4話 久々のイージス 【血染めの桜】は今日も綺麗に咲いている
ノーラ・シューマンは誰に剣を習ったわけでもない。
我流で振っているのだ。
ノーラは元々、鍛冶職人の娘で、幼い頃から剣に慣れ親しんできた。試し斬りだって何度も行った。
英雄になる前は、人間で試し斬りをしたことも。
そう、つまり、剣を扱うことに慣れている。どう斬ればよく斬れるのか、どう振れば対象が斬れるのか、ノーラは経験的に知っている。
だから、剣を習う必要がなかった。
特に、型を固定されるのは嫌だった。ノーラは色々な大きさの剣を造る。だから、それぞれ扱い方が違うのだ。
まぁ、個人的に好きなのは大きな剣だけれど。
そして今、自分の中で最高傑作とも呼べるノーラエッジが完成し、とってもいい気分だったのだ。
さっきまでは。
アスラの攻撃を躱すために、身軽になる必要があった。
だからノーラはノーラエッジを手放してしまった。
拾おうとそちらに視線をやった瞬間、7枚の花びらが地面に落ちた。それが魔法だと、ノーラは察する。
花びらはノーラとノーラエッジの間に落ちている。
ああ、踏んだらきっとヤバいやつだね、とノーラが思考した瞬間。
アスラが踵を返して逃げ出した。
「はぁ!?」
ノーラは素っ頓狂な声を上げる。
「ふざけんなこら!」
追いかけようとして、だけど思いとどまる。
まずはノーラエッジだ。武器がないとアスラを殺せない。厳密には、素手でもノーラは戦える。でも剣の方がいい。
闘気を仕舞い、花びらを避けて、大回りしてノーラエッジを拾った頃には、アスラは群衆に紛れていた。
「逃げんのかよ! それでも傭兵団の団長様か!? アタシが怖いのか!?」
ノーラが言うと、遠巻きの群衆たちの肩を蹴ってアスラがジャンプした。
そして空中のアスラが笑顔で手を振る。
「舐め腐りやがってぇぇぇぇ!!」
ノーラは再び闘気を使用し、アスラがジャンプした方へと向かった。
群衆たちの表情が引きつったが、ノーラは気にしなかった。
「邪魔だよクソども!! どけぇぇ!!」
ノーラは群衆たちをまとめて10人は斬り殺した。
これは王命の遂行上、仕方ない犠牲である。少なくとも、ノーラはそう思っている。
群衆たちが悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすようにノーラから離れた。10人前後の死体だけを残して。
もちろん、その死体の中にアスラの姿はない。
でもノーラは知らないのだ。今、ノーラが殺した者たちが誰なのか。
ノーラが殺したのは全員漏れなく奴隷解放反対派。つまり、立場的にはノーラの仲間である。
しかも有力者が交じっていたことを、ノーラは知らない。アスラに誘導されたことを、ノーラは知らない。
アスラにとってはサービス。有力者をついでに始末してあげたよ、あは! ってなもんである。
「こっちだよ」
キョロキョロと周囲を見回していたノーラに、アスラが声をかけた。
アスラは民家の屋根の上。
「やっぱり噂通りの卑怯者だったねアンタ! ムカつく!!」
ノーラがアスラに向かって飛び上がる。
その瞬間、アスラは自分の周囲に無数の花びらを展開した。
アスラ式イージス戦闘システム【血染めの桜】。
ノーラはこのまま突っ込んだら危険だと察知したが、もうすでに飛び上がったあと。
苦渋の決断だった。
ノーラはノーラエッジを突き出して、花びらに当てる。
そうすると、ノーラエッジが爆発。その衝撃で、ノーラは地面に落ちる。
落ちると言っても、ちゃんと着地して、即座に飛び退いて体勢を立て直した。
「アタシの剣が……」
ギリッとノーラが唇を噛んだ。唇から血が出るほど強く噛んだ。
花びらの爆発で、ノーラエッジの先端は完全に破壊されてしまった。
「ほう。さすがは英雄。咄嗟に剣を犠牲にして避けたか。まぁ、そのぐらいはみんな考えるけど、実際にそれができるのは一握りだよ。いい反射神経だね」
アスラはどこか楽しそうに、何かを分析するかのように言った。
実に、本当、実に癇にさわる。
「上から目線で嬉しそうに……。降りてきな! ぶち殺してやる!」
「君がきたまえ」
アスラは淡々としていた。挑発に乗るようなタイプじゃないのは、ノーラにも分かっている。
「どうした英雄? 私の魔法を潜れないかね?」
アスラがニヤッと笑う。
実に、実に、腹の立つ笑い方だ。人間を怒らせる方法を熟知しているかのような笑い方。
だが言葉は正しい。
ノーラはどうすればいいのか分からない。
石を拾って投げる?
拾っている間に何かされる。
剣を投げる?
ダメだ。ノーラエッジは修理するのだ。これ以上のダメージは望まない。
「君は剣を大切にしているようだけど、その剣、平凡な剣だよね?」アスラが言う。「なんで大事なんだい? 誰かの形見かね? そこらの武器屋で買えるような、何の価値もなさそうな剣だけど、君にとっては価値があるんだろう?」
「このガキがぁぁぁぁぁ!!」
ノーラはアスラの足場となっている民家にノーラエッジを叩きつけた。
どこを斬れば家が壊れるのか、ノーラは知っている。
だから、何度か剣を振って民家を破壊した。
でも破壊が終わった頃には、アスラはもうそこにいなかった。
「ふざけるなクソガキ!! 戦え!! クソが!! 戦えクソが!! 卑怯者め!! アタシが怖いのか!! クソが!!」
ここまで思い通りに戦えないのは初めての経験。
アスラが卑怯な手段を使うのは知っていたが、ここまで虚仮にされるとは思っていなかった。
しばらく周囲を警戒していたが、アスラの気配はない。
「クソッ!」
ノーラが闘気を仕舞って、踵を返そうとした。
その瞬間、瓦礫の陰からアスラが踊り出て、凄まじい速度で抜刀。
こいつっ!?
今まで完全に息を殺して待ってたってのかい!?
こんな近くで!?
ノーラは闘気を使うと同時にノーラエッジでそれを受ける。無理な体勢で受けたせいで、バランスが崩れる。
アスラの追撃をなんとか受けるも、ノーラは崩れたまま。
このままでは、いずれやられる、という時。
背後から三日月型の衝撃波が迫ってきた。
躱し切れないっ!
ノーラは最悪、死にさえしなければいいと思考を切り替えた。
衝撃波はただ真っ直ぐ飛んで来ているだけで急所を狙わないが、アスラは狙う。
だからノーラはアスラの攻撃を受けることに集中。
「英雄を平気で殺そうとするとは、頭がおかしいとしか思えませんね」
三日月型の衝撃波を、ヨーゼフ・ヘルフルトが2本の長剣で受け止めようとして、受け切れないと悟ってすぐに上空へと逸らした。
「任務なら遂行するまで」
衝撃波を放ったであろう赤毛の男が言った。
◇
ちっ、完璧だったのに。
アスラは舌打ちして、1度ノーラから距離を取った。
増援に呼んだマルクスは素晴らしいタイミングでノーラを攻撃してくれた。
さすがうちの副長と褒めてやりたいぐらいさ、とアスラは思った。
そのぐらい、絶妙なタイミングだったのだ。
「大英雄候補のヨーゼフかね?」
アスラが言うと、「いかにも」とヨーゼフが仰々しく応えた。
ヨーゼフの戦闘能力はノーラより遙かに高い。さっきの動きだけで、それだけは理解できた。
ノーラだって弱いわけじゃない。平均的な英雄の戦闘能力だ。でも、やはり大英雄候補は頭1つ抜けている。
接近に関しても、気付かなかった。
厳密には、割と近寄られるまで気付かなかった。さすがに目の前に現れるまで気づかないなんてことはない。
「助かったよヨーゼフ」ノーラが息を吐きながら言った。「さすがのアタシも、今回ばかりは死ぬかと思った」
そしてノーラはマルクスの容姿をしっかりと確認。
ノーラの視線がマルクスに集中した瞬間に、ヨーゼフがアスラを警戒。
ヨーゼフには隙がない。ノーラも酷く安心した様子だ。
「めっちゃいい剣!!」
ノーラがマルクスの聖剣クレイヴ・ソリッシュを見て興奮した声を上げた。
「アンタそれ!! アタシに譲りな!! そしたら命だけは助けてやってもいい!!」
ノーラはすでに勝った気でいる。それだけ、ヨーゼフを信頼しているということ。
「断る」
マルクスは短く拒否を示した。
アスラは増援にマルクスだけを呼んだ。そしてそれは正解だったと確信。
レコやサルメ、ロイクは邪魔になる。ノーラだけが相手ならまだしも、ヨーゼフとの戦闘ではまだ彼らは足手まといだ。
「ああん!? だったらアンタをぶち殺して奪うだけさね!!」
ノーラが仕掛けようとしたが、ヨーゼフが左手に持った方の剣でノーラを制した。
「ノーラ。勝手な行動をしないでください。王命はデリアの抹殺であって、傭兵団と戦うことではありません」
「けどヨーゼフ! こいつら殺せば、あとは有象無象じゃねーか!」
「そうかもしれませんが、君が僕を待ち、そして二人で仕掛ければすでにデリアの首を取れたのでは? 無駄な戦闘をしなくても」
「何が無駄な戦闘だよ! ただ首を取るだけなんてガキの使いかよ! 助けてくれたのは感謝するけど!! アタシに命令すんな! 大英雄でもないくせに!! ただの候補だろうがまだ!」
喧嘩をしているのに仕掛けられない、とアスラは思った。
ヨーゼフがヤバい。最悪、エステル並か?
「どうであれ、ここは引きましょう。彼らは危険です。かのアクセル様ですら、腕を失った。中央の元大英雄ノエミは彼らに殺され、新たな大英雄であるエステル様も、もう戦いたくないと言ったほどの相手です」
「東や中央なんか知るかってんだヨーゼフ!」
「ノーラ、これ以上、僕を怒らせないでください」
ヨーゼフが凄まじい闘気を放った。アクセルの闘気によく似ている。優男の風貌からは想像もできないぐらい荒ぶった闘気。
「ほう、これは……」とマルクス。
私らの方から消えよう、とアスラはハンドサインを送った。
マルクスが小さく頷く。
「私らの仕事も、あくまで護衛でね」アスラが言いながら後ろに下がる。「大英雄候補と戦うことが目的じゃない。まぁ、君は私らを舐めていないし、今日のところはこっちが引いてあげるよ。でも、デリアを殺す気ならまた相まみえるだろうね」
言い終わると同時に、アスラは建物の屋根に移動。そのまま姿を消す。
マルクスも同じように姿を消した。
もちろん、姿と一緒に気配も消している。追って来れないように。
◇
「ノーラは割と普通に殺せるね」
「そのようですね」
隠れ家に到着したアスラとマルクスが、今日の天気を話す風に言った。
「英雄を普通に殺せると言えるあたり……」グレーテルが苦笑い。「団長様も副長も、若干アレですわね……」
「まぁしかし、重要な問題があります団長」とマルクス。
その真剣な表情に、グレーテルが息を呑む。やはり英雄を殺すのはまずい。
ええ、まずいに決まっていますわ。
だって、英雄を殺したら全ての英雄が敵に回る。
つまり。
可愛いアイリスが!! わたしの敵になってしまいますわっ!!
「サルメたちが真面目に訓練しているか心配です」
マルクスは至極真面目に言った。
グレーテルは口をポカンと開いて固まった。
英雄を敵にして、殺すだの殺さないだの言っている時に、訓練の心配?
「それは問題ないぞ」
アスラのローブから、金髪の人形が出てきた。
ブリットの人形だ。
「みんな真面目にやってる。副長が古城を離れる前に言った言葉が効いてるみたいだぞ」
「そうか」とマルクスが頷く。
「何を言いましたの?」
「うん? 見張っている。もしサボったらブリットを通して分かる。一人でもサボったら、連帯責任で全員ティナ送りだ」
「くっ、ある意味ご褒美っ!」
グレーテルは美しい少女が大好きだ。ティナも割と可愛い方なので、ティナ送りにちょっと興味あるグレーテルだった。
「っと、イーナから連絡だ」と金髪人形。
「……みんな、大変、軍が衝突しちゃった……。賛成派と反対派の……内戦……勃発」金髪人形がイーナの喋り方を真似して言った。「だそうだ」
「まぁ、遅かれ早かれそうなっただろうね。ふふっ、楽しくなってきた! デリア! デリア! 私らの任務は護衛のままでいいのかいっ!? 内戦だよ!!」
アスラはルンルン気分でデリアの方にスキップして移動した。