6話 わたしは日だまりで微睡む猫 恐れるほどじゃないの、本当よ?
派手なソファに、ルミアは腰を下ろした。
その部屋は贅の限りを尽くした、と表現しても過言ではない。パッと見ただけで高価だと分かる品々に囲まれている。
それに想像以上に広い。よくも地下にこれだけのアジトを作ったものだとルミアは再び感心した。
「儲かっているようね」
「はいジャンヌ様、おかげさまで、商売は上々ですね」
ピエトロがルミアの対面に座った。
ピエトロは30代半ばの男で、黒髪。あまり特徴がない。普通に街を歩いていても、犯罪組織の支部長だと気付けない。
中肉中背で、不細工でもなければ整った顔立ちでもない。強そうにも見えるし、弱そうにも見える。
ルミアとピエトロの間には、細かい装飾が施されたテーブルがある。
そのテーブルに、構成員の1人がティーカップを置いた。
このアジトには、ルミアと見張りの2人を入れて9人の人間がいる。
7人はフルマフィの構成員。外で見張りをしている2人以外は全員幹部だろう、とルミアは思った。
残りの1人は、善人。
全裸に剥かれて、床に転がっている彼女の青い髪は、酷く乱れている。
かなり痛めつけられたのが、彼女の身体を見て分かる。
彼女は動かない。生きているのか死んでいるのかもあやふや。
「その女は?」
「はい。憲兵団の団長です」
「なぜここに?」
「そいつが団長になってから、憲兵が俺らを突く回数が増えたもんで」ピエトロが作り笑いを浮かべる。「それで、警告なんかも何度か出したんですけどね、こいつらとうとう、うちのカジノを摘発しやがった」
「摘発?」
「いえ、すんません。本当は壊滅です。皆殺しですわぁ。けど、憲兵の仕業とは思えねぇ。いえ、憲兵が現場にわんさか居たのは確認したんっすわ。けど、皆殺しって、憲兵はやらねぇっしょ? んでも、俺らも報復しなきゃいけねぇんで、こいつ拉致って、実行した奴知ってるか聞いたんっすわ。そしたら、なんと傭兵雇ったって言うから驚きっしょ?」
ピエトロはやや弾んだ声で言った。
それが少し、ルミアを苛立たせた。
「何か面白いかしら?」
ルミアが睨むと、ピエトロはビクッと身を竦めた。
「すんません……。その、傭兵団にもキッチリ報復しますんで……」
「方法は?」
「はい。こいつの身柄と交換するってことで、連中を憲兵に捕まえさせました。それで……」
「交換場所で待ち伏せ、一気に殺すのね?」
「さすがジャンヌ様。その通りです。うちの連中みんな集めたんで、ボチボチいい報告が聞けると思いますね」
「じゃあ、あまり時間がないわね」
ルミアは溜息混じりに言った。
そんな誰でも思い付くような方法でアスラを打ち倒せるはずがない。
傭兵団《月花》を潰せるはずがない。
「時間、ですか?」
「そう。時間がないの。もうすぐあなたたち死んでしまうもの」
ルミアが微笑むと、ピエトロの顔が真っ青になった。
「ジャンヌ様! カジノの件なら、すぐに挽回しますんで! どうかチャンスを!!」
ルミアはピエトロを無視してお茶を一口飲んだ。
あんまり美味しいものだから、続けて飲んだ。
そしてティーカップを置く。
「わたしね、クズが嫌いなの。でも、殺さずに済むならその方がいいと思っているの。本当よ? だから祈って。シルシィ団長がまだ生きていることを祈って」
「な、何かまずかった……ですか?」ピエトロがシルシィに視線を送る。「まだ死んではいないと、思いますが……」
「そう。生きているのなら良かったわ」ルミアが微笑む。「だったらお話をしましょうピエトロ。まずわたしは、あなたたちのジャンヌ様じゃない」
「……は?」ピエトロが目を丸くする。「でも、死の天使……」
「わたしは傭兵団《月花》のルミア・カナール。ジャンヌじゃないのよ。それでね、聞きたいことがあるのだけど、答えてくれるかしら?」
「いや、テメェ、ふざけんなよ! 傭兵団《月花》つったら、俺らのカジノ潰した連中じゃねぇか!! おいこのアマぶち殺せ!!」
ピエトロが叫ぶと、近くの構成員が剣を抜いた。
「【神罰】」
ルミアが淡々と言った。
次の瞬間には死の天使が舞い降りて、剣を抜いた構成員を刻み殺した。
彼を構成していた数多の肉片が床に散らばり、血の海を創造する。
「わたし、ジャンヌじゃないと言っただけよ? 死の天使がまがい物だと言ったかしら? ねぇピエトロ。死体と話す趣味はないの、わたし。お話しできるでしょう?」
その凄まじい光景に、誰もが固まった。
まるで時間が止まってしまったかのように。
「……あ、あんた誰なんだよ」ピエトロが言う。「あんた、それ、ガチで死の天使じゃねぇか……。あんた、ジャンヌ様じゃないなら、マジで誰なんだよ……」
「すでに名乗ったわ」
ルミアが肩を竦め、天使が消える。
「それで聞きたいことなのだけど、あなたの上には誰がいるの? 嘘を吐いたら殺すわ。言うのを戸惑っても殺す」
「……ゴッドハンド」
「神の手? それはどんな役割?」
「俺らは、リトルゴッドは国単位の長だが、ゴッドハンドは地方単位の長だ……」
「じゃあ3人いるのね? 東と西と中央にそれぞれ?」
ルミアの質問に、ピエトロが頷く。
「その上は? もうジャンヌに辿り着くのかしら?」
「いや……ゴッドハンドをまとめてるのは、寵愛の子……」
「寵愛の子? その子の情報を」
「……ジャンヌ様の寵愛を一身に受けているガキだ」
「もっと詳しくよピエトロ。お願いだから手間を取らせないで」
「クソッタレ、なんだってんだよクソ。寵愛の子の見た目は14歳かそんぐらいの女だが、ゴッドハンドが言うには17だ。んで、ジャンヌ様とだいたい一緒にいるってよ。一度だけ、珍しくゴッドハンドと一緒に会合に来てたのを見たが、小生意気そうなツラした赤毛だ。個人的に話はしてねぇ。声は可愛い感じで、小生意気そうな印象とは違って、微笑みながら労ってくれた。俺個人じゃなくて、俺らリトルゴッドを、だけどな」
「赤毛で年齢より若く見えるのね?」
「クソ、髪の長さは肩ぐらい! んで、腹が見えてる服! 変な服だ! それしか知らねぇよ!」
「なるほど」
その少女について、ルミアはまったく心当たりがない。
そもそも年齢が合わないし《宣誓の旅団》とは関係ないわね、とルミアは思った。
ピエトロがふぅーと長い息を吐き出す。気持ちを落ち着かせているのだ。
「……聞きたいことは、それだけか? 終わったなら、頼むから出て行ってくれ。シルシィも自由に連れて行っていい」
「まだよ。ゴッドハンドの名前を言って」
「東のしか知らねぇ……」
「いいわ。言って」
「ミリアム……ファミリーネームは知らねぇ」
「黒髪で背の高い女? 30歳を過ぎたぐらい?」
「なんで知ってる?」
ピエトロは驚いたような表情を見せた。
「ミリアムが《宣誓の旅団》のメンバーだったからよ」
「……あんた、《宣誓の旅団》なのか? だったら、ジャンヌ様の部下だろ……」
「違うわ。わたしの上司はアスラだけ。他はない。わたしがかつて、《宣誓の旅団》だったとしても、今は違う。それでもまぁ、気にはなるわよね。ジャンヌの名前を出されたら」
ルミアは笑ったけど、少し虚な笑いだった。
「噂は聞いていたのよ。ジャンヌが犯罪組織を束ねてるって。でも、放っておいたの。だってそうでしょ? ジャンヌの名は、今では大罪の象徴。忌むべき者。犯罪者には都合のいい名前。でしょ?」
「ジャンヌ様が、騙りだってのか……?」
「でも、英雄たちまで疑って追っているとなると、信憑性が増すわ。そしてミリアム。ゴッドが本当にジャンヌかどうかは置いておいても、《宣誓の旅団》の関係者である可能性は高い。みんな散り散りになったけれど、今どうしているのか、時々は気にしていたの。犯罪組織に落ちぶれたのなら、とっても悲しいわ」
だからルミアはここに来た。
アスラよりも先に。
情報を得るために。
憲兵のヌルい尋問ではきっと何も得られない。
もっとも、
ピエトロは尋問前に死ぬ。それだけは間違いない。
アスラが絶対に殺す。絶対に。ルミアがピエトロと話す時間はまずない。
ルミアがピエトロから情報を引き出すには、アスラより先に聞くしかなかった。
「あんたは……昔の仲間に天誅でもする気か……?」
「どうかしら? 知りたかっただけなのかも」
「言っとくけどな」ピエトロがルミアを睨んだ。「あんただって落ちぶれてる。金と引き替えになんでもやる傭兵で、【神罰】振りかざして俺の仲間殺して、あんただって十分落ちぶれてんだよ」
「そうね」
ルミアは肯定した。
「わたしね、本当は【神罰】があまり好きじゃないの。アスラはわたしが忌み嫌っていると言ったけど、そこまでじゃないの。ただ好きじゃないだけ。だってみんな、死の天使を見たらわたしをジャンヌだと言うでしょう? それに、つまらないの。みんなすぐ死んじゃうから、普段は使わないようにしてるの」
「やっぱ、あんたが一番落ちぶれてるぜ。戦闘好きの傭兵さんよぉ。《宣誓の旅団》はどう繕ったって戦闘狂の集まりってこったな。もう用がないなら消えてくれ」
「そう。戦闘が好きなのわたし。たまらないの。そんな自分を認めたくなかったし、認めなかったけれど。アスラは見抜いていた。わたしを愛しくもおぞましいと言ったわ。その通りね」
「おい! 自己陶酔ならどっか違うとこでやってくれ!」
「テルバエのテントに火を放った時、心が躍ったわ」ルミアはピエトロを無視した。「マティアスと対峙し、刃を交わした時には少し濡れたの。内緒よ? 純潔の誓いがなければ、わたしきっと酷いビッチだったわ」
「クソ! なんだってんだよクソ! 最悪の日だクソ!」
ピエトロが顔を歪める。
ルミアを排除したいけれど、絶対にできないと理解している。
「それはまだよ」
ルミアは急に冷静に言った。
ピエトロが一瞬、呆ける。
「あなたにとっての最悪は、これからやってくるの。もうすぐよ。わたしはそれを待っているの。それまで退屈でしょ? だから話をしているだけ」
「何言ってんだあんた、あんたより最悪なもんがあるかよクソッ」
ピエトロは何かを殴りつけたい衝動を必死に抑えている様子だった。
「バカね。自分が誰を敵に回したかまだ理解していないのね。あなたが過去に引き裂いた者が、誰なのか分からないのね。可哀想。わたしはあなたが、心底可哀想」
「問答なら司祭とでもやってくれや! 頼むから出て行ってくれ! お願いします!」
ピエトロは両手で拳を握り、小指側をテーブルに叩き付けた。
「事前情報をあげるわ。あなたはわたしを恐れているけれど、わたしはそれほど怖くないの。彼女に比べたら、わたしは日だまりで微睡む猫のようなもの。わたしが闇の中から這い上がれた理由知ってる?」
「知ってるわけねぇだろ……」
ピエトロはきつく拳を握っている。
ストレスで死んでしまわないか、ルミアは少し心配した。
「もっと深い闇を見たからよ。本当の暗闇と一緒にいたから。それだけなの。その闇が、あなたを食べに来る。ほら、足音がするでしょう? ほら、もうすぐよ。可哀想に。でも祈ってあげないわ。だってあなたは本当に酷いクズだもの」
ルミアの言葉が終わると同時に、ドアが蹴破られた。
先頭で入ったのはマルクスで、その後ろに他の団員たちも続いた。
見張りの男たちは叫ぶ暇もなく殺されたのだとルミアには分かる。
「おや? やっぱりいたか」
アスラがルミアを見て言った。
「ちょ、なんなのあれ……」アイリスが肉片を見て表情を歪ませる。「し、死体なの……?」
「あら? アイリスも一緒なのね」
ルミアはあまり驚いていない。アイリスは監視役。一緒でもおかしくはない。
「こいつ、俺ら助けようとしたんっすよ? 笑えるっしょ?」
「……むしろ邪魔だったけど……」
ユルキがニヤニヤと言って、イーナは小さく肩を竦めた。
「だって待ち伏せされてたのよ!? シルシィ団長と交換って言ったのに、そんなの卑怯でしょ!?」
「ま、あの程度の連中なら素手でも問題なかったね」アスラが笑う。「私たちには魔法もあったし、それに武器は連中が揃えていたから、途中で借りたしね」
「アサシン同盟の奴には逃げられちまったっすけど」
「副長、そこで倒れている女性はシルシィですか?」
マルクスは冷静に周囲を見回してから言った。
「そうよ。生きているみたいだから、連れて帰ってあげましょう」
「生きているなら、そうだね」アスラが言う。「えっと、フルマフィの連中はピエトロ以外は皆殺しにしていいよ。情報はもう、ルミアが全部聞いているだろうからね」
アスラはピエトロに視線を送ってから、ルミアの隣に座った。
アスラの視線で、団員たちはどいつがピエトロなのか理解。
そして部屋の隅で怯えていた残りの構成員たちを手早く始末。
「なんっすかこいつら、抵抗もないし、普通にもう戦意喪失してたっすね。これのせいっすか副長?」
ユルキが血溜まりに視線を送った。
ルミアは右手を上げてヒラヒラと振った。そうよ、という意味。正しく伝わったかどうかは分からない。
サルメとレコがシルシィに寄っていって、身体を揺すると、シルシィが小さく呻いた。
マルクスがシルシィに自分のローブをかけてやる。
アイリスは壁にもたれるように立って、特に邪魔するでもなく成り行きを見ていた。
口を出さないのは、こいつらがクズだと気付いたか、あるいは単に鞭打ちが堪えたのか。
「さてピエトロ。久しぶりだね。元気だったかい? ああ、もちろんそうだろう。うちの副長が現れるまでは、という注釈が必要かな?」
「……誰だ、テメェは……」
ピエトロも戦意を喪失している。
自分が死ぬことを認識し、全てを諦めている。
「寂しいことを言うなよピエトロ。10年前にバカンスを楽しんだ仲じゃないか。ほら、思い出して。君たちはジャンヌ・オータン・ララを探して小さな村にやってきた」
アスラが言うと、ピエトロはハッとした表情を見せた。
それからすぐに顔面蒼白になって、小刻みに震え始める。
「あん時の……」
ピエトロは声も震えている。
「俺らを……俺らを……」
ピエトロの呼吸が荒くなって、ちゃんと息ができていない様子。
「どうしたピエトロ? 落ち着きなよ。大丈夫だから。ほら、深呼吸だ、深呼吸。息を吸って、それから吐く。分かるだろう? やってみて」
ピエトロは言われた通りに深呼吸した。
それでも震えは治まらず、顔面も蒼白のまま。
「……俺らを……全滅させた……銀髪の幼児……?」
ピエトロが何を見たのか。
ああ、可哀想に、とルミアは思った。
誰だってそうなる。誰だってそう。
「厳密には違うだろう? 君らは2小隊10人と、中隊長が1人で、合計11人だった。私が殺したのは9人だよ。君と、あの女中隊長は逃げたろ?」
だって、
3歳の幼女が、
兵隊を次々に殺していくなんて悪夢以外の何でもない。
「……ああ、ちくしょう、本当に最悪の日だクソ……化け物みたいな女が来て、もっと酷いもんを連れて来やがった」
「失礼ね」とルミア。
「さぁ昔話をしようピエトロ。あの時の私が、まだ私が何者か知らなかった無垢な私が悲しくてたまらない。清算しないと今の私が感情に押し潰されそうなんだよ。前世じゃ散々サイコヤローと呼ばれたこの私が、まさか感情に振り回されるなんてね。皮肉だよね。全てを忘れて平和に暮らしていたというのに、君が、君たちが私を蘇らせてしまった」