1話 いざ大森林へ! アイリスとラウノの試験
大変お待たせしました、14章連載開始します! 今回は月曜・木曜の18時に更新します。
死の匂いがした。
アスラは床に転がって天井を見ている。
そんなアスラの視界に、スカーレットが映った。
「試して分かったのだけど、特別視されてた割には、大したことないじゃない」
スカーレットは少し笑った。
「いきなり背後から剣で刺されるとはビックリだよ」
アスラはヘラヘラと楽しそうに笑いながら言った。
アスラの腹部には、穴が空いている。
スカーレットが長剣で貫いたのだ。
「挨拶みたいなものよ」
「ああ、今からでもママに正しい挨拶を教わりたまえ」
「あたしのママはもういない」
「では私が教えてあげようか?」
「それって命乞い?」
スカーレットは上機嫌だった。
「まさか。今日、ここで死ぬなら、それはそれでいい。本当さ。君の暴挙をまったく予想できなかった私が悪い」
傷口が酷く痛む。
もちろん、すぐに【花麻酔】で処置したけれど、痛いものは痛い。
「それにしても、よく喋るのね。お腹を刺されたのに」
「とっても痛いけど、それがまたいいんだよね」
アスラも上機嫌だった。
次の瞬間にも死ぬかもしれない、という究極の危機がアスラの気分を高揚させていた。
「ただの変人ってことね」スカーレットが肩を竦めた。「あんたは何も特別なんかじゃない。あたしが殺してきた人々と同じよ」
「そりゃ光栄だね。私を普通の人として見てくれるなんて、君は天使か何かかね?」
「言い回しがムカつくって点を除けば、ね」
スカーレットがやれやれと首を振った。
「ああ、でもスカーレット、君は正しいよ」
「何が? 天下統一のこと?」
「いや、それはどうでもいい。好きにすればいい。私が言ったのは、私が特別じゃないってこと。君の言葉通り、私は普通の人間だよ。剣で刺されたら死ぬし、今も徐々に死につつある」
「その割には、元気そうよ?」
「そして大事なことだけれど、君もただの人間だスカーレット」
アスラの言葉で、スカーレットの笑みが消える。
「孤独で可哀想なスカーレット」アスラが言う。「君は特別ではない。特別である必要もない。今なら許してあげるから、私に謝れ」
「謝る? 一体、あたしがあんたに何をしたってのよ?」
「……いや、剣で刺したじゃないか」
「ああ、そんなの、躱せないあんたが悪いのよアスラ」
「私もそう思うけど、謝った方が君のためだと思う」
「どういう意味?」
「今後、私らを敵に回すのは得策とは言えない」
アスラが微笑む。
それは酷くおぞましい笑みで、スカーレットが少し驚いた。
「ああ、でも、君が望むなら私は君の敵になろう! 私としても、いつかは敵として君の前に立ちたいと思っていた! 傭兵国家としてイーティスに立ちはだかりたいと! きっと楽しい! それはとっても楽しいことだよスカーレット! 殺し合うんだ! 私たちと君たちで戦争しよう!! どいつもこいつも殺してしまおう!! 屍の山を築き、命の海を渡ろう!! きっと楽しいから!!」
アスラはおぞましい表情のまま、恍惚とした風に言った。
その姿が、あまりにも狂気に満ちていたので、スカーレットは寒気がした。
「今の言葉で、1つ分かったことがあるわ」スカーレットが言う。「あんたはやっぱり特別だってこと。特別クソヤローだってこと。死ぬべき人間だってこと。生きてちゃいけないタイプの人間だってこと」
「はん! そんなの誰が決めたんだい!? 勘違いするなよスカーレット! 君だってやってることは私と大差ないんだからね! 思想が若干違うぐらいだろう!」
「その思想が大事だって言ってんのよ。誰が好きで戦争なんかやるもんですか! 愚かな人間たちを統合管理するために、あたしの下で結束させるために、仕方なくやってんのよ!」
「ああ、愚かで可愛いスカーレット! そうやって心を潰しながら、孤独に戦い抜いた奴を私は知ってる! そいつはどうなったと思う!? 死んだよ! 私たちが殺した!」
言ったと同時に、アスラが血を吐いた。
「ふふっ、時間がなさそうだね」アスラが言う。「選べスカーレット、敵対するか、否か」
「あんたは死ぬべきよ」
スカーレットが新しい長剣を構え直す。
「残念だよスカーレット。私なら君の理解者になれるのに」
◇
14日前。
晴れた日の午後。季節は冬と春の境目。少し肌寒い感じ。
アイリスはゴジラッシュの背に乗っていた。
一緒に乗っているのはラウノとアスラ。
みんな空の旅には慣れたもので、割とくつろいでいる。
「それにしても、大森林か」ラウノが言う。「キンドラ捕獲の時に行ったけど、かなり危険だよね? どのぐらいの深さに僕らを捨てるつもりなのかな、団長は」
「人類未到の地」
アスラは淡々と言った。
ラウノが小さく首を振った。
アイリスは苦笑い。
「2人だけで、歩いて戻るのよね?」
「出発前にも言っただろうアイリス」アスラが言う。「それが試験なんだよ。君は不測の事態に弱いから、大森林の奥は大変かもね。ラウノと協力して戻ってきたまえ」
そこからしばらく沈黙して、3人は空の旅を楽しんだ。
まぁ、楽しそうな表情をしているのはアスラだけだが。
やがて眼下に大森林が見え始める。
遙かな緑の地平線。
しかし目をこらせば、いくつかの山が見える。
遠すぎて薄らとしか見えない。
「何度見ても圧巻だね、この風景は」とラウノ。
「私は優しいから、注意点をいくつか教えておこう」
「それはありがたいね。団長が優しくて僕は嬉しいよ」
「川の形を覚えておけ。道しるべになる」
アスラの言葉で、アイリスは大森林を流れるいくつかの川を指でなぞる。
川はかなりクネクネしている。覚えるのは大変だけれど、命に関わるのでアイリスも必死だ。
川は大切な水源だ。必ず立ち寄るし、なんなら川の流れに沿って移動してもいい。
ただ、魔物もまた、川で水を飲む。
「でもこれ、降り立ったら方向感覚が一瞬で狂うよね?」
ラウノも川の形を記憶しながら言った。
「そうだね。木に印を付けたり、風景の些細な違いを記憶したまえ。少し難しいがね」
「少し?」ラウノが表情を歪めた。「360度、どこを見ても木しかないのに? 高低差もほとんどないし、生えている植物だってだいたい同じだろう?」
「その上、道もないのよ」アイリスが言う。「足場悪いし、本当キツいと思うわ」
「でも食糧は豊富だよ?」とアスラ。
大森林のいいところを述べたのだ。
「ま、コンパス持ってるけどね」
アイリスがドヤァっとした表情で言った。
「食糧が豊富なのは確かにありがたいね」ラウノはアイリスをスルー。「最悪、遭難しても生きられる」
ラウノもアイリスもサバイバルの達人である。
「いや、戻りたまえよ」アスラが苦笑い。「私は君らにそれだけの教育を施したつもりだよ? ステイツ陸軍のレンジャー過程でも陸上自衛隊のレンジャー過程でも、君らは問題なく修了できるはずだよ」
「ステイツがお父さんの国だったかな?」とラウノ。
アスラはよく前世の話をするので、ある程度の用語をアイリスもラウノも他のメンバーも覚えてしまっている。
「そう。父の国。世界最強の軍隊を所有していた。ちなみに母の国は核兵器……という名の超強い兵器があるんだけど、それを持たない国の中ではもっとも強力な軍隊を保有していたよ。厳密には軍隊じゃなくて自衛隊だけど」
「両親の国からして軍事大国!」アイリスが言う。「それでお父さんが元兵士で傭兵、お母さんが戦場記者でしょ?」
「そうだよ。私の前世の家族構成ばっちりだね」
「最近、僕はその話、結構信じてるんだよね」
ラウノがニコニコと言った。
「アスラは嘘が得意だし、あたしは信じてないわよ?」
アイリスはツンと澄まして言った。
「信じるか信じないかは任せるよ。どっちでもいい。私にとっても、今となっちゃ夢みたいなものだからね。時々懐かしんで、酒の肴に話すぐらいのことさ」
言いながら、アスラはゴジラッシュの背中をバシバシと叩いた。
ゴジラッシュがゆっくりと下降する。
「この辺りでいいだろう」とアスラ。
「この辺りって、すごーく、遠い気がするんだけど?」
アイリスが引きつった表情で言った。
「真っ直ぐ北上して、森を抜けるのに10日ってところかな」とアスラ。
「そして森を抜けても中央フルセンの最南端」ラウノが言う。「拠点に戻るのに少しかかるね。馬を確保しても、ゆっくり戻ったら12日はかかるかな」
「拠点ってだってかなり北の方だものね」アイリスがげんなりした風に言う。「海の近くだもの……」
「なるべく早く戻るように。途中、イーティス領を通るけど喧嘩しないようにね」
「アスラじゃないんだから、するわけないでしょ」
「そうか。なら安心だよ。ほら、飛び降りろ。木が邪魔でゴジラッシュはこれ以上、下降できない。行け」
アスラに急かされて、アイリスとラウノは同時にゴジラッシュの背から飛び降りた。
アイリスが上手に地面に着地して空を見ると、木々の隙間から飛び去るゴジラッシュの姿が見えた。
「アスラって本当、容赦ないわね」
「僕たちが戻らなきゃ、助けに来てくれると思うけどね」
ラウノが肩を竦めた。
「まぁいいわ。水源確保のために、川の方に行きましょ、とりあえず」
言いながら、アイリスはコンパスをポケットから出した。
その様子を、ラウノがジッと見ている。
「何?」
アイリスが少しだけ首を傾げた。
まぁラウノに限って、アイリスにムラムラしたということはない。
ラウノは今でも幻の妻を大切に思っているのだから。
「いや、改めて見ると君って……」
「え? 可愛い?」
アイリスが少し照れた風に微笑んだ。
「そうは言ってない。迷子のご令嬢みたいだなって」
ははっ、とラウノが笑った。
アイリスの服装は普段通りだ。
髪型はサイドテールで、逆側の頭には小さな黒いカクテルハットを載せている。お気に入りなのだ。
服装もフリフリヒラヒラした服。ただし、温かい素材のインナーを数枚重ね着している。
背中の片刃の剣が異質に見える格好だ。
傭兵には見えないし、戦士にも見えない。当然、英雄にも見えない。
いつもと違うのは肩掛け鞄を装備しているという点と、腰にもポーチを装備している点。
「誰が迷子よ! 迷子になるのはこれからなんだからね!」
アイリスが怒った風に言った。
別に本気で怒ったわけじゃない。
傭兵との付き合いが長いので、割とすぐに冗談を返せるようになったのだ。
「精神的な迷子なら、いつでも僕に相談してね。若者の悩みは大好物」
ちなみに、ラウノの服装もいつも通りの黒いローブ。
いつもと違うのはバックパックを装備している点。
「今のところ、あたしは特に悩んでないわよ?」
言いながら、アイリスはコンパスを確認。
「そうだろうね。イーナも精神的に安定したし、若者の苦悩が見たいよ、僕は」
「すごいアレな発言だけど、ちゃんと助言くれるのよね、ラウノは」アイリスが言う。「で、川はこっちよ」
アイリスがコンパスを持っていない方の手で、行き先の方角を指した。
「オッケー。何事もなくスムーズに帰れるといいね」
◇
アスラが城に戻ると、なぜかレコが出迎えてくれた。
今日は午前中だけ訓練して、午後からはオフにしていたので、レコが何をしようと自由ではあるけれど。
アスラはゴジラッシュを中庭に下ろす。
「お帰り団長」
「ああ、ただいまレコ」
アスラはサッとゴジラッシュから飛び降り、それからゴジラッシュの身体を撫でた。
ゴジラッシュは嬉しそうに小さく鳴いた。
そしてそのまま中庭で丸くなる。
「ゴジラッシュは昼寝するみたいだね」とレコ。
「そのようだね。何か用事かね? ただの出迎えじゃないだろう?」
アスラがレコに並ぶと、身長が同じぐらいだった。
以前はレコの方が低かったのに、とアスラは少し悔しい気持ちになった。
「よく分かったね団長。イーナがナシオを攻撃しそうだから、早く謁見の間に来て」
「ナシオ?」
「そう。元貴族王のあいつが、依頼があるって訪ねてきた」
「1人でかね?」
アスラが問うと、レコが首を横に振った。
「メロディと、それから何か、変な時計も一緒」
「時計?」
「時計の魔物だと思う。とにかく、団長が戻るまで依頼については話さないって言って謁見の間に居座ってる」
「なるほどね。イーナはナシオに対していい感情はないだろうね」
アスラだってない。みんなそうだ。
月花対策委員会のボスは、ユルキを殺した者はセブンアイズだったのだから。
「あと、メロディがティナと勝負したいって言ってる」
「メロディが勝つだろうに」アスラが肩を竦めた。「ティナは強いけど技術がない」
「ほら、早く行こう!」
レコがさり気なく右手を差し出した。
アスラはその手をパシンッ、と叩く。
「当たり前みたいに私と手を繋ごうとするな」
「ちっ」とレコが舌打ちした。
「いいから君は私の小太刀を持って来い」
「ナシオ殺すの?」
「どうかな? 念のためだよ」
アスラは小さく息を吐いてから、謁見の間へと向かった。