10話 私に恐怖をちょうだい! 身が裂かれ、震えて泣くような恐怖を!
アスラは憲兵団の団長室にいた。
いつも座る椅子に腰掛けて、部屋の左側に目をやる。そうすると、棚の上に賞状が立てかけられている。
右側の壁には、歴代団長の肖像画。いつか、シルシィも肖像画になる。不名誉除隊か懲戒免職か分からないけれど、問題を起こして解雇されなければ。
アスラの椅子の前には、シルシィの執務机。
机の上は割と乱雑で、シルシィが忙しいのだと理解できる。
「さて、挨拶や説明は不要ですね?」
少し疲れた様子のシルシィが言った。
シルシィは執務机に両肘を付いて、重ねた手の甲で自分の顎を支えている。
「もちろん。本題に入っておくれ」
「取引内容は、今度新設する特殊部隊……まだ名称は決まっていないのですが、その部隊の設立を手伝ってください。それで傷害罪は免責します」
「特殊部隊、ということは蒼空騎士を呼ぶのを止めるのかね?」
「ええ。ご存じの通り、我々は相手が強大な場合、蒼空騎士団に援助要請を出します。しかしながら、やはりそれだと効率が悪いのです。蒼空の到着を待つ時間や、費用などですね」
「私らがそれを証明してしまった?」
「ええ。その通りです。《月花》は蒼空より安価で、尚且つ迅速に問題を解決してしまった。そうなると、議会で言われるのです。傭兵団《月花》のような部隊を常に置いておけばいいのではないか、と」
「おいおい」アスラが笑う。「冗談のつもりかね? 私らのような部隊!? はん! 作れるはずがない! 法を遵守する君たちと、法の外側にいる私らとでは、そもそもできることが違う!」
「ええ。その通りです。しかし、議会で決定してしまったので、わたくしは部隊の設立に全力を尽くすのみです。何気にわたくしも賛成に票を入れましたし」シルシィが溜息を吐く。「まぁわたくしとしても、《月花》並の部隊を作れるとは思っていません。要は、蒼空の代わりが務まればいいのです」
「まぁ、その程度なら難しくはないだろうね」
「はい。現在は軍の協力で特殊部隊を育成しています。アスラにもそれを手伝って欲しい。どうですか? 悪くない条件でしょう?」
「いつものやつ」とアスラ。
シルシィが立ち上がり、深々と頭を下げる。
「お願いします」
「ああ、いいとも」
アスラが言うと、シルシィは再び椅子に座る。今度は両膝を突いていない。手は膝の上だ。
「というか」アスラが言う。「いつもそんなに素直ではなかった気がするけれど?」
「敵対したくありません」シルシィが言う。「個人的にもそうですし、王からも念を押されています」
「そうだろうね」
くくっ、とアスラは笑った。
アスラとアーニア王は夢を見ているのだ。双方に利益のある、楽しい夢を。
「では、追って連絡するので、アーニアにいてください」
「いや、1度拠点に戻る。そうだなぁ……」アスラは考えながら喋る。「また5日後にここでどうだい?」
「いいですよ。ゴジラッシュは便利ですね」シルシィが言う。「移動手段として確立できれば、人類の生活が変わりますね」
「無理とは言わないけど、って感じだね」
一般人が上位の魔物を手懐けるのは難しい。まぁ、中位の魔物の中にも空を飛ぶ者はいる。そいつらを上手く手懐ければ、不可能ではない。
ただ、誰も考えなかっただけだ。
「では、もう話は終わりです」シルシィが言う。「5日後に」
「ああ。分かったよ」
アスラが席を立つ。
そしてゆっくりとした足取りで、部屋のドアの方へ。
「あ、そうだシルシィ」アスラが振り返って言う。「特殊部隊の名前、私が考えてあげようか?」
「いえ結構です」
「ああそう」
アスラは肩を竦めてから、団長室を出た。
でもすぐに引き返した。
「まだ何か?」とシルシィ。
「忘れるところだったよ。今日もし通報があっても、出動するな」
アスラの言葉に、シルシィが目を細めた。
「黒いローブの奴が暴れている、という通報は無視したまえ」
「……アスラ、お願いですから暴れないでください」シルシィが辛そうに言う。「出動しないわけには……」
「ははっ、勘違いするなよシルシィ」アスラは急に冷えた声を出した。「私はお願いなんてしていない。命令でもない。忠告だよ。君らとの良好な関係を維持したいからね。憲兵の死体の山を見たくないなら、出動しない方がいいと教えてあげただけだよ」
アスラはシルシィの返事を待たずに、団長室から出てドアを閉めた。
◇
アスラは細い通りから大通りへと出た。
念のため、尾行をまくような動きを何度か混ぜた上、アスラ自身も周囲を警戒していた。
チェーザレ、もしくは他の魔殲を気にしたのだ。
現状、ブリットは大切な情報源であると同時に、役に立つ道具でもある。あの人形は便利だ。上手く使えば無傷で任務を達成できる。
適当に言いくるめて、傭兵団《月花》の団員にしてしまえばいい。戦闘員でなくても、ティナやメルヴィと同じ裏方として雇えばいい。
そんなことを考えながら歩いていたけれど、アスラは決して油断していたわけではない。
「あーすーらー」
ニコニコ顔のメロディが、楽しそうな声でアスラの名を呼んだ。
いつの間にか、メロディはアスラの右隣を歩いていた。
アスラは心底驚いた。
アスラは警戒していたのだ。
それなのに、メロディは当たり前のようにその警戒をすり抜けて、アスラの隣を歩いている。冗談じゃない。
「私の依頼、聞いてくれる?」
「ああ、聞こう。だがその前に、チェーザレはどうした?」
アスラは驚きを表現しないよう、冷静に言った。
「私が勝った。彼は外で寝てる。あ、もう起きてると思うけど、何してるかは知らない」
「そうか。ではもうチェーザレに用はないね?」
「うん、今はない」
「では依頼を聞こう。正直、君に私の助けが必要だとは思えないけどね」
メロディ・ノックスは英雄だ。それも、実力だけなら大英雄さえ凌ぐ。マホロと呼ばれる特別な一族で、1500年も《魔王》を単独で狩るために技を磨き続けた。
「アスラじゃないとダメなの」
メロディはいつの間にかアスラの背後に回って、アスラを抱き締めた。
アスラの歩みが止まる。
抱き付かれるまで、抱き付かれると気付かなかった。
メロディはあらゆる気配を完全に断っている。これほどの隠密スキルは、ユルキやイーナですら持っていない。
私に匹敵する、とアスラは思った。
「というと?」
アスラはやはり冷静に言った。
密着するメロディの身体は、想像通りの弾力。ハッキリと言うなら、女の子らしい柔らかさに乏しい。それだけ鍛えている、ということ。
「恐怖をちょうだい?」メロディが吐息のように言う。「私に恐怖をちょうだい。私が震えるような恐怖を。私の心が乱れるような、胸が締め付けられてるような、立てなくなるような恐怖をちょうだい」
アスラにはその依頼が理解できなかった。
「初めてだったの」メロディがアスラの耳にキスをした。「あんなに、怖いって思ったのは初めて。私は何も怖くなかった。私は世界で一番強いから、何も恐れるものなどなかったのに、それなのに、アスラは私に恐怖を思い出させてくれた。本当に小さい頃以来で、なんだかとっても、心が躍った」
「君は、恐怖自体は知っているけれど、それを久しぶりに感じて嬉しかった、という意味かね?」
「そう。小さい頃、私はまだ恐怖を覚えることがあった。でも、その頃に感じたどの恐怖より、アスラの与えてくれた恐怖が一番恐ろしくて、だからとっても愛しいの」
「いつの話だい? 私がいつ、君に恐怖を与えた? どちらかと言うと、私は君にボコボコにされたはずだけど?」
屈辱的な敗北だった。ほとんど手も足も出なかった。一方的に痛めつけられ、他の英雄たちがこぞって止めに入った。
医者と光属性の魔法使いが数名、待機していたので、アスラは割とすぐ元気になったけれど。
「怖かったから、とっても、とっても怖かったから、だから私、我を忘れそうになったの。手加減できなかった」
「とはいえ、恐怖で歪んだ技はそれほど大きな脅威じゃない。君は手加減していないと思っているだろうが、結果的には手加減していたんだよ。身が竦んでいたわけだからね。本来の実力は出ていない」
周囲が心配するほどのダメージではなかった、ということ。
アスラが上手く受け身を取った、というのも理由だ。
通りで抱き合っているアスラとメロディを、通行人たちが不思議そうに見ていた。でも、わざわざ立ち止まってまで見る者はいない。
「みんなが見ている。目立つから離れておくれ」
「はいはい」
メロディが素直にアスラから離れた。
アスラはゆっくりと歩き始める。
メロディがまたアスラの隣に並んだ。
「その依頼を今すぐ請けるのは難しい。君を恐怖させられるか、自信がない」
そもそも、アスラはメロディを脅した覚えがない。何がどう作用してメロディが恐怖したのかよく分からないのだ。
「そっか、じゃあ追々でもいいよ」メロディはニコニコしている。「もう1つ依頼あるし」
「今度はもう少し簡単な依頼だといいのだけど」
誰かを殺してくれ、とか。
戦争に参加してくれ、とか。
そういう単純明快でアスラの好きなタイプの依頼がいい。
「種ちょうだい」とメロディ。
「種? 私が何の種を持っていると?」
「アスラの種。私、一応チェーザレの種は貰えるんだけど、チェーザレってすぐ死にそうだし、やっぱり本命はアスラかなって」
「待て。意味が分からない。何の種かハッキリ言っておくれ」
「子供作る種だよ?」
メロディが屈託のない笑顔で言って、アスラはマホロの街伝説を思い出した。
強い人間と交わって子供を作り、その子にまた技を継承する。
「……君は山奥の出身だから知らないのかもしれないが、私に種はない。いいかい? 女を孕ませることができるのは、男だけなんだよ? 分かるかい? あと、気付いていないなら申し訳ないけど、私は女なんだよね、一応」
「さすがに知ってるよ」メロディが笑顔で言う。「だからね、女の子同士で子供を作る方法を探して欲しいの」
「それはまた無茶な依頼だね!」
さすがのアスラも、ビックリして突っ込んでしまった。
アスラの種が欲しい、というのはまぁまだ理解できる。アスラはかなり特殊な人間だし、マホロが子作りの相手に選ぶのはギリギリで理解できる。
だが依頼内容は無茶もいいところだ。
「報酬はねー、私の戦闘能力を1度だけアスラのために使える、ってどう?」
「ほう」
お宝をゲットした時のトレジャーハンターのような心境で、アスラは頷いた。
最近、めちゃくちゃ運がいい気がする。
セブンアイズの7位はゴジラッシュが勝手に殺してくれたし、6位は精神が雑魚ですぐに降伏した。しかも利用できる。
その上、マホロの戦闘能力を1回限定とはいえ、アスラのために使える。
「可能性は低いが、絶対に不可能というわけでもないよ」
神域属性の魔法なら、あるいは。
死んだ者を生き返らせる魔法があるのだから、女同士で子供を作る魔法ぐらいあってもいい。
まぁ、ピンポイントでそんな魔法を作る奴がそうそういるとは思えないけれど。
つまり、メロディが神域属性を得ればいいのだ。そしてそういう魔法を構築させる。
それまでは何だかんだと理由を付けて、側に置いておけば複数回利用できる可能性も。
たとえば、私が魔法を教えてあげよう、とか。そういう理由で留めておくのだ。
「英雄としての仕事が特にないなら、私に同行したまえ。その依頼を検討しよう」
請けるとは言わない。請けるのはもう少し確信を得てからだ。
◇
ミノタウロスは大森林の奥で、人間たちを押し潰していた。
神域属性の魔法で、身体を部位ごとに潰していく。
骨が砕ける音が響き、肉が潰れる音が響き、人間の悲鳴が響く。
それはとっても素敵な音楽。
「おのれぇぇ、魔物めぇぇぇ」
人間の1人が、怨めしそうに言った。
すでに1人は丸い肉の塊に変化してしまった。その塊を、ミノタウロスは魔法で更に圧縮する。
「いつか、チェーザレがお前を殺すぅぅ! お前のようなクソッタレの魔物をぉぉ!!」
人間のこういう台詞は、何度聞いても気持ちが良い。
ミノタウロスはすでに彼の両足を潰している。
右腕を潰し、左腕も潰した。
素敵な音。素晴らしい音楽。ゴリゴリゴリ、ブチブチブチ、ギュッギュッ。
そして悲鳴。
「愚かな人よ」ミノタウロスが言う。「なぜこんな奥地まで来た? この先には行かせられない。それが我が輩の任務。故に、これは仕方ないのだ」
恍惚の牛頭が、そう言い訳をした。
ここは西フルセン側の大森林、その奥の奥。人間は滅多に訪れない。
だからこそ、楽しまなくてはいけない。
ミノタウロスは彼の胴体を押し潰す。彼の頭を押し潰す。彼が死ぬギリギリまで押し潰す。
やがて彼の悲鳴が聞こえなくなった頃、ミノタウロスは彼を丸い肉の塊に変えた。
「ああ、いい……」
音楽こそが自分の生きる道。ミノタウロスはそう強く感じた。
そしてこれこそが、真の音楽。
「伝令! 伝令!」
ミノタウロスの近くの木の枝に、ハヤブサが止まっている。
「何用だ?」
ミノタウロスがハヤブサを見上げた。
「新たなセブンアイズの誕生! 新たな仲間の誕生!」
「ほう。何位だ? 7位? それとも6位?」
「2位! 2位!」
ハヤブサが大きな声で言った。
「バカな!」
ミノタウロスは近くの樹木を殴りつけた。
樹木が折れてしまうが、ミノタウロスは気にしない。
「では我が輩が3位になってしまうではないか!」
セブンアイズの者はだいたい順位を気にしている。
そうでないのは傀儡師のブリットぐらいだ。
「仕方ない! 仕方ない! 新たな仲間は化け物! 化け物!」
「どういう奴だ!?」
「人間! 元人間! 大英雄! ノエミ・クラピソン!」