4話 銀色の魔王の帰還 空白の世界より
アスラは何もない真っ白な世界に立っていた。
足を動かすと、そこに地面だけは存在しているのが分かる。
他には何もない。真っ白な床と、真っ白な世界が広がっているだけ。
世界は明るいが、眩しくはない。
「わっ!」
アスラは大きな声を出してみた。
音の反射はないに等しい。
「ふむ。私はどうなったのだろう?」
よく分からないまま、アスラは歩き始める。
歩きながら、この白い世界に入る前のことを思い出す。
魔殲の誰かに名前を呼ばれ、そして返事をした次の瞬間、アスラはここにいた。
意味が分からない。何かしら、超常的な存在が介入したとしか思えない。
そういえば、あの男は皮革水筒を持っていたなぁ、とアスラは思いだした。
「あれが魔法道具的な存在だったのかな? だとしたら、どんな道具かな? 皮革水筒が入り口で、対象をこの世界に送り込む系?」
色々と考えながら、アスラはひたすら歩いたけれど、やはりその世界には何もなかった。
「おいおい、これは心の弱い奴は気が触れるだろうね」
何せ本当に何もないのだ。自分と無限に広がる世界だけ。まともな人間なら気が狂う。
そして不思議なことに、時間が経過しても腹が減らなかった。
「なるほど、餓死はしない感じかな? だとしたら、苦しめるための牢獄かな? 気が変になって彷徨い続けるような感じ? 私以外にも、ここに送られた奴はいるのかな?」
仮にいたとしても、出会える可能性は限りなく低い。なぜなら、この空間がどこまで広がっているか分からないから。
最悪、惑星と同じ広さだって有り得るのだ。
◇
「あんた、そんな場所に飛ばされたの?」
スカーレットは引きつった表情で言った。自分がもしそこに飛ばされたら、と考えてしまって吐き気がした。
「酷いだろう? 5年も私はそこにいたんだよ?」
アスラはやれやれ、と溜息を吐いた。
「なんで5年って分かるの?」
「私のローブの中には懐中時計が常備されているからね」
あとは定期的に時間を確認し、経過した日数を覚えておくだけの簡単な作業だ。
「こっちの世界ではそんなに経過してないわ。時間の流れが違うのね」
「そうだね。私はあの空間に1日いて気付いたよ。なぜなら、誰も私を助けに来なかったからね」
「あんたたちって、助けたりするの?」
スカーレットはすごく驚いた風に目を丸くした。
「そりゃ、あの状況なら、速攻で魔殲を殲滅してついでに私を助けるだろう?」
「なるほど。状況的に、確かにそうね」
逆に助けない方が不自然な状況だったのだ。
そもそも、とスカーレットは思う。
若いあたしがいる時点で、敗北はないわね。あれは怪物だもの。
今のスカーレットがアイリスの年齢の時は、あれほど強くなかった。
「だからまぁ、時間の流れが違うという推測は速攻で立てたよ」
「なるほどねぇ。それにしても、あんた、よく壊れなかったわね」
広くて何もない場所に一人きり。長く正気でいられる自信は、スカーレットにもない。
「これはこれで休暇かなって」とアスラ。
「思っちゃった? 休暇って思っちゃった?」
アスラって本当に異常者だな、ってスカーレットは強く思った。
「だからひたすら訓練したんだよね」
「それ休暇じゃないっ!」
「そうかい? 他にすることないし、私は満喫したけれど」
アスラはキョトンとした感じで言った。
スカーレットは大きな溜息を吐く。
「それで? 訓練して何を得たの? 1番知りたいのはそこよ」
スカーレットの質問に、アスラはニッコリと微笑んだ。
「やっぱり魔法だよね」
◇
アスラは空白の世界で、ひたすら自分を鍛え続けた。
特に力を入れたのは魔法で、4年後には神域属性を手に入れていた。
実はその時には元の世界に帰る方法も知っていたのだけれど、せっかくの機会なのでもう少し滞在しようとアスラは考えた。
なんなら、助けが来るまで待ってもいいとさえ思った。
ちなみに、身体の成長はなかった。
訓練すれば疲れるし、休めば回復するけれど、髪は伸びなかったし爪も伸びなかった。
もちろん身長もそのままだったし、胸も小さいままだった。
更に1年が過ぎ去った頃、アスラは魔法の新たな境地に到達していた。
それは、神域属性の魔法が自由であるということ。思ったよりずっと、自由であるという真理。
性質はあくまで、イメージの方向付けに過ぎなかった。
攻撃、回復、支援などの性質は、魔法を使う上でのイメージの助けになる。
要するに、誰でも簡単に魔法が使えるようにと、後から体系化されたのが現在フルセンマークに伝わっている魔法。
アスラが手に入れたのは神話の時代の古代魔法。人々が自由自在にイメージし、操った魔法の極致。
属性に関することであれば、MPさえ足りれば何でもできる。そういうかつての魔法。
「帰るか」
これ以上、アスラはここに滞在する必要性を感じなかった。
「おいで魔王剣」
アスラが右手を伸ばすと、空間を引き裂いて魔王剣が出現。その柄を握り、異空間から魔王剣を引き抜く。
温泉旅行に行く前に、サルメが持って帰った魔王剣だ。
アスラはその日のうちに魔王剣を屈服させて従わせた。
「せっかくだから、派手に帰ろう」
そして魔王剣を真っ白な地面に突き立てる。
静かに帰ることも、もちろんできる。魔王剣の異空間を利用するのだ。異空間の中に入って、1度空間の亀裂を閉じ、再度元の世界に繋がる亀裂を開けばいいのだ。
魔王剣自体が元の世界を覚えているので、それで普通に帰れる。
でも、アスラはそうしなかった。
「私のMPと君のMPを足せば」
アスラが魔法を使用する。
次の瞬間には世界が桜色に染まった。
正確には、アスラの作り出した花びらが世界を埋めたのだ。
「この世界は無限じゃない。そう見えるだけで、さほど広くない。だったら、粉々に砕けるだろう?」
ちょっと勿体ない気もするけれど、絶対に必要な世界でもない。アスラはもう使わないだろうし、この場所を訓練に使える精神力を持った知り合いもいない。
時間の流れが違うと言っても、アスラたちはすでに永遠に近い時間を保有している。
クロノスがある限り、不老なのだから。
であるならば、この世界は壊しても問題ない。
「さぁ、魔王の帰還だよ」
アスラは魔王という称号が実はかなり気に入っていた。
◇
「団長が!! 吸い込まれた!!」
全裸のレコが慌てて言った。レコが慌てるのは割と珍しいので、他の仲間たちも一緒に慌てた。
ここは温泉大国ギルニアの温泉宿。傭兵団《月花》が魔殲に貰った団体チケットで宿泊した旅館の露天風呂。
「アスラが吸い込まれたわ!!」
アイリスがレコと同じことを言った。
「何ですか? 団長さんどこに消えたんですか?」
サルメがキョロキョロと周囲を見回しながら、目の前の魔殲を体術で倒す。ついでに少し離れた場所の魔殲を【闇突き】で串刺しにした。
「意味が分かりませんけれど!?」
グレーテルも全裸で戦っているが、武器がないので少しやりにくい。グレーテルは武器の扱いには長けているが、体術は苦手だった。
「僕は見てないけど、吸い込まれたって何に? 排水溝?」
ラウノは風の魔法で支援を行いつつ、寄ってきた魔殲を短剣で斬り裂く。
ちなみに、ラウノは短剣を持って温泉に入ったわけではない。戦闘開始と同時に脱衣所にダッシュして短剣を持ってきたのだ。
「排水溝に人間が入るわけないでしょ! 皮革水筒よ!」
「アイリス何言ってんだ? 皮革水筒に人間が入るわけねーだろ!」
ロイクは魔殲と戦いながら苦笑い。
「あいつ! あいつの皮革水筒!」
言いながら、レコが魔殲の仮隊長へと向かって行く。
仮隊長は皮革水筒の蓋をギュッと締めた。すでに締めていたのだが、念のためだ。
レコが仮隊長に跳び蹴り。しかし仮隊長は躱す。
「あ、こいつオレより強い! ラウノ! アイリス!」
レコは速攻で諦めて、仮隊長から距離を取った。
そして【普通の砂】を握りしめ、近くにいた魔殲の顔に投げつける。レコの砂が目に入って怯んだ魔殲を、グレーテルが叩きのめす。
「ナイスですわ!」
叩きのめしたあと、グレーテルは容赦なく相手の首を折ってトドメを刺した。
「アスラを返せぇぇぇ!!」
アイリスが大きく飛んで、仮隊長の近くに着地。即座に加速して仮隊長の目前へ。
仮隊長は剣を振ったが、アイリスは躱す。
躱した直後に、裏拳を仮隊長に当てる。そのままクルクルと上段蹴りを連続で放つ。
ちなみに全裸だが、アイリスは気にしていなかった。
魔法兵は裸で戦うことに慣れている。そういう訓練を積むからだ。命と裸とどっちが大事かって話。
「くそっ、アイリス・クレイヴン!」
「何よ!?」
アイリスは攻撃の手を緩めない。
「しまった、蓋を……」
仮隊長はアイリスに剣を投げつけて、皮革水筒の蓋を開けようとした。
アイリスは飛んでくる剣を右手でキャッチ。ちゃんと柄を握った。
「アイリス・クレイヴン!」
蓋を開けると同時にアイリスを呼ぶ仮隊長。
「だから何よって言ってんでしょーが!!」
アイリスは剣を仮隊長の首に当てようとした。首を刎ねるのではなく、寸止めする予定だったのだが、アイリスは皮革水筒に吸い込まれた。
「ちょっ!?」叫んだのはラウノだった。「明らかに返事させようとしてたよね!? 明らかに蓋を開ける動作とか怪しかったよね!?」
「団長に知られたら、アイリス怒られるね」とレコ。
「ですね」とサルメ。
「よし! アスラとアイリスを閉じ込めたぞ! 勝てるぞ!」
仮隊長が叫んだけれど、魔殲の仲間はほとんど残っていなかった。
仮隊長は《月花》が憎すぎて、アイリスが英雄であることすら忘れていた。アイリスを殺せば、英雄が敵になるという基本的な事実さえ、失念していたのだ。
そして突如として、皮革水筒が弾けた。爆発した、と表現した方が正しい。
皮革水筒を掴んでいた仮隊長の左手が爆散して、仮隊長が悲鳴を上げた。
同時に、アイリスをお姫様抱っこしたアスラがフワッと着地し、周囲をキョロキョロと見回した。
「団長お帰り!」とレコ。
「ああ、ただいま。戻ろうとした瞬間、アイリスが降って来てビックリしたよ」
「た、助けに行ったのよ!」とアイリス。
「酷い悲鳴を上げていたがね、君」とアスラ。
「そりゃ、いきなり真っピンクの花びら世界だったから……」
言いながら、アイリスは自分の足で立ち上がる。
「魔王剣、置いてきちゃったけど、いるかい?」
アスラが声をかけると、魔王剣がアスラの真横に飛んできた。一緒にこっちの世界に戻っていたのだ。
「ほら、みんな」ラウノが言う。「止まってないで残りを片付けよう。せっかくの休暇だったのに……」
ラウノが言って、みんなが戦闘を再開。
アスラは魔王剣で仮隊長の首を刎ねた。
魔殲を皆殺しにした頃、温泉警備隊が押し寄せてきた。
事情聴取を終えたアスラたちは、やっぱりまた宴会を開いた。
「なぁ、城も襲われたんだが……。何人か捕らえてるぞ、どうする?」
ブリットの人形が言った。
「皆殺しにしたまえ」アスラは冷酷に言った。「生かす理由はない」
アスラはすでに慈悲を与えてやった。連中は金さえ払えば、平和に魔物狩りを続けられたのだ。
その権利を自分たちで放棄したのだから、容赦する必要はない。
こうして、魔物殲滅隊という組織はフルセンマークから姿を消した。
◇
「それが話の顛末」とアスラ。
「なるほどねぇ」スカーレットが頷く。「そして、あんたはここに来た」
「ああ。招待状を貰ったからねぇ」
温泉大国から戻り、訓練し、そして昨日、アスラたちはイーティス入りした。
アスラはスカーレットに面会して、ひたすら口説いて今に至る。
「今日の昼からだろう? アクセルとの戦闘」
「そうね。寝不足だわ……。あんたが淫乱だから」
「それって仕返しのつもりかい?」
可愛いなぁ、とアスラは思った。
「べ、別にそんなんじゃ、ないわよ……」
スカーレットが頬を染めてそっぽを向く。
アスラは再び可愛いなぁ、と思った。そう、アイリスっぽくて。アイリスの代わりとして。スカーレットほど完璧な代替品は存在していない。
「さて、そろそろネズミにお仕置きしなくちゃね」
アスラは軽やかにベッドから降りて、自分のローブを羽織る。
「年頃なのよ、許してあげてよ」とスカーレット。
「本気でそう思ってるのなら、君は闇落ちしてもお人好しだね」
言ってから、アスラは部屋のドアを開け放つ。ドアは部屋側に開いたので、そこで耳を澄ませていたピンク髪の少年が体勢を崩して部屋に転がり込んだ。
そいつはアスラがスカーレットに面会した時、スカーレットの側にいた少年。どこかで見たことあるなぁ、とアスラは思っていたのだ。
少年が顔を上げてアスラを見る。
ピンクのふわふわした髪に、女の子みたいな可愛い顔立ち。でも絶対に女の子ではない。
彼は自分のイチモツを握りしめていたから。
「ああ、思い出した。やぁ山賊。ところで、私とスカーレットで何回抜いた? 精液臭いから殺そうか?」