EX63 世界が広くて嬉しいよ だって、ねぇ?
「え? 普通に嫌だよ」
言いながら、アスラは立ち上がる。
そして背伸びをして、次の瞬間に上段蹴りを放った。
ナシオはその蹴りをガード。
「ほう。いい蹴りだと思ったんだけどなぁ」とアスラ。
「確かに……。今のを防げる奴はそれほど多くないと思うけど……」
ナシオが苦笑い。
アスラはゆっくりと足を下ろす。
「……腕が、痺れるレベルの蹴りか……」ナシオが言う。「アスラって本当に人間? いつの間にかセブンアイズになってたりしない?」
「日々、訓練してるからねぇ。毎日、毎日、ね」
「強くなる速度が人知を超えてる」ナシオは再び苦笑い。「あと1年あれば、僕を超えるかも」
「アホ言うな。君なら今でも殺せる。たぶん私1人でも」
団員と一緒なら確実に殺せる。それはすでに一回証明している。
「ああ、そっか、殺すことと戦って倒すことは別なのか」
ナシオが納得した風に頷く。
「その通り。殺す方が簡単だよ。毒を盛っても良いし、遠くから狙撃してもいい。だけど、スカーレットにはどれも通用しないかもしれない。なぜなら、彼女はまだ全力を見せていない。底を見せてない」
「それはアスラもだと思うけどね、僕は」
「私の底はいつでも見れる。そんなに深くない。私には、私らには、思想も理想もない。その時の気分だけで殺したり、殺されたり、血の海を泳いだりするのさ」
アスラは再び玉座に座る。
ナシオは立ったまま、アスラを見ている。
「じゃあその気分を、スカーレットの邪魔をしない気分にしてくれない?」
「嫌だ。私はスカーレットと戦いたい」
「代わりに僕と戦おう」
「嫌だ。君はスカーレットの代わりにはなれない」
「どうしても、僕はフルセンマークを統一して欲しいんだよ」
「私には関係ないし、そもそも私らがいる時点で、傭兵国家《月花》がある時点で、統一は不可能だよ?」
アスラたちは誰にも従わない。どこの国にも従属しない。同盟すら結ばない。
ただただ、請われて戦うだけだ。
「まぁそのぐらいはね、別にいいよ」ナシオが肩を竦める。「外の世界に対抗できる程度の統一でいいさ」
「ふぅん。前から思っていたけど、君とセブンアイズは私らをフルセンマークに閉じ込めていただけでなく、外からも守っていたね?」
「その通り。元々、ここは流刑地だからねぇ。高い山と深い森に囲まれた、最適な場所だったんだよ。この大陸の、大森林を抜けた先の国々の流刑地」
「沿岸を船で移動して発見したわけだね?」
「そう」ナシオが頷く。「だけどたぶん、この世界には他にも大陸があると思う。今の技術なら、たぶん他の大陸との接触もあるんじゃないかな」
「ふむ。外の世界も、少なくとも君が知っている同じ大陸の南の国々は、フルセンマークと同程度の技術力かね?」
「だと思うよ。時々こっちを見に来る船を、沈める前に臨検してたけど、大きく違わないと思う」
「なるほどね。まぁ、この世界は広い」アスラが少し笑う。「だから他に大陸があって、国があって、やがてそれらの距離はとても近くなる」
「近くなる?」
ナシオが首を傾げた。
「そう。交通手段の発達が、世界を狭める。だけど、そのおかげでとっても楽しいこともある」
アスラが邪悪に笑った。
それはおおよそ、楽しいことを想像している表情ではない。少なくとも、ナシオはそう思った。
あらゆる悪徳を、悪意を、そこに凝縮したかのような、おぞましい笑みだったから。
「世界大戦」
アスラは本当に、本当に、心から、その言葉が愛しいのだと分かるような、どこか陶酔したような声音だった。
「ああ! 希望だ! 嬉しい!」アスラが立ち上がり天井を仰いだ。「私は前世の世界じゃ、それに参加できなかった! 今世では、長生きしなくちゃね!! その時まで、その日まで、無理にでも生きなきゃね! 魔法と科学の世界大戦なんて心が震える! 痺れる! たまらない! 願えるなら何度でも楽しみたいなぁ!」
アスラのイカレた様子に、さすがのナシオも少し焦った。
「世界大戦? 長生き? どういうこと?」
「今のフルセンマークの技術力と、全世界の技術力が同じ程度だと仮定すると、まぁ早くて300年後ぐらいかなぁ」アスラはニヤニヤと楽しそうに言う。「まずは世界地図を埋めるための探検家のような連中がもてはやされる時代が100年は続くかなぁ。コンラートやルミアたちだね」
アスラはとっても興奮した様子で、ナシオの周囲をクルクルと踊りながら移動した。
「アスラ? 予言してるの?」
ナシオはアスラの姿を追いながら言った。
「違う。きっとそうなるだろう、という予測だよ」
「……それで? 世界大戦って?」
「列強を含む多くの国が参戦する大きなお祭りだよ。複雑で過剰な安全保障は、各国を嫌でもその祭りに引きずり込むのさ。花火の代わりに砲弾が飛び交い、リンゴ飴の代わりに血と泥を舐めて、くじ引きで外れを引く確率よりも遙かに多くが死んでいく。そんな楽しい楽しいお祭りのことだよ。だからナシオ、聞きたいんだけど、クロノスで若返りを繰り返せば、私は300年生きられるかね?」
アスラはナシオの正面で踊るのを止めて、真っ直ぐナシオの瞳を覗き込む。
ナシオはアスラの純粋なキラキラした瞳に少し驚いた。
その瞳は本当に、ただの子供がお祭りを楽しみにしているような、そんな錯覚にナシオは陥ってしまった。
ナシオは小さく首を振って、その錯覚を追い払う。
「アスラが何を言ってるのか、よく理解できない。フルセンマークでも大きな戦争はあっただろう? 何が違うと?」
「規模が違いすぎるよ。フルセンマークなんて所詮、惑星の片隅の大陸の更に片隅の辺境に過ぎない。それで私は300年生きられるのかい?」
「あ、ああ、たぶん。クロノスを利用すれば、寿命に関しては無限と言ってもいい。けど、普通に病気や事故や、殺されたりすると死んでしまうけど……」
「それで十分だよ。むしろそれがいい。死なない、なんてことになったら面白くないからね。命を懸けて遊ぶから楽しいんだよ。それに、敵が不死だったら戦う気がなくなってしまう。それは問題だよ。どんなに強くても、倒せる可能性があるから挑めるんだよ。つまり私は、長生きはしたいけど、脆弱な人間でいたいと思う、ってこと」
そしてみんなのラスボスでありたい。
どんどん挑んで欲しい。楽しい楽しい殺し合いを永遠に続けたい。誰かに殺されるまで。
「結局のところ、私も他のサイコパス……とりわけシリアルキラー連中とそう変わらない。彼らは捕まるか死ぬまで殺し続ける」
アスラは特別なサイコパスではなく、一般的な普通のサイコパスということ。
「……アスラも死ぬまで戦い続ける、と?」
「そうだよナシオ」クスクスとアスラが笑う。「だからね? スカーレットの統一を邪魔するなってのは、無理なんだよ。分かるだろう? 彼女は私と敵対した。であるならば、私は私が死なない限り、彼女と闘争する。今はお互い、力を蓄える期間だけどね」
「だったら、もしもスカーレットが死んだら、君が、アスラが、フルセンマークを統一してくれる?」
「うん。いいとも」アスラは笑顔で言った。「世界大戦が待っているからね! 今みたいな小さい国が乱立したフルセンマークじゃ、世界大戦は戦えない! そうだなぁ、とりあえず東、西、中央と、3国にしてしまうのでどうかな?」
「なんで3国?」
「今の地方分けをそのまま国にしただけだよ」アスラはとっても楽しそう。「まぁ、絶対に統一したいって言うなら、アーニア帝国あたりに統一させるさ。世界大戦に向けて私らも準備しなくちゃね!」
「世界大戦のことは分からないけど、僕としては、フルセンマークが統一されれば満足だよ。それ以降の歴史は、人間たちで紡いでいくといい」
ナシオが穏やかな様子で言ったが、アスラはほとんど聞いていなかった。
正確には、聞いてもいたし理解もしたけれど、妄想の方が今は大切だったからあまり気にしていなかった。
「まずは国家として盤石な基盤を作って、それから海軍だね! 世界中、どこの国の味方でもできるようにね! ああ、それから、世界中をウロウロする遊撃隊みたいなのも作りたいなぁ。遊撃隊は出張好きのサルメに任せてもいいかもね。そして航空兵力。ドラゴンの数を増やして、ドラゴン空挺団を本格的に作らないとね! まぁ飛行機が発明されたら、航空隊も組織して……っと! ああ、人生がバラ色に思えるよ!」
バラ色というのは、真っ白なバラの花に人々の血を注いで赤く染めた色のこと。
「アスラ? 僕の声は届いているかな?」
ナシオが引きつった表情でそう言った。
アスラはそこでやっと我に返った。
「統一されればいいんだろう? 大丈夫だよ。問題ない。それよりみんなに世界大戦のことを話してあげなくちゃ! 私らの未来の目標は、世界大戦に参加すること! できれば複数回!」
まぁ、でも、とアスラは思う。
それはまた別のお話、というレベルで未来のことだ。
今はひとまず、スカーレットを倒すことだ。
それが1つの区切りになる。スカーレットとはそれほどの相手なのだ。




