EX64 従属と異常性 ピアノの音色といくつかの死体
ピアノはゆっくりとした旋律を奏でていた。
それはとっても悲しい音。
ここは神国イーティスの神王都。その片隅の酒場。
薄暗い室内で、その女性はピアノを演奏していた。
女性の目に光はなく、壊れた人形のよう。
彼女はただ、絶望的で心が安まる楽曲を奏で続ける。
「スカーレットはボクの仲間じゃないね。遊び相手としては、まぁ悪くないけどさ」
14歳の少年、スレヴィ・トゥオミネンが言った。
スレヴィはピンクのふわふわした髪に、可愛い系の見た目。一見すると女の子と見間違うような、そんな可愛さ。
実際、バカな男を騙そうと思えば騙せるぐらいに可愛い。
背丈は平均的で、細身だが実は鍛えている。ガリガリではなく、引き締まっているのだ。
スレヴィは丸椅子に腰掛けて、カウンターに頬杖を突いていた。
スレヴィの前には、苺ミルクが置いてある。自分で注いだのだ。
酒場はまだ開店時間ではない。よって、客もいない。
今、この酒場にいるのは3人だけ。
スレヴィと、ピアノを弾いている女性と、銀髪の少女。
「スカーレットはボクを見つけられなくて、すごく怒ってるんだって! ふふっ、きっと彼女にボクを見つけることはできないね。彼女はボクを理解しない。なぜなら、彼女は同類じゃないから」
スレヴィの言葉を聞いている者はいない。
女性は壊れたように延々とただピアノを弾いているし、カウンターに寝ている銀髪の少女は死んでいる。
「あーあ! そろそろ飽きちゃったなぁ! でもさすがに、《月花》に入ろうとしたらアスラにバレちゃうし、次は何をしよう?」
スレヴィにとって、楽しいが全て。
少し前、スレヴィは山賊をしていた。悪いことをするのが楽しかったから。まぁ、スレヴィ自身に善悪の概念はない。アスラと同じだ。
ただ、客観的に見て悪いこと、と認識される行いが楽しいと思っただけのこと。
そろそろ山賊行為に飽きてきたなぁ、という頃、ちょうどアスラが山賊団を壊してくれた。
「とりあえず、もう1本いっとこう!」
スレヴィは椅子から降りて、床に転がしていた杭を手に取る。
そして銀髪の少女の死体に突き刺す。
「あー、この挿入する感じ、すごく気持ちいいな! アスラによく似た少女だから、今日は特に気持ちいいな! ボクの描いた絵、アスラは気に入ってくれたかな?」
狂気に染まった笑みを浮かべながら、スレヴィが言った。
旋律は止むことなく、だけど病んだ音色を奏で続けている。
ピアノを弾いている女性はこの酒場の経営者。今はスレヴィの魔法の支配下にある。
スレヴィは椅子に座り直し、苺ミルクをゴクゴクと飲んだ。
「次は何をしようかな? いっそのこと、スカーレットにもっと接近してみようかな? 同類じゃないけど、見ていて楽しいし」
最近、スカーレットは弟子を取ったという噂を聞いた。ならば、とスレヴィは思う。
自分も弟子になれるのではないか、と。
戦闘能力はけっして低くないし、知性もそう。魔法だって使える。
それも、固有属性よりも更に強力な魔法を使えるのだ。
神域属性、という名前をスレヴィは知らないので、なんか強い魔法、という認識だけれど。
「スカーレットと一緒にいれば、アスラとも遊べそうだしね」
スレヴィは情報収集能力にも長けている。
スレヴィはアスラの同類なのだから当然だ。シリアルキラーで、サイコパス。知性が高く、楽しいことが好き。
「よし! スカーレットの弟子になろう!」
ピョン、とスレヴィは椅子から降りる。
そしてピアノ奏者の女性に近寄った。
「ありがとうお姉さん。いい曲だったよ。ボク、好きだな、そういうなんか破滅的で悲劇的な曲。ああ、それと、金髪綺麗だね。スカーレットみたいで」
スレヴィは女性の髪の毛を手櫛で何度か撫でた。
「【命令付与】演奏を中止して、服を脱ぐ。脱いだら意識を取り戻す」
スレヴィが言うと、女性はパッと演奏を止めて立ち上がる。
そして意思のない人形のように、何の感慨もなく服を脱ぎ始めた。
全部脱ぎ終わった瞬間に、女性の瞳に色が戻る。
そして、全裸の自分に驚いてしゃがみ込む。
「ねぇスカーレット、恥ずかしいの?」
スレヴィはニヤニヤと言った。
「待って、待って、私、スカーレットって名前じゃない! あなた誰!?」
女性は混乱した様子で、スレヴィを見上げた。
「ボクは君のご主人様だよ? 覚えてないかな? ボクの魔法、属性は従属って言うんだけど、君には生成魔法である【従属契約】を使ったんだよ」
スレヴィの説明に、女性はますます混乱した様子だった。
しかし、案外近くに自分の服が落ちていることに気づき、女性は右手を服に伸ばした。
「【命令付与】服に触れちゃダメ」
スレヴィが言うと、女性は右手を引っ込めた。
女性自身、自分がどうして服を取れないのか理解できなかった。何度手を伸ばしても、寸前で手を引っ込めてしまう。
「【命令付与】君の名前は今からスカーレット。ほら、繰り返して」
「私は、スカーレット。私の名前はスカーレット……なんなの!? どうして勝手に!?」
女性は自分の意思で繰り返したわけじゃない。
「君はボクに従属してるから。【従属契約】はボクより弱い全ての人間に効く。だからまぁ、アスラや本物のスカーレットにはきっと効かないんだよね」
契約の生成。
酷く歪で不平等な従属契約。
一方的にスレヴィが命令するだけの、極悪非道な契約だ。
「私をどうするつもりなの!? お金なら……」
「しぃ」
スレヴィは右手の人差し指を女性の唇に当てた。
「お金なんて、君が死んでから好きなだけ持って帰れるだろう?」
スレヴィは笑った。
この世の全ての悪意を詰め込んだような、あまりにも醜悪な笑み。
女性は「ひっ」と声を出して、尻餅を突いた。
あまりにも恐ろしく、身体が震えた。きっと、従属契約などなくても従ってしまうに違いない。
「ああスカーレット、エッチなことをしよう? 君の意思でやろう? まぁ、嫌なら命令するけど、その時は酷く痛い思いをすることになるかな! ボク、スカーレットやアスラみたいな普段は強い女の子が泣き叫ぶ姿ってすごい興奮するんだよね! まぁ、実際には大声が出ないように命令するけどさ! 小さい声で、必死に泣き叫んでね!」
誰にも聞こえないように。
万が一にも、誰かが気付いて助けに入ったりしないように。
◇
「アイリスの言う通りになったね」
メロディが言った。
神王都の片隅の酒場は、憲兵でごった返している。
メロディ、スカーレット、トリスタンもその酒場にいた。
「異常だろこれ……」トリスタンが顔をしかめる。「吐き気がする……。これが人間の仕業だってのかよ……くそっ」
杭を打ち込まれた銀髪の少女の死体は、カウンターの上。
同じく杭を打ち込まれた金髪の女性の死体は、ピアノを演奏するための椅子にうつ伏せで縛り付けられている。
椅子を抱くような形で、両膝は地面に突いている。四つん這いのような体勢だ。
金髪の女性は全裸で、杭は性器と肛門にも打ち込まれていた。
「もう飽きたですって……」
壁を見ながらスカーレットが唇を噛んだ。
壁には血文字で『もう飽きたから《杭打ち魔》は辞める。次は別の遊びをしようスカーレット。そしてアスラ・リョナ。愛してるよ』と描かれていた。
「別の遊びって何だと思う?」とメロディ。
「知るかよ……」
トリスタンが死体から目を逸らした。魔物にズタボロにされた死体は何度も見てきたが、人間の手でここまで陵辱された死体を、トリスタンは初めて見た。
「それで相変わらず手がかりはないわけ?」
スカーレットの問いに、憲兵の責任者が「申し訳ありません」と頭を下げた。
ちなみに、《杭打ち魔》がアスラの名前を記したことには、誰も驚いていない。
アイリスの持って来た資料に、《杭打ち魔》がアスラにも興味を持っていると書かれていたからだ。
「アイリスの資料によると」メロディが資料を見ながら言う。「犯人が何かしら決定的なミスを犯さない限り、見つけるのは難しいみたい。まぁでも、アスラなら対抗できるかもしれない、って」
「……失敗したわね」スカーレットが息を吐いた。「アスラはもっと利用するべきだったわ」
「でもお姉様は攻撃した。たぶん、何回やり直しても攻撃するんじゃないかな? アスラってなんでか、敵にしたい魅力に溢れてるから。私もできればアスラと戦いたいし。ああ、でもその前にまずはアイリスと戦いたい! 行ってきていい!?」
「いいわよ、好きにしなさい」
スカーレットは小さく首を振った。
メロディは「やったぁ!」と小さくガッツポーズ。
スカーレットは銀髪の少女の死体を見て、次に金髪の女性の死体を見た。
あまりのおぞましさに、吐き気がした。
「杭を挿入してるのは、性的な意味みたい」メロディが言う。「本当はお姉様やアスラとエッチなことがしたいんだと思う、って資料にある」
「ますます、おぞましいわね」
このシリアルキラー、通称《杭打ち魔》のせいで社会不安が増大している。国民の危機感情は高まっているが、政府側に打つ手がない。
それはスカーレットの統治が無能であることの証明でもあった。少なくとも、国民はそう思考する。
スカーレットは最初に恐怖でもって多くを破壊し、そして支配した。これ以上の恐怖政治はダメだ。未来を考えたら容認できない。
つまり、不安の種である《杭打ち魔》はなんとしても処理したい。
そうでないと、国民の批判は大きくなり、いつかは打倒スカーレット政権にまで発展する可能性がある。
そういう反乱者を皆殺しにするのは簡単だけれど、同時にスカーレットは多くを失うことにもなる。
特に人材である。前回より有能な者が集まっているのだから、手放したくはない。
理想の1000年王国のために。管理が行き届いた理想の監視社会のために。愚かな人間たちを、理性的に管理する平和な未来のために。
「スカーレット様! ボクを弟子にしてください!」
唐突に、ピンクの髪の少年が酒場に入って来た。
「お、おい! 勝手に入るな!」
憲兵が少年に手を伸ばすが、少年はスルリと回避。
その様子を見て、スカーレットは少年に興味を持った。
この中に入るためには、そもそも多くの憲兵を躱さなければいけない。つまり、この少年にはそれだけの能力があるということ。
「いいわ。気にしないで」
スカーレットがそう言うと、憲兵は少年から離れた。
「ボクの名前はスレヴィ・トゥオミネンです!」
「お前、男なのか?」とトリスタン。
「はいトリスタン先輩!」
「私の弟子になりたいのはなんで?」
スカーレットはいきなり本題に入った。
「はい! スカーレット様の役に立ちたいんです! ボクはスカーレット様の掲げる統一された社会に感銘を受けました!」
「そう。それは嬉しいわね。でも、弟子である必要はないんじゃないの?」
「いいえ! ボクはスカーレット様に何かあったら、その意思を受け継ぎたいのです! それに、あなた様の全てが知りたいんです!」
スレヴィの熱意は、その場にいた全員に伝わった。
誰1人として気付かなかった。それが巧妙な演技であると。
「ボクは戦闘能力も低くないですし、それに魔法が使えます! きっと役に立てます! どうか弟子にしてください!」
「魔法、ね。それは便利でいいわね。それはそうと、この現場をどう思う?」
スカーレットは左手をグルッと横に動かして、室内を示した。
「凄惨な現場ですけど、ボクは酷い光景には慣れています。ジャンヌ軍の進軍を見ましたし」
「動じてないのは知ってるわ。トリスタンより肝が据わってるわね。それより見解を聞かせて」
「見解? えっと、噂の《杭打ち魔》の犯行ですよね?」スレヴィが言う。「こんなに杭を刺すなんて、普通なら怨恨だと思いますけど、被害者同士の接点が髪の色だけ、という話なので、怨恨ではなく別の要因があるのだと思います」
「なるほど。悪くないわね」スカーレットが頷く。「熱意もあるし、しばらくメロディの下に付きなさい。あたしの弟子にするかどうかは、働きを見て決めるわ」
「はい! ありがとうございます!」
スレヴィはとっても嬉しそうな笑顔を浮かべた。ほんの少しの悪意も感じない、爽やかで晴れ晴れとした笑み。
「てゆーか、この子も私の部下にするの?」
メロディが少し困惑気味に言った。
すでにトリスタンもメロディの部下として働いている。
「そうよ。なんだかんだ、あんたには色々と動いてもらってるし、部下がいた方がいいでしょ?」
正直、後継者候補は多い方がいい。
「主に連絡係だけど」
メロディが肩を竦めた。
軍との連絡、憲兵との連絡、国家運営担当の文官たちとの連絡などなど。
「空き時間が増えれば、あたしと戦えるわよ?」
「わぁい! よろしくスレヴィ!」
メロディはスレヴィの頭を何度か軽く叩いた。
◇
スカーレットがボクを信用した頃に、スカーレットを背後から刺したら、どんな顔をするんだろう?
スレヴィは楽しい妄想を脳内で繰り広げていた。
そして。
ボクがスカーレットを殺しちゃったら、アスラはどんな顔をするんだろう?
ああ、どっちもきっと、素敵な表情を見せてくれるに違いない。
これにてExtraStory、終了になります。十六章開始までしばらくお待ち下さい。