EX62 それは詫びとは言わないけれど 私は君らに興味が失せた
「あー、いいねー、気持ちいいよー」
アスラは蕩けた声を出した。
ここは《月花》の拠点の古城。と言っても、今はリフォームが進んでいて、古さはあまりない。
今後は傭兵国家《月花》の帝城となる城、皇帝の私室。つまりアスラの部屋。
アスラはベッドにうつ伏せで転がっている。
シャツ一枚に下着というラフな格好だ。
「団長殿に喜んで頂けて、わたくしめも嬉しく思います」
執事であり、総務部長でもあるヘルムートが言った。
ヘルムートはアスラの背中を指圧していた。
「総務の仕事はどうだい?」
「人員を増やしたいですな。執事見習いを探しても?」
ヘルムートは見た目30代後半のイケメンだが、実際には60歳を超えている。《月花》で飼っている魔物クロノスの特殊スキルで若返ったのだ。
黒髪のオールバックで、目付きが鋭い。服装は燕尾服。
「いいとも。人の数が増えてきたからねぇ」
ティナとラッツがそれぞれ自分の補佐官を2人ずつ用意した。その2人の家は現在、城下町の予定地に建設中。
家が建つまでの間は城に住まわせている。
「それにブリット嬢は、もはや通信専門のようになっていて、実質わたくしめとメルヴィお嬢様だけで回しているようなもので……」
団員の手が空いていれば、総務部を手伝うこともある。
ただ、今はアスラ、マルクス、レコ以外は西フルセンのトラグ大王国で任務中だ。
そしてアスラとマルクスも、近日中に東フルセンの蒼空騎士団本部に向かう。そしてしばらく滞在することになる。
「ブリットは確かに忙しいだろうね。よし、思い切って3人ぐらい一気に増やしたまえ。今ならお金も割とあるし、私らは結構、稼げるからねぇ」
「ありがとうございます。ではその方向で」
喋りながらも、ヘルムートはマッサージを続けている。
と、アスラの私室のドアを誰かがノックした。
「入れ」とアスラ。
「失礼します」
入って来たのは国家運営大臣のラッツだった。
ラッツはグレイのスーツを着こなしている。
「どうした? 何か問題かね?」
国家の運営については一任しているので、余程のことがないと、ラッツはアスラのところに来ない。
「魔物殲滅隊の者が2人、来ています。我々、傭兵国家《月花》に詫びを入れ、停戦したいとの趣旨です。戦争に関して、自分には権限がないと思いますので、報告に来ました」
「なるほど。君はどう思う?」
「停戦には賛成ですね」ラッツが淡々と言う。「我々は現在、国家の形成中です。揉め事は少ない方が望ましい。それに、正規の団員たちにはもっと仕事をして稼いで頂きたい。余計な戦闘に首を突っ込むことなく」
「素晴らしい意見だね。よろしい。その方向で話をしたまえ。停戦1年につき、100万ドーラ払うように言いたまえ」
「100万!?」ラッツが驚いて言う。「それでは話がまとまるとは思えませんが!?」
「おいおい、連中は私らと敵対してるんだよ? 本来なら問答無用でぶち殺してもいいんだよ? 今後も魔殲として活動したいなら、そのぐらいは払って欲しいね」
アスラとしては、それで隊員全員の命が買えるのだから安いだろう? と本気で思っている。
「いえ、しかし団長、魔殲は金持ち団体ではないので、年間100万ドーラは難しいかもしれません……」
「だったら殺すだけだよ。いいかいラッツ? 《月花》と敵対しても詫びを入れたら許してもらえる、なんて噂が広まっちゃ迷惑なんだよ。停戦したいならそれなりの誠意を見せてくれなきゃ」
以前のアスラなら、停戦なんて絶対に受け入れなかった。実際、魔殲とは最後の1人まで戦うつもりだった。
別にアスラが丸くなったわけではなく、ラッツの言葉が正しいと思っただけのこと。
今の《月花》は傭兵団ではなく国家としての基盤を作っている最中で、団員たちにはもっと金を稼いで貰いたい。
金はいくらでも欲しいのだ。
よって、些細な揉め事で金が毟り取れるならそれもいい。
「ふむ……。ひとまず100万で交渉するとして、いくらまでなら値段を下げてもいいでしょう?」
「80万ぐらいでどうだい?」
「それでも厳しいですが、まぁ交渉してみましょう」
「ダメだったら言っておくれ。次の仕事に出る前に、連中を皆殺しにして終わらせてくるから」
金が入るならそれでもいいけれど、入らないのなら、予定通り楽しく殺し合いをするだけのこと。
「ああ、でも、トリスタンは収穫するにはまだ若いなぁ……」
それだけが、引っかかる。
もっと大事に育てたい。トリスタンには才能がある。もっともっと成長して、それから殺し合いたい。
きっと楽しい。
そもそも、未だに魔殲を全滅させていないのは、トリスタンがいるからだ。
時々、どこかで偶然に出会った魔殲の隊員を殺す程度のことしかしていない。
「よし、トリスタンのことも気になるし、私も一緒に交渉しよう。謁見の間に通しておいて。マッサージが終わったら行くから」
「了解です団長」
ラッツは踵を返してアスラの部屋をあとにした。
「あー気持ちいいー、執事、焦らずいつも通りで頼むよ」
「ええ、もちろんでございます」
◇
傭兵国家《月花》の帝城、謁見の間。
大々的なリフォームで、謁見の間は特に綺麗になっていた。
白い壁に金の装飾。柱も白に金の装飾。シャンデリア型のキャンドル。火を灯すのに脚立が必要なタイプ。あまり実用的ではないが、派手ではある。
更に、壁にもキャンドルが等間隔で並んでいる。こちらは大人の男が背伸びをしたら火を点けられる高さだ。
メルヴィが脚立を使って火を点けたり、蝋燭を交換している姿は微笑ましい。
床はピカピカに磨かれていて、謁見の間から玉座までは高価なレッドカーペットが敷かれている。
そして、玉座のシートは白色で、足の部分や肘掛けなどはやはり金色だった。
「どうしたもんかねぇ……」
アスラは黒いローブ姿で、その煌びやかな玉座に座っている。
明らかに服装が合っていない。しかも、ローブの下はシャツと下着という軽装。ともすれば露出狂の真似事ができるような格好なのだ。
ちなみに、玉座も謁見の間も、デザインは全部ティナとラッツに任せていた。そしてリフォームが完成したらこの豪華さである。
玉座に座る用の綺麗な服、用意しようかな、とアスラは真剣に思った。
ドレスは何着か持っているけれど、《月花》の正装はこのローブである。
いや、とアスラは思い直す。
このローブが《月花》の証でもあるのだ。変える必要はない。
コホン、とアスラの隣に立っているラッツが咳払い。
ちなみに、ティナはお米村の中心地に建設中の交易所を視察に出ている。
交易所だけでなく、そこに住む人々の家も建設中である。
「あー、君ら魔殲が私らと停戦したいって話だっけ?」
アスラはレッドカーペットに並んで立っている魔殲の2人を見た。
男女のペアで、2人とも30代前半。
「その通りだ」男が言う。「俺たちはもう、これ以上の戦闘を望まない。《月花》のドラゴンに関しても、特例として認める」
「おや?」とアスラ。
「わたしたちの目的は魔物退治であって、人間との戦争ではないのです」女が言う。「よって、ドラゴンを特例とすることで、矛を収めて欲しいのです」
「詫びを入れに来た、と聞いたんだけど?」
アスラはキョトン、と首を傾げた。
「ああ。だから、そちらのドラゴンは特例として認めると、そう言っている」
「んん?」アスラは逆側に首を傾げた。「詫び? おかしいなぁ、私の知ってる詫びとちょっと違う気がするけど、ラッツ?」
「えぇ……その、魔物殲滅隊においてはですね」ラッツが言う。「魔物の存在を認めることは、何にも代えがたい最上の譲歩である、ということかと」
「譲歩と詫びは違う気がするけど、まぁ細かいことはいいや」アスラが笑顔を浮かべる。「君らに質問。トリスタンは元気かい?」
アスラが言うと、男女は顔を見合わせて、それから男の方が「辞めた」と言った。
それを聞いて、アスラは急激にどうでも良くなった。
大切な果実であるトリスタンがいない魔殲なんて、チーズのないピザみたいなものだ、とアスラは思った。
「ああそう。じゃあ、停戦1年につき、君らが私らに100万ドーラ納めること。それで停戦してあげるよ」
男女は最初、何を言われたのかサッパリ分からないという様子だった。
「100万ドーラで1年だけ停戦してあげる、と言ったんだよ。その後も、毎年100万ドーラ払う限り、君らに手を出さない。いい取引だろう?」
「ふ、ふざけるなお前!!」男が叫ぶ。「100万ドーラだと!? そんな大金、我々に払えるはずがない!!」
「しかも毎年って……」女の表情が引きつる。「一回だけでも、キツい金額なのに……」
「では死ね」
アスラの声は酷く冷たかった。あんまりにも凍えそうな声だったものだから、男女はビクッと身を竦めた。
「最初の100万は40日以内に払いたまえ。君らが全力で魔物を狩って、その毛皮や牙や骨を売れば、なんとかなるだろう?」
アスラの声は冷たいままだった。もうどうでもいいのだ。交渉する気すらなくなった。100万払うか、そうでなければ全滅させる。
「け……検討させてくれ。帰って相談する……」
男は酷く悔しそうに言った。
だがアスラの言葉通り、全力で魔物を狩りまくれば、100万ドーラは払えない額じゃない。彼らの戦闘能力が足りた上で、体力が十分にあれば、という注釈も必要だが。
「今、決めたまえ」アスラが言う。「私はもう、君らに興味がない。気長に待つつもりもない。トリスタンという果実が消えた以上、魔殲を残しておく価値もない。金を払って生きるか、そうでなければ死ぬか。一応言っておくけど、払わないなら君らは生きて帰れない。ついでに、君らの酒場も明日にはこの世から消える」
アスラはすでに、魔殲のたまり場を知っている。
あんな酒場、ゴジラッシュの熱線でパッと消滅させられるのだ。
「いや、明日と言わず、このあとすぐに消滅させてもいい。選べ」
アスラが淡々と言った。
男は俯き、拳を握って震わせた。
だが何もできない。分かっているのだ。アスラに勝てないと。魔殲最強だったチェーザレですら、殺されてしまったのだ。
更に男は竜王種のことも知っている。《月花》が竜王種を使って、貴族軍を壊滅させたことも。
戦力に差がありすぎるのだ。
現時点で、《月花》に対抗しうる勢力は《天聖神王》率いるイーティスと、英雄たちぐらいである。
「私は最初にルールを伝えたんだよ? どっちかが全滅するまでやるんだって、ちゃんと教えたんだよ? トリスタンから聞いてないかな?」アスラが言う。「そのルールを曲げてあげるんだから、生半可な誠意じゃ私は納得しない」
女が「払いましょうよ」と男を説得にかかった。
「きっと、みんな分かってくれる」とか「40日、みんなが全力で狩れば、きっとお金は用意できる」と必死な様子で言っている。
そりゃそうだ。断れば死ぬのだから、必死にもなる。
アスラはそんな2人の様子をぼんやりと見ていた。
思考はすでに、次に任務に飛んでいた。
落ちこぼれの教育とか、絶対に私向きの仕事だよね!
ああ、早く行きたいなぁ!
「40日後に、必ず持ってくる……」
男が絞り出すような声でそう言った。
「ん? ああ、うん。どっちでもいいよ」アスラは思考を現実に戻した。「死ぬのは君らだし、好きにしたまえ」
アスラの言葉が終わると、ラッツが男女を謁見の間の外まで見送った。
目を瞑って、小さく息を吐く。
そして目を開くと、ナシオが立っていた。
「……夜這いには早い時間だと思うけれど?」
「やぁ久しぶり! 愛してるよ!」
「うるさい死ね」
「ちょっと話がしたくてさ」言いながら、ナシオはグルッと周囲を見回した。「ずいぶん変わったね、ここ」
「まぁね。それで? 依頼なら受けてやらないよ?」
「いや、普通に話がしたいだけ」
「ふむ。まぁいい。私も君には聞きたいことがいくつかある。君、自分と繋がりのある者のところにしか出れないはずだろう? 厳密には親族とセブンアイズかな?」
「それがね」ナシオが言う。「愛する者の近くにも出られるみたい。たぶんずっと、そうだったんだろうけど、家族以外を愛したのが初めてだから」
要するに、すでに繋がりのある者しか愛していなかったということ。
「……よろしい、性的な意味で私を襲いに来たら容赦なく殺す。肉体を変えたら、新しい肉体も殺してやる。分かったかね?」
アスラが言うと、ナシオはニコニコと笑いながら頷いた。
「それで?」アスラが言う。「他にも聞きたいことはあるけれど、そっちの話を先に聞こう」
「うん。お願いなんだけど、スカーレットの統一を邪魔しないで欲しい」
ナシオはとっても真面目な表情で言った。