EX34 凍てつく絶望の槍 冷たい地獄へようこそ
オルガは海賊王コンラート・マイザーと船旅をしていた。
オルガは22歳の女で、髪の色は青。瞳の色も同じ。あまり鍛えていないので、それなりに胸もある。
「野郎ども!! 急に冷えて来やがったな!!」
コンラートが叫んだ。
部下たちが「「そうっすね!!」」と返事をした。
ここは洋上。フルセンマーク大地からはずっと離れた北の海。
あの日、オルガたちは監獄島から逃げ出し、ヘルハティ海軍と戦い、打ち勝った。そして彼らの船を頂いた。
そこからはコンラートの快進撃。商船を襲いながら物資を蓄え、仲間と船を増やし、海賊王の復活を宣言した。
「ねぇねぇコンラートさん! 風邪引いちゃうから、ここはペトラに任せて船室に入ろうよぉ!」
オルガはコンラートの身体を心配した。未だにコンラートは強者だが、若くはない。
「おう、あたしに任せとけ」ペトラが言う。「船の操縦も、割と慣れてきたってなもんよ」
ペトラは元《焔》の班長だ。
ペトラはさすがに強いし、機転も利く。他の囚人たちとは一線を画した存在だった。もしコンラートがいなければ、監獄島で派閥のボスになれるだけの器だった。
ちなみに、新生コンラート海賊団の副団長を務めている。
「けっ、ワシを船室に追いやるんじゃねぇ!」コンラートが自分の胸を叩く。「ちょいと寒いぐらい、どうってことねぇ! ワシらは新大陸を探して、一攫千金目指してんだ! 寒いからなんだってんだ!」
コンラートは自ら舵を取っている。
現在、コンラート海賊団は三隻の外洋船で構成されている。
他二隻の船の船長は、もちろん船と海に詳しい者を採用している。襲った商船の船員と、街で勧誘した者だ。
ペトラは副団長だが、船と海についてはまだまだ勉強中の身である。船を任せるには経験が足りない。
もちろん、口先だけで取り入っているオルガが船を任されることはない。
「まったく、あんたは頑固だな! ボスなんだから、ドンと構えててくれよ!」
ペトラが笑いながら言った。
「構えてんだろうが! ワシは現場大好き人間だからな、引っ込まんぞ!」
コンラートはがっはっは、と笑う。
その笑い方が、オルガは好きだった。豪快で、悪者っぽくていい。
元《自由の札束》のユルキ・クーセラもカッコよかったし、好きだけど、所属している団が無理。オルガ的に、《月花》の仲間にだけはなりたくない。
「カシラ!! いきなり前方に船が!! 衝突します!!」
見張りをしていた部下が叫んだ。
「バカな!! 見逃したのか!?」
コンラートが慌てて舵を切った。
「嘘……氷の船?」
オルガは我が目を疑った。
斜め前方から、突如として現れた船は氷で創られていた。
「衝撃に備えろぉぉぉ!」とペトラ。
数秒後、凄まじい衝撃で船が大きく揺れた。
オルガは壁や床を転がって、何がなんだか分からなくて、混乱した。
あちこちが痛い。
「うぅ……なんで氷の船が……いきなり……」
船が安定したので、オルガはゆっくりと立ち上がった。
そうすると、船の前方が完全に破壊されていた。氷の船が突き刺さっている。
「ふざけやがってクソッタレが!」
コンラートは両方の腰にショートソードを装備していて、それを両方抜いた。
西フルセンではショートソードの二刀流か、双剣と呼ばれる最初から対の剣が流行している。
コンラートは西フルセンの出身だ。
「氷の船とか初めて見たっつーの!」
ペトラも剣を抜いた。
ペトラの剣は長剣で、東フルセンで流行している剣だ。
コンラートもペトラもさすがだなぁ、とオルガは感心した。2人ともダメージを負っていないし、即座に戦闘態勢を取った。
オルガは武器を扱えないので、壁に身を寄せておく。
他の二隻の仲間の船は、速度を落としながらこちらに近寄ってくる。
横付けして、戦闘員を送り込むのだ。氷の船の連中と戦うために。
「ごめんなさいね、本当にごめんなさいね」
氷の船の船首から、1人の女がフワリとこちらの船に移動した。
異様な女だった。
雪のように白い肌に、雲みたいに白い長い髪、そしてやっぱり純白の服。
服と言うよりは、ゆったりとした前開きの羽織。
たぶん、とオルガは観察する。
この女はその羽織以外、何も身につけていない。素足だったし、身体のラインを見る限り、下着も穿いていないように見える。
「これより先には、行ってはいけないの。ごめんなさいね。ここまでなの。本当にごめんなさい」
「てめぇは何者だ!?」とコンラート。
「ああ、自己紹介ですか? 忘れていてごめんなさいね。わたくしは、ハスミン・ガビオラ。ずっと昔に死んだ者。生き返ってしまってごめんなさいね」
ハスミンと名乗った女は、憂鬱な表情と声で言った。
女の見た目の年齢は30歳前後。かなり色気がある。大人の色気。怪しい雰囲気。
「ちっ、頭がどうかしてんじゃねーの?」ペトラが言う。「人間じゃなさそうだけど、人語を解するってことは、最低でも上位か……」
そんなわけない、とオルガは思った。
たぶんペトラもコンラートも気付いている。
ハスミンは最上位の魔物だ。身体が震えるのは寒さのせいだけじゃない。
「ワシは海賊王……、いや、今は冒険王とでも名乗るか!」コンラートが言う。「冒険王コンラート・マイザーだ! ワシの船団を攻撃して、ただで済むと思うな魔物!」
「あんたは十分、海賊だぜ?」ペトラが言う。「あたしはペトラ! この船団の副団長さ! クソッタレの魔物め! よくもあたしらの船を壊してくれたな!」
この船はもう使えない。なぜまだ沈まないのか謎なぐらいだ。
たぶん、とオルガは考える。氷の船に支えられている感じなのだろう。
そして、自己紹介をしている間に、仲間の船が横付けした。さすがに素早い。
横付けした船から、次々に梯子がかかる。橋代わりだ。
「ああ、本当にごめんなさい。ごめんなさい。これからわたくし、あなたたちを殺さなくてはいけないの。だからごめんなさいね。許してね。ごめんなさい」
ハスミンが両手を広げる。
「神域属性・氷結、攻撃魔法【つらら雨】」
空から氷の槍が山ほど降ってきた。
それは広範囲に降り注いだ。
嘘だ、とオルガは思った。こんな強力な魔法は見たことがないし、聞いたこともない。
「くそったれがぁぁぁああ!!」
コンラートはつららの雨をショートソードで破壊しながら、オルガの方へと走った。
オルガの右腕をつららが掠める。その痛みで、オルガは身を縮めた。
オルガに別のつららが刺さりそうになったけれど、コンラートがショートソードで打ち砕いた。
つららの雨が止むと、周囲は地獄だった。冷酷で冷徹な完璧な地獄。
串刺しにされた仲間たちと、穴だらけの船と、朱色に染まった甲板。
そこにあるのは絶望だった。
オルガの22年の人生において、これほどの絶望に遭遇したことはない。
声すら出せなかった。
「あら?」ハスミンが言う。「3人は生き残ったのね。ごめんなさいね。一撃で殺せずにごめんなさいね」
生き残ったのはオルガ、コンラート、ペトラだ。
他の仲間は死んでしまった。少なくとも、見える範囲の仲間はみんな死んだ。話をしたり、ゲームをしたり、襲撃したり、寝食を共にした仲間たち。
新大陸に行こうぜって、意気込んでいた仲間たち。
せめて声が出れば、とオルガは思った。
氷のクソ女を罵倒する声が出せれば。せめて。
「クソッタレ、クソッタレの魔物が……」傷だらけのペトラが、剣を杖のようにして立っていた。「殺してやる、殺してやるぞお前……。あたしは元《焔》だ! 氷なんかで、灼熱の焔が負けるかっ!」
ペトラが剣を構えて飛ぶ。
すごい、とオルガは思った。ケガをしても倒れない。相手が圧倒的でも怯まない。
だけど、ペトラの剣は届かない。
「支援魔法【絶対氷壁】」
ハスミンの周囲を、氷の壁が囲う。
ペトラは気にせず、剣を氷の壁に叩きつけた。そうすると、剣が折れて宙を舞った。氷の壁は凄まじい強度だ。
氷の壁が消えて、即座にハスミンが右手でペトラの首を掴んだ。
そしてそのままペトラを持ち上げる。
ハスミンは一見すると、か弱そうに見えるのだが、腕力も魔物のそれだ。
「ペトラ!! クソ! 済まんオルガ! ワシらはここで終わるかもしれん!」
コンラートが駆ける。
終わってしまう。ハスミンには勝てない。
オルガたちの旅が、こんなところで、魔物に殺されて終わってしまう。
オルガは心底、願った。
助けて欲しい。誰かに助けて欲しい。人間でなくても、《魔王》でもいいから、お願いだから助けて欲しい。
「あ……だ……誰か……」オルガは声を振り絞る。「誰か助けてぇぇぇぇぇえぇえ!!」
「有料だよ」
聞き覚えのある声に、オルガは酷く驚いた。
直後、ハスミンの右腕が爆ぜた。
ペトラが甲板に落ちて、即座にコンラートがペトラを抱きかかえ、ハスミンから距離を取る。
ハスミンは腕を失って悲鳴を上げた。
そして。
空中のドラゴンから4人が飛び降りた。
3人は黒いローブを着ているが、1人は道着姿だった。
「これはまた弱そうだね。さっきのステルス【地雷】を躱せないなら、初手ヘッドショットで良かったね。失敗したなぁ」
ハスミンを見てそう言ったのは、アスラ・リョナ。監獄島で少しだけ一緒だった少女。傭兵団《月花》の団長。
「頭を吹き飛ばせば死ぬ、とは限りませんよ団長」マルクスが言う。「魔物ですからね。それに、自分もそろそろ戦いたいですね」
「バッカ、お前ら油断すんなって! 神域属性の魔法使うんだからな!」
アスラの肩に乗っている、茶髪の男の子の人形が喋った。
人形が喋ったことに、オルガは少し驚いたけれど、それよりも、そんなことよりも。
「いくらでも払うからその魔物を殺して!!」
オルガは叫んだ。仲間の仇を討って欲しい。
「ラッキーですね団長」マルクスが言う。「いくらでも払うそうです。我々は実は運がいいのではないでしょうか?」
「やりましたね! 私、お金大好きです!」
サルメがルンルン気分で言った。
「わたくしの右腕……」ハスミンが辛そうに言う。「ごめんなさいね、本当にごめんなさいね。許さないわ。許せないわ。苦しく殺す。ごめんなさいね。本当に心から苦しめるから……ねぇブリット」
ハスミンはアスラの肩の人形を睨んで言った。
人形がビクッと身を竦めた。
「ビビるな」アスラが呆れた風に言う。「君はうちの城にいるんだから、安全じゃないか」
ちなみに、ブリットは拠点に残った仲間たちに状況を解説している。
ブリットは喋るのが苦手なので、聞いている方はややイライラしているようだが。
「アスラ・リョナか! 久しぶりだな! なぜここに!?」
「コンラート・マイザーか。奇遇だね。こっちが同じ質問をしたいぐらいだけど、この雪女を始末してから話そう」
「そいつはヤベェ相手だ」ペトラがコンラートの腕から降りながら言った。「ガチだ、あたしも手伝う」
「必要ない。邪魔だから引っ込んでいておくれ」アスラが言う。「君らの命は保証しない。依頼主のオルガは護衛してやるが、君らは自分の命だけ守っていればいいさ」
「分かってねーな! そいつは最上位の魔物なんだっての!」
ペトラが怒ったように言った。
「分かっていないのはお前たちだ」マルクスが首を振る。「どうってことはない。見ていたからな、我々は」
船員たちが串刺しにされる場面を上空から見ていた。
「……ああ、ごめんなさいね、わたくしの右腕……こんな姿になってしまって」
ハスミンはいつの間にか、氷の義手を創っていた。しかも氷なのに指が動いている。かなり高性能な義手だ。
「チェーザレより強そうだし、私倒していい? お願い!」
メロディがニコニコと楽しそうに言った。
「お手並み拝見しよう。マルクスは不満だろうがね」
「命令なら、拝見します。別に自分はバトルジャンキーではないので」
マルクスが後方に飛んで、アスラとサルメも飛んだ。
残ったのはメロディとハスミンだけ。
「わたくしは、ハスミン・ガビオラ。ずっと昔に死んだ者。そちらは?」
「メロディ・ノックス。英雄だけど」メロディが醜悪に笑う。「今はマホロ。マホロのメロディ」
「いきなりマホロを名乗るか」とアスラ。
「これは面白い見世物ですね。酒が欲しいですな」とマルクス。
傭兵団《月花》のあまりの緊張感のなさに、オルガは少し不安になった。
相手の戦闘能力を、ちゃんと理解できていないのではないか、と。
そしてそれは、ペトラとコンラートも同じだった。