1話 私は誰かを救いたいと心から願ったのに それでも世界は残酷で
大変お待たせしました、16章連載開始します! 今回は、毎週月曜・木曜18時更新に戻します。
「どうした騎士見習い? 助けに入ったくせにそのザマか?」
黒髪の少年が、金髪の少女を蹴っ飛ばした。
少女の名前はリュシエンヌ・トマ。名前が長いので、多くの人は彼女をリュシと省略して呼ぶ。愛称というほど、親しみを込めて呼ぶ者はいない。
リュシは金髪をポニーテイルの形に括っている。年齢は今年16歳になったばかり。
「お前が助けたボケは逃げちまったぞ?」
茶髪の少年がケラケラと笑った。
2人の少年は、最近流行しているギャング団のメンバーだ。
「逃げたなら、良かった……」
リュシは訓練用の木剣を握ったまま、地面に膝を突いている。
「つーか、騎士見習いって雑魚くね?」
「雑魚い雑魚い! 見習いがこれじゃあ、蒼空騎士って雑魚の集まりなんじゃね?」
少年たちが楽しそうに笑った。
リュシの服は蒼空騎士養成学校である『蒼空の薔薇』の制服なので、誰が見ても騎士見習いだと分かる。
ちなみに、青を主体とした制服で、女子は短いスカートに黒いタイツが基本。
元々は女子もズボンだったのだが、今の団長であるミルカ・ラムステッドが「スカートの方がいい」と力説し、女子はスカートになった。
「おら、なんとか言えよ雑魚騎士」
黒髪の少年がリュシの顔面に蹴りを入れる。
リュシはガードしたが、横に倒れた。半分はわざと倒れた。そうした方が痛くないと知っていたから。
「蒼空騎士は、弱くなんかない!」
リュシは立ち上がり、剣を構えた。
「いや、弱いだろ」と茶髪の少年が笑う。
リュシが正面から木剣を打ち込む。
しかし茶髪の少年は軽く躱して、リュシの腹部に拳を叩き込んだ。
リュシは「ぐえっ」という醜い悲鳴を上げて、木剣を取り落とす。それから腹部を押さえてしゃがみ込んだ。
「うわー、お前バチクソ入れたのか? 可哀想だろ?」黒髪の少年が言う。「これから連れて帰ってみんなで犯すんだぞ? 傷だらけじゃ勃起しねーって奴もいるんだぞ? やれない奴が可哀想だろ?」
「知るかよ。つーか、元々こいつ美人でもねーし、俺様はストレス解消奴隷にした方がいいと思うけどな?」
リュシの見た目は、特に悪いわけではない。
ただ、化粧っ気もないし、美人でもない。日々を騎士としての鍛錬に捧げているので、ある意味では仕方ないのだけれど。
「なんで……なんでよぉ……」
リュシは悔しくて泣いた。
毎日、頑張って鍛えているのに。それなのに、正騎士の試験に合格できないどころか、ギャングにさえ勝てない。
弱い人たちを助けたくて騎士を目指したのに。
唯一の救いは、助けた少女がすでに逃げてくれたこと。リュシが助けに入らなければ、その少女が彼らの玩具にされるところだったのだ。
「おい、なんでって聞いてるぞ?」
「なんでって、今の奴隷そろそろ死にそうだし、全然何しても反応なくなったからなぁ。新しい奴隷が欲しいって思ったわけよ? 騎士見習いとか最高じゃね?」
ケタケタと少年たちが笑っている。
こういう理不尽な連中に虐げられている人々を、リュシは救いたいと願った。
世界には理不尽な暴力が溢れていて、リュシもその被害者だった。
リュシは泣きながらも、もう一度木剣を握って立ち上がる。
「お? まだやるのか?」黒髪の少年が苦笑い。「現状で顔腫れてるし、輪姦するって言ってんじゃん? 終わったら普通に家に帰してやるって。けど、これ以上傷だらけになると、マジで奴隷にすっぞ? 何を隠そう、傷だらけの女に勃起しないのは俺なんだよ」
ちなみに、ここは裏通りなので人通りは少ない。まぁ、仮に人通りが多かったとしても、少年たちにはあまり関係ない。
少年たちは憲兵など恐れてはいない。いや、何も恐れてはいないのだ。
なぜなら彼らはまだ若く、本当の恐怖に出会ったことがないから。
「どけ」
突如響いた凜とした少女の声。
次の瞬間、黒髪の少年の股間に足が生えた。
正確には、銀髪の少女が黒髪の少年の股間を後ろから蹴り上げたのだ。
黒髪の少年が断末魔のような、凄まじい悲鳴を上げながら地面を転がり回った。
リュシは何がなんだか、最初はよく理解できなくて硬直した。
茶髪の少年も同じだったようで、目を丸くしている。
「道を塞ぐんじゃない。迷惑だろう?」
銀髪の少女は当たり前のことを当たり前のように言った。
この子は状況を分かっていない? とリュシは思った。
だって、相手はギャング団だ。まぁ、そうだと知らなかったとしても、普通は関わらないし、道を変えるものだ。
「このガキ!」
茶髪の少年が銀髪の少女を殴ろうと動き始める。
少女を助けなきゃ、と思ってリュシは間合いを詰めた。
「動くな。団長の邪魔になる」
背後から誰かに抱き付かれて、リュシは動きを止めた。正しくは、動きを制御された。ここまで完璧に押さえ込まれたのは、学校の教官に制圧術を教わった時以来。
「何者なの?」
「オレはレコで、あっちのは団……えっと、アスラ」
「なんで私に触ろうとする? いくら私が可愛いからって、いきなりそれはない」
アスラと呼ばれた少女はキョトンと首を傾げて、少年のパンチを躱した。
え? 躱したの?
「マジかこのガキ、俺様のパンチが……」
「ん? 今のパンチだったのかい? 顔を撫でられるのかと思って、うっかり避けちゃったよ。だってキモいだろう? パンチなら当たっても良かったね。どうせダメージないだろうし」
「団長を撫でようなんて許せない」
リュシを抑え込んでいるレコが言った。声の質から判断して、少年。たぶん私より年下だ、とリュシは思った。
目の前の銀髪の少女アスラも、明らかに13歳か14歳ぐらいの見た目だった。
「舐めてんのかクソガキが! 俺様を誰だと思ってんだ!?」
「知らんよ君なんか。いいからどいてくれ。私はこの先に用があるんだよ」
この先には蒼空の薔薇しかないはずだが、とリュシは首を傾げた。
「ふざけんなぁ!」
茶髪の少年が再び殴りかかった。
「私が可愛いからって、寄ってくるなよ」
アスラはやれやれ、と肩を竦めながら少年の拳を回避。
少年は連続で何度も攻撃を放ったが、アスラは全部回避した。
「まさかとは思うのだけど、もしかして攻撃なのかい?」
「団長、それはないって」レコが言う。「どう見てもダンスだよ」
「だよね? ダンスだよね? 私が可愛いからってダンスに誘ってる感じかね?」
「団長をダンスに誘うなんて許せない。揉んでやる」
言いながら、レコはリュシの胸を揉んだ。
「ひゃぁ!」とリュシは悲鳴を上げた。
レコを振り払おうとしたが、でも無理だった。
「こらレコ。セクハラするな。そういうのはアイリスにしたまえ」
「だってアイリス、また実家に帰っちゃったし」
セクハラするから実家に帰ったのでは? とリュシは思った。
まぁ、リュシは事情を何も知らないけれど。
「それにアイリス、最近また胸が小さくなってた。団長が鍛え過ぎたせい」
レコは拗ねた子供みたいな口調で言った。
「ちくしょー」
茶髪の少年が肩で息をし始める。
地面を転がっていた黒髪の少年は、だいぶ痛みが落ち着いたようで、今はもう転がっていない。でも立てない様子。
「悪いんだけど、私は君とダンスをする気はない。私とダンスがしたければ美少女か美女を連れて来い。そしたら美少女とも美女ともダンスしてやる」
結局、茶髪の少年とはしないという意味だ。
「殺してやるぞクソガ……」
茶髪の少年は言葉を切ってビクッと震えた。
リュシは全身の毛が逆立って汗が噴き出すような感覚に陥った。
アスラの表情が、急に酷くおぞましいナニカに変化したから。
「今、私を殺すって言ったのかい?」
ニチャァ、とアスラが笑った。
それは酷く、本当に酷く極悪な笑みで。
未だかつて、リュシはこれほど醜悪な笑みを見たことがない。
「つまり君は、この私と戦争するって、そういうことだね? そうだよね? 殺すってそういうことだよね? 殺し合いだよね? 君と私の殺し合いだよね? それはつまり、小さな小さな戦争だね? 私と君だけの、2人だけの細やかな戦争。ああ、ダンスしたいだけの一般人なんかに興味はないけれど、戦争するなら話は別だよ? グチャグチャにしてあげるよ。あるいは君が、私をそうしてもいい。楽しもう。せっかくだから楽しもう。悲鳴と嗚咽と血の海を楽しもう。よし、まずは足」
アスラが指をパチンと弾くと、茶髪の少年の足が爆発した。
血と肉と骨がそこらにばら撒かれ、リュシは「ひっ」とその場に尻餅を突いた。すでにレコはリュシを支えていない。
「ぎゃああああああああ!! 俺様の足がぁあああ!!」
茶髪の少年は気が触れたように地面を転がり回った。
「もう1本いっとく?」
アスラはとっても楽しそうに指を弾く。
そうすると、茶髪の少年の残った足も吹っ飛んだ。
それと同時に、茶髪の少年は死んでしまった。痛みと恐怖で死んでしまったのだ。脳がこれ以上生きることを拒否したのだ。
「ああ、もう終わってしまったよレコ。だけど、戦争はやはり楽しい。一方的で絶対的な虐殺であっても楽しい。いつか私もこんな風に、虫けらのように誰かに殺されてみたいものだよ。ふふっ」
アスラは気が触れている、とリュシは思った。
アスラは異常なほどに強いし、殺したのはゴミクズのギャングだけれど。
それでも、リュシにはアスラの方が危険な生物に思えた。
「こいつは?」
レコが笑顔で指さしたのは、地面に伏せている黒髪の少年。
「道を譲ってくれるだろう?」
アスラがそう言うと、黒髪の少年は恥も外聞もなく地面を転がって隅っこに寄った。
ああ、力なき正義は無力なのだ。
リュシは以前からそのことを知ってはいたけれど。
今日は心底からそれを痛感した。
力があれば、他人を助け、自分の身を守り、更に悪党を更生させることも、あるいは可能かもしれない。
更生が無理でも、拘束して憲兵に引き渡すことができる。
リュシがアスラを見詰める。
アスラもリュシを見ていた。
「君、蒼空の薔薇の生徒だね?」
「ええ。私はリュシエンヌ・トマ。みんなはリュシって呼ぶ。アスラだっけ? あなたも薔薇生になりに?」
薔薇生というのは、蒼空の薔薇の生徒の略称。
「なぁレコ。私は法則を発見したかもしれない」
「善人っぽい女の子は金髪で髪を結んでるって?」
レコが呆れた風に言うと、アスラは沈黙した。
2秒後。
「も、もちろんそれだけじゃ、ないさ」アスラが言う。「剣がメイン武器で、更にちょっと頭が弱そうな部分も似ている」
私の頭が弱いって言ってる?
頭のおかしい人に頭が弱いって言われるの、割とショックだなぁ、とリュシは苦笑い。
「でもアイリスと違ってこの子、リュシはすごく弱いよ?」
「ふむ。その弱さから見るに、君はバツ組かな?」
アスラに問われて、リュシは頬が真っ赤になった。
恥ずかしいのだ。恥ずかしくてたまらない。
バツ組というのは、正騎士の試験に落ちた者が行く組。
リュシはもう3回も落ちている。
「正解みたい」とレコ。
「じゃあ弱さは問題ない。30日で最強騎士に早変わりさ」
アスラがとっても楽しそうに言った。
レコは小さく息を吐いて、哀れな生物を見るようにリュシを見た。
リュシにはその視線の意味が分からなかった。
「じゃあまたね、リュシ」
アスラは嬉しそうな表情でリュシに挨拶して、軽やかな足取りで歩き始めた。
レコがアスラに続く。
リュシは翌日、教室に現れたアスラを見て仰天することになる。
アスラが生徒ではなく、教官だったから。




