10話 お姫様なんて歳じゃないだろう? どちらかと言うと、女王様だよ君
「大森林を上からみると、本当に樹海って感じだね」
アスラが楽しそうに言った。
ここは大森林上空、ゴジラッシュの背中。乗っているのはアスラ、エルナ、マルクス、イーナの4人。それから、連絡用のレコ人形だ。
よく晴れているが、少し冷える。時刻はまだ午前中。昼飯までには古城に戻りたい、とアスラは思った。
「……どこまでも、緑……。ちょっと、怖いかも……?」
イーナが言った。
空の青と地上の緑。どこまでも続いている。実に美しい光景だ、とアスラは思った。
ちなみに、アスラとマルクスのローブは森林迷彩だ。エルナとイーナは遠距離支援なので、いつも通りの服装。
「むしろ怖いのはティナちゃんのお仕置きね」エルナが言う。「あんなに過激だとは思わなかったわ」
昨夜、サルメの最初のお仕置きは食堂で行われた。
あまりの過酷さに、エルナは「次からアイリスもティナちゃんに頼むわねー」と言っていた。
ちなみにアイリスの方はそう言われて真っ青になっていたが。
「10打で気絶だからねぇ」アスラが言う。「凄まじい威力だよ」
「まぁ、それはそれとして、弓に望遠鏡なんて恐れ入ったわー」
狙撃仕様のコンポジットボウを見ながら、エルナが言った。
「イーナ、エルナとの連携はどうだね?」
「……完璧」
「やっぱり飛距離を伸ばす魔法があったのねー」
朝一番で、エルナは狙撃仕様のコンポジットボウの練習をしていた。
ある程度慣れると、今度はイーナの【加速】を乗せた状態での狙撃を練習。
「それでアスラちゃん、ぶっちゃけこの方法でマティアスちゃん殺したのよねー?」
エルナの問いに、アスラは沈黙した。
マルクスはチラッとアスラを見て、イーナは空を見た。
「ブリット」アスラがレコ人形に言う。「しばらく会話を聞くな。できるかね?」
「余裕だぜ! でもどのぐらいだ? 長く切断すると、俺様が消えちまう。魔力供給の都合ってやつだ」
「5分でいい」
「了解だ。俺様を抱いててくれ、落ちちまう。本体と離れすぎてるから、新しくここに人形作るのは無理だからな? 落とすなよ?」
レコ人形がアスラの胸に飛び込んだ。
アスラはレコ人形をギュッと抱きしめた。絶対に落とさない、という意思表示だ。
それを確認してから、ブリットはレコ人形との魔力回線を切断。
「アイリスですら、今朝のわたしの稽古を見て、疑いを持ったはずよー」
「だろうね。それは別に問題ない。いつか話す予定だしね」
くくっ、とアスラが笑った。
その表情があまりにもどす黒くて狂気的だったので、エルナは鳥肌が立った。
「話すつもりなの? アイリスが傷付くわー。あの子、アスラちゃんたちのこと、割と好きみたいなのよー?」
「ああ、だからこそ、本当のことを言わないとね」
アスラはいつか、アイリスを殺す。あるいはアイリスに殺される。
そして、アイリス自身が明確にアスラを殺すと決めて欲しいのだ。アイリスが初めて殺す相手になりたい。アイリスの初めてが欲しい。
そのために、やることは多い。
まずアイリスを育て上げる。究極の英雄に。史上最強の英雄に。たった1人で《月花》と戦えるレベルにまで育てたい。
更に、悲しみを増幅させるためにアイリスの恋人になれれば、とさえアスラは思っている。
愛し合いながら殺し合うのだ。たまらない。想像しただけでゾクゾクする。その時のアイリスの顔を見たい。どんな表情をするのだろう?
「ねぇアスラちゃん、酷い表情してるわー。アイリスを本気で傷つけたら、わたしもアクセルも、他の英雄たちも、みんな怒るわよー?」
「よせエルナ」とマルクス。
「……そう。そんなこと、言っちゃダメ……」とイーナ。
アスラが喜んでしまうから。
「心配するなエルナ。話すと言っても、ずっと未来の話さ」アスラがヘラヘラと言う。「もっとアイリスが大人になってからだよ」
たとえば、テルバエ大王国で出会った金髪の女性ぐらいの年齢になった時。
いや、それだと少し遅いか。
「そう……」エルナが溜め息を吐く。「どちらにしても、墓場まで持っていって欲しいのだけどー?」
「君が知ってた、ってことは内緒にしておいてあげるよ。今後も持ちつ持たれつで行こうよエルナ。いいだろう?」
「ええ。そのつもりだけど、今度英雄を殺したら、さすがに無理よー? 次はないわー。それに、少し後悔もしているのよー」
後悔しているのは、私と仲良くなったことではないだろう、とアスラは推測。
アスラ・リョナという怪物を、もっと前に処分しなかったこと。
アスラたちの成長が早すぎて、いずれ英雄全員でも勝てなくなる。
エルナはそのことに気付いているのだ。
「だけど私らは役に立つだろう? 普通に依頼してくれれば、割と何でもやるよ?」
英雄殺しもね、とアスラは心の中で追加した。
◇
ルミアとノエミは普通に会話していた。
もちろん、ルミアは縛られ転がされたままだけれど。
ノエミはルミアの近くに座っている。
「あなたがアスラを忘れていることにビックリよ」ルミアが言う。「たぶん解離というやつね。心が耐えられなくて、その出来事を忘れるの。正確には、忘れるわけじゃなくて、蓋をして思い出さないようにしているのよ」
「なるほど。我の死に様は酷いものだったらしいが、思い出すと心が死ぬレベルとはな」
ノエミが小さく首を振った。
「ところでノエミ、もう拷問はしないのかしら?」
「貴様は拷問してもつまらん」ノエミが言う。「疲れるだけだ。こうして話をしている方が、いくらかマシというものだ」
勝った、とルミアは思った。
ノエミが拷問する理由は主に2つ。
1つは、自分が楽しむため。であるならば、楽しくないようにすればいい。
ノエミはルミアを拷問し、性的にも責めた。
だけれど、ルミアはノエミの望む反応を示さなかった。それどころか、ヌルいと文句を言った。
その上、ノエミの心を抉るような言葉を何度も何度も投げかけた。主に神王との思い出を推測して言ったのだが、その推測はかなり正解に近かった。
ノエミにとって神王は未だに恐れて震えるような相手なのだ。思い出せば息が詰まるし、心も乱れるというもの。
2つ目、相手を屈服させるため。であるならば、絶対に屈服しないと分からせてやればいい。
今までの拷問の過程で、ノエミはそれを嫌というほど理解したはずだ。
「そう。だったら話をしましょう」ルミアが微笑む。「アスラ・リョナを忘れたあなたの前に、アスラ・リョナが現れたら、あなたはどうなってしまうのかしら? 思い出せるかしら? それとも、記憶の蓋がより強固になるのかしら?」
ノエミは魔物になって強くなった。ルミアは実際に戦って、一対一ではまず勝てないと悟った。どんな戦い方をしても勝てない。
たぶんアスラでも一対一では無理だ。戦術や作戦を純粋な戦闘能力で打ち破られる。
けれど、メンタルはどうかしらね?
今のルミアにはよく理解できる。手に取るように分かる。ノエミのメンタルは雑魚だ。
吹けば飛ぶし、叩けば砕けるし、命の危機があればなりふり構わず命乞いをする。自分より弱い者を弄ぶことでしか、自分のちっぽけなプライドを維持できない。
「知らん。それに我は、我を殺したアスラというメスガキを殺す。今ではないが、いずれな」
まぁそもそも、とルミアは思う。
アスラがどこかの戦士みたいに一対一で戦うなんて滅多にない。
「メスガキって言葉、アスラにピッタリ」ルミアが楽しそうに言う。「あの子、本当にメスガキって感じよ。これ前にも言ったかしらね? 大人の恐ろしさをメスガキに分からせるのって気分いいわよねー。まぁ相手がアスラだと無理なのだけど」
アスラと出会った頃は、生意気なアスラに分からせようとルミアは過剰に体罰を行った。
それらは全て、何の意味もなかった。いや、アスラを喜ばせるという意味はあったか。
「貴様はアスラが嫌いなのか?」
「まさか。大好きよ」
アスラと過ごした日々は、ルミアにとっては宝物。
困ることも、怒ることもあった。同じぐらい嬉しいことや楽しいことがあった。
本当に、本当に色々なことがあった。10年はけっして短くない。
と、ノエミが急にその場を飛び退いた。
さっきまでノエミがいた場所に、ヒラヒラと桃色の花びらが舞っていた。
全部で7枚。【地雷】かしら? とルミアは思った。でも違う。花びらはただ地面に落ちた。
「なんだ? 魔法か? どこから?」
ノエミが周囲を見回すが、アスラの姿は見えない。
ルミアにも、アスラがどこにいるのかサッパリ分からない。
元々アスラは隠密が得意だったが、今のアスラはルミアが知っている頃よりもレベルアップしている。
と、岩の陰から三日月型の衝撃波が地面を削りながら飛んできた。
「『邪淫の槍』よ!」
ノエミは右手に槍を創造し、岩の陰に投げながら自分は衝撃波を回避するために飛んだ。
「『淫らな束縛』」
ノエミの投げた槍が、自立機動状態へ。衝撃波の主を捜索し始める。
今の衝撃波は何かしらね? とルミアは思った。知らない攻撃だ。
「あら、花びらの壁ね」とルミア。
アスラの【乱舞】がルミアとノエミを分断するように現れた。
「ジャンヌ!」
ノエミが叫び、更に槍を創造。
花びらを高速の突きで破壊。全ての花びらではなく、人間が1人通れるぐらいの穴を開けたのだ。
ノエミはその穴を通ってルミアの元へ。そしてルミアを抱き上げて走る。
「これはたぶん、想定外ね」
ルミアは小さく呟いた。
アスラは想定していないはずだ。
ノエミがルミアを助けて逃げ出すなんて。
◇
おいおいおいおい、冗談だろう?
木の陰に隠れていたアスラは少し焦った。
アスラはノエミとの戦闘に当たって、割と多くのオプションを用意してきた。
ノエミが逃走することも想定した。ルミアを盾にしたり、人質にすることも。最悪、他にも仲間がいたり、別の魔物の介入なども想定した。
本当に色々考えたのだ。でもこれはガチで有り得ない。アスラだけでなく、《月花》の誰も夢にも思わなかったはずだ。
ノエミが、ルミアを助けて逃げるなんて。
ノエミの動きは明らかにルミアを庇うためだ。本来、あの花の壁からノエミは離れるはずだったのだ。
アスラの花びらだと分かっているのだから、槍で突いて中を通るなんて有り得ない。
ルミアを助けようとして、ノエミは本来最悪の行動に出たのだ。ぶっちゃけ、爆発させたらノエミを倒せた。
そうしなかったのは、ルミアが近くにいたからだ。本当はもっとルミアから離れた位置に壁を出現させたかった。
しかしノエミの位置取りのせいで、ルミアの近くにしか作れなかった。ノエミは最初の7枚【乱舞】の時点からずっと、ルミアを庇える位置にしか逃げていない。
ちなみに、花の壁からノエミが離れたら、マルクスがルミアを救出する予定だった。
ついでにアスラが自分を囮にしてノエミを巨石の上へと誘う。
色々と予定が狂ったけれど、まぁ仕方ない。
どんな心境の変化があったら、自分をぶち殺すに至った花びらに突っ込めるのか。記憶喪失にでもなったのか?
それほどまでにルミアを失いたくなかったとでも言うのか?
などと思考しながら、アスラはノエミを追った。
自立機動していた槍を破壊したマルクスが衝撃波を使用。ノエミの進路を妨害し、森の中に逃げ込まないようにしているのだ。素晴らしい判断だ。
森に逃げ込まれたら、発見は困難。相手は魔物の体力だ。どこまでも逃げる。もちろんアスラたちもどこまでも追うが、時間がかかりすぎる。
アスラも花びらを使ってノエミの進路を限定する。
ノエミが衝撃波を躱した時の体勢で、アスラとルミアは目が合った。
タイミングを合わせたまえ。できるだろう?
わたしを誰だと思ってるの?
一瞬の視線の交錯だけで、2人は多くの会話をした。
「ノエミ!! 無様に逃げやがって!! そんなに私が怖いかね!?」
ノエミがチラリとアスラの方を見た。同時に衝撃波が飛んでくる。更にアスラも花びらを生成。
アスラの言葉が終わる少し前に、ルミアも天使を出現させている。
アスラの言葉が終わる頃には、天使が地を這うような動きでノエミの両足を斬った。
ノエミは勢いよく倒れ込み、ルミアを手放した。
ルミアは更に天使を呼ぶ。
新しい天使がルミアを受け止める。それから、ルミアを縛っていた茨も切断。
ノエミは両手で地面を押して、その場を飛び退く。衝撃波と花びらを躱すためだ。
天使たちはルミアを左右から挟んで防衛体制を敷く。
「やぁルミア。囚われのお姫様の真似は楽しかったかい?」
「たくさん拷問されたのよ? お姫様の真似はないでしょう?」
ルミアが小さく両手を広げた。
「だが回復魔法を使ったんだろう? 傷は全然ないじゃないか。姿がエロいだけで。うん。エロいね君。興奮するよ。おっぱい丸出しじゃないか」
「あら、性欲に目覚めちゃったの?」
「少しだけね。私の肉体も年頃なんだよ。初めての相手は君がいいな」
女装したレコがキッカケだとは言わない。
「残念ね、わたしもうすぐ人妻なの」
「今は違うだろう? 相手しておくれよ」
久々の再会を2人とも冗談の応酬で楽しんだ。アスラは半分本気だったけれど。
ちなみに、会話しながらアスラはハンドサインを出していた。
ルミアもアスラに情報を伝えるためにサインを出す。
「無限無数の『邪淫の槍』よ!!」ノエミが叫ぶ。「降り注ぎ、貫き殺せ!!」
空から数多の槍が降ってくる。
ノエミの両足はすでに再生されていた。
「再生はスキルかな? それとも素の再生能力?」
アスラは槍を躱しながら巨石の上へと移動。
ルミアは天使2体に守られながら森へ。アスラの指示だ。森に隠れていろ。あとはやっておく。
◇
その頃のエルナ。
「……ねぇ、本当に狙撃の出番あるのかしらー?」
ゴジラッシュの背中で弓を構えて巨石群を見下ろしていた。
もちろん空中だ。エルナとイーナはゴジラッシュから降りていない。
マルクスとアスラだけが、巨石群から少し離れた場所に降下したのだ。
「……さぁ」イーナが言う。「なければないで、問題ないけど……」
「わたしは狙撃がしたいのだけどー?」
巨石の上にアスラが姿を現した。
今ならアスラを殺せる、とエルナは思った。
今後、アスラは世界にとって脅威となる可能性が高い。今、殺しておいた方がいいのでは?
「まぁ、狙える場所にノエミが来たら……ご自由に」
とはいえ、ここでアスラを殺してしまったら、色々と面倒なのも事実。
まずイーナと戦闘し、更にゴジラッシュだ。仮にゴジラッシュを倒せたとしても、大森林に投げ出されるし、マルクスも敵になる。最悪ノエミも。
「アスラちゃんにできる程度のことは、わたしにもできる。最強の弓使いはわたしよー」
殺すより利用する。アスラには価値がある。それに、制御が不可能というわけでもない。
傭兵としての矜持を刺激すればいい。アスラたちにとって、譲れない部分だからだ。
「それ……証明しなくても、みんなエルナの方が……上だと思ってるから……」
当然だ。弓の勝負に限れば、誰もエルナには勝てない。
「でも証明しないと気が済まないわー」
「……なんて面倒な……性格……」
イーナはやれやれと溜め息を吐いた。