EX70 私はいつだって淑女だろう? え? 違うの?
「あー、つまんない、つまんない、つまんなーい」
酔っ払ったアスラが子供のように手足をバタバタさせながら言った。
ここはアーニア帝国の王都改め帝都。その片隅の酒場。
「……団長様はどうして駄々をこねていますの?」グレーテルが不思議そうに言った。「実験は大成功、ビラスはアーニアの傘下になりましたのに」
そう、ビラス王国は最後通牒の2日後にアーニアの出した条件を呑んだ。要するに、アーニアの傘下となる決定を下した。
「大成功したからでしょ」
やれやれ、と言った具合にレコが肩を竦めた。
「テルバエ大王国も、非難声明を続けて出したぐらいで」サルメが言う。「大きな動きもありませんでしたからねぇ」
ビラスが条件を呑んだので、アーニアは集結していた軍を解散させた。それはつまり、テルバエの要求通りなのだ。
よって、テルバエによる『あらゆる措置』は現実には起こらなかった。
もちろん、テルバエはアーニアのビラス政策そのものを批判しているので、新たな非難声明は出たけれど、それだけだった。
「俺らが何したか知ったら、テルバエの政治家どもは真っ青だろうな」
ロイクが楽しそうに言った。
「でしょうね」グレーテルはやや憂鬱そうに言う。「売国奴天国を目の当たりにして、わたしはちょっと気が滅入っていますわ」
「僕も小さな良心が痛んでいるよ」とラウノ。
「相当、ヤバい工作だものね」アイリスがお酒を飲みながら言う。「アスラの元いた世界じゃ、本になるぐらいメジャーな工作なんでしょ?」
アスラは肉をガジガジと囓っていて、アイリスの言葉をスルーした。
「自分は少し、物足りなさを感じたな」マルクスが言う。「あまり自分は裏工作には向いていない。もちろん、傭兵である以上、それを行う実力はあるし、今後も命令があれば行うがな」
「……あたしは、楽しかった……」
イーナはサラダを取り分けながら言った。
「俺も意外と楽しかったぜ」ロイクが元気に言う。「こう、操ってる感がいいんだよな」
「そうそう」イーナが頷く。「……話の分かる奴め……」
「よし、じゃあイーナは将来」肉を囓り終えたアスラが言う。「隠密機動隊の隊長ね」
「……何それカッコいい」
イーナはうっとりした様子でアスラを見た。イーナの頬がやや朱色に染まっているのは、単に酔っているからだ。
「特殊工作や潜入任務を主とする部隊だよ」アスラが言う。「今後《月花》の人数が増えてきたら、部隊を分けようと思ってるんだよね」
「私の遊撃隊!」
サルメが勢いよく言った。
「オレは? オレは?」とレコ。
「僕は後方支援が向いていると思うよ」とラウノ。
「あとメンタルケアよね」
アイリスがラウノを見て言った。
「自分はできるなら海軍を率いてみたいですな」
「あ、マルクスが海軍のボスになるなら、オレが副長やる!」
「あーはいはい」アスラが面倒そうに言う。「将来の話、将来の話。今はまだ分ける必要はないよ」
グレーテルは自分がどんな部隊に入るのか、あるいは率いるのか、想像が付かなかった。
特技は売国奴狩りと、あらゆる武器が扱えるという程度。
前者は部隊に不要だし、後者だと指導教官? とグレーテルは首を傾げた。
と、酒場に憲兵が数名、入って来た。
憲兵が来たので、酒場の客たちは談笑を止めて入り口を注視。
グレーテルもそっちに視線をやった。
青い制服を着た普通の憲兵が3人と、白い制服の女性が1人。
「やあシルシィ!」アスラが元気に手を挙げた。「どうせ私らに用だろう?」
「お久しぶりです」
白い制服に身を包んだ憲兵団長シルシィ・ヘルミサロが、アスラの方へとゆっくり歩いた。
残り3人の憲兵もそれに続く。
シルシィは見た目30歳ぐらいで、髪の色は海のように青い。そしてメガネをかけている。
「特殊部隊と行動分析隊はどうだい?」とアスラ。
「すこぶる好調ですね」シルシィが笑顔で言う。「どちらも世界の憲兵を引っ張っていく存在になると思っています。どちらも入隊希望者がすごく多いです。頭のいい者は行動分析隊、強さに自信のある者は特殊部隊と、棲み分けもできていますしね」
「アーニアの憲兵は団長さんが育てたと言っても過言じゃないですね」
なぜかサルメが胸を張って偉そうに言った。
まぁ、行動分析隊の育成を手伝ったという自負があるからだが。
「ええ、その通りです」シルシィが肯定する。「さて、うちはずっと調子が良かったのですけど……」
「何か問題があったんだね?」
アスラがとっても嬉しそうに瞳を輝かせた。
シルシィがコクンと頷く。
「長い話なら座るかい?」
アスラが自分の隣をポンポンと叩く。
ちなみに、アスラたちはテーブル席で、椅子はコの字のソファになっている。かなり広い席なので、シルシィが座っても問題はない。
「いえ、大丈夫です」
「そうかい? それで?」
「行動分析を用いても捕まえられない犯罪者が現れました」
「ほう。アーニアに?」
アスラは少し首を傾げた。
グレーテルも不審に思った。なぜなら、アーニアでそんな話は誰の口からも出ていないからだ。
この酒場でもそうだし、王やその周辺からも聞いていない。
「いえ、東フルセン憲兵機構の案件です」シルシィが言う。「うちから行動分析員を1人と、特殊部隊員を1人派遣しているのですけど、進捗が思わしくないので、増援が欲しいようで」
「なるほど」アスラが頷く。「でも君たちは忙しいから、できれば増援は出したくない、と?」
「はい。行動分析員も特殊部隊員も、まだ数はそこまで増えていません。どうしたものか、と思案していたところ、ちょうどいい具合に、みなさんが王都にいると聞きましたので」
シルシィが笑顔を浮かべた。
「はん。私らがアーニア入りした時点から知っていただろうに」アスラが小さく肩を竦める。「それに、私らが何をしていたかも、君なら知ってるんじゃないかな?」
「ええ、まぁ……大方は」
シルシィも肩を竦める。その話題はここで出したくない、という意味だ。
諜報機関と憲兵団はそれなりに繋がりがある。
「てゆーか」レコが言う。「王都じゃなくて帝都じゃない? アーニアはもう帝国でしょ?」
「それはそうなのですが」シルシィが苦笑い。「慣れないもので……。わたくしが生まれてからずっと、ここは王都だったので」
「どっちでもいいよ」アスラが言う。「それで? 犯罪者って言っても、色々あるだろう? シリアルキラーかな?」
シルシィが首を横に振ってから、溜息混じりに言う。
「窃盗犯です。怪盗紳士、と自ら名乗っています」
「怪盗なのに紳士なんですね!」サルメが面白そうに言う。「盗人なのに紳士!」
「じゃあオレは傭兵紳士ね!」とレコ。
「私は団長淑女だね、その感じだと」
「アスラは魔王でしょ」アイリスが言う。「団長魔王よ」
「団長魔王ってそれ別に普通じゃないかしら?」とグレーテル。
「だな。うちの団長は魔王だし、全然普通じゃねーかアイリス」
ロイクが酒を飲みながらケラケラと笑った。
「いいかアイリス」マルクスが言う。「淑女とは程遠い団長が、自ら淑女を名乗るから面白いんだ。皮肉という奴だ。分かるか?」
「分かるわよ!」アイリスが怒った風に言う。「どうせあたしの発言には皮肉が含まれてませんよーだ! どうせ面白くないですよーだ!」
みんな楽しそうに笑っていたが、シルシィだけは真面目な表情で立っている。
ちょっと付き合いが難しそうな人ですわね、とグレーテルは思った。
「話を続けますね」シルシィが言う。「現在、怪盗紳士はフラメキア聖国で活動しています。元々フラメキアで怪盗を始めたので、フラメキア人だろうと思います」
「ゾーヤ信仰の厚い国だね」アスラが言う。「紳士もゾーヤのファンなのかな?」
「……それはどうでしょう?」シルシィが苦笑い。「とにかく、捜査本部もフラメキアにありますので、この依頼を請けてくれるなら、フラメキアに向かってください」
「いいだろう。請けようじゃないか。向こうにいるのは誰だい?」
「レア・ホルソとハンネス・キルヴェスニエミです」
「二人目の方、舌を噛みそうな名前ですわね」
グレーテルは頭の中で何度かハンネス・キルヴェスニエミの名前を反芻した。
「ハンネスと呼べばいいさ。てゆーか」アスラが言う。「どちらも私が認めたエースじゃないか。おかしいな、2人とも実力は十分のはず。その怪盗紳士、私が思っている以上の手練れなんだね?」
「ええ。魔法を使う上、正体不明で、戦闘能力も高いですね」
「誰か戦ったんだね?」ラウノが言う。「逮捕に迫ったことはあるんだね?」
「ええ。怪盗紳士は予告状を出しますので、毎回、憲兵と顔を合わせてはいるのです。もちろん、素顔を晒しているわけではありませんけれど」
「予告してから盗む泥棒なんて聞いたことないわ!」
アイリスが酷く驚いた風に言った。
「それだけ自信があるのだろうな」マルクスが腕組みをして言う。「そういう派手で相手を煽るようなやり方は……うちの団長みたいだな」
「私が怪盗やるなら、予告状は出すね」アスラがキリッとした顔で言う。「絶対に出すね。間違いない。それで『憲兵諸君、私を捕まえてみたまえ』とか書くね」
「なんて嫌な奴!」
アイリスがアスラを指さして言った。
「……実際、そのように書かれたことも、ありますね……」
シルシィが苦い表情を浮かべる。
「まーた団長の下位互換が相手?」
レコがややうんざりした風に言った。
「仕方ないさレコ」アスラが言う。「優秀な犯罪者ってのは、だいたい私みたいな奴だからねぇ」
「あなたが傭兵で良かったです」とシルシィ。
「それより、依頼は請けるから、あとで捜査資料を回しておくれ。フラメキアには明日の午後に入ったのでいいかな?」
午前中はグレーテルとロイクの属性変化を行う予定である。
「はい。よろしくお願いします。それでは」
シルシィは軽く頭を下げてから、憲兵たちを引き連れて酒場を出た。
「それで団長様、フラメキアには誰を連れて行きますの?」
「最適解ならラウノだろうね」
「お遊びなら?」とラウノ。
「もちろんサルメかアイリスさ!」
アスラの発言に、サルメもアイリスもビックリして目を丸くした。
「……お遊び枠」
クスッとイーナが笑った。
「まぁ、誰を連れて行くかは明日決めよう。ロイクとグレーテルの属性変化をやったあとにね」