4話 君の屍を踏みつけて征こう 死体は踏んでも怒らないだろう?
カーロ・ハクリは開いた口が塞がらなくなっていた。
「おい、マルクスってあんなに強いのか?」
「相手、英雄だろ?」
「英雄って言っても、クレイヴンでしょ? 英雄になったばかりよ?」
「つまり英雄最弱?」
「だとしても、普通英雄が負けるか?」
蒼空騎士たちもざわついている。
「いや、マルクスはそもそも団長候補で、英雄候補だったんだぞ」
「あの金髪の男もやばくねぇか? めちゃ綺麗な動きだったぞ?」
動きの速さ、判断の早さ。
そして連携。
カーロは今までに、これほど美しく連動した攻撃を見たことがない。
「マルクス・レドフォードに、ユルキ・クーセラか……」
カーロはすでに、団員たちと自己紹介を済ませている。
「それに、あの子供たち……」
訓練所の隅っこで格闘をしているサルメとレコにチラッと視線を送る。
2人が行っているのは型の稽古のように見える。
けれど。
まるで実戦のように本気。2人とも傷だらけになりながら稽古していた。
普通にそこらの大人より強いんじゃないだろうか、とカーロは思った。
「何より……」
ゴクリ、とカーロが唾を飲む。
団長と名乗った幼い銀髪の少女、アスラの戦闘能力の高さ。
アスラと連動しているイーナの軽やかで素早い攻撃。
更に、それを防ぎ続けるルミア。
「こいつらみんな……蒼空騎士たちより、強くないか……?」
◇
きついっ!
ルミアはそろそろ限界を感じていた。
1回でいい。たったの1回でいいから、息を吐かせて欲しい。
イーナの攻撃はやや単調で、防ぎやすい。間合いも短剣にしてはやや遠い。
だが、アスラの方が細かな変化を加えてくる。
実戦なら、ルミアは全身傷だらけだ。
もちろん、致命傷はまだ受けていない。
たぶん、とルミアは考える。
イーナはルミアの動きを制限するため、わざと単調に攻撃している。
そして合間で、アスラがルミアに決定打を食らわせるという取り決めがあるのだと推測。
視界の隅で、ユルキが走ってくるのが見えた。
「ちっ」とアスラが舌打ち。
ルミアは安堵した。
アスラが舌打ちしたのだ。
つまり、アスラの作戦が崩れたということ。アイリスがユルキとマルクスを引きつけている間に、ルミアを倒せなかったのだ。
これで息が吐けるわね――刹那。そう思ったのは本当に刹那。1秒にも満たない。
右の脇腹に激しい痛み。
「なっ……」
何が起こったのか、ルミアは一瞬分からなかった。
アスラの攻撃は躱した。
イーナの単調な攻撃は、木剣で撃墜――できていない!?
イーナが動きを変えたのだ。
クルクル回って攻撃していたイーナが、突いてきた。
その突きがモロに脇腹に入った。
実戦なら、短剣が突き刺さっていることになる。
刹那を突かれた。
そう気づいて、全てを理解。
ここまで、この瞬間までアスラの計算通りなのだ。
舌打ちはフェイク。最初から、ルミアをギリギリまで追い込んで、最後の最後に、一瞬の気の緩みを突く作戦。
だからイーナは単調な攻撃をしていた。
最後だけ、軌道を変えるために。
ルミアの警戒がアスラに向くように。
最初からイーナが本命だった、ということ。
ああ、でもアスラ、わたしは脇腹を突かれたぐらいじゃ、死なないわよ?
イーナを蹴って、少し距離を取る。剣の間合いにするための蹴りで、威力はそれほど強くない。
そのままイーナを斜めに斬り裂いて、
同時にアスラが木剣を横に振る。
アスラの攻撃がルミアの左脇腹を叩く。
「かはっ……」
それは渾身の一撃。ルミアを殺すつもりで叩き込まれた一撃。
ルミアの身体が少しだけ浮いて、くの字に折れ曲がり、一瞬呼吸が止まって、地面に落ちる。
あまりの痛みに、ルミアはその場でうずくまった。
ルミアに打たれたイーナも転がっていた。
「……痛がってる副長、可愛い……」
イーナが可愛らしく笑った。
「そっちもね……」
笑いたかったけれど、痛すぎて笑えなかった。
◇
「相変わらず、男のくせにちょこまかと動きやがるね、君は!」
「そっちこそ女のくせにクレイモアとか振り回しやがってよぉ!」
「木剣はそんなに大きくないよ!」
「知ってらぁ! 普段の話だぜ!」
ユルキがアスラの懐に入り込み、短剣で攻撃。
アスラはルミアを渾身で打った。つまり、少しだけアスラには隙ができた。
その隙に、ユルキが間合いを詰めてきた。
イーナと同じぐらい素早いユルキの動きに、アスラは木剣を捨てて両手に短剣を持った。
すでに懐に入り込まれているので、木剣では対応し辛い。
「いつもの半端で雑な敬語はどうしたユルキ!」
「はん! そんなもん戦闘中に使うかよ!」
お互いに短剣での打ち合いになる。
足技も混ぜたいが、お互いがお互いの特徴をよく理解しているので、下手に使うと隙になる。
「生意気だね! いつものように地面に転がしてあげるよ!」
「たまには団長がオネンネしろってんだ!」
2人の打ち合いはほぼ互角。
普段なら、アスラの方が強い。だが今のアスラは体力の消耗が激しい。
ルミアを相手にしていたせいだ。
「寝ている私を襲おうって算段かね!?」
「そりゃねぇな! 俺はもっと肉感的な大人の女が好きなんだよ!」
速度、体力はユルキの方が上。
アスラは技術と経験で対応。
体力をもう少し残しておきたかったが、それだとルミアを追い込めなかった。
ジリジリと、アスラが下がる。
「くっ、この私が君に追い込まれるとはね!」
「ははっ! 団長の唯一の弱点は、筋力と体力が俺やマルクスに劣るってとこだぜ!?」
実際、アスラは今、かなりしんどい。
集中が切れたら負ける。
なんとかユルキを打倒する方法を思考する。
けれど、魔法は禁止だし、体力もないし、この訓練場に使えそうなものもない。
いや、あるか。
アスラは左側に大きく飛んだ。
もちろん、大きな動きなので隙ができる。
ユルキはそれを逃さず、アスラが飛ぶと同時にアスラの右腕に短剣を叩き込んだ。
実戦なら、アスラの右腕はもう使えない。
着地と同時にダッシュ。ユルキが追う。
アスラの前に、「……あー、痛い……」と言いながら転がっているイーナ。
アスラは容赦なくイーナを踏みつける。
イーナが「ぐへっ!」という変な声を出した。
アスラは更にルミアも踏みつける。
「ちょ……きゃふ!」とルミア。
アスラはルミアの上で反転。
ユルキはイーナを避けるために、歩幅を変えた。
つまり、隙ができた。
ユルキの着地と同時に、左手で短剣を投げる。
「うおっ」
ユルキはそれを躱したが、バランスを崩す。
アスラはユルキに突っ込んで、右肩でユルキを押し倒す。
「あわわ……」とイーナが転がってその場から移動。
本来、死体は動かないのだが、まぁいい。
倒れながら、アスラはユルキの手首を捻って短剣を奪う。もちろん、使ったのは左手のみ。
奪った短剣でユルキの喉を裂いた。
同時に、ユルキのもう一本の短剣がアスラのふとももに刺さった。
木製の短剣なので、実際には刺さっていない。実戦なら刺さっているということ。
「私の勝ちだね。ふとももと腕はくれてやる」
「……むちゃくちゃっすよぉ」ユルキが頬を膨らませた。「普通、イーナと副長踏みつけるっすかぁ?」
「死体だから問題ない。でも君は割と優しいところがあるからね。きっと躱すと思ったよ。実戦でも、イーナの死体なら躱しただろう?」
アスラがニコニコと言った。
「そりゃ、兄妹同然に育ったイーナっすからねぇ。死体でも踏みつけるのは気が引けるっすわぁ」
「……酷い……団長酷い……勝つためにあたしを踏んだ……」
イーナがシクシクと泣き真似をする。
「わたしなんて、背中の上で反転までされて、ユルキに突っ込むために踏み締められたのよ……」ルミアは怒り半分、呆れ半分という口調だった。「というか、わたし踏まなくても良かったんじゃないの? 嫌がらせ?」
「いいじゃないか。君たちどうせ死体なんだから、文句言わないだろう?」
「あー、首いてぇっす」ユルキが言う。「あと、そろそろ俺の腹から降りてくれねぇっすか?」
「なんだい? 騎乗位みたいで興奮するのかね?」
「重いからっす」
ユルキが真面目に言ったので、アスラは溜息を吐いた。
「私はそんなに重くないはずだがね」
アスラはゆっくりとユルキから降りた。
「あー、ダメだ。私も割と限界だったね」
アスラがその場に転がった。
「見ていましたが、団長のやり方はさすがですね」
マルクスが寄って来て言った。
「卑怯……というか、普通仲間を踏み台にする?」
アイリスが苦笑い。
「死体なんかどう扱ったって問題ない。死人に口なしってね。本人からは何の文句も出ない」
「……死者への敬意とか、アスラそういうのないの?」アイリスが小さく首を傾げた。「そりゃ、訓練だから実際には死んでないけど」
「ない。戦場じゃ、死体は踏みつけられる。それが普通なんだよアイリス。戦闘中に死体を避けてる兵士がいるかね? いたとしたら、そいつが次の死体だね。ユルキみたいに」
「あーあ、どうせ俺が反面教師ってやつっすよ」
ユルキが上半身を起こして、胡座をかく。
「君たち!」カーロが駆け寄る。「いつ行ける!?」
「ふん。私たちでいいのかね?」
アスラは身体を起こして、その場にぺったんこ座りした。
「もちろん! 君たち、蒼空騎士たちよりずっと強いよ! ぜひ僕を護衛してくれ!」
カーロは酷く興奮した様子で言った。
「お願いします、は?」とアスラがカーロを見上げる。
「ああ! お願いします! 無礼な態度を取ってすまなかった! 僕が間違っていたよ!」
「カーロ、君は素直でいいね。何があっても、君だけは絶対に無事に帰れるよう最善を尽くす。だが、見ての通り、私たちは満身創痍でね。明日は休みたい。明後日でどうだね?」
「問題ないよ! 準備しておくけど、君らは寝袋だとか、食料だとか、自分たちで準備できる!?」
「それも明日やっておく」
「じゃあ、明後日の朝、また事務所まで来てくれ! 未到の地まで行くから、往復で5日ほどかかると思う。それだけの準備をしっかり頼むよ! 小さいけど強い団長ちゃん!」
言いながら、カーロがアスラの頭をグシャグシャと乱暴に撫でた。
「君、素直でいい奴だけど、興奮しすぎじゃないかな?」
アスラは少し呆れて言った。
カーロはあまり冷静なタイプではなさそうだ。
まぁ、探検に命を懸けているような奴がクールなわけがない。
◇
寵愛の子、ティナはフルマフィの麻薬畑を訪れていた。
山を切り開いた広大な土地に、その畑が存在している。
フルマフィが販売している麻薬の8割がここで生産されていた。
育成されているのは大麻と呼ばれる種類の植物で、加工もここで行われる。
多くは乾燥させて煙草のようにする。簡単に吸えるので、手を出しやすいからだ。
ゲートの見張りが、ティナの顔を見て即座にゲートを開けた。
ティナは溜息を吐きながら、敷地に入る。
多くの人間がここで働いている。吸収した犯罪組織の人間たちや、人身売買で獲得した奴隷たちなど。
ティナは真っ直ぐに管理事務所を目指し、中に入る。
「タニア。お話がありますわ」
管理事務所は木製の小屋で、さほど広くない。生産や労働者の管理をしているだけの小屋だからだ。
労働者の宿舎や、加工工場の方がずっと大きく広い。
「これはこれは、誰かと思ったら寵愛の子じゃないか」
長いソファに転がっていたタニアが起き上がる。
タニアは30代後半の女で、濃い緑の髪をショートカットに切り揃えていた。
身体は引き締まっていて、パッと見ただけで鍛えているのが分かる。
「ぼくはティナですわ」
「みんな寵愛の子と呼んでる。それでいいじゃないか。ジャンヌ様の寵愛を一身に受けているあんたが羨ましいよ」
「姉妹ですから」ティナは淡々と言った。「それより、サボってましたの?」
「いやいや、私の仕事は管理。つまりサボってる奴を痛めつけること。誰もサボってなきゃ、私はやることがない。だから休憩してたってことさ」
ニヤニヤとタニアが笑う。
「そうですの。別にそれはいいですわ。出荷量が落ちている、という報告がありましたので、事情を聞きにきましたの」
本当は、もう理由を知っている。
人手が足りないのだ。
少しサボっただけで、タニアが酷く拷問して使い物にならなくしてしまうから。
「なんだい? ジャンヌ様が怒ってるって?」
「まだ、怒っていませんわ」
それに、とティナは思う。
怒ってもどうせぼくがお尻を叩かれるだけですわ。
そしてそれが嫌なので、ティナは問題があれば迅速に解決するよう努めていた。
「んじゃ、新しい奴隷を入荷してくれないかい? ちょっと人が足りなくてね」
「分かりましたわ。でも、壊さないでくださいまし。奴隷も大切な資源ですわ」
「そりゃ、真面目な奴なら壊さないさ。けど、サボる奴は見せしめにしないとね」
「ハッキリ言いますわ。ちょっとのことで、拷問しないでくださいませ」
「ああ? 私のやり方が気に入らないってか?」タニアの表情が歪む。「私は実力でここを任されるようになった、と思ってんだけどねぇ?」
「そうですわ。優秀だから任せていましたの」ティナが溜息を吐く。「でも、最近は目に余りますわ。奴隷への過剰な拷問、ヒマがあれば男とも女とも淫らな行為。更に商品を自分で使ってますでしょう?」
「はっ! 愛玩用のあんたに、現場のことなんて分からないだろうさ!」
「……愛玩用?」
「そうだろう? その可愛らしい身体に、綺麗なお顔、ジャンヌ様の夜のお供なんだろ! 腹が見えてるやらしー服も、下着が見えそうな短いスカートも、ジャンヌ様の好みだろ? みんな知ってるよ! ジャンヌ様のアソコ舐めるだけで偉そうにできて羨ましいよ!」
タニアの酷い言葉にカッとなって、ティナは左手でタニアの首を掴んでそのまま持ち上げた。
「【招雷】」
固有属性・雷の生成魔法。
ティナは左手に雷を作ったのだ。
「ぎゃぁぁああああぁあああああああ!!」
そして左手はタニアの首を掴んでいる。
ティナの作り出した雷は、そのままタニアの身体を駆け巡った。
もちろん、出力を調整して死なないようにしている。
「取り消してくださいませ。タニア・カファロ。ぼくは、戦闘は好きじゃないですわ。痛めつけるのも嫌いですわ。だから、普段こういうことはしませんの。でも、だからって、愛玩用なんて言われる筋合いはありませんわ」
ティナがタニアの首から手を離す。
タニアが床に倒れ込んで、咳き込み、ガチ泣き。
「取り消してくださいませ」
ティナはジャンヌと姉妹なのだ。義理の姉妹だけど、本当の家族より愛している。
愛玩用なんかじゃない。違う。絶対違う。
ジャンヌはすぐにティナを叩く。
酷く叩く。
理不尽な理由で、時には他人の見ている前で。
それでジャンヌが自分を安定させているのは分かる。
楽しんでいるのも分かる。
でも、愛してくれてる。ティナも愛している。
愛玩用なんかじゃない。
「取り消す……。あんたは、愛玩用……なんかじゃ、ない……です。ティナ様……お許しを……」
お互いに支え合っているのだ。この10年、ずっとそうだった。
でも。
ジャンヌは少しずつ壊れてしまって。
ティナの負担が大きいのは事実。
守りたいと思っているのに、救いたいと思っているのに、
ジャンヌはティナを叩く。何度も何度も何度も叩いて、叩いて、もうティナだって耐えられない。限界が近い。このままじゃ2人とも壊れてしまう。
「ルミア……」
天井を見ながら呟いた。
本当の姉妹なら、あるいはジャンヌを救えるのだろうか?
ジャンヌはルミアに会いたいと思いながら、恐れてもいる。
だから、動向の監視だけで、まだ会いに行っていない。
説得しなくては、とティナは思った。
もう、ティナ1人でジャンヌを支えられない。
愛しているのに、愛されているのに、もう自信がない。
「力を、貸してくださいませ、ルミア・カナール……いえ、かつての……」
タニアには聞こえないよう、口の中だけでそう言った。
けれど、とティナは思う。
ルミアは新しい生活を始めている。
傭兵団《月花》の副長。それが今のルミア。
「……ある程度、強引に引き抜くことになるかもしれませんわね……」
《月花》側にだって、ルミアが必要なはず。最悪、戦闘に発展する可能性も。
でも。
ティナにはルミアが必要なのだ。
そして、ジャンヌにはもっと必要。