6話 英雄は人類を守る希望のような存在 分かった、でも死ね
アーニア側は銅鑼を鳴らし、一時的に戦闘を止めた。
戦争にはルールがある。アスラは多くを無視するけれど、ちゃんとルールがあるのだ。
銅鑼を鳴らした場合、大将同士で話し合いたい、という合図。
大抵は降伏する場合に鳴らすので、よほどヒートアップしていない限り、戦闘は中断される。
テルバエ兵とアーニア兵はそれぞれ横一列に並び、20メートルほどの距離で対峙。
テルバエ側からマティアスと他数名が前に出る。
アーニア側からは傭兵団《月花》とテロペッカ。
それから、捕虜にしたプンティ。
「プンティ!?」
プンティを見てマティアスが大きな声を上げた。
「マティアス殿」テロペッカが言う。「捕虜交換を申し出る」
「……姿が見えんと思ったら、《月花》に捕まっていたのか……」
マティアスがルミアを睨んだ。
ルミアは肩を竦めただけで、否定も肯定もしなかった。
「マティアス殿の息子であり英雄候補のプンティと、そちらが捕えている我が方の兵士全員を交換してもらいたい」
「全員……だと……?」
「それだけの価値がある、とワシは思っている。銅鑼を鳴らし、戦闘を中断してでも、捕虜交換を持ちかける価値がある、と。よって、彼には尋問も拷問もしていない。が、断るというのであれば仕方ない。プンティから得られるだけの情報を得たのち、処刑させてもらう」
「貴様……どうせ《月花》が汚い手を使ってプンティを捕縛したのだろう!?」
マティアスは顔を真っ赤にして叫んだ。
今にも剣を抜きそうな勢いだった。
しかし、それはないと誰もが知っている。
英雄には特権がある。
同時に義務もある。
私怨による殺人の禁止。私利私欲による殺人の禁止。主には英雄同士で殺し合わないための義務だが、一般人にも適用される。
もちろん、戦闘中の殺人については咎められない。軍属の英雄が多いからだ。
しかし、この戦闘を中断した状況でマティアスが誰かを殺せば、それは私怨によるもの。
すぐに英雄の称号を剥奪される。
「プンティ君」ルミアが微笑む。「自分がどうして捕まったのか、お父様に説明しなさい」
「父さん……僕は、決闘で負けたんだよ……」
「バカな!? お前ほどの実力者が、決闘で負けただと!? 信じられん! 誰に負けたと言うのだ!? テロペッカか!?」
「わたしよ」ルミアが言う。「ごめんなさいね。わたし、ちょっと強いの。知ってるでしょ?」
「傭兵団《月花》の、副長……ルミア・カナール……。確かに貴様なら、プンティとも対等に戦えるやもしれぬ……」
マティアスはきつく拳を握っている。
「対等? その冗談は笑えないわ。でもまぁ、その話は置いておきましょう。どうするの? 捕虜交換に応じるのかしら?」
しばらく沈黙。
誰も何も言わないまま、数秒が経過。
マティアスはゆっくりと、「応じよう」と言った。
「おい、誰かアーニアの捕虜を連れて来い!」
マティアスが叫び、そこからまた沈黙が始まる。
酷く重たい沈黙。
けれど、ルミアはあまり気にしていない。
ユルキの方を見ると、「ちびりそう」と口を動かした。
英雄を敵として目の前にしているのだから、それも仕方ないこと。
マルクスの方を見ると、無言でマティアスを見ていた。
特に問題なさそうなので、ルミアはサルメに視線を移す。
サルメは英雄の強さや怖さをまだハッキリ認識していないので、割と涼しい顔をしているように見えた。
でも身体を半分ユルキの後ろに隠していた。
どうやら、怖いけどそれを表に出さないように我慢しているようだ。
「退屈ね。少し話でもしましょうか?」
「貴様と話すことなど何もない。捕虜交換が終わったら、ワシが自らくびり殺してやるから覚悟しておけ」
「あら怖いわね」
ルミアは両手を小さく広げた。
「連れて来ました!」
テルバエ兵がアーニア兵の捕虜たちを連れてきた。
全部で12人。
「結構、捕まってたんっすね」
「そのようだ」
ユルキとマルクスが呟いた。
捕虜交換は迅速に行われた。
「プンティ、ワシがどれほど心配したか……」
マティアスは縛られたままのプンティを抱き締めた。
今のマティアスは、完全にプンティしか見えていない様子。
不意打ちしたら倒せるのではないか、とルミアは思った。
もちろん、そんなことはしないけれど。
ただ、そんなことを考えてしまう辺り、魔法兵としての教育が染み込んでいる。
ここにアスラがいなくて良かった、と胸を撫で下ろす。
父と息子の再会も、戦争のルールもアスラには関係ない。
半殺しにして捕える、ぐらいのことはやりそうだ。
「ごめん、父さん……」
「いいんだ。お前が無事で良か……ぐっ!」
突然、マティアスの肩に矢が刺さって、
マティアスが少しだけ身を縮めた。
そして次の瞬間、
別の矢がマティアスの頭をぶち抜いた。
マティアスが地面に倒れる。
「は?」
ルミアは何が起こったのか理解できなかった。
たぶん、みんなそうだった。
少しの空白。
「おいっ! 冗談じゃねぇぞ!」ユルキが叫んだ。「俺らと交渉してる時に英雄が死ぬとかマジで冗談じゃねぇぞ!」
死んだ?
英雄が?
あのマティアスが?
《魔王》討伐を二度も生き残り、大英雄候補と言われるマティアスが?
たった2本の矢で?
「何があった!?」
「矢はどこから飛んで来た!?」
「誰だ!? 誰が射った!?」
急に周囲が騒がしくなる。
プンティは「……父さん……?」と震える声で呟いた。
ルミアは周囲を見回した。
襲撃者を探した。
でも見つからない。どこにもいない。
矢は誰が放った?
ああ、そんなこと、聞くまでもないじゃないの!
あのクソアマ、っとルミアは唇を噛んだ。
このタイミングで殺すか?
交渉が無事に終わって誰もが安堵するこのタイミングで?
特に、息子を取り戻したマティアスの気が緩んでいた。
そこでルミアは気付く。
騙されたことに。
プランAの助けになる――アスラはそう言った。
嘘だ。全部嘘だ。何もかもっ!
マティアスの気が緩むところまで計算して、プンティを捕まえたのだ。
その瞬間にマティアスを射貫くために。
全てはプランBの成功率を少しでも上げるため。
「これはどういうことだ!?」
テロペッカが叫んだ。
「知らないわよ! こっちが聞きたいわ! とにかく、わたしたちは関係ないわ!」
成功したらシラを切れ。
失敗してもシラを切れ。
「副長、周囲に混乱が広がっています。一度下がりましょう」
マルクスは比較的、冷静だった。
「え? え? え?」
サルメは未だに状況が飲み込めず、キョロキョロしながら右手でユルキのローブを掴んでいる。
「捕虜交換はすでに済んだわ! わたしたちは陣まで戻るわ!」
「ワシらも戻れ! 英雄殺しにされてはたまらん! 戻れ! 戦闘は行うな! 速やかに自陣まで引けぇ!」
今、テルバエを攻撃したらアーニアは勝つだろう。
だがダメだ。それをやったら、アーニアの策略であると宣伝するようなもの。
いや、もちろん今でもアーニアの関係者が最有力の容疑者なのだが。
◇
数分前。
アスラたちは木の枝に座っていた。
ここは森と草原の境界線。
ここからなら、主戦場がよく見える。
まぁ、見えると言っても600メートルは離れているので、肉眼でハッキリ見えるわけではないが。
「この派手な服、何に使うのかと思ったけど」レコが言う。「森の中なら、保護色になるんだね、団長」
「その通り。向こうからこちらは見えないだろうが、念のためだ」
アスラたちはいつもの黒いローブではなく、緑と茶色の迷彩ローブを着用している。
必要な道具は昨夜のうちに全てここに運んでおいた。
「さて。もうすぐ捕虜交換が始まる」
すでに銅鑼の音が戦場に響き渡ったので、戦闘自体は中断されている。
いいルールだ、とアスラは思う。
この世界において、戦闘が終わるのは日が落ちた時と銅鑼が鳴った時。
それから、みんな死んだ時か。
「イーナ。今後は君に狙撃を担当してもらうから、私の話をよく聞け。レコは本当に聞くだけでいい。頭の片隅に入れておけ」
「……あたし?」
イーナはアスラよりも少し高い枝に立っている。
「ああ。君は弓だけならうちで一番上手だからね。狙撃もすぐできるようになるさ」
アスラはコンポジットボウに固定した小型のフィールドスコープを覗き込む。
レティクルがないのはまぁ、仕方ない。
「本当は伏して撃つのがいいんだけど、弓矢じゃそうもいかないから、片膝を突いてしゃがみ、姿勢を制御」
「……団長がずっと練習してたの見てた……」
「ああ。だが説明はしなかったはずだ」アスラが言う。「しかし、この世界に望遠鏡の技術があって良かった。精度はさほど良くないがね」
前世の世界とは技術の発展の順序が色々と違うような気がした。
アレはあるのにコレはない。コレはあるのにアレがない。
一番悲しいのは、銃がないこと。
一番嬉しいのは、魔法が存在したこと。
「……弓に望遠鏡付けた人、初めて見た」
「だろうね。長距離狙撃という概念がこの世界にはない。はん。戦士どもがもてはやされる世界だから仕方ないだろうがね」
決闘や一騎打ちが当たり前の世界。
正々堂々と戦うことに重きが置かれる世界。
「おっと、人質交換が始まった」フィールドスコープを覗きながら、アスラが少し笑う。「狙撃において大切なのは風と距離。あとは重力による弾丸の……違うな、矢の落下」
「……なんとなく分かる」
「スコープ……望遠鏡のことだけど、スコープにターゲットを捉える。で、どの辺りを狙うか決める。風と距離と重力を考慮して、あとは感覚だね」
「その……感覚のために、団長は何千回も練習した……?」
「ああ。手がもげるかと思ったよ」
スナイパーライフルなら、アスラは2000メートル先の目標をぶち抜くことも可能だ。
しかし弓矢はこっちの世界に生まれてから練習したもの。
扱えるが達人というわけではない。
「風は向かい風だが微風。距離はだいたい600。目測だから、誤差はあるだろう」
弓に矢をつがえ、フィールドスコープを確認しながら角度を微調整。
「弓で狙撃する場合、ターゲットより上を狙わなくてはいけない。だいたいこの距離だと50度ぐらいかな? 矢の飛行時間は10秒前後かな? まぁ、全部感覚だけどね」
「……その感覚……あたし得られるかな……? 自信ない……」
「得られるまで練習したまえ。それと、今回は【加速】を乗せるから、ほぼ直接ターゲットを狙ったのでいい。矢の飛行時間もずっと短い」
正直な話、イーナの【加速】がなければこの距離で狙撃しようとは思わない。
コンポジットボウは確かに狙撃用に作らせたけれど、想定していたのはもっと短い距離。
「そして大事なことだけど、相手が英雄なら矢は2本までだ」
「……どうして?」
「1本目は完全に意識の外側だから、相手は絶対に反応できない。これで仕留めるのが最良。2本目もまだ何が起こったかハッキリ理解できていないだろう。だから8割方、当たるはずだ。けれど、3本目には対応する」
「……できるかな? ……あたし5本ぐらい刺さりそう……」
「イーナは無理だね。英雄の話だ」
アスラでも3本目に対応できるかは五分五分。
けれど、ルミアならきっと対応する。
ならば、大英雄候補とまで言われているマティアスも対応してくるはずだ。
「まぁ、一応3本用意はしているがね。全部外してしまってもそこで打ち止め、撤退する。4本目を射ると、こちらの位置がバレる可能性がある」
まぁ、バレたところで距離がある。
撤退自体は可能だ。
しかし念のため、ほんの少しも姿を見られたくない。
やれることは全てやる。徹底してやる。それが英雄を殺すということ。
「さて、引き金……じゃない、矢を射る時は息を止めて、ブレを最小限に留め……」
言ってから、アスラは息を止める。
イーナが【加速】を矢に乗せる。
フィールドスコープの中で、マティアスがプンティを抱き締めた。
計画通り。
意識の外側の、更に外側。
マティアスは今、プンティのことしか気にしていない。
アスラは矢を放ち、即座に2本目をつがえる。
息は止めたまま。
イーナがすぐに【加速】を乗せた。
再び微調整し、放つ。
1本目の矢はマティアスの腕か肩に命中した。
「ちっ……」
舌打ちして3本目の矢に手を伸ばす。
しかし、2本目の矢はマティアスの頭を綺麗に射貫いた。
「よしっ!」
これだ。このためのプンティだ。
1本目を外した場合でも、マティアスの意識がプンティに向いていれば、2本目に対応するのは9割方不可能。
成功率を1割でも上げるために、プンティを捕虜にしたのだ。
「……団長すごい……あたし、やれる気しない」
「ふん。練習したまえ。なぁに、私が優しく指導してやるさ」
言いながら、アスラは木から飛び降りる。
「……優しく?」
イーナも続いて飛び降りた。
レコは下の枝を一度経由してから降りた。
「ずっと私は優しかっただろう?」
「……あれが優しいなら……厳しい指導って……」
「厳しいのが望みならそうしてやるが、とりあえず撤退だよ」
アスラが森の奥へと走る。
イーナとレコもそれに続く。
走りながら、アスラはとっても興奮していた。
誰もが神格化していた英雄を、殺してやった。
できない、と誰もが言った英雄殺しを遂行した。
「ああ、宣伝できないのが本当に残念だよ私は」
走りながら、
笑みが漏れる。
あとは、完璧にシラを切るだけだ。