6話 私は強くなったと慢心していたようだ 「いえ、本当に強いですよ?」
かつてアクセル・エーンルートと名乗っていたゾーヤ軍総司令官のアルは、敵軍の司令官と殴り合いをしていた。
ここはトラグ大王国の西に位置する小国。その路地裏。おびただしい数の死体が転がっている激戦区。
今のところ、生きて動いているのはアルとその敵、天聖・風神のムツィオだけ。
「おら! そんなもんかヨォ!」
アルの上段蹴りを、ムツィオがガード。
しかしアルはガードごとムツィオを吹っ飛ばした。
追撃には行かない。久しぶりに、そこそこ楽しめる相手なのだ。簡単に倒してしまっては面白くない。
「むぅ……」
ムツィオは腕が痺れたようで、しかめっ面をしている。
ちなみに、ムツィオもアルも上半身裸で、筋肉を見せつけている。
「次はテメェからこいや!」
アルはどっしりと構えた。どんな攻撃にも対応してみせる。
「まさか魔物が人の軍を率いているとは、な」
ムツィオは酷く苦々しい表情で言った。
「あ? なんで分かったんだ?」アルが言う。「俺様はまだ、魔物のアレ、特殊スキルだっけか? 使ってネェだろ?」
「貴様が人であってたまるか」
ムツィオは吐き捨てるように言った。
「そうかよ。まぁ何でもいい。楽しもうぜ? テメェはアレだ、俺様と同類だろ?」
「いや違う」
言いながら、ムツィオは全身に風をまとった。それがかなり上位の魔法であると、アルにも分かった。
「ワシは弱い者いじめが好きなんだっ!」
高らかに宣言し、ムツィオは尻尾を巻いて逃げ出した。それも凄まじい速度で。
全身を巡る風が、ムツィオの走る速度を極端に上昇させているのだ。
「ん?」
アルはムツィオの行動が理解できず、その場に留まっていた。
少し時間が経過して、それでやっと脳筋のアルにも理解できた。
「に、逃げやがった……」
◇
アスラは通りの真ん中に立って、のんびりとした動作で火縄銃の準備をした。
アスラの周囲には数多の死体が転がっているが、殺したのはアスラではない。それは最初からそこにあったのだ。
エトニアル軍とゾーヤ軍が激しくぶつかり合った結果として、死体の山が完成した。
アスラが深呼吸すると、血の味がした。
素晴らしい、とアスラは思う。これほど大きな戦争は、滅多にない。願えるならば、永遠にこの戦争を楽しみたいとさえ思う。
「まぁでも、戦争なんて年中どっかでやってるからねぇ」
1つの戦争に執着する必要はない。全力で楽しんで、終われば次を探せばいいのだから。
アスラは通りの先に銃口を向けて、しっかり構える。
少し待つと、ムツィオが凄まじい速度で走ってきた。
「あは、やっぱり逃げるよね」
特に、自分の価値を理解しているならば、アルと戦おうとは思わない。
ムツィオは司令官だ。己が死ぬことの意味を、よく理解している。
アスラは少し前に空を歩いてアルとムツィオを発見、そしてムツィオが逃げると判断し、先に待っていた。
どっちに逃げるかは考えなくても分かる。自軍のいる方だ。つまり、この通りを抜けるのが最速。
素晴らしい判断力だ、とアスラは思った。戦士主体の世界で、一騎打ちの最中に逃走を選択できるのだから。
まぁ、どっちにしても死ぬんだけどね?
ムツィオはアスラに気付いたが、特に速度を緩めたりはしない。アスラを避ける様子も見えない。
アルの前から無様に逃げ出したムツィオは、あまり良い気分ではなかった。よって、ガキを撥ね飛ばして殺せば、少しは気分が良くなるか、と思っているのだ。
ムツィオとアスラの距離が約100メートルになった時、アスラは引き金を絞った。
弾丸は真っ直ぐ、ムツィオに向かって行く。
ムツィオが走りながら体を捻った。同時に風が巻き上がり、弾道を逸らした。
「おいおい、銃弾を躱すのかい?」アスラは楽しくなって呟く。「最高じゃないか君」
ああ、前世の仲間たちに自慢したい。私は銃弾を躱す奴を知ってるぞ、ってね。
ああ、むしろ私も躱せるんじゃないかな、とアスラは考えた。
落ち着いたら銃弾を躱す訓練をしよう。その方が、自慢できるから。まぁ、前世の仲間たちに会うことはないだろうけど。
アスラは素早く火縄銃を背中に仕舞う。2発目を準備する時間はない。ムツィオが速い。まぁ、速いことは噂で聞いていたので、さほど驚きはない。
火縄銃を仕舞ったあと、アスラは小太刀の柄に手をやって、構える。
久々に自分の戦闘能力を測ってみようと思ったのだ。
前に試したのはトラグ大王国で、職人英雄ノーラが相手だった。
でも、あれはもうアスラ的には5年以上前の出来事なのだ。時の流れの違う皮革水筒の中に閉じ込められて、そこで5年間を過ごしたから。
もちろん、アスラは5年間ずっと訓練をしたわけで、当時とは戦闘能力に大きな差がある。
ムツィオが突っ込んで来たので、アスラは居合い一閃。
ムツィオは急停止したが、体の前面が大きく裂けて、血が飛んだ。
致命傷は避けたか、とアスラは思った。
手首を返して二の太刀。
ムツィオは少し下がって躱した。
おお、やるじゃないか。いや、私があんまり強くなってないのかな?
まぁ、皮革水筒の中では魔法中心の訓練だったしね。
そんなことを思いながら、アスラは小太刀を手放した。
アスラの3撃目より速く、ムツィオがローキックを放った。2人は身長差が割とあるので、そのローキックはアスラにとってはハイキック。
アスラは両手でムツィオの蹴りをガードし、インパクトと同時に自分で飛ぶ。
腕が震え、痺れ、折れたかと思ったが、折れてはいなかった。
傭兵デビューした時の私なら折れていただろうし、気を失っていただろうから、まぁ少しは強くなっているかな、とアスラは思った。
アスラは民家の壁を突き破って、中で転がって受け身を取った。
そしてすぐに立つが、追撃がない。
ムツィオはすでに走っていた。
「ほう。逃げるのか」アスラは感心して言った。「私を強敵だと感じてくれたんだね。嬉しいよ」
まぁ逃がさないけど、ね?
◇
「あれを躱すなんて……」
サルメは民家の屋根の上で呟いた。
通りを挟んだ向こう側の屋根で、グレーテルも驚いた表情をしている。
ちなみに、2人ともすでに火縄銃を構えている。
通りにはマルクスが立っていて、同じく火縄銃を構えている。
「化け物ですね、天聖って」
アスラの居合いは神速の領域に達している。
この世界にアレを躱せる者はそれほど多くない、とサルメは思っている。
たぶんムツィオは見えていなかったはず、とサルメは分析する。勘と経験で止まったのだろう、と。
見えていたのなら、アスラから逃げなかったはず。
もちろん、ここまで全部サルメの想像だ。
まぁいい、今は考察の時間じゃない、とサルメは気持ちを切り替える。
サルメは小さく息を吸って、そして止める。
通りを走っているムツィオに照準を合わせる。
合わせた瞬間にムツィオと目が合ったので、少し焦った。
気付かれた? どうして? 殺気が出ていた?
分からないけれど、やることは変わらない。
最初に決めていた通りの距離で、サルメは引き金を弾いた。
グレーテルとマルクスもほぼ同じ瞬間に引き金を弾いた。
同時弾着射撃。タイムオンターゲット。
アスラの一発は躱したけれど、三発同時ならどうだろうか。
ムツィオが身を捩り、風が吹き荒れ、三発の弾道を逸らした。
サルメは2発目を準備。
通りの向こう側でグレーテルも同じように動いた。
マルクスは火縄銃を捨てて、背中の剣を抜いたと同時に縦一文字に振る。
まだ剣の間合いではないけれど、問題ない。マルクスの剣は聖剣クレイヴ・ソリッシュ。
聖剣から放たれた三日月型の衝撃波がムツィオへと向かって飛ぶ。
ムツィオは右の拳に風を集め、立ち止まり、そして衝撃波を殴って霧散させた。
「えぇ……」
サルメは呆れた風に呟いた。
そんな真似します?
聖剣の衝撃波を風をまとった拳で殴って消し飛ばすなんて。
「【氷槍】」
マルクスが魔法を使った。
ムツィオを中心とした上空に、円を描くように無数の氷の槍が出現。
ちなみにマルクスの固有属性は氷ではない。【冷】である。
基本属性・水をそのまま引き継いで好きに冷やせるという便利属性。暑い日はキンキンに冷えた水が飲める。
「むっ……」とムツィオが自分を取り囲むような氷の槍を見上げた。
マルクスがニヤリと笑うと、【氷槍】が一斉にムツィオを襲う。
それに合わせて、サルメとグレーテルが発砲。
「舐めるな雑魚どもがぁぁぁ!!」
ムツィオが吠えて、彼の周囲の風が唸る。
ムツィオの風は弾丸を逸らした。
ムツィオの手と足は氷の槍を全て打ち砕く。
化け物め、とサルメは歯噛みした。そして3発目の準備に入った。
「え?」
いつの間にか、サルメの目の前にムツィオがいた。移動したのが見えなかった。それぐらい速かった。
ムツィオが下から上へと蹴りを放った。
サルメは咄嗟に火縄銃でガードしたけれど、銃身が折れてしまう。もちろん、ムツィオの蹴りは止まらない。
そのままサルメを蹴り飛ばす。
サルメは空高く舞い上がり、視界がチカチカして、意識が飛びそうになった。
追撃されたら死ぬ。サルメはそう直感した。
しかし追撃はこない。
さっきまでサルメが立っていた屋根の上で、マルクスがムツィオと戦っていた。
サルメは屋根の上ではなく、通りに落ちた。ちゃんと受け身は取ったけれど、蹴られたダメージが大きすぎて立てなかった。
一撃で、たったの一撃で戦闘不能にされた。
悔しさで地面を殴りつける。
だがすぐに切り替えた。やるべきは回復だ。サルメは闇の回復魔法を自分に使用。
視界の隅に、マルクスが飛んで来た。正確には、ムツィオに殴り飛ばされて通りに落ちてきた。
マルクスの体が通りでバウンド。
ムツィオの追撃がマルクスを襲うが、マルクスはバウンドして浮いた状態で、聖剣を振って迎撃。
ムツィオが風を操って斬られないように飛んだ。風を操って空中でも機動できるなんて羨ましい、とサルメは思った。
同時に「ああ、良かった。あの人、化け物だけど斬られたら死ぬんだ」とも思った。
そうでなければ、マルクスの一撃を避けるはずがない。
マルクスは体勢を強引に変えて着地。
「クソが……」ムツィオが言う。「魔物の次は化け物で、その次は雑魚3匹かと思ったら、貴様はなかなか……」
ムツィオが構える。表情を読むに、逃げるか倒してから逃げるか迷っている感じだった。
「おかしいな」マルクスが言う。「ルミアが負けたと聞いたから、もっと人外の戦闘能力かと思ったが、割となんとかなりそうだ」
ああ、副長かっこいい。でもハッタリだとサルメには分かった。
「あの状態で反撃するとは」ムツィオが忌々しそうに言う。「どんなイカレ野郎だ貴様」
「ふん」マルクスが剣を収めた。「自分はイカレてない。少なくとも、鼻歌を歌いながら空を歩いている団長に比べたら、な」
ちょうど、その魔王はサルメの上を通り過ぎたところだった。
空中に置いた花びらをピョンピョンと移動しながら、笑顔で。
「時間稼ぎご苦労」
通りに転がる死体の1つに着地したアスラが、楽しそうに言った。
瞬間、ムツィオが逃げ出そうとしたけれど、彼の背後に無数の花びらが浮いていた。
その花びらを見て、ムツィオは逃走を諦めた。
「その花びらは爆発するよ」アスラが言う。「君は逃げたきゃ私を倒さなきゃいけない。倒せるのなら、だけど」
なんだか悪役っぽい台詞である。
「待て。貴様に大帝様の嫁候補になるチャンスをやろう!」
「大帝って男なんだろう?」
「世界一のイケメンだぞ! 見ろ!」
ムツィオはズボンのポケットから紙を取り出し、それを広げてアスラに見せた。
「私は男に興味がない」アスラが言う。「もし大帝が絶世の美女だったなら、君の話に乗ったかもしれないけど、実に残念だよ」
「く……戦うしかないのか……」
ムツィオは紙を丁寧に畳んで、再びポケットに仕舞った。
サルメはゆっくりと体を起こした。
「君は体術が得意なんだろう?」とアスラ。
「それ以外に見えるか?」とムツィオ。
「よろしい。では体術だ。私の戦力を試そう。居合いは躱されてしまったからねぇ。みんなが褒めるもんだから、少し慢心していたよ」
いや、団長さんの居合いは神速ですけれど? 心から褒めましたけれど?
たぶん、私以外も心から褒めましたよ? とサルメは思った。
「体術も褒められるんだけど、やはりそのせいで慢心している可能性がある」
いや、ないです。あなた強いです。もう正々堂々と戦っても英雄や大英雄に負けませんから。サルメは強く強くそう思った。
あと、慢心している人はあんな毎日、狂気の訓練に没頭しない。
「前世と違って今の私の脳は正常だから、やはりそういう普通の人間みたいなミスをするんだよね」トントン、とアスラは自分の頭を人差し指で叩いた。「だから君で、自分の実力をしっかり測ろうと思うんだ。ああ、主に体術の実力ね。よろしく頼むよ、物差し君」