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7話 昔話をしよう 胸くそ悪いから注意したまえ


 10年前。

 東フルセンと中央フルセンの境目に位置する小さな村。

 自給自足が主で、戦乱とは無縁ののどかな村。どこの支配下でもない、独立した平和な村だった。

 村の近くに小川が流れていて、アスラはよくそこで遊んだ。

 ずっと平和な時間が流れ、アスラは愛されて育った。血を見るのは苦手で、喧嘩をしたこともなく、優しい子供だった。

 これからもずっと、この平和で愛しい日々が続くのだと、無垢にも信じていた。

 でもある日、兵隊たちがやってきた。


「ジャンヌ・オータン・ララを匿っていないか調べる。抵抗すれば我が国への叛逆とみなして粛清する」


 女中隊長がそう宣言した。

 アスラはあとで知ったことだが、当時、虐殺を引き起こして逃走したジャンヌを、中央の色々な国が探していた。

 共通の脅威として、一丸となって探していた。

 兵隊たちは村中引っ繰り返して、そこにジャンヌがいないと分かったら、今度は村人を中央の広場に集めた。

 村人の数はそれほど多くない。40人前後。本当に小さな村だったのだ。


「さぁお前ら、バカンスだ。私らはこのために兵隊やってるようなもんさね! 好きな女を犯して、日々の鬱憤を晴らせ! 嬉しいだろピエトロ・アンジェリコ小隊長!」

「はい中隊長! 自分は中隊長の配下で心から神に感謝します!」


 そして兵隊たちのバカンスが始まる。

 村の男たちが抵抗したが、あっさりと斬り捨てられた。

 長く戦いとは無縁だった村。兵隊に勝てるはずがなかった。


「よぉし、私はそこの銀髪の男と楽しもう。すこぶるいい男じゃないか」


 女中隊長に指名されたのは、アスラの父だった。

 アスラの母は何も言わず、ただアスラの両目を塞いだ。

 母のお腹の中には、アスラの弟か妹がいた。


「それはお前の娘か?」と女中隊長。


 父が頷く。


「目隠しをするな。見せろ。その方が私は燃える」

「頼む、それは勘弁してくれ」


 父が懇願すると、女中隊長は嬉しそうに笑った。


「じゃあ娘の首が胴体から離れる。どっちがいい? 従えば、命までは取らない。私は《魔王》じゃないからね!」


 母はアスラの目から手を離す。


「大丈夫だからね」と母は小さく呟いた。


 アスラはただ怖くて、母にしがみついた。

 そして目の前で父が犯された。

 彼らは、彼女らは、心からバカンスを楽しんだ。


「俺、一度妊婦とやってみたかったんだ」


 村の若い娘と楽しんだあと、ピエトロがアスラの母に目を付けた。


「おう、俺も俺も」


 連中はアスラと母を引き離す。

 アスラは「ママ!」と叫び、そして蹴飛ばされた。


「娘を傷付けないで! 何でもしますから、娘を傷付けないで!」


 まるで地獄だ。

 アスラは泣いていた。怖くてたまらなかった。

 この人たちは、どうして、こんなことをするの?


       ◇


 アスラの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。


「団長……」


 マルクスは何も言えなかった。

 ただ動揺した。あのアスラが、あの団長が、泣くなんて。

 アスラは自分が泣いていることにまだ気付いていない様子だった。


「ひっでぇなおい……」ユルキが言う。「俺は盗賊だったがよぉ、んなことはしなかったぜ……」


 ユルキも動揺していた。


「まだ序の口だよユルキ」


 アスラは小さく笑った。泣きながら笑っていた。酷く心の痛む姿だ、とマルクスは思った。


「……団長が泣いてるの、見たかったけど……こういう意味じゃ、なかった……」イーナはピエトロを睨み付けている。「これだから……人間って嫌い……」


「……私は泣いているかね?」


 アスラはやっと、自分が泣いていることを知った。

 そしてアスラはローブで涙を拭いた。


「……酷い……あんまりよ……」


 いつの間にか、アイリスがアスラの背後に立って、アスラと同じように泣いていた。


「続けよう……」


       ◇


 快楽を貪った兵隊たちは、全員が弓に矢をつがえ始めた。

 矢の先端に火を点け、村を焼き始めた。


「なんてことをするんだ! 家を焼かれたら、俺たちはどうすれば!」


 アスラの父が叫ぶと、


「死ねばいいんじゃない? 結構良かったよあんた、もったいないけど、死ね」


 女中隊長が笑いながらアスラの父を斬り殺した。


「さぁ! 人間狩りの始まりだよお前たち! この村は、私たちが到着した時にはすでにジャンヌによって略奪されたあとだった! そうだね!?」


 兵隊たちが一斉に村人を殺し始めた。

 アスラの幼馴染みも、近所のお兄さんやお姉さんも、誰も彼も、みんな叫んで、泣いて、そして死んだ。

 アスラは気が変になりそうだった。

 助けて、助けて、助けて、神様!

 アスラの目の前で、アスラを庇った母が剣に貫かれた。


「ママ……」

「……逃げて、アスラ……」


 母から剣が引き抜かれる。

 母は、最期に、

 優しく笑った。


「いやー、こういう圧倒的に弱い奴らを嬲るのは最高だねぇ」


 ピエトロがとっても楽しそうに言った。

 そしてアスラを見て、剣を構える。

 ピエトロがその剣をアスラに振り下ろす。

 アスラはそれを躱して、一目散に走った。


「お? すばしっこいガキじゃねぇかおい」


 ピエトロの言葉が背中越しに聞こえた。

 アスラは燃えている自宅に駆け込んだ。

 そして台所にあった果物ナイフを取る。

 ナイフの刃に映った自分の荒んだ目を見て、アスラは小さく嗤った。


「ふん、今の私に使えるのはこれぐらいか。まったく因果なもんだね。あれだけ怖かったこの状況を、懐かしいと思ってしまう」


 アスラは思い出していた。

 自分がかつて誰であったのか。

 母の笑顔が、アスラに生き残る力を与えてくれたのだと思った。

 それはこの世界に生まれた無垢なアスラから見たら、酷くおぞましい力。

 けれど。


「クソどもが、私を怒らせたこと、この私を呼び覚ましたこと、後悔させてやる」


 負ける気がしなかった。

 ナイフを握る手は小さく、柔らかく、白い。

 背丈は兵隊どもの腰にすら届きはしない。

 それでも。

 アスラは自分の方が強いという確信があった。


 アスラは自宅を出て、索敵。

 すぐに兵隊を発見。

 音を立てないように背後から忍び寄って、膝の裏を斬り付けた。

 兵隊は悲鳴を上げて、しゃがみ込む。


「背が低いから、そうしてくれると助かるよ」


 ナイフを持ち替えて、しゃがんだ兵隊の喉を背後から切り裂いた。

 今のアスラの腕力では、革の鎧は貫けない。

 だから最適解は首を狙うこと。確実に殺すにはそこだ。

 アスラは慎重に各個撃破していった。

 2人以上の兵隊たちは、まず1人の足を斬り付けて走って逃げる。

 斬られていない方が追ってくるから、そいつを待ち伏せて始末。

 それから、足を斬られて呻いている奴を殺しに戻った。

 9人の兵隊を殺したところで、もう村には誰もいないと気付いた。

 あるのは死体だけ。

 アスラは中央の広場に佇み、


「すまない。もっと早く私が誰か思い出していれば、あんな奴らの好きにはさせなかったんだけどね」


 村人たちに向けて言った。


「みんなの墓を作ってあげたいけど、見ての通り、私は3歳児でね。重労働すぎる。ごめんよ」


 アスラは両手を広げて肩を竦めた。


「そうだ、歌を歌ってあげるよ。私の声、みんな好きだっただろう? 何がいいかな? ロンドン橋が落ちた歌にする? 冗談さ。アメージンググレイスにしよう。いいチョイスだろう? みんな願わくば、安らかに」


 アスラはたった1人、燃える村で歌を歌った。

 死体だらけの村で、歌を捧げた。

 と、無人の村に人間の気配を感じて振り返る。

 女が1人、歩いていた。

 村人ではない。

 彼女は裸にマントだけ羽織って、右手で剣を引きずっていた。


「いい歌だ。知らない曲だが、釣られた。わたしはもう、神や運命を信じたくないはずなのに……呪い殺したいぐらいなのに、それなのになぜ、お前との出会いを天啓だと思ってしまうのか」


「神様なんて興味ないね。それより、この世界にも露出狂がいるんだね。その下、裸だろう?」

「これは略奪?」


 女はアスラの質問を無視して淡々と質問した。


「まぁ近い。バカンスかな。2人逃げられてしまったよ。残念。まぁ、いつかどこかで会えたら、その時に殺せばいいか」

「お前が略奪者を殺した? 信じられないな」


 女の声は絶望を含んでいた。

 声音で分かる。この女は、世界に絶望している。


「どっちでも。信じてくれとは言ってない。それより君、そうとう酷い目にあったみたいだね。ここより酷いかね?」


 女の瞳は夜の闇のよう。暗くて濁っている。


「ある意味」

「そりゃすごい。私はアスラ・リョナ。君は?」

「……ルミア」


「ではルミア、君はたぶん私の敵ではないだろう。だから私を育てろ。見ての通り、大人たちは死んでしまった。私はまだ小さいから、1人で生きるには不都合が多い。君が私を育てろ。どうせ暇だろう?」


       ◇


 重い沈黙。

 アスラはグシグシとローブで涙を拭っている。

 誰も何も言わなかった。

 アイリスの小さな泣き声だけが響く。


「泣いているのは、私じゃないよ?」アスラが力なく笑った。「アイリスだよ。あと、私じゃなかった頃の私も泣いているかも」


 小さい頃の、無垢だったアスラ。


「さぁピエトロ。女中隊長の名前を言え。君はもう、自分がどうなるか知っているだろう? 無駄に苦しむことはない。私は君とは違う。戦争は好きだが、平和なところにいる連中を理由もなく地獄に引きずり込みたいとは思わないし、拷問も目的があるから行うだけだよ。君が話せば、楽に死なせてあげるよ?」


 アスラは立ち上がって、ルミアの背中のクレイモアを抜いた。

 そしてピエトロの横に移動し、クレイモアを額の前で構える。

 中央剣術の正統派。ルミアに教わった構え。


「待って、ねぇ待って」アイリスがアスラの肩に触れる。「あんた……アスラが酷い目にあったのは分かった。あたし、こいつらが酷い人間だってことも分かった。でも、それでもアスラ、復讐なんてダメだよ……。復讐は何も生まないじゃない……」


「知ってる」アスラが言う。「でもやる」


「待ってよ! ここで乗り越えなきゃ! アスラ前に進めないよ!? 気持ちは分かるけど! それでも!」

「うるさい!!」


 アスラは振り返りながらアイリスにクレイモアを叩き付ける。


「お前に気持ちが分かるわけないじゃないか!!」


       ◇


 アイリスは愛されて育った。

 温かな家庭で、正義を教わって育った。

 人を簡単に殺しちゃいけないということも教わった。

 だから片刃の剣を選んだし、自衛のためでない限り、これは抜かないつもりだった。


「うるさい!!」


 殺される、とアイリスは思った。

 アスラの殺意は本物で、そして本物の殺意を叩き付けられたのは生まれて初めてのこと。

 本能的に、アイリスは柄に手を置いた。

 アスラがアイリスの首を叩き落とすよりも速く、アイリスは抜刀し、アスラの斬撃を受け止める。


「お前に気持ちが分かるわけないじゃないか!!」


 英雄になったのは、自分が強かったのもあるけれど、みんなを守りたかったから。

 人類を脅威から守りたかったから。

 その中には、アスラ・リョナだって含まれている。


「待って! 落ち着いて! ごめん!」


 気持ちが分かる、と言ってしまったのは軽率だった。

 アスラは我を失って、何度もアイリスを斬り付ける。

 アイリスはそれを全部ガードするけれど、


 やばっ、この子、普通に強いっ!


「地獄を見たことないくせに!!」


 まるで小さい子の癇癪のように、アスラは泣きながら剣を振っていた。


       ◇


「止めた方がいいのでは? 団長は珍しく、理性を飛ばしているようですが?」

「つか、団長強くねーっすか? 英雄圧倒してねーっすか?」

「……これ、最悪……殺しちゃうんじゃ……?」


「作戦行動中なのにね」ルミアは溜息を吐いた。「てゆーか、アスラが弱いわけないでしょ? わたしが剣術教えたのよ?」


「副長、自慢気に言わないでください。まずいのでは?」

「さすがに、これでアイリス殺しちまったらどうしょーもねぇっすよ?」

「……取り乱した団長、初めて見た……」


 アスラとアイリスは今もずっと斬り合っている。

 アスラが攻撃して、アイリスが防ぐという構図。


「バカねぇ」ルミアがやれやれと首を振った。「今のアスラなんて少しも怖くないわ。ただわたしと同じぐらいの剣術を使うだけでしょ?」


「それは脅威ですが?」

「脅威っつーか、相手にとっちゃ悪夢だな」


「そうでもないわよ。普段のアスラなら、魔法を混ぜるし、他にも色々、周囲の道具を使ったり、トリッキーなことをするでしょ? 剣しか使わないなら、少しも怖くないわね」


「ああ、なるほど」マルクスが納得したように頷く。「団長は今、魔法兵ではなくただの剣士に成り下がっているわけですね?」


「そ。我を忘れて、今持ってる武器しか見えてないの」

「……それでも、アイリスより強くない? ……アイリス死なない?」


 イーナが少しだけ首を傾げた。


「アイリスは英雄よ。最初の一撃を止めた動きができれば、負けないわよ。それに、ここでアスラを跳ね返せないなら、最初の《魔王》討伐で死ぬわ」


 アイリスは本気じゃない。

 いや、正確には本気なのだが、身体が強張っている。

 本物の殺意に怯えていて、本来の力を出せていない?

 あるいは迷っているようにも見えた。


「アイリスがすでに闘気を使えるかどうかが、運命の分かれ道ね」


「闘気って、何ですか?」とサルメ。


「闘気は身体を巡って、本来の力を出させてくれるものよ」


「闘気放つと強くなる?」とレコ。


「違うわ。あくまで本来の力が出せるだけよ。例として、アスラの最大戦闘能力が100だとするでしょ? でも、普段その力を全部出せるわけじゃない。コンディションもあるし、状況もあるし、最大の能力が出せるのなんて人生でほんの数分とかじゃないかしらね?」ルミアは淡々と言った。「でも闘気を使えば、常に100の力を出せるの。だからまぁ、元々が50の人なら、闘気を使っても50だから大したことないわね」


「やはり結局のところ、強くなるには日々の鍛錬ということでありますな。楽に強くなれると思うなよ、サルメ、レコ」


 マルクスが言って、サルメとレコが頷いた。


「それに、俺らは基本的に闘気を使わねぇし、覚える必要もねーよ」

「……そう。あたしたちと、闘気は……相性最悪」


 そして。

 アスラとアイリスの戦いに変化があった。


「化けたわね」

「そうですね。これがアイリスの闘気ですか。荒々しいアクセルと違って、ずいぶん穏やかですが」

「あ、これもう団長無理っすね。やっぱ英雄強いわー」

「……あーあ、やっぱ英雄って……普通に戦ったら勝てないね……」


 団員たちの壮大な手の平返しだった。


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