5話 私はみんなのラスボスだよね? では私のラスボスは?
女性は淡々と歩いて、アイリスたちに近寄った。
「アクセル様、元気そうで何よりね」
よく通る澄んだ声で女性が言った。
アクセルの知り合い? いや、アクセルは彼女を知らないはずだ。あるいは忘れていただけ? アイリスは少し混乱した。
「誰だテメェ? ここで何してやがる?」
「誰でもない」女性が言う。「大量殺戮があったという話を聞いたから、現場を見に来ただけ。取って食ったりしないから、安心しなさい」
絶対に動くな。絶対だ。絶対にだ。アスラがハンドサインを何度も出している。
分かっている。言われなくても分かっている。動いたら殺される。少なくとも、アイリスはそう思っていた。
「取って食ったりしないって言ってるでしょ?」女性が溜め息交じりに言う。「本当に情けないわね」
女性はアイリスを見て言った。
「こんなところでバカ面晒してないで、親孝行でもしたらどうなのアイリス・クレイヴン・ルル」
「ち、違うもん……うちは中貴族じゃないもん……」
「あら? そうだったわね。それに今は貴族制度は廃止になったんだっけ?」
女性はアスラに視線を移した。
「君も貴族かね?」
「まさか。でも、かつてはそうだったかもね」女性が微笑む。「今はもう違う。まぁ、どうであれ、ここであんたらに会ったのは偶然よ。あたしはただ、世界を軽く見て回っているだけだもの。あるいは、これも運命なのかしらね?」
「君は誰だい? 私を知っているかね?」
「知らないのよ。悲しいことに、あたしはあなたを知らない。直接はって意味。噂は知ってるのよ? アスラ・リョナ。弱い方のジャンヌを殺したんでしょ? 正確には妹。本物のジャンヌは、あんたらなんかに殺されないわ」
「どういう意味だい?」とアスラ。
それはアイリスも気になった。ルミアが強いと言っても、アイリスとイーナで倒したのだから。
「強さの次元が違うもの。考えてみて、もし本物が10年間、死ぬ思いで強くなったとしたら? 世界に報復するため、全てを捨てて鍛錬に励んだら? 神域属性すら得られると思わない?」
ルミアの10年はアスラを育てるために使った。自分のためには、ほとんど時間を使っていない。
でも、とアイリスは想像する。女性の言葉通りの人生をルミアが歩んでいたら?
アイリスにとってのラスボスはアスラではなくて、ルミアだったはずだ。
「君が何を言ってるのか理解できないね」アスラが言う。「ジャンヌは殺した。本物も偽物もあるか」
そう。確かにあのジャンヌは偽物だけど、今更関係ない。
それに、アクセルは姉妹の入れ替わりを知らない。これ以上、この話はしない方がいい。
「そう。じゃあいいわ。でも覚えておいてねアスラ。あたしという存在は自分で蒔いた種なのよ? あなたが預言を破壊したせいで、あたしがここにいるのだから」
「君は貴族王の関係者だね?」
「ええ。一応は、そうね。彼の関係者」
「それは都合がいい。ノエミ・クラピソンの居場所を吐け」アスラが言う。「ノエミはセブンアイズになったのだろう?」
「セブンアイズ?」女性が首を傾げて、数秒後にポンッと手を打った。「あの雑魚7匹のことね。まぁ、彼らの主人自体が雑魚なのだから、仕方ないけれども」
「知らないなら、もう行きたまえ。君に用はない」
アスラは淡々と言ったけれど、内心ではたぶん違う、とアイリスは思った。
被害が出る前に帰ってくれと思っているはずだ。
と、メロディが上段蹴りを放った。
けれど、女性はピクリとも動かなかった。
「どうして避けようともしなかったのかな?」
メロディの蹴りは女性の顔を捉えていたが、メロディはギリギリで蹴りを止めた。
「当てる勇気ないでしょ?」
言いながら、女性はメロディの足に触れて、ゆっくりと下げる。
メロディは何も言い返さなかったので、図星なのだ。
メロディが1人なら、もしかしたら当てたかもしれないけれど。
「じゃあもう行くわね」
女性が歩き始める。
「最後に1つだけ質問させておくれ」
アスラが言って、女性が立ち止まる。
「君は、君が言う本物のジャンヌを倒したかい?」
女性は答えなかった。
「さようなら」
そう言って、女性が再び歩き始める。
今度は誰も何も言わなかった。女性の姿が見えなくなるまで、重苦しい沈黙が続いた。
「んだよあいつは……」アクセルがドハーッと息を吐く。「雰囲気だけで殺されるかと思ったぜ」
「大英雄のくせに情けないな」
そう言ったマルクスの足はガクガクと震えていた。脅威が去って緊張の糸が解れたせいだ。
「姉様をバカにされたようで悔しいですわ」ティナが言う。「でも、言い返したらぼくは死ぬ……そんな気がして何も言えませんでしたわ」
「ははっ、君たちは本当に弱気だね」
ガクガクガクガクとアスラは全身で振動していた。
「震えすぎでしょ!?」アイリスが言う。「子羊かっ! 生まれたての子羊かっ!!」
「私のは冗談だからね」
アスラの振動がピタリと止まる。
「今の女性が怖くないとか、逆にサイコパスかっ!?」とアイリス。
「サイコパスだよ」
「サイコパスだったわ!」
「私、恐怖でイッちゃった」メロディが恍惚とした表情で言う。「あの人、また会えるかな?」
「あんたどんな変態よ?」とアイリス。
「俺様はもう会いたくねーな」アクセルが言う。「つか、娘の変態性癖なんて知りたくもねーぜ。パパのいネェとこでやってくれや?」
「アレは関わっちゃいけない部類の存在だよ」とアスラ。
「正体が分かったんですか団長?」
「いや、推測だよ。だから言わない」アスラが少し笑う。「でもあいつ、このまま大人しくしてるかな? あいつが何かを始めたら、どっかでかち合うかもね」
「恐ろしいわね。このまま世界を旅して人生を終えて欲しいわ」とアイリス。
「ふふっ、もしかち合ったら、あいつは私にとってのラスボスになるだろうね」アスラが言う。「あいつを倒したら、私の物語はお仕舞い的な」
「は? 何言ってんのよ」
アイリスはちょっとイラッとした。突然現れたどこかの馬の骨に、アスラを取られたみたいで気に入らないのだ。
アスラを倒すのは、あたしだし。アスラだってそれを望んでるんだから。
「まぁいい。彼女のことは1度忘れよう。出会ったのは本当に偶然だろうしね。任務を続ける」
「おう。じゃあ頑張れよ」アクセルが言う。「大英雄会議の時に、詳細聞かせてくれや」
アクセルとメロディが立ち去る。
「よし、では私らはこのままファリアス家を襲撃する」
◇
祭壇エリアに地下室への入り口が隠されていた。
サルメとレコは顔を見合わせ、小さく頷く。
そして先にサルメが隠し扉を潜り、レコがそれに続いた。2人の任務は魔王弓の確認と盗み出すプランを練ること。
「むしろ、このまま盗んで帰りますか?」
「でもユルキは直接触るなって言ってたよ? 包むための布とか持ってないし、そもそも命令と違うよ?」
魔王弓が封印されている理由は、持ち主が呪われるから。よって、念のため魔王弓には素手で触れず、毛布か何かに包むのが望ましい。
エルナやヘルムートの話では、加工の最中は誰も呪われなかったらしい。
魔王の骨が武器としての形を整えて、更に一定以上の戦闘能力を有した者が素手で触れた場合のみ、呪いが発動する。
じゃあ常に手袋をして武器を使えばいいのでは? とサルメは思った。
でも、ふとした時に素手で触れてしまう危険性は消せない。自分以外の誰かが触る可能性もある。
だから結局、封印された。
「そんなの臨機応変ですよレコ」
狭い階段を下りながらサルメが言った。
階段は薄暗いが、暗闇ではない。ちょこちょこ燭台があって火が灯っている。
階段も壁もかなり綺麗なので、普段から清掃されているのだ。
「まぁそうかもしれないけどさ」
階段を下り切ると、そこは割と広い部屋だった。
ベッドなどの生活に必要な品も置いてある。
誰かが住んでいて、魔王弓を管理しているということ。司祭かもしれないし、助祭かもしれないし、別の誰かかもしれない。現時点では不明だ。
しかし2人は即座に集中して、敵襲に備えた。
サルメがゆっくりと進み、レコが周囲を警戒。
サルメの視線の先に、真っ白な骨弓があった。その白さはまるで雪のよう。だが恐ろしく禍々しい。足がすくむほどに。
魔王弓だ、とサルメは直感した。
魔王弓は壁に掛けられていた。矢はどこにも見当たらない。市販の普通の矢を使うのかもしれない、とサルメは思った。
その直後、サルメの右からクレイモアが飛んできた。
正確には誰かがサルメの右からクレイモアを振ったのだ。
サルメはその一撃をしゃがんで躱し、すぐに跳んで間合いを開く。
レコも同じようにした。
ほとんど敵の気配を感じなかった。
というか、サルメもレコも人がいると予想はしていたが、人の気配は感じなかった。
「何者です?」とサルメ。
ラグナロクを持っていないので、短剣を両手に構える。
「こちらの台詞だ」と若い男の声。
声だけの判断では20歳前後か。
「オレたち、迷って入っちゃっただけだよ? 殺さないで!」
レコが怯えた風な演技をした。
「バカ言うな」男が言う。「お前らプロだろうが。大方、魔王弓の存在を知った金持ちに雇われた傭兵か、盗賊ってところか?」
男は周囲の壁と同じ色の服を着ていた。
迷彩だ、とサルメもレコも即座に理解。だからすぐに発見できなかった。
しかし今はクレイモアが火の光に反射するので男の居場所が分かる。
「仮にそうだとして、あなたは何者ですか?」サルメが言う。「あなたもプロですよね? 本来なら、さっきの一撃で侵入者を殺すはずだったのでしょう?」
気配を消し、周囲に紛れ、虚を突いて攻撃。一撃必殺。少し魔法兵に似ている。
「我々は神の下僕」男が言う。「神と神王の名の下に、あらゆる任務をこなす部隊」
「それって神聖十字連?」
レコが言った。
教会の特殊部隊だ。アサシン同盟に近い役割を持っているが、アサシン同盟と違って割と有名な部隊。
隠す必要がないのだ。神の名の下に行われる殺しは綺麗な殺しなのだから。少なくとも、信者たちはそう信じている。
「知っているなら話が早い。俺の任務はあと4年、魔王弓を守ること。残念だが、仮にお前らが本当に迷い込んだのだとしても、魔王弓を見たからには殺す」
4年で任期を終えて交代する、という意味だ。
別に4年後に特別な何かがあるわけではない。
「なるほど。ではあなたを殺せば、魔王弓は私の物ですね」サルメが笑う。「運が悪かったですね!」
サルメが短剣を投げた。
男がクレイモアでガード。
レコが男の足下に滑り込み、握っていた【普通の砂】を男の顔に投げつけた。
男は咄嗟に目を瞑りながら跳んだ。そして目を開くが、暗闇の中だった。
サルメの【目隠し】である。
本命はこれ。最初の短剣も、レコの滑り込みも、【目隠し】のための陽動。
「なんだ!? なぜ見えない!?」
男は焦った。そして焦っている間に、サルメが男の背中を刺した。もちろん、移動は素早く、けれど気配は殺していた。
男が痛みに身を捻る。そしてデタラメにクレイモアを振った。
レコが遠くから短剣を投げる。
その短剣が男の腕に刺さった。男が呻く。
「神聖十字連って、たいしたことないですね」とサルメ。
「目が見えなくなったぐらいで狼狽するとか、割と雑魚の部類だよ?」とレコ。
男の急襲はかなり良かったけれど、正当な実力はあまり高くない。
試合形式で戦えばサルメより強いかもね、という程度。
「くそ! 貴様ら! それがどれほど危険な武器か分かっているのか!?」
「知りませんよ、使ったことないですし」
サルメが短剣を投げて、男の胸に突き刺した。
「……司祭様……すみません」
男が息絶えた。
「てゆーか、護衛がいるとか聞いてないし」レコが頬を膨らませた。「これ、エルナにお金貰ってもいいんじゃない?」
「まったくですね」サルメが言う。「一部の英雄と鍛冶職人、それから隠し場所の主しか存在を知らないって執事さん言ってたのに」
隠し場所の主は、この教会の司祭だ。
「まぁ、司祭にバレる前に出ようか」レコが言う。「魔王弓も持って帰らないと、隠し場所変えられちゃうかも」
「そうですね。臨機応変です」
サルメが素手で魔王弓に手を伸ばした。
「サルメ、素手はまずいと思う。ユルキは何かで包めって言ってたし、呪われるかも」
「呪われるには一定の戦闘能力が必要ですよね? 自慢じゃないですが、私はそんなに強くないです。まぁまず、呪いなんて別に私は怖くないですけどね。あれ? もしかして怖いんですかレコ?」
サルメはニヤニヤしながら魔王弓を両手で壁から外す。
「ほら、雰囲気は禍々しいですけど、別にどうってこ……」
その瞬間、サルメの中に怨嗟の声が生まれた。
ありとあらゆる呪詛。気が狂うほどの怨念。凄まじい負のエネルギーをぶつけられて、サルメは泣き叫んだ。
「サルメ!?」
レコがサルメに寄って行く。
「やめでぇぇぇぇ!! 頭の中で!! あああああああ! 私の頭から出て行ってくださいぃぃぃぃ!!」
サルメが魔王弓を天井に向けて構える。
そして、極大の魔力の矢をつがえる。その魔力はサルメの魔力ではない。魔王の残滓。
赤い光のような魔力の矢。かつてアイリスが魔王戦で【紅の破壊】と名付けた魔法に近い。
「嫌ですぅぅ!! もうやめてぇぇ!! もう嫌ぁぁぁぁぁ! 痛い! 怖い! 誰か助けてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
サルメは混乱して我を忘れた。数千から数万に届くほどの怨嗟の声に、まともな人間は耐えられない。
サルメはまだ、アスラが体験したような無数の死を体験したわけではない。その前段階。怨嗟の声だけだ。
「魔王弓を手放してサルメ!」
レコの必死な声も、サルメには届かない。
サルメは【紅の破壊】を天井に向けて発射。
凄まじい威力で天井を貫いた赤く太い光線は、そのまま遙か上空まで飛んで行った。
青空が見えた。上にはもう何もない。全部消し飛んだ。
幸いだったのは、教会にもう人がいなかったことか。司祭の居住エリアも少し離れているので、なんとか原型が残っているし司祭も死んでいない。
「魔王になります……魔王になります……私が魔王です……私が……」
サルメはブツブツと言った。
その瞳はもう完全に正気を失っていた。