3話 唯一絶対なる者 魔王の笑みを浮かべる者
アクセル・エーンルートは手紙に記された待ち合わせ場所に立っていた。
ここは山道。樹齢1000年を超える大木がそびえ立っている。
アクセルはその大木の下で、手紙を読み直していた。
「永遠に衰えることのネェ肉体に興味があるなら、ここに来い、か」
差出人は不明。イタズラかとも思った。
しかし永遠に衰えることのない肉体には心底興味がある。アクセルは自分の衰えを歓迎していない。
とはいえ、アクセルはキチンと警戒している。大英雄を攻撃するようなバカはあまり多くないが、何かの罠である可能性も否定できない。
だから、エルナとメロディも一緒だ。2人とも大木の上に隠れている。
ちなみに、エルナにはメロディが娘だと説明した。エルナはあまり怒らなかったので、アクセルはホッとした。
「やぁ、大英雄アクセル・エーンルート」
待ち合わせの時刻ちょうどに、元貴族王ナシオ・ファリアスが現れた。
唐突に、空間を切り取って現れたように見えたので、アクセルは少し驚いた。
「テメェ!」
アクセルが構える。
「まぁまぁ」ナシオが言う。「エルナとメロディもいるのは知ってるから、下りてくれば? 僕は割と前からここで待ってたんだよね。違う空間にいたけど、そっちのことは見えてる」
ナシオの言葉で、メロディだけが飛び降りた。
エルナは枝の上から弓矢でナシオを狙っている。
「もう会えネェかと思ってたけどヨォ」アクセルが笑う。「そっちから出てきてくれるとはありがたいぜ」
「落ち着いて」ナシオが言う。「僕は君に提案があるんだよ。永遠に衰えない肉体を君にあげるから、僕と組まない?」
「ざけんじゃネェぞクソが。俺様が、大英雄の俺様が、そんな誘いに乗ると思ってんのか?」
「いや僕としてもさ、手駒が少なくなりすぎて補充したいんだよね。でもそのためには膨大な魔力を使うから、厳選したいわけ」ナシオが言う。「君なら超強いし、アスラの友達だし、最高なんだよね。どうかな? 衰えない肉体には興味あるだろう?」
「セブンアイズってやつか」アクセルが言う。「アスラから聞いてんだよ、テメェのことはヨォ」
「なら話が早い。どうだろう? 永遠の肉体と引き換えに、僕の配下になる気はない?」
「俺様が、誰かの配下になるような男に見えるか? だとしたら、テメェの目は節穴だぜ元貴族王。よくも英雄選抜試験をグチャグチャにしてくれたな。よくもハンナを化け物に食わせやがったな」
アクセルが闘気を使用。荒々しく、激しい闘気。
メロディも合わせて闘気を使用。こちらは激烈なまでに闘争を望んでいるのが分かるような闘気。
「うーん。それナナリアのせいで、僕の命令じゃないんだけどなぁ」ナシオが苦笑い。「まぁ、決裂する可能性は高かったし、仕方ないか。ついでだしね。彼女と話をするついでなんだよね。ほら、彼女が歩いてくる」
ナシオが顔を向けた山道の先に、金髪の女性スカーレットが歩いていた。
「ちっ、あの女が来る前に片すぞメロディ!」
「はーい!」
アクセルとメロディが同時に踏み込む。
その瞬間、ナシオが姿を消した。
アクセルとメロディは急制動をかけて地面を少し滑ってから、周囲を見回す。
いない。ナシオがいない。完全に消えてしまった。
遠くの道で、スカーレットが小さくピョンピョンと跳んだ。
そして。
目で追うのが厳しいほどの速度でアクセルたちの目の前まで移動した。
「テメェ、どんな速度で走ってやがんだよ。バケもんかクソ」
「また会ったわね、アクセル様」スカーレットが言う。「あと変態ちゃんも。貴族王はどこ行ったのかしら?」
「やぁ《天聖》、ちょっと助けてくれないかな?」
スカーレットの背後にナシオが姿を現す。
「テメェ! 消えてんじゃネェぞ!」
アクセルが動こうとしたが、メロディが制した。
「いい判断ね」スカーレットがメロディを褒めた。「あたしを巻き込むのはお勧めしない」
「アクセルを殺してくれ。なるべく死体は綺麗な状態で頼む」とナシオ。
「なんであたしが、あんたの命令に従うと思ったの?」
スカーレットが肩を竦めた。
「僕は君のための舞台を用意してあげたんだから、そのぐらいはいいだろう? それに僕の部下は全部君が使っていい。君はどうせ始めるだろう?」
「なぜそう思うの? あたしが始めるって」
スカーレットは少し笑った。
「君はそういう人種だから」ナシオが確信を持って言う。「そうせずにはいられない。だろう? 神王は君に神位を譲る。今日から君は《天聖神王》アイ……」
「スカーレット」スカーレットが言う。「あたしはスカーレット。本当の名前はややこしいから、もう使わないわ」
「可愛い名前なのに」ナシオが肩を竦めた。「まぁいいか。《天聖神王》スカーレット。君はイーティスから始めることができる。いつでも、君の好きなタイミングで。まだ世界を見て回るかい? どうせ同じだよ? 君が絶望した世界と何も違わない」
「宗教嫌いだから、ゾーヤ信仰は終わりにするわよ?」スカーレットが言う。「刃向かう者は全て殺す。世界に神がいるならば、それはこのあたし。他は認めない。あたしの下、全人類は結束する。かつての世界も、この世界も」
スカーレットが微笑む。酷く歪な笑みだった。
アクセルはゾッとした。まるでアスラのようだ。いや、ある意味では、アスラより怖い。
なぜなら、スカーレットには揺るぎない信念があるからだ。貫くべき思想があるからだ。
「それでいい。僕は今日から君の家来」ナシオが言う。「面倒なことは全部僕が手配する。君が表で、僕が裏。というわけで、アクセル殺しをよろしく。遺体は持って帰るから」
「まぁ、いいわ」スカーレットが言う。「遅かれ早かれ、あたしはフルセンマークを統一する。ナシオ、イーティスまでは自分で戻るわ。そこから始めましょう」
「クソッ! やるってのかヨォ!」
アクセルが後方に飛んで距離を取った。
メロディは横に飛んで距離を取る。
「メロディ」スカーレットが甘い声で囁く。「あたしの靴にキスできたら、側に置いてあげるわよ? いつでもあたしを殺していい。その代わり、あたしをサポートするの。どうかしら?」
スカーレットの提案に、メロディは酷く惹かれた。側にいられるということは、スカーレットの強さの秘密を覗ける。
スカーレットの技を近くで見ることができる。全て盗める。
「おいメロディ! 聞くんじゃネェ!」
アクセルは構えているが、自分から攻撃する気はない。殺したいのはナシオであってスカーレットじゃない。
よって、アクセルはどうにかスカーレットを回避してナシオを攻撃する術がないか考えている。
大木の上のエルナは、どっちを狙うべきか迷ったが、結局はナシオを狙った。明確な英雄の敵だからだ。
「いくつか、あたしの手札を見せてあげるわね」
スカーレットは微笑み、虚空に右手をかざす。
そうすると、何もない空間から何かがゆっくりと出てきた。
それは剣の柄だった。
スカーレットが柄を握り、ゆっくりと空間から引き抜く。
真っ白な、骨の剣。
凶悪な禍々しさを発している、呪いの武器。
現存する剣の中では、最強クラスの剣。
「魔王剣だと!?」アクセルが驚いて言う。「テメェ、そんなもん、扱えんのかよ!?」
「だって、あたしは怨嗟そのものだもの」スカーレットが薄暗い表情で言う。「呪いの声たちに、あたしは共感した。あたしは彼らの憎しみを、彼らの悲しみを、彼らの怒りを全て許容したわ。だって、あたしもそうだもの。怨嗟の声はあたしを仲間だと認めたの。だからあたしにはこの剣が使える。かつての世界でも、たぶんこの世界でも、あたしぐらいでしょ? 使えるの」
「調子に乗ってんじゃネェ。アスラにだって使えんだヨォ!」
アクセルが言うと、スカーレットは心底驚いた風に目を丸くした。
「アスラは特別なんだよ」ナシオが言う。「僕のお嫁さんだし」
「なるほどねぇ」スカーレットが言う。「アスラ・リョナ。魔王武器の使い手だったのね。有名になるはずね」
言い終わったと同時に、スカーレットはアクセルを斜めに斬って殺した。
一撃だった。
何の躊躇もなく、何の感慨もなく、ただ超越的なスピードで斬り殺したのだ。
アクセル自身、気付いたら死んでいた、という感じだった。
スカーレットがクルッと魔王剣を回して血を払う。
「すごい……。これほどとはね……」
ナシオが唾を飲んだ。敵に回ったなら、ナシオですら殺されてしまう。
本物のジャンヌを殺し、ジャンヌを依り代とした究極の魔王を打ち破り、そしてフルセンマークを統一した、これが《天聖》の実力。
史上最強。
至上にして最強。
と、エルナがスカーレットに対して矢を放った。
スカーレットはその矢を一歩移動するだけで躱す。
連続で矢が降り注ぐが、全て最小の動きで回避。
やがて矢が切れて、エルナが短剣を握って枝から飛び降りた。
「よくもっ!! よくもアクセルを!! この化け物め!!」
エルナが短剣を振るが、スカーレットは躱す。
「殺していいの?」
スカーレットはナシオを見て質問した。
「どっちでも。英雄を敵にしたいなら、生かしておけばいい」
「じゃあ生かしておくわ。英雄は早めに、まとめて潰しておきたいもの」
それはつまり、英雄たちが集結しても問題ないという意味。
むしろ、スカーレット的には手間が省けていい。
「舐めるなっ!!」
エルナの体術は、けっして弱くない。
それどころか、英雄たちの中でも上位だ。
そんなエルナの攻撃が、一度も当たらない。
スカーレットは魔王剣をポイッと投げた。
そうすると、魔王剣はどこかの空間へと消える。
「メロディ」スカーレットが回避しながら言う。「靴にキスする用意はいい? 『覇王降臨』」
スカーレットを中心に衝撃波が発生し、エルナは吹っ飛ばされた。
けれど、空中で姿勢を制御し、綺麗に着地。
「そんな……」メロディが言う。「なんでお姉様が、マホロの奥義を……」
スカーレットの周囲には、視認できるほどの赤い魔力が渦巻いている。
「なんだってやったわ」スカーレットが遠くを見るように言った。「宿敵を倒すために、人類の敵を倒すために、そして人類を統一するために」
「なんなのよアンタはっ!!」
エルナが叫んだ。
自分が勝てないことを悟ったのだ。
いや、それどころか、身体が動かない。大英雄であるエルナが、《魔王》討伐を何度も生き残ったエルナが、怖くて動けなかった。
「絶対者」スカーレットが言う。「あたしこそが唯一絶対なる者。あたしに従え、あたしに付き従え。できないなら死ね!」
スカーレットは一瞬で間合いを詰めて、そしてエルナの腹部を殴った。
その一撃でエルナは気絶。
「すごい表情だね」とナシオ。
スカーレットは笑っていた。怖気がするような、悪意の塊のような、まるで《魔王》のような笑みだった。
スカーレットが『覇王降臨』を終了させる。
そうすると、メロディがフラフラと寄って行く。
そしてメロディはスカーレットの足下に跪いて、土下座する体勢で靴にキスした。
メロディの股間は漏らした尿と絶頂の余韻でビチョビチョになっている。
「お姉様、お姉様、愛してます、いつか殺します、パパの仇だし、いつか殺します、それまで側に置いて……」
メロディはもうマホロであることも、英雄であることも、どうだって良かった。
スカーレットさえいれば、それでいい。
最強の敵、究極の敵。
何もかも、全ての技術を盗み、そして殺す。最後に殺す。必ず殺す。
震えるほどの恐怖と快感の中で、メロディは誓った。