5話 アスラVSアイリス ラスボスと英雄、最初の攻防
物資の運び込みなど、全ての作業を終えてから、アスラたちは謁見の間に集合した。
そうすると、そこにまだアイリスがいたので、アスラは溜息を吐く。
「離脱しろと言わなかったかね?」
いつものように、円陣を組んでみんなが座る。
アスラもゆっくりと座った。
「しないよ、離脱」
アイリスは立ったままで言った。
「なんだって?」
アスラがアイリスを見上げる。
「しないって言ったの」
「おいおい、私の命令に背くなアイリス。吊るして鞭で打ってあげようか?」
アスラは冗談半分に言った。
「あたしね、考えてたの」
「いや、その案は却下だ」とアスラ。
「まだ何も言ってないけど!?」とアイリス。
「聞かなくても分かるよ」アスラが肩を竦めた。「気に食わないんだろう? 私らのやり方が、気に入らない」
「まぁそうね」アイリスが言う。「てゆーか、あたしの葛藤、知ってたんだ?」
「みんな知ってるよ」
アスラが言うと、他の団員たちが曖昧に笑う。
「アスラはさ、やりすぎなんだよね、いっつも」アイリスが言う。「魔殲もそうだし、今回もそう。皆殺しにする理由が分かんない」
「厳密には、数人は生かしておくよ? 私らの――」
「恐ろしさを伝えてもらうため、でしょ?」
アイリスがアスラの言葉を遮って言った。
「そうだよ。それが何か問題かね?」
「アスラが、アスラたちが、戦争好きなのは仕方ないし、戦うのを止めたりもしない」
「ではさっさと離脱したまえ」
「でも!」アイリスは強い口調で言う。「アスラが、ただの殺人鬼に堕ちるのは見たくない!」
「ほう。続けたまえ」
アスラが薄暗く笑う。
アイリスは少しだけビクッとなったけれど、小さく深呼吸して続ける。
「傭兵なら傭兵らしく! スマートに、かっこよく! 最小限の労力で問題を解決するべきよ! わざわざ、楽しみのために皆殺しにするなんて、そんなのやっぱり殺人鬼じゃない!」
「では、今回の戦争の場合」アスラが言う。「最小限の労力での解決とは? 何を指すんだい?」
「どこかの段階での交渉! あたしには、それを見極めるのは難しいけど、アスラならできるでしょ!? このタイミングで交渉すれば、戦争を終わらせることができる、ってタイミング!」
それは必ずある。講和のタイミングはあるのだ。戦場の銅鑼を響かせれば、お互いに戦闘を中断して話し合うというルールもある。
この古城にも、戦場の銅鑼は置いてある。古いものだが、音が出ればいい。
「ああ、アイリス、やっぱり君はいつも正しい」アスラが言う。「まったくもって、その通りだよ。素晴らしい! 満点をあげるよ! ああ、だけど、断る!! 私はみんな殺したい! イーナだってそう思ってる! なんでわざわざ、許してやらなきゃいけないのだろう? 全滅するまでが楽しい! それを途中で止めるなんて、そんなのバカげてる! 誰に依頼されたわけでもない、趣味の戦争なんだからね!」
もしこれが依頼なら、アスラは依頼された通りの結果を出す。
でも、貴族たちは自分たちの都合で《月花》を攻撃すると決めたのだ。
であるならば、《月花》だって自分たちの都合で貴族どもを皆殺しにしてもいい。そういうものだ。
誰かを攻撃するなら、反撃を受ける覚悟が必要だ。
誰かを殺すなら、逆に殺される覚悟も必要だ。
「だから! そんなのただの殺人鬼でしょ!? スプレーキラーじゃないの!」
アイリスが言って、ラウノが少しビクッとした。
スプレーキラー、つまり大量殺人犯という言葉に反応したのだ。
「勘違いするなアイリス。これは依頼じゃない。趣味の領域なんだよ」アスラが真面目に言う。「依頼なら、私らは完璧に遂行する。傭兵としての矜持があるからね。でもこれは違う。そもそも向こうが仕掛けてきた。だろう? なら、大量に殺して何が悪い?」
「何が悪いって……そもそも人殺しが悪でしょうが!」アイリスが怒って言う。「向こうが仕掛けて来たから何なの!? アスラはかっこいい傭兵でいてよ!! スプレーキラーになんか、なって欲しくない!!」
「アイリス、もうよせ」
マルクスが立ち上がり、アイリスの腕を掴もうとした。
しかし、アイリスはヒラリと身を躱す。
「マジでもうやめろアイリス」ユルキが言う。「ここが分水嶺だぜ? お前にやれるのかよ? ガチでルミアの代わり務まるのかよ?」
他の団員たちも、不穏な空気を肌で感じている。
ブリットは少し怯えた様子だったし、メルヴィはティナに抱き付いている。
「あたしは英雄よ?」アイリスが真面目に言う。「これから大量殺人を犯すって言ってる人を、放置できない。アスラはあたしが止める」
「何のために?」とアスラが首を傾げた。
「あたしの正義のため、あたしの矜持のため、それと、いつかアスラが言ったから」アイリスが少しだけ悲しそうに微笑む。「私を止めて欲しいって」
「いや、言ってない」
「あたしには、そう聞こえた。だから」アイリスが片刃の剣を抜く。「覚悟は決めた。アスラを世界の敵にはしないし、殺人鬼にもしない。アスラは暗闇の中を生きてるけど、それでも一流の傭兵だよ? だから趣味でも何でも、それらしく振る舞って」
「いや、アイリス、それならむしろ貴族たちを止めればいいだろう?」とアスラ。
「冗談でしょ? 何の意味があるの?」アイリスが言う。「彼らがやっぱり進軍しません、って言って、それで何が変わるの? アスラたちは嬉々として殺しに行くでしょ?」
「ちっ」とアスラが舌打ち。
収穫するには、まだ幼い。
この果実を収穫するのは、まだ早い。
ああ、だけれど。
引かないのなら、仕方ない。
「三流の殺人鬼みたいなアスラ、見たくないのよ」
「君が死ぬ理由は3つだよアイリス」アスラが立ち上がって言う。「第一に、私の命令を無視した。第二に、私に喧嘩を売った。第三に――」
話している途中で、アイリスが踏み込み、片刃の剣を横に振った。
アスラは咄嗟に短剣を握ってガード。
ガードと同時に、力の方向と逆に飛ぶ。だが遅い。短剣が折れて、アイリスの剣がアスラの脇腹に当たる。
私が遅いんじゃないっ、アイリスが速いっ!?
ダメージを負いながらも、なんとか飛び去る。
アイリスが追ってくる。
「戦闘が始まってないと思ったの?」アイリスが言う。「何をボサッと話してるの? ああ、傭兵じゃなくて三流の殺人鬼だから?」
アイリスの突きを、アスラが躱す。
その突きは、明らかにアスラの急所を貫こうとしていた。
躱さなければ、死んでいた。
ゾクゾクと、アスラの背筋が震える。
アイリスが、あのアイリスが、
私を、殺そうとしている!
なんて、甘美な、時間。
アスラは【地雷】を使おうとしたが、アイリスがそれより早く剣を振る。
「なんで使えると思ったの?」
アイリスはずっと、アスラたちと一緒にいた。ずっと、長いこと、一緒だったのだ。
魔法兵の戦いは理解している。
◇
「団長、負けそう」とレコ。
レコたちは謁見の間の隅に寄って見学している。
アイリスが踏み込んだ時に、みんな巻き込まれないよう、急いで移動したのだ。
「アイリスさん、やっぱり強いんですね」とサルメ。
アイリスは剣がメインだが、体術も織り交ぜている。その体術は《月花》が教えたものだ。
「うちで訓練を重ねたからな」とマルクス。
「元々、試合形式ならアイリスの方が強いだろ?」ユルキが言う。「それが、俺らのやり方まで覚えたんだ、そりゃ強いって。問題にしてんのは、アイリスに団長を殺す覚悟があるかってこと。実力は心配してねぇ」
「そもそも、どうしてこうなりましたの?」とティナ。
ティナにはメルヴィが抱き付いたままだ。
「……考え方の、違い……」イーナが溜息混じりに言う。「……アイリスは、ほら、あたしらとは、違うから……」
「アイリスはかっこいい傭兵としてのアスラがとっても好きなんだよ」ラウノが言う。「だから、三流の殺人鬼みたいな振る舞いが許せないって部分もあるね」
「オレ、よく分からないな」レコが言う。「団長は特に前から変わってないと思うけど?」
「変わったのはアイリスさんの方では?」サルメが言う。「今日はやけに団長さんに突っかかってましたよね?」
「……人間関係は面倒ですぅ……」
ラウノに抱き付いているブリットが言った。
「ぶっちゃけ、皆殺しを止めたらいいじゃありませんの」とティナ。
「団長が止めると言えば、自分たちは止める」マルクスが言う。「個人的には、別に皆殺しでも問題はないと思うがな」
「俺はどっちでも。大軍に勝つだけでも、宣伝効果は十分だしな」
ユルキが両手を広げて首を振った。
「……舐めた奴は、皆殺しでいい……」イーナが言う。「……だいたい、向こうはこっちを、みんな殺す気でしょ……」
「それでも、アスラにはスマートに対処して欲しいと願っている」ラウノが言う。「アスラはボンボン貴族のアホ当主とは違う、とアイリスは思っている」
「団長さんのことを神格化していますね」サルメが言う。「たぶん、この中の誰よりも、アイリスさんが一番団長さんのことを好きですよね?」
「いや、オレの方が好きだし」レコが言う。「そこは譲れない」
「それより賭けよう」マルクスが言う。「団長はアイリスの熱意に折れると思うか? 1000ドーラだ」
「折れるんじゃない?」レコが言う。「なんだかんだ、団長って優しいからね」
「……折れない」イーナが言う。「……皆殺しは間違ってない……」
「難しいですね」サルメが言う。「なんだか、アイリスさんを今日、殺してしまいそうな気はしますけど」
「そりゃ大変だ」ユルキが肩を竦めた。「そん時は止めようぜ? 今、英雄まで敵に回したら結構ガチでヤバくね?」
現時点でも、《月花》には敵が多すぎる。
◇
素晴らしい! なんて素晴らしい!!
アスラはすでに、肋骨が折れている。
アイリスの攻撃は容赦なく、正確で、速くて強い。完璧だ。ほとんど完璧。
アスラの思い描く理想の戦闘スタイル。パワーとスピードとテクニックのバランスが非常に高い位置で保たれている。
アスラはアイリスの剣を奪おうと、アイリスの攻撃を躱してからアイリスの手首を捻りに行く。
だが察知したアイリスが返し技を仕掛けてくる。
その返し技をアスラが回避する。非常に高度なやり取り。
繊細な軌跡の剣撃を、紙一重で躱した時は心が躍る。僅かに遅れただけで、私は死ぬのだ。そのギリギリのスリルが、アスラの心を高揚させる。
アイリスは蹴りを織り交ぜて攻撃する。
体術は《月花》が教えたのだ。それでも、アイリスの体術はすでにフルセンマーク全土でも10本の指に入るレベルに仕上がっている。
とんでもない才能。アスラにもっと感情があったなら、きっと羨ましすぎて死んでしまう。そういうレベルの才能。
いつか、いつの日か、アイリスはメロディ・ノックスさえも超えていく。
ああ、指導者冥利に尽きる!
アイリスが左手に【閃光弾】を用意。さすがに、それをまともに見るアスラじゃない。
アイリスの左手が輝く前に、ローブのフードを被って、目を瞑る。
空気の流れなど、視覚以外の情報でアイリスの動きを探る。
下だ。
アスラはジャンプする。
アイリスはアスラの足を薙ぎにきたのだ。
空中で目を開く。アイリスの姿は見えないが、アスラは空中で身体を無理に捻った。
斬撃がアスラの身体を掠めた。ローブと肌が斬れた。
アイリスは峰ではなく刃の方でアスラを攻撃している。
着地と同時に右に飛ぶ。アイリスが追ってくる。
チェーザレよりも速くて、チェーザレよりも軽やかな追撃。
アイリスの成長は十分に堪能した。
実に素晴らしい。本当に素晴らしい。この調子なら、この調子で訓練したなら、来年には大英雄並の実力を得る。
そして、20歳になる頃にはフルセンマーク最強だ。
それでも。
それでも、アイリスにとってのラスボスはアスラだ。
「ああ、アイリス、将来倒すべきラスボスの恐ろしさを、少しだけ見せてあげよう。初めての本気だよ」
アイリスが縦に剣を振り下ろす。
アスラは最小の動作で、しかも少しゆっくりに見えるような動作で、剣の腹に触れた。
左手の甲でパンッと軽く触れるような感じ。
それで、剣の軌道が大きくズレた。アスラから見て左側にズレて、アイリスのバランスが崩れた。
アイリスは酷く驚いたような表情を浮かべた。
アスラは流れるように少しだけ移動。
バランスを崩したアイリスの脇腹に、アスラは右の掌底を当てる。それもまた、やけにゆっくりとした動きに見えた。
アスラの掌底を起点に、アイリスの身体がくの字に曲がる。
それからすぐにアイリスの身体が吹っ飛び、床を転がった。
「あらゆる無駄な動作を省いた、テクニックの極致」
アスラが言った。
ここまで極めたのは、当然、こっちの世界に転生してからだ。
身体が小さくて、パワーに頼れないから、だからテクニックを磨いた。とことん型を追求した。
「冗談でしょ……。どんだけよ……、アスラ、どんだけ隠し球あるのよ……」
アイリスが剣を杖にしてヨロヨロと立ち上がる。
一撃で、すでに大きなダメージを負った。
「どうかな? 少なくとも、全ての人間を殺せると自負しているよ。ちなみに、私にアクセル並の筋力があれば、今の一撃で君を殺していた」
ああ、でも、とアスラは思う。男に生まれていたならば、ここまでテクニックを磨こうとは思わなかっただろう。
「ところで、誰が三流の殺人鬼だって? 私は魔法兵だよ?」
アスラがパチンと指を弾くと、アイリスの剣が爆発した。
剣を杖代わりにしていたアイリスは、爆発の衝撃で引っ繰り返った。
衝撃そのものでダメージを負った上、剣の破片がいくつも身体に刺さった。
「取り消すなら、今だよ?」
アスラはゆっくりと歩いて、アイリスの近くに立った。
アイリスは床に仰向けに倒れたままで、立ち上がれない。
「強さのことじゃなくて……」アイリスは真っ直ぐな瞳で言う。「態度の話だもの……取り消さないわよ」
「そうかい」
アスラが右手を少し持ち上げる。
それと同時に、団員たちが飛んで来てアスラに短剣を突きつけた。
文字通りの意味ではなく、飛ぶように素早い動きでアスラに近寄り、牽制したという意味。
「おいおい……」アスラが呆れ顔で言う。「私は【花麻酔】を使おうとしただけで、トドメを刺そうとしたわけじゃないんだけどねぇ」
マルクス、ユルキ、イーナ、ラウノの4人がアスラに短剣を当てている。
マルクスが背後で、イーナは正面の下。ユルキとラウノが左右。
「みんなで謀反ですね!」とサルメ。
「やったねサルメ! これで俺かサルメが副長だよ!」とレコ。
2人は謁見の間の隅から動いていない。
「しかし、君たちやるねぇ」アスラが言う。「本気で動けない。素晴らしいよ。でも、短剣を引っ込めてくれると嬉しい」
アスラは団員たちの成長を実感していた。
アスラの言葉で、マルクスたちが短剣を仕舞う。
「言っておきますが、謀反ではありません」マルクスが言う。「現状で英雄と敵対するのは悪手だと思ったまで」
「分かっているよ」アスラが笑う。「副長としての責任を果たしたんだろう? 問題ない」
「ちっ」とサルメ。
「残念」とレコ。
「お前らの野心がたまに怖いぜ俺は」ユルキが苦笑い。「平気で蹴落としてきそうだもんな」
「……それで団長、どっち?」イーナが言う。「皆殺しは……しない?」
「アイリスの気概に免じて、皆殺しの前に一度だけ話し合いの場を設けようと思う」アスラが言う。「講和のタイミングを見極めて、一度だけ貴族どもにチャンスをやる」
向こうがそれを棒に振ったら、それはそれ。
アスラにとってはどちらでもいいのだ。
アイリスの顔を立ててやるだけのこと。
今回、アイリスはお互いの命を張った。命のやり取りを覚悟した。
成長したのか、誰かにそそのかされたのかは知らないが、どちらにしても楽しかった。