EX75 暴君の見る夢 呪い続けるために
フルセンマーク地方の南、大森林を越えて更に南。
大帝国エトニアルの帝都、その帝城。
天聖・風神ムツィオ・フェルミは大帝に呼ばれて闘技場を目指していた。
帝城の敷地内には巨大な闘技場が併設されている。客を入れて何かしらの大会を行うこともあるが、だいたいは大帝が気晴らしに使っている。
巨大な帝城は、闘技場に辿り着くのも一苦労だ、とムツィオは思った。
ムツィオは33歳の男で、凄まじいマッチョ。それはもう、アクセルと同等のマッチョ。
筋肉を見せびらかすため、普段は上半身裸なのだが、今は上着を羽織っている。理由は単純で、大帝に会うから。さすがに半裸で会うわけにはいかない。
ちなみに、上着は軍司令の制服だ。
ムツィオは大帝の忠実な天聖の1人であると同時に、エトニアル軍の総司令官でもあった。
「ふん。本当に遠いな」
闘技場の扉が視界に入ったので、そう呟いた。
闘技場扉の前に立っている大帝の側仕え2人と目が合うと、2人ともがビクッと怯えた。
ムツィオは顔が怖い。それはもう、子供が泣き出すレベルで顔が怖い。更に救えないことに、性格も非常に悍ましいものだった。
「扉を開け。天聖・風神ムツィオだ。大帝に呼ばれてきた」
ムツィオが言うと、側仕えたちが急いで扉を開く。
そして「ムツィオ様、入られます!」と大きな声で言った。
ムツィオは大股で廊下を進み、実際に競技を行うところまで急いだ。
「くそっ、無駄に広い……」
ぼやきながらも、早足で進むムツィオ。
やがて客席に出て、闘技場を見下ろす。
「……ほう」
思わず息を呑んだ。
闘技場には無数の屍が山となって重なっていた。
何度か見た光景だが、何度見ても面白い。
「大帝陛下の僕、天聖・風神ムツィオ、参上しました」
ムツィオが敬語を使うのは、この世で大帝ただ1人。
「堅苦しい。降りてこいムツィオ」
右手で男の頭を掴んでいる大帝キリル・ガルニカが言った。
男はすでに息絶えている。
「大帝の前では、このワシですら、堅苦しくなるのです」
ムツィオがジャンプして、一気に大帝の前へと躍り出る。
そして息を呑む。
「大帝のご尊顔に、ワシは涙が出そうになりました」
なんと美しい……。その言葉は飲み込んだ。
大帝キリルは黒髪に赤い瞳で、中肉中背。
「聞き飽きた。余を見た者は、みな余の美しさに気が触れる」
ふん、とキリル。
キリルの顔面偏差値はラウノすら遙かに超えて、もはやこの世の者かすら怪しい。そういう次元のイケメンだった。
ムツィオはジッとキリルを見詰めた。永遠に見ていたい、とすら思う。
「気持ち悪いからジッと見るな。殺すぞ?」
キリルが言うと、ムツィオは慌てて目を逸らした。
キリルは掴んでいた男を放り投げて、死体の山の上に積んだ。
その死体の山の隣に、まだ生きている人間が3人いた。
3人は正座した状態で、ガタガタと震えている。
「余はもう気が晴れた。お前にやろう」
キリルがニヤリと笑いながら言った。
「ありがとうございます大帝!」
ムツィオは大喜びで両方の拳を打ち合わせた。その音に、3人が怯える。
「こやつらは罪人だ。容赦なく殺して構わん」とキリル。
「どのような罪で?」とムツィオ。
「余への侮辱罪。余を暴君と言ったらしい」
「なんと悍ましい連中か! 許せん!」
ムツィオは即座に動き、跳び膝蹴りで1人の顔面を潰した。当然、相手は死亡。
次に左の拳を振り上げ、別の1人を思いっ切り殴り飛ばした。
そいつは顔面が砕け、ついでに死体の山の上まで飛んで行った。もちろん死亡。
最後の1人は女だったが、小便を漏らして失神した。
ムツィオは女の頭を掴んで持ち上げ、ジャンプ。
そして凄まじい勢いで地面に叩きつける。女は全身の骨が砕け、内臓が潰れ、穴という穴から血を吹いて絶命。
ふぅ、とムツィオが息を吐く。
「やはり弱者を殺すのは実に気持ちがいいですな大帝」
凄まじくいい笑顔で、ムツィオが言った。
ムツィオは素手で人間を殺すのが大好きだった。幸せすら感じる。
「で、あろうな。ところで貴様を呼んだのは、新たな侵略先が決まったからである」
「ほう!」ムツィオが嬉しそうに言う。「まぁ、もはやこの大陸に我が帝国に刃向かう者はいない。であれば、大陸の外へと出る決心が付きましたか?」
「いや。一応大陸内だ」
「ということは! フルセンマーク!? ついにあの裏切り者どもを叩き潰すのですな!?」
「そうだ。あの地は永遠に呪われ、永遠に苦しめるつもりだったが、なぜか余の呪いが薄まっているのを感じるのだ」
キリルが右手をグーパーしながら言った。
「かの巫女が何かをした、と?」
かつての巫女ゾーヤ。聖女ゾーヤ。古い話なので、ムツィオは直接ゾーヤを知らない。大帝が名前をよく出すので、知っているという程度。
「分からん。だが、どうであれ、呪いで苦しまないのなら直接苦しめてやるまで」
キリルの瞳には凄まじい憎悪が宿っていた。
「立ち塞がる者は全て殺せ」キリルが言う。「女を見かけたら犯せ、男も犯せ、家は壊せ、家畜は殺せ。降伏したら奴隷にしてやれ。フルセンマーク全土を我が領土とし、現在の統治者どもは全て処刑せよ。なるべく残酷に処刑せよ。そして住んでいる者どもは、1人の漏れもなく罪人の末裔である。よって、全て奴隷とせよ」
「仰せのままに」
ムツィオは胸が高鳴った。
殺戮は三度の飯より大好きだ。弱い者をいたぶるのは心が躍る。誰かを殴って殺すのは快感だ。
「50万の軍を率いよ! 貴様の副官に天聖・歌声のネレーアを付ける!」
天聖は全部で4人。大帝国最大の戦力。その半分がフルセンマーク遠征に参加するということ。
「この命令は即時有効である! 征け! フルセンマークを蹂躙せよ!」
「はっ!」
ムツィオがビシッと敬礼。そして回れ右。
「待て」
キリルが言ったので、ムツィオは再びキリルの方を向く。
「もしもゾーヤを見つけたら、生かして捕らえよ。【神性】は呪いの前では無力。何の心配も無用だ」
大帝国の人間は、ある一定以上の地位に就く時にキリルの呪いを受ける。
キリル視点で、それは裏切りの防止である。同時に、呪いの対象者視点ではキリルへの絶対服従の証でもある。
呪いを受けた者は愛国者で、素晴らしい人間であるという風潮さえ存在していた。
分かり易く言うと上級国民である。
◇
「事情は分かったけど、私らは私らで好きにやるさ」
アスラはナシオを全裸に剥いて、身体中に花びらを貼り付けた。もちろん回復用の花びらだ。
この花びらは、切断した指をくっ付けることもできた。素晴らしい実績のある花びらなのだ。
「ゾーヤ軍には参加しないし、僕に雇われる気もないってこと?」
全裸で椅子に座っているナシオが言った。
ここは《月花》の城、その医務室。
医務室を管理しているのは、ティナがどこからともなく連れて来た医者である。
ちなみに、今は席を外しているのでアスラとナシオの2人だけだ。
「ないね。大帝国とやらが攻めてきたら、知り合いがどうせ私らを頼るだろう? その時に条件を詰めて参加するよ……っと、終わりだ」
花びらを貼り終わって、アスラはナシオの胸をバシンと叩いた。
「ぐべぇ……」
胸にも穴の空いているナシオが、妙な悲鳴を上げてうずくまった。
「痛いかい?」
アスラは楽しそうにナシオの顔を覗き込んだ。
「一体、僕が何をしたと……」
「君のせいでユルキが死んだ。まぁ、君を一度殺したことで許したから、単に君が嫌いなんだよ私は」
「僕はこんなにも愛しているというのに」
「寒気がするねぇ」
アスラは自分の両肩を抱いて、ブルブルっと震えた。
「とにかく、君が参加するならそれでいい」
ナシオは立ち上がり、服を着る。
「そりゃ参加するだろう? フルセンマーク史上最大の戦争だからね。私が参加しないはずがない。聞きたいんだけど、ゾーヤの兵は4万だって?」
「まだ増えるよ。たぶんだけど、10万はいく。実際に大帝国の侵攻があれば20万に跳ね上がると予測しているよ」
「そりゃすごい。最悪、私は敵側に付くかもね」
アスラが肩を竦めた。
弱い方、負けている方に味方した方が面白い。
「大帝国はその更に10倍ぐらいの戦力があると思うよ。たぶんね。1600年前の時点で100万の軍があったから、今なら倍は軽いんじゃないかな」
「維持できるのかね? そんな大軍」
「たぶんアスラが思っている以上に大帝国は大きいし、属国も沢山あるんだよ。だからまぁ、帝国全土でってこと。属国も含めて」
「そりゃすごい! 楽しい戦争になりそうだね!」
アスラは両手を叩いて喜んだ。
「さぁて、しばらく訓練のレベルを上げないとね! ああ楽しみだなぁ!」
アスラは爛々と輝いた瞳でクルクルと踊った。
◇
それから約2ヶ月後。
西フルセンの西の端の港街に、大量の軍艦が押し寄せた。
そしてあっという間に上陸し、暴虐の限りを尽くし、その港街は壊滅した。
港街を有していた国は抵抗したが、英雄やゾーヤ軍が到着する前に滅亡した。
生き残った国民は全員、漏れなく奴隷として船に乗せられ、大帝国エトニアルへと輸送された。
それからエトニアル軍は滅亡させた国を拠点にし、北、東、南の隣国に同時に攻め入った。
東と南はすぐに陥落したのだが、北だけはそうはいかなかった。
完全に誤算だったのだ。
そこには、新大陸を目指した冒険者の一団が滞在していた。
「わたしたちが買うはずだった物資まで奪ってくれちゃって」
なぜ新大陸を目指した冒険者たちが西フルセンにいるのか?
答えは単純である。
途中で物資が尽きて引き返したのだ。今度はもっともっと長く海に出られるよう、ここで物資の調達をしていたのだ。
「僕としては、この残虐な侵略者たちの行いを、黙って見ていることはできないなぁ」
銀髪の青年、プンティが剣を構えて言った。
プンティの前には、エトニアル軍の部隊が複数。
「けっ、そんなん、どうでもいいってんだよ」ペトラが言う。「うちらの物資返せボケが」
「そーだそーだ!」とオルガ。
「ワシらはコンラート冒険団!」コンラートがマッチョポーズで言う。「冒険に出るには物資がいる! しかも尋常じゃない量の物資がな!」
コンラートの周囲には、すでに屍と化したエトニアル兵が多数転がっている。
「こいつら、只者じゃないぞ!」とエトニアル兵の1人が言った。
「まぁそういうわけだから――」
かつての最強、かつての伝説。
「――あなたたちの物資をちょうだいな」
大剣の一振りで敵の1部隊をまとめて薙ぎ払った彼女は、
「てゆーか、軍艦ごと貰うわね? たくさんあるようだし、一隻ぐらい、いいでしょ?」
それは酷く美しい笑顔で言った。
「そりゃいい! やっちまえルミア! ワシらの船を軍艦に刷新だ!」
冒険団長、冒険王コンラート・マイザーがマッチョポーズをキメたままで言った。
この国では――このわずか5人の冒険者たちが、エトニアル軍を押し返していた。
「得たばかりの神域属性、試してみましょうか。ねぇ【阿修羅】?」
エトニアル軍にとって、本当に最悪だった。最悪に最悪を塗り重ねて、不運に不運を束ねたような出来事。
それは非常に低い確率で。旅に出た彼女が、戻っていたこと。
彼女がここに偶然、居合わせたこと。
かつての戦争の申し子、かつて祖国を勝利に導いた旅団長、最狂傭兵団の元副長。
彼女の名はルミア・カナール。
銀色の魔王の育ての親である。
これにてExtraStory、終了になります。連載再開までしばらくお待ちください。