8話 みんな1度、帰還しよう 次の行動を決めるためにもね
「魔物だって痛みは感じるだろう?」
言いながら、アスラは小太刀を少し動かした。
ナナリアが呻く。
「ここから逆転する方法はない」アスラが言う。「だから面倒を避けよう。ノエミの居場所を吐けば、楽に殺してあげるよ? それとも痛いのが好きかい?」
ナナリアは周囲に視線を向け、そして絶望する。
もう助からない。助からないのだ。誰も助けてはくれない。どうやっても、逃げ出せない。
ジャンヌがいて、ティナがいて、アイリスがいてマルクスがいる。
でもナナリアの仲間はいない。
焼け落ちた屋敷の残骸だけ。
「どうして、こうなったのかしらねぇ」ナナリアが身体の力を抜いた。「今日は天気が良くて、お花に水をあげていただけなのに」
「何度も言わせないでおくれよ、ノエミは?」
グリッ、とアスラが小太刀を少し捻る。
ナナリアが痛みで泣きそうな表情に。
「ノエミは強いわよ? セブンアイズの2位だもの」
「興味ない。知りたいのは居場所だよナナリア」
「……言えば私は死ぬんでしょ?」
「言わなくても死ぬよナナリア」アスラが言う。「だけど、死に方に差が出る。苦しめようと思えば、いくらでも苦しめることが可能なんだよ。知ってるよね?」
アスラの声に、遊びがない。
数秒の空白。ナナリアは言うべきか否か迷っている。
ならば、決断する材料を与えてやればいい。
「だけど、そうだね、10秒で吐けば命だけは助けてあげてもいい」
「大森林よ」
「命は惜しいかね?」アスラが笑う。「でも不十分だよナナリア。範囲が広すぎる。もっと限定してくれなきゃ」
「中央フルセンと東フルセンの境あたりから、真っ直ぐ南下」ナナリアが言う。「私はそこに行ったことがないけれど、巨石群があるはず。すごく古いもので、そこを起点として、人類の南下を防いでいるはずよ」
「巨石群?」
「石がいっぱいあるのよ、たぶん。形がしっかり残っているのか、その辺りは分からないわ」ナナリアが言う。「ブリットが知ってるわ。元々はあのバカの持ち場だもの」
「なるほど。これは個人的な興味だけど、なぜ南下してはいけないんだい?」
「知らないわよ、お兄様に聞いてよ」
「もう一つ、これも個人的な興味なんだけど」アスラが言う。「君、前に預言の話をしただろう? 私が壊したっていう預言。あれ、続きはどうなるんだい? アイリスがジャンヌを倒したあと」
「……知ってどうするの? もうその未来はないのに」
「興味だと言っただろう?」
「ふん。まぁいいわ」
ナナリアは預言の続きをアスラに話した。
話している間に、アイリスとマルクスがアスラたちの近くに移動。
「そうか。うちのおバカなアイリスちゃんからは想像もできないような、過酷な道を歩んだんだね」
「誰がバカよ!?」
「いいから剣を抜いてくれない?」とナナリア。
「そうだね。これから刀を抜くけど、妙な動きはしないようにね? もし妙な動きを見せたら、ウッカリ殺してしまうからね?」
「分かったから早く抜いて。酷く不愉快なのよ、身体の中を刃が貫通してるのって」
ナナリアが言って、アスラが小太刀を引き抜く。
ナナリアは血を吐いて、地面に膝を突いた。
「よし、1度拠点に戻ろう」アスラが踵を返す。「色々変更したいこともあるしね」
と、アスラの背後でナナリアの首が落ちた。
「甘いのでは?」ナナリアの首を落としたジャンヌが言う。「アスラの背中を攻撃しようとしていましたよ?」
ナナリアは弱った振りをしていただけで、背中を見せたアスラに対して即座に攻撃を仕掛けようとした。
ジャンヌはある意味、アスラを守ったと言える。もちろん、ジャンヌにその気はない。ティナにとって脅威となるナナリアを殺したに過ぎない。
アスラが許しても、ジャンヌはナナリアを許さない。
「……また、あんたなのジャンヌ……」ナナリアの首が、怨嗟の表情で言う。「あんたは、《魔王》になるはずだったくせに……それさえ果たせなかったくせに……あんた……」
言葉の途中で、ナナリアの頭が爆発。
アスラが仕込んでいた【地雷】だ。
「知っていたよ」アスラが言う。「ナナリアが私を攻撃することも、そんなナナリアを君が攻撃することも、全部知っていたよ、私は」
「自分も分かっていた」とマルクス。
「あたしも」とアイリス。
「……実はぼくもですわ、姉様」とティナ。
「え?」とジャンヌ。
「だって君が消えていない時点で、ナナリアの殺意も消えてないってことだからね?」アスラがニヤニヤと言う。「分かったらもう消えたまえ。恥ずかしさが拭えるよ?」
「ぐぬ……」
ジャンヌは悔しそうに、だけどアスラの言葉通りに消えた。
まぁ、自分の意思で消えたわけではない。ティナに殺意を向けた対象が死んだので、【守護者】が解除されたのだ。
「よし、それじゃあ拠点に戻ろう。憲兵が集まって来たようだけど、交戦する必要はない」
アスラたちはさっさとゴジラッシュに乗り込み、空へと舞い上がる。
憲兵たちが焦土と化した屋敷を見て唖然としていた。
そしてゴジラッシュを指さすが、誰も何もできやしない。
ただゴジラッシュが飛び去るのを見送るだけだ。
◇
自宅に戻ったナシオは仰天した。
そもそも自宅が存在していない。かつて自宅だった瓦礫がそこにあるだけ。
ミノタウロスの死体が転がっていて、近くにナナリアの死体もあった。
「……どんな戦力なら、ミノとナナリアを同時に殺せるのかな?」
もちろん、ナシオにならそれが可能だ。金髪の彼女にも可能だが、それをする意味がない。
「傭兵団《月花》ではないかと推測しています」
ナシオの近くに立っている憲兵が言った。
憲兵たちが瓦礫を片付けたり、現場検証を行っている。
「こっちの化け物は?」
ナシオがミノの死体を指さした。
知らない振りだ。
「分かりません。状況もまったく理解できません」憲兵が首を振った。「何がどうなっているのか。貴族王様のお屋敷が、こんなことになるなんて……」
「僕は称号を返上する」ナシオが言う。「今日からただのナシオ。まぁ、屋敷がなくなったのはちょうどいいさ。お嫁さんを殺されたのは若干、不都合だけどね」
ナナリアが死んでしまった。
何の感情も湧きやしないけれど。これで神の血族はナシオと、眠っている姉を除けばティナだけだ。
まぁもう純血とかどうでもいいかなぁ。
ナシオはアスラの顔を思い浮かべた。本格的にアスラをお嫁さんにする算段をしよう、と考えたのだ。
「僕は引っ越すよ。さようなら憲兵諸君」ナシオが穏やかに言う。「もう会うこともないだろう。歴史書には、僕はもう2度と出ないだろう。貴族は滅びたんだよ。悲しいねぇ、哀れだねぇ、だけどそれが運命だから」
ナシオは言葉の通り、2度と歴史の表舞台に姿を現すことはなかった。
◇
歴史上最高の弓使いであるエルナに、ラウノは古城の外で弓を教わっていた。
周辺では城壁の修理業者と死体の処理業者が作業をしている。死体の方はもうほとんど処理が済んでいて、あと2日もあれば綺麗になるはずだ。
城壁の方は崩れた場所の修復だけでなく、全体的なメンテナンスも行う予定である。よって、まだ数日はかかる計算だ。
「ラウノ君ってー、本当に男前よねー」
エルナはラウノの背中にピッタリ張り付いて吐息のように囁いた。
「エルナも、若々しくて美人だよ」
ラウノが弓を構えると、エルナが少し離れた。
「ムッキー!!」ラウノの足下で金髪の人形が怒る。「クソババア!! ラウノ様にベタベタするな!! 狙ってるの見え見え……ぎゃぁ!」
ブリットが『人形劇』で作り上げた喋る人形を、エルナが踏み潰した。
「あらー? ブリットちゃんよねー? ババアってわたし、意味を知らないのだけど教えてくれるかしらー?」
ちなみにブリット本体は古城で通常業務中。今の時間なら夕食の準備だ。
「……わ、分かりませんですぅ……」
エルナの雰囲気があまりにも怖かったので、金髪人形は素のブリットのしゃべり方になった。
エルナとブリットの2人はずっとこんな調子である。
やれやれ、と思いながらラウノは矢を放つ。
ラウノの矢は離れた木人の頭に突き刺さった。距離的には100メートルほど先か。
「上手よー!」エルナが両手を叩く。「次は連射してみましょうかー?」
「了解」とラウノが次の矢を矢筒から抜く。
「むしろラウノ君、わたしの弟子になるー? ちょうど弟子の枠が1人分空いちゃってるのよねー」
英雄選抜試験で、エルナは弟子を1人失っている。
「ムッキー!! 弟子にしてラウノ様に何をするつもりだ!? あんなことか!? こんなことか!? この俺様ですら、まだちゅーもしてないんだぞ!!」
ラウノは雑音を無視して矢を連射。両方ともさっきと同じ木人の頭に突き刺さる。
「本当に上手ねー、才能あるわよー?」
エルナが嬉しそうにラウノを褒めた。
ラウノは失敗したなぁ、と思った。
弓矢のことじゃない。エルナと友好的な関係を築こうと思って、ブリットにしたように接したことだ。
「ねぇラウノ、もう私を忘れてもいいのよ?」と幻の彼女が言った。
「冗談を」とラウノは心の中で呟いた。
それに、とラウノは思う。
同年代の女性の方が好きなのだ。エルナは歳が上過ぎる。
「あ、アスラから連絡だぞ」金髪人形が言う。「ナナリアとミノさんをぶっ殺したってさ」
「さすがアスラだね」
「ちょっと!?」エルナが驚いた風に言う。「貴族王の妹を殺しちゃったの!?」
そうか、エルナはナナリアの正体をまだ知らないのだ、とラウノは思った。
ブリットの口の軽さには注意しないとなぁ、とも思った。
「ブリット、アスラに聞いてみて」ラウノが言う。「エルナに全部説明してもいいかどうか」
「アスラ戻るらしい」金髪人形が言う。「だからその時に説明するってさ。てかユルキにも連絡してやらないとな。日が暮れるまでに迎えに行けそう、ってな」
「帰還したがってたよね? そっちはどうなの?」とラウノ。
ユルキから面倒なことになって、脱出地点付近に隠れていると連絡があった。
なるべく早く迎えを寄越して欲しいとも。
「サルメの顔が腫れてるってさ」金髪人形が言う。「ユルキとイーナがビンタしたみたいだな」
「そっか。詳しくは聞いてないけど、面倒なのはサルメの命令違反がキッカケだったね」
ラウノが肩を竦めた。サルメは本当に言うことを聞かない。というか、いいところを見せようと気張りすぎる。
「それで? 何を説明してくれるのかしらー?」エルナが言う。「今何をしているか、についてかしらー?」
「そうだよ。エルナには席を外してもらったし、それっきり何の説明もしてないからね」
「そう。楽しみにしておくわねー」エルナが言う。「次は機動しながらやってみましょうかー」
「了解だけど、僕は弟子にはならないよ?」
ラウノが言うと、エルナは少し残念そうに笑った。
英雄なんて僕には向いてないよ。
妻を殺され復讐に走り、スプリーキラーとなった僕には、こっち側がお似合いだ。




