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4話 処女を捨てろ 私が優しく指導してやろう


 アイリス・クレイヴン・リリは地獄を見たような気がした。

 皆殺しだった。

 あまりにも酷すぎる。人間の所業だとは思えない。

 アクセルから監視の命を受け、アイリスは《月花》を見ていた。

 彼らは開店前の闇カジノに乗り込んだ。

 アイリスも少し遅れて中に入った。


 そこはまるで地獄。

 みんな死んでいた。

 そこら中に血溜まりがあって、死体が転がっている。

 吐き気を催す臭い。

 最初からこうするつもりでなければ、ここまで手早く殺せない。

 指揮経験のない人間が練習がてらこの景色を作った、なんて言われてもアイリスには信じられない。

 本当に、少し遅れて入っただけなのだ。あの短い時間でここまでの地獄を創造するなんて、どうであれマトモじゃない。


「な、なんなのよこれ……」


 見たことない。こんな凄惨な光景、一度だって見たことない。

 アイリスは領地を持った小貴族の家に生まれ、優しい世界で育った。

 あまりの凄惨さに泣きそうになった。

 アイリスは先日15歳になったばかり。

 ずっと平和に暮らしてきたのだから、人生経験があまりにも浅い。


       ◇


「こんなことして、何考えてるのよ!? 突入していきなり殺したでしょ!? なんでそんなことするのよ!? 犯罪者だからって、更正の機会を奪うなんてあんまりよ!!」


 少女はとっても怒っていた。


「君、名前は? 知っているかもしれないが、私はアスラ・リョナ」

「あたしはアイリス・クレイヴン・リリ。あんたたちを監視するように言われた英雄よ。その人どうするつもりなの?」

「拷問して情報を吐かせて、それから殺す」


 アスラは淡々と言った。


「なんであんたたちが裁くのよ! それって憲兵の仕事でしょ!? しかも全員死刑なんておかしいじゃない!」


 アイリスは今にも噛み付いてきそうな勢いだった。

 よく吠える犬みたいだ、とアスラは思った。


「うん。君は正しいよ。けれど、私たちは憲兵の仕事をやっている。憲兵が望んだことなんだよね、これは」

「嘘よ! 憲兵が皆殺しにしろなんて言うわけないじゃない!」

「ふむ」


 アスラは少し考えるような仕草を見せた。


「とりあえずアイリス、一度背中の剣を床に置いてくれないかな? 鞘ごと頼む」

「は?」

「君は英雄だろう? 君が武器を背負っていたら、私たちは怖い。脅されているように感じる。そうだろう? 話し合いじゃなくて、君の恐喝にしか見えない。違うかい?」

「……違わないわね」


 アイリスは素直に鞘のベルトを外し、そのまま床に置いた。

 想像以上にお花畑だった。

 英雄はみんなお花畑だとアスラは言ったが、アイリスはその中でも満開のお花畑だ。

 うっそだろ!?

 という団員たちの表情を見て、アスラも苦笑い。


「それじゃあ、あたしの話を聞いて」


「待った」アスラが言う。「まだ怖いな。君は英雄なんだから、背中を見せてくれ。そのぐらいのハンデがないと、私たちは安心できない」


「これでいい?」


 アイリスは本当に素直に、アスラに背中を向けた。

 完全に無防備。

 自分が攻撃されると思っていない者の行動。

 この状況で、攻撃されない?

 普通の英雄なら、いや、普通の人間なら、この状況で背を見せたりはしないはず。


 マルクスは口を半開きにして驚き、ルミアは表情を引きつらせて驚愕している。

 イーナは口の中で「バカがいる」と呟く。

 ユルキは頭を掻いて、一生懸命にアイリスの行動を理解しようとしていた。

 レコとサルメは成り行きを見守っている。

 支配人は何がなんだか分かっていない様子。


「うん。君は素直ないい子だね」


 アスラは微笑み、

 鞭を振った。

 鞭はアイリスの背中から尻にかけて命中し、服と皮膚を引き裂いた。

 破裂音から少し遅れて、

 アイリスが絶叫した。

 絶叫しながら倒れ込んで、床をのたうち回る。


「でも、状況によってはその素直さが毒になる。今みたいにね。ダメだよ、そんな簡単に武器を捨てたり背中を見せたりしちゃ」


 アスラは楽しそうにレクチャーした。


「そ、それでも英雄なの!? ちょっと貸してアスラ!」


 ルミアが憤慨してアスラから鞭を奪って、そのまますぐにアイリスを打ち据えた。

 アイリスは絶叫する代わりに失禁して、軽く痙攣。


「英雄の自覚ないでしょあなた!! 武器を捨てる!? 背中を見せる!? その上、躱しもしない!? 英雄舐めてるでしょ!?」


 ルミアが3打目のモーションに入ったので、アスラがルミアの腕を掴む。


「落ち着けルミア。依頼は鍛えることであって、虐待することじゃない。当然、殺すことでもない。気持ちはまぁ分かる。分かるけど止めろ。私たちの目的はアイリスに汚いことや酷いことを教え、自分が攻撃されることを認識させ、実戦で使えるようにすることだよ?」


 アスラは冷静に言って、ルミアはやっと少し落ち着いた。


「……副長を怒らせちゃ、ダメ……」


 イーナがレコとサルメに小声で言った。

 レコとサルメが何度も小刻みに頷いている。


「……なんで怒ったのか、あたし分からないけど……」


 イーナがコテン、と首を傾げる。

 レコとサルメはまた小刻みに頷いた。


「あまりにも、英雄という称号を舐め腐っているからだろう。マティアスなら、背中を向けていても最初の鞭をそもそも躱す。いや、その前に武器を捨てることもないだろう」


 マルクスが吐き捨てるように言った。


「ユルキ、一応アイリスを縛っておけ。縄はまだあるだろう?」


 支配人を縛るために用意したものだが、予備も持って来ているはずだ。


「あるっすよー」

「しばらくまともに動けないとは思うが、仕事の邪魔をされるのは困る。猿ぐつわも忘れるなよ?」

「ういっす」


 ユルキがアイリスに近付くのを確認してから、アスラはルミアの手からゆっくりと鞭を取った。


「さて、お待たせしたね」


 アスラは支配人に笑顔を向けた。


「ピエトロ!! ピエトロ・アンジェリコだ!!」


 支配人が半泣きの状態で叫んだ。


「なんだって?」

「リトルゴッドの名前! ピエトロ・アンジェリコ! 頼むからそれで打たないでくれ!」


 支配人はガタガタと震えながら言う。

 英雄であるアイリスが、鞭で打たれてどうなったか。

 それを間近で見て、支配人は心底から怯えている。

 そしてアスラの方は。

 まるで表情が抜け落ちたように硬直している。


「アスラ?」


 ルミアが呼ぶ声も、アスラには届いていない。


「……ピエトロ・アンジェリコ……?」


 アスラは無意識にその名を呟いていた。

 まったく意識せず、自分の口から零れた名前を聞いて。

 アスラは酷い頭痛に襲われて、倒れ込みそうになった。

 それをルミアが支える。


「どうしたのアスラ? 平気?」

「すまない、代わってくれ。アジトの場所を聞き出しておくれ」

「分かったわ。休んで」


 アスラは鞭をまたルミアに渡し、自分は近くの椅子に座った。


「マルクス、水をくれないか?」

「はい」


 マルクスはアスラの顔に近い空間で【水牢】を生成する。

 アスラは両手でその【水牢】から水を汲んで、ゴクゴクと飲む。


「大丈夫ですか団長? まだ毒の効果が残っていたのですか?」

「いや、違う。そうじゃない」


 アスラはまた水を汲んで、今度は顔を洗った。

 落ち着かない。

 幼い頃の記憶が、

 いや違う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、動揺している。


「終わったわよ」とルミア。


「……早いね」

「ペラペラ喋ってくれるんだもの」


 ルミアが肩を竦めた。


「団長、こいつの背中、治療してやった方がよくねぇっすか?」


 ユルキはアイリスの両手両足を縛り上げて、床に転がしている。

 アイリスはただ泣いていた。

 打たれた箇所が痛くてたまらないのだ。


「ああ。マルクスとルミアで」

「わたしは嫌よ。しばらく痛い思いすればいいのよ」

「想像を絶するお花畑に腹を立てるのも分かるが、命令だルミア。治してやれ」

「……命令なら、やるわ。でも、すぐには治らないわ」

「知ってる。ゆっくりでいい」


 アスラは立ち上がって、支配人の方にゆっくり移動。

 サルメとレコの方を向いて、来い来いと手で合図。

 サルメとレコがアスラの隣に並ぶ。


 マルクスがアイリスの傷跡に【絆創膏】を貼り付け、ルミアが回復魔法を発動させる。

 イーナはアイリスを見て、支配人を見て、それからアスラの方にトコトコと寄ってくる。

 ユルキはアイリスのことを心配そうに見ていた。


「最後の質問だけど、ピエトロ・アンジェリコは、元軍人かな?」

「そ、そうです! よく、大虐殺の自慢話を聞きました! ジャンヌ探しを口実に、へんぴな村で略奪したって!」

「そうか。そのへんぴな村ね、平和でいい村だったんだよ? あと、自分たちがほぼ壊滅した話はしてないかな? してないよね、きっと」


 アスラが笑う。

 普通の笑顔。


「レコ、処女を捨てろ」


 言いながら、アスラは短剣をレコに渡した。


「処女? オレ男だよ?」

「お、お尻の穴のことではないでしょうか……」


 レコがキョトンとして、サルメが頬を染めながら言った。


「バカ……」イーナが言う。「処女を捨てる、って……初めて人を殺すって意味……」


「その通り。サルメにはまだ早いから、サルメは見ていろ。目を逸らさないこと。もし逸らしたら、さっきの鞭で打つ。いいね?」


「は、はい」


 サルメが大きく頷いた。


「おおおおおい! 助けてくださいよ! 全部話したじゃないですかー!!」


 支配人が床で後ずさる。


「イーナ、少し痛めつけろ。レコが殺しやすいように」

「……あい」


 イーナはとっても嬉しそうに、支配人に暴行を加え始めた。

 アイリスが床に転がったままこっちを見て何か叫んだ。

 でも猿ぐつわのせいで、言葉になっていない。


「治療してるんだから動かないで」


 ルミアがアイリスの頭を殴った。


「もういいよイーナ。そいつを椅子に座らせろ」

「……あい」


 イーナは支配人を無理やり近くの椅子に座らせる。

 支配人がグッタリしているので、イーナが背後から支えた。


「レコ、短剣は横に寝かせるんだよ?」


 アスラは酷く優しい声で言った。


「はい団長」


 レコは素直に短剣の刃を寝かせる。


「胸を突いて、肋骨の隙間に滑り込ませる。だから寝かせる。分かるかい?」


 まるで弟に新しいことを教える姉のように優しい声。

 アスラは思い出していた。

 自分に弟か妹が生まれるはずだったことを。


「縦だと、刃が肋骨に当たって、致命傷にならない?」

「そういう場合がある。いい子だレコ。やってみて」

「はい団長」


 レコは何の躊躇もなく、短剣を支配人の胸に滑り込ませた。


「引き抜いて、もう一度」

「はい団長」

「もう一度」

「はい団長」

「三回刺せば、まぁだいたい死ぬ。それ以上はオーバーキルだ。労力の無駄だからやる必要はない」


 支配人はすでに絶命している。

 イーナが支えるのを止めると、支配人の身体がズルリと床に落ちた。


「すげぇなレコ」ユルキが言った。「処女はたいてい、戸惑うし、ビビるもんだがなぁ」


「自分も驚いた。何の躊躇いも見えなかった」

「……あたしも……。普通、ビビるよ?」


「みんなは知らないだろうから説明しておくと、レコは社会病質者なんだよ。つまりソシオパス。放っておいても殺人鬼になるタイプだから、まぁ余裕だろうね」


「なんっすかそれ?」

「簡単に言うと、後天的なサイコパス。まぁ、まったく同じではないがね」

「……サイコパス? ……あたしそれ知らない」

「サイコパスは生まれた時からサイコパスなんだけど……、ああ、そうだ、こう言えば分かるかい? 私みたいな奴のことだよ」


「クソッタレのイカレヤローってことっすね」とユルキ。


「レコは生まれた時は普通の子だったんだけど、環境のせいで心が壊れた、とでも言おうか。中位の魔物に家族を皆殺しにされた時のショックだね、レコの場合」


「オレ、心壊れてる、団長癒して」


 レコが冗談っぽくアスラに抱き付く。


「よしよし、いい子だレコ」


 アスラが普通にレコの頭を撫でたので、みんな少し驚いた。

 レコ本人も驚いていた。

 アスラも驚いた。

 私は何をしているんだ?

 レコは弟じゃないぞアスラ・リョナ、とアスラは心の中で言った。

 ピエトロの名を聞いたせいで、前世を忘れて幸せに生きていた頃のアスラの感情が前面に出てしまっている。


「ま、まぁ団長、撤収しましょーや。もう用ないっしょ?」


 ユルキが言って、アスラが頷く。


「マルクスは悪いがアイリスを担いでくれ。ルミアは宿に戻ったらアイリスの治療を再開。サルメとレコは最寄りの憲兵団の屯所に行って、ここのことを報告。明日にはフルマフィのアジトを襲撃するから、ユルキとイーナで下見に行ってくれ。それが済んだら、今日はゆっくり休むこと。以上」


       ◇


 宿に戻って猿ぐつわを外してやるとアイリスが騒ぎ始めたので、アスラは再びアイリスに猿ぐつわを噛ませた。


「別に取って食ったりしないから、少し落ち着きたまえよ」


 アスラの部屋にはアスラとアイリス以外にマルクスとルミアがいた。

 マルクスはアイリスを担いで来てそのまま残った感じで、ルミアは治療のためだ。

 アイリスはベッドの上に転がされている。


「ルミア、治療してやれ」

「嫌だけどやるわ」


 ルミアがベッドに乗って、アイリスに回復魔法をかける。


「自分はどうしましょう団長」

「もう休んでもいいし、ここで私と話をしてもいい。どうする?」


「しばらくいます」とマルクスは壁にもたれた。


「大声を出さないのなら、それは外してあげるよ?」


 アスラがアイリスに言った。

 アイリスがコクコクと頷く。

 ルミアがアイリスの猿ぐつわを外した。


「このひとでなし軍団っ。子供に殺させるなんて最低。あんたたちこそ犯罪者よ。逮捕されるべきよ」


 声量こそ抑えているが、アイリスはいきなりアスラたちを罵った。


「そういうあなたは英雄の資格がないわね」


「は? あたしは英雄選抜試験で合格したんだから、資格あるんだからね? 一回も攻撃受けずに鮮やかに全勝したんだから。みんな褒めてくれたもん。ジャンヌ以上だって」


「ジャンヌはあなたの年の頃には、戦場を駆け回って実戦経験を積んでいたわ」

「てゆーか、ジャンヌなんか英雄の面汚しじゃない。比べないでよ」


 ふんっ、とアイリスがソッポを向いた。


「自分でジャンヌを引き合いに出したんじゃないの」


 ルミアが呆れたように言った。


「だいたい、あんたたち、いきなり英雄のあたしを攻撃するなんて、どうかしてるのよ。有り得ないじゃない」


「アクセルから聞いてないのかい?」アスラが言う。「私たちはマティアス殺しの容疑者だし、英雄を殺すことなんて屁とも思ってないって」


「……聞いてたけど、実際、見るまであんたたちがこんなに酷い連中だなんて思ってなかったもん」

「じゃあやっぱりあなたがバカなのね」


 ルミアがやれやれと首を振った。


「バカじゃないもん! バカはそっちでしょ! 人殺し! 犯罪者! ロクデナシ! ひとでなし!」

「黙りなさいっ!」


 ルミアがアイリスの背中、鞭痕を叩いた。

 マルクスの【絆創膏】の上からとはいえ、まだ痛むはず。

 アイリスが悲鳴を上げた。


「頼むよ君たち、静かにしてくれたまえ。他の客に迷惑だろう?」


 アイリスはお花畑な上にめんどうな性格をしている。

 アスラは小さく溜息を吐いた。


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