8話 正騎士試験 「賄賂は身体で!」
「私には何の才能もなかった」
アスラのその言葉を、リュシは上手く噛み砕けなかった。
ここはバツ組の教室。正騎士試験の当日。
教室にはみんなが揃っている。
「普通の村娘だったんだよね、私」アスラが肩を竦める。「顔が可愛いのを才能と言うなら、まぁそれは才能だね」
確かにアスラは絶世の美少女だ。しかし性格がアレなので、顔の善し悪しなんてアスラと関わっていたらあまり気にならない。
「とにかく、顔以外は特に秀でた部分のない、極めて普通の村娘。それが私。歌は少し上手だったかな。でもまぁ、身体が強いわけじゃないし、魔法の才能があったわけでもないし、本当にその辺を歩いている一般人と変わらなかった」
アスラは真面目に言っているのだが、リュシはいまいち上手に信じられない。
他の生徒たちも同じだったようで、怪訝な表情を浮かべている。
レコだけが「オレもオレも」と嬉しそう。
「とにかく、才能って面だけを見るなら、君らの方がまだマシなぐらいかな? リュシに関しては、明らかに私より才能がある」
アスラが言って、みんなの視線がリュシに集中。リュシは少し気恥ずかしかった。
「では、リュシはいつか教官を超えると?」
ヴィクが恐ろしいことを言った。
「いや、それはない」アスラが笑う。「そもそも私と同じになるには、私と同じだけの訓練を積まなきゃいけないし、魔法兵の認定試験にも合格しなきゃね。でも、それは蒼空騎士には不要な技術だよ。だから私を超えることはない」
そう、その通り。アスラは蒼空騎士に必要な全ての技術を持っていて、その上で別の技術も持っている。
戦闘能力という意味では、リュシたちには雲の上のような人物なのだ。
「ええっと、何の話だったかな?」アスラが言う。「あ、そうそう。才能の話だね。まぁ、リュシ以外の3人にもそれなりの才能はあるし、騎士を続けるなら、それなりの立場までいけると思うよ」
「うちはぁ、結婚して辞めるしぃ。長くは続けないかなぁ」
サーラは薔薇生になった時からずっと同じようなことを言っている。
「そうか。それはそれで、構わんよ。主婦であれ何であれ、私の訓練を無料で……いや、騎士団が金を払っているけれど、この私の訓練を30日も受けることができた事実は、いつか宝物になるはずだよ」
もうすでに宝物だ、とリュシは思った。こんな晴れやかな気持ちで、こんなにも自信満々で試験に臨める日が来るなんて、夢にも思っていなかった。
「家族が襲われたらぁ、うちが守れるぐらいにはぁ、強くなった気がするぅ」サーラがコロコロと笑った。「それとぉ、この訓練で分かったのは、うちはアイリスがやっぱり嫌いってことかなぁ」
「ちょっと!?」
アイリスがビックリして言った。
「だって感覚がぁ、もう普通の人間のそれじゃないんだもぉん」
サーラが冗談っぽく言って、トンミとヴィクが強く頷いた。リュシも頷いた。
「アイリスは英雄であると同時に、魔法兵でもあるからねぇ」アスラが言う。「君らと感覚が違うのは仕方ない。才能って意味じゃ、私の知る限り……いや、止めよう。アイリスが調子に乗るとウザいからね」
「どういうこと!? あたしウザいの!? ウザかったことある!?」
「うるさいから、もう黙れ」アスラがピシャっと言う。「ヴィク、君はどうだい? 将来について」
「僕は実家の商会を継ぎますね。騎士は5年かそこらで辞めるかと。うちの親が、身を守るためにも騎士の技能を身に付けろってうるさいから、仕方なく薔薇生になっただけですしね」
「なるほど。いいと思うよ。トンミは?」
「俺は、ちょっと分からねぇな」トンミが難しい表情を浮かべる。「正直、騎士になりたいなんて、思ったことはなかったぜ? 我が家が代々、蒼空騎士だから仕方なくって感じだったんだけど、今はちょっと、悪くねぇかなって思ってもいるんだ」
「へぇ、意外」とサーラ。
「ふむ。では副団長でも目指すといい。そのぐらいなら、訓練を重ねればいけるんじゃないかな?」
「いやいや教官、簡単に言うなって! 副団長ってたった1人じゃねーか! 無理だ無理!」
トンミが慌てて否定した。
「ははっ、目指すだけ目指せばいいのに」アスラが笑う。「そんで、団長になるリュシを支えてやれ」
「へ?」
リュシは目を丸くした。団長になる? 誰が?
みんな同じことを思ったようで、キョトンとしていた。
「リュシは死ぬまで騎士をやるだろう?」アスラが言う。「能力的には団長を目指せるよ。もちろん、君の今後の訓練次第だけれど、私もマルクスもアイリスも、君は団長を目指せると思っているよ」
「で、でも団長って、英雄……」
リュシは頬が引きつった。自分にはさすがに大きすぎる目標だ。夢見たことすらない。
「なればいいじゃない」アイリスが言う。「一次と二次はリュシなら普通に通るわよ? 三次はまぁ、今は無理でしょうけど、いつかは通るでしょ」
アイリスがあっけらかんと言った。
一発で英雄になった希代の超天才が言っても全く説得力がない、とリュシは思った。
「ま、とにかく今日の試験は気軽に受けたまえ」アスラが肩を竦める。「合格は余裕だよ。むしろ落ちたら大森林に捨てるからそのつもりで」
あ、これ本当に捨てられるやつだ、とみんな気を引き締めた。
「よし、君たちまずは座学の試験からだよ。試験官は私じゃないから、私たちは一旦教室を出る。座学のあとは体力測定。昼食と休憩を挟んで実技。分かったかね?」
「「蒼空!」」
◇
座学の試験を終えて第一運動場に集合したバツ組の面々の前に、ミルカ・ラムステッドが立っていた。
「よぉバツ組。オレは団長のミルカ・ラムステッドだ」
キリッとした表情でミルカが自己紹介。
ミルカは金髪セミロングのイケメンで、年齢は31歳。蒼空騎士に支給される青い鎧と白いマントを装備している。
背中には剣を背負っているが、この剣は支給品ではない。鍛冶職人であるミルカの父親が丹精込めて作った剣で、『クロスブルー』という名称だ。
刀身が青く輝いている珍しい剣で、伝説の武具ほどではないが、名剣として名高い。
「……は? 大英雄の?」とトンミ。
「……嘘? 団長のミルカ様?」とサーラ。
ヴィクとリュシは言葉を失っていた。
ちなみに、ミルカの隣にはアスラ、マルクス、アイリスが立っている。
「体力測定と実技は、特別にオレが見てやる。賄賂を渡すなら身体でよろしく!」
ミルカはリュシとサーラにササッと視線をやった。
「やかましい!」
アスラがミルカの背後に回って、股間を蹴り上げようとした。
しかしミルカはサッと躱した。
「教官の蹴りを躱しただと!?」とトンミ。
「いやむしろ、大英雄様なんだから、躱して当然でしょうに!」
ヴィクがトンミに突っ込みを入れた。
「当てるつもり、だったんだけどねぇ」
「さすがのオレも、そういう趣味はない」
「相変わらずの軽薄さ……大英雄の自覚を持って欲しいわね」
アイリスが苦笑いしながら言った。
「アイリスも去年はルミアに散々怒られたな、英雄の自覚がないと」
ニヤニヤとマルクスが言った。
「うっ……」とアイリスが目を逸らした。
「よぉし、アスラちゃんがオレに酷いから、今回の試験はいつもの倍、難しくしよう!」
ミルカが笑いながら言った。
◇
体力測定は本当に2倍の量だったけれど、誰も脱落しなかった。
むしろみんなケロッとしていて、ミルカが目を丸くしていた。
「ほ、ほう、やるじゃないか」ミルカが言う。「だが! 次の実技はオレが相手だ!」
ミルカが背中の剣を抜いた。
太陽の光が反射して、青い刀身が美しく煌めいた。うっかり見とれるほどの流麗さに、みんなが息を吐いた。
「まぁアスラちゃんがオレに身体を預けるなら! オレが出るのは勘弁してあげよう!」
「誰が預けるもんか」アスラがペッ、と唾を吐いた。「君が相手をしたいなら、そうするといい」
「ミルカ殺す、ミルカ殺す」
レコがブツブツと呟いていた。
「あの、ミルカ様?」リュシが言う。「本当に、相手をしてくれるんですか?」
「ん? ああ、まぁ、言ったからにはね。剣も抜いたし」
「ありがとうございます。でも、実技は昼食のあとです」
リュシが言って、ミルカはソッと剣を仕舞った。
リュシは酷く冷静に振る舞ったが、心の中は違う。
(きゃー! 喋っちゃったわ! 団長様と喋っちゃったわ! カッコいい! 生団長様カッコいい! 私のこと覚えてるかな!? それとも、人助けなんか日常だから覚えてないかな!? ああ! カッコいいなぁ!!)
「そんなに喜んでくれるとはね」
言いながら、アスラがリュシの尻を叩いた。
「痛いっ!」とリュシが飛び上がる。
「ミルカを呼んだ甲斐があるってもんだね」
心を読まれたっ、とリュシは思った。
アスラが他人の心を読むことは、30日も一緒にいたのだからリュシはもう知っている。だけど、実際に読まれるとやっぱり驚く。
「え? 教官が呼んだの……ですか?」
「別にもう敬語は使わなくていいよ」アスラが言う。「朝、教室を出た時点でもう君らは私の手を離れているしね。試験に私は関われない。結果を見るために一緒にいるだけだよ」
「じゃあ、遠慮なく。教官が団長様を呼んだの?」
アスラにタメ口なんて絶対無理だと思っていた頃が懐かしい、とリュシは思った。
アスラが『使わなくていい』と言ったら本当に使う必要はない。そのことを、よく理解したのだ。
「そうだよ。団長候補がいるから、見に来いって」
アスラがニヤッと笑った。
まさか、本気だったとは、とリュシは思った。
アスラは本気で、リュシが団長になれる器だと思っている。そのことを、やっとリュシは理解した。
自分では、さすがにそこまでの自信はない。
でも、情けない姿は見せられないな、と思った。
わざわざ来てくれたミルカのためにも、リュシの能力を買ってくれたアスラのためにも。
◇
傭兵国家《月花》の帝城。
「ええええ!? アイリスいないの!? せっかく私が戦いに来たのにっ!」
メロディ・ノックスは中庭のベンチで寝ているブリットに言った。
ブリットは別にサボっているわけじゃない。常時スキルを使用しているから、疲れるのだ。
「……てゆーかぁ、他人の城にぃ、ホイホイ入ってくるなですぅ」
ブリットは身体を起こしてベンチに座り直した。
「警備が薄いからよ」メロディが言う。「というのは嘘で、普通に門番と話して、ティナの許可取って入ったもんね」
「ああ、そう……」
ブリットは溜息を吐いた。
「ブリットって本当、根暗だよね」とメロディ。
「うっさいですぅ……死ねですぅ」
ブリット・ニーグレーンはセブンアイズだ。見た目は16歳前後の少女で、髪の色は薄い水色。
前はボサボサだった髪の毛を、今は綺麗に切り揃えている。だから見た目の印象的にも、以前ほどの暗さはない。
まぁ、そう思っているのはブリットと長く一緒にいる《月花》の関係者だけで、他人が見たら今でもブリットは暗い。
「それでいつ帰ってくるの? アイリス」
「知らないですぅ……。てか、なんでボクに聞くですぅ?」
ブリットは他人と話すのが割と苦手である。
「連絡係でしょ? 知らないならアイリスにいつ帰るか聞いて」
「……嫌ですぅ」
「よぉし、じゃあアイリスの代わりに戦おっか! セブンアイズだもんね! 少しはやるでしょ!?」
「……や、やらねぇですぅ! すぐ連絡するから、待つですぅ……。ボクは戦闘は嫌なのですぅ」
ブリットは慌てて、アスラに同行している人形を操作した。
「早ければ今日の夜までに帰るですぅ……」
「遅ければ?」
「明日ですぅ……、その、打ち上げとか、やるかもって……」
「打ち上げ?」
「……依頼で行ってるからぁ……」
厳密には、依頼を請けたのはアスラたちで、アイリスは暇だったから蒼空の薔薇に居座っているだけである。
「そっか。じゃあティナに部屋用意してもらって、明日まで待つね」
メロディはニコッと笑ってから、城の中へと姿を消す。
ブリットはそれを確認してから、再びベンチに横になった。
ああ、空が綺麗ですぅ。