアイリスを護るように立ち回った。
ちなみに、十六夜はアスラをお母様、アイリスをママと呼んでいた。
心象世界に落ちたアイリスは、怨嗟の声たちとの交渉に時間を掛ける気はなかった。
怨嗟の声など、今のアイリスにとっては小鳥の囀りと大差ない。脅し、透かし、次に優しくして、怨嗟たちの心を操って、そして。
(あんたたちを救ってあげる。もう誰も呪わなくていいように。永遠の平穏をあげる。あたしは人を殺さないけど、キリルは人じゃないから、殺してあげる)
この言葉を吐いた時、アイリスは自分の悍ましさを再確認した。
人の形をしていても、人でなければ容赦なく殺してしまえる。いや、それどころか。
今のアイリスは人も殺せるのだ。ただ、一度殺してしまえば、もう歯止めが利かない。数々の才能に恵まれたアイリスだが、闇落ちの才能もあるのだ。
なろうと思えば、スカーレットになれるのだ。もちろん、アイリスはそうなりたいと思っているわけじゃない。
だから、『人を殺さない』というのは、アイリスが自分の心を守る最後の砦。
綺麗事を汚物の海に叩き込み、お花畑を焼き払っても、それでもかつて憧れた『人々の英雄』であるために。
(あんたたちが眠れるように。だから力を貸しなさい)
最後には、怨嗟の彼らに寄り添った。
彼らは元々、悲惨な運命を辿った人間たちだ。幸せに生きたいと願っていた、普通の人々なのだ。
救われるものなら、誰だって救われたい。
アスラには思い付かない、アイリスだけの殺し文句。
あなたを、救って、あげる。
怨嗟の声は歓喜した。
誰だって平穏が好きだ。誰だって負のエネルギーとして生きたいなんて、心から思っているはずがない。
だって、人の心を持って、人として生きていたのだから。
そもそも彼らは呪いになりたかったわけじゃ、ないのだ。
「魔王アイリスちゃん、誕生ってね!」
アイリスがバッと起き上がり、左手を魔王に向け、【紅の破壊】を使用。一撃で複数体の魔王を消し飛ばした。
実際には、アイリスは魔王になったわけではない。依り代になったわけでもない。ただ、説得して力を借りたに過ぎない。
要するに、正気のまま魔王並の戦闘能力を得た、ということ。魔法兵として、英雄として、ただただ純粋に強化されたというわけ。
「ほう。呪いを取り込んだんだね?」アスラが言う。「どうやった?」
「あんたには無理よ」
言って、アイリスはキリルの方を向く。
「バカな……貴様、余の呪いを自分の力にしたのか?」
キリルは心底、狼狽していた。そして無意識に一歩、後方に下がった。
「今、分かったんだけど」
アイリスは目を瞑って両手を広げた。右手には十六夜が握られている。
アイリスが目を開くと、全ての魔王が消えていた。
「みんな本当は、あんたのことが嫌いなんだってさ」
ニヤッとアイリスが笑った。
そして。
アイリスが覇王降臨を使用。その上で全身をMPでコーティングし、それでもMPは有り余っている。
今、この場に存在していた全ての魔王の力も吸収したからだ。
更に、アイリスはキリルの呪いを全て奪おうとしていた。
「やめろ……余から呪いを剥ぐな!」
キリルが頭を抱えて叫んだ。
「だって仕方ないじゃない。あんたのやったことは、鬼畜の所業よ。死んでしまった人たちを、安らかに眠りたい人たちを、無理やり呪いに変換したんだから」
キリルが死ぬならば、と怨嗟の声たちはアイリスの側に付いた。
これで安らかに消えることができるならば、と。
1600年で初めての機会に、彼らは賭けた。
「余は大帝……民は死んでからも余に仕えるべきなのだ!」
キリルがアイリスに向けて【紅の破壊】を放った。
アイリスはそれを左手で軽く空へと弾いた。ハエを払うような、簡単な動作だった。
「マジかよアイリス」
アルがブルブルと震えた。それは怖いからじゃない。アイリスを新たに倒すべき相手だと認識したから。
今、この瞬間のアイリスは、スカーレットを超えている。
そのことを、アスラも肌で理解した。
「こんなことが! こんなことが許されるものか!」
キリルが【紅の破壊】を連発したが、その全てをアイリスが上空へと払いのけた。
「ゾーヤ! ゾーヤどこだ!? 余を助けよ! ゾーヤ!」
キリルは頭を抱え、混乱と焦燥の中でかつての聖女を呼んだ。
かつて愛し、そして憎んだ女の名を呼んだ。
「あんたを助ける者はいないわ」アイリスが言う。「死んでからもあんたに搾取され続けた人たちから伝言があるわ」
言葉が終わると同時に、アイリスはキリルのすぐ前まで移動した。
その移動を目で追えた者は1人もいなかった。
「いい? よく聞いてね?」アイリスの声は凜とした鈴のように響いた。「ただ死ね」
アイリスは十六夜でキリルを斬り、左手で【紅の破壊】を放つ。
キリルはチリ一つ残さず、この世から消滅した。
キリルの消滅を証明するかのように、アイリスの中から呪いの力が抜け出た。
彼らはアイリスに感謝し、魂の旅路へと赴いた。
「ごめん十六夜、あんたのこと、考えてなかったけど、もしかして消えちゃうの?」
アイリスが申し訳なさそうに言った。
(いえいえ、あたくしを含む魔王武器たちは、依り代を得て具現化した時点で、彼の呪いから切り離された、独立した存在ですから。キリルの呪いは実家のようで酷く懐かしかったですが、それはつまり、わたくしたちは実家には属していないということです)
「あんたはさ、安らかな眠りに興味はないの?」
(ないですね。統合された十六夜という人格は、まだ世界を楽しみたいです)
「そう……」
アイリスは急にフラついて、十六夜を杖みたいにして身体を支えた。
「君が美味しいところを全部、持って行っちゃったね」アスラがアイリスの背中を軽く撫でた。「まぁ、正直、助かったけどね」
アスラも何気に満身創痍だった。
「やっと休めるのか……」
マルクスがその場に大の字で寝転がった。
「生きてるぞぉ、俺は生きてるぞぉ」
ロイクがなぜか泣きながらその場に膝を突いた。
「今日はよく眠れそうですわね」
グレーテルが武器を放ってその場に座り込む。
ラウノは何も言わず、長い安堵の息を吐いたのち、倒れ込んだ。
「MP……カラッカラ……」
イーナはラウノの上に倒れ込んだ。もちろん、地面よりマシだったから、あえてそこに倒れたのだ。
ちなみに後半、イーナはMP切れで一切魔法を使っていなかった。
「とりあえず」いつの間にかティナがアイリスの側にいた。「休めるところを手配してますわ。移動しましょう」
「準備がいいんだなティナ」とアル。
「当然ですわ」
ふん、とティナが小さな胸を張った。




