9話 地下牢の一夜 割と快適だよ? 話し相手にも困らないし
アスラは地下牢の硬いベッドに寝転がって、天井を見ていた。
地下牢はひんやりしていて、薄暗く陰鬱な空気が漂っている。
高い位置に窓があるけれど、今は夜なので明かりは入ってこない。通路の明かりだけが唯一の光源。
独房の中には光源を設置してはいけない決まりなのだ。火は武器になるから。
ちなみに、地下牢は2回目だ。フルマフィ討伐の依頼を請けた時、諸事情で地下牢に入ったのだ。
前回は貿易都市ニールタで、今回は城下町だが、地下牢の作りは同じだ。
今アスラがいる独房は地下牢の最奥で、凶悪な犯罪者を収容するための場所。
まぁ、最奥だろうが何だろうが、アスラは逃げようと思えばいつでも逃げられる。鉄格子なんて【地雷】を使えば一発で破壊可能だ。なんなら、壊すのは壁でもいい。
だが、アスラに逃げる気はない。
アスラは武器もローブも取り上げられ、囚人用のボロを1枚羽織っているだけの状態だ。
そして、すでに取調べは終わっている。特に隠す必要もないので、魔殲と揉めていることや、ブリットのことをシルシィに話した。
当然だが、貴族王のことは話していない。ブリットについても、ただの魔物とした。
シルシィは、「明日、何かしらの取引を用意します。ですから、今日は大人しく牢で一晩過ごしてください。お願いします」と言って、アスラはそれを承諾したのだ。
「ああ、お隣さん、まだ眠っていませんよね?」
隣の独房から、聞き覚えのある声が聞こえた。
「ちっ、君はまだ死刑になっていないのかね? あれから割と経つだろうに」
アスラは呆れたように言った。
とはいえ、隣にクレータ・カールレラ、通称《一輪刺し》がいることは知っていた。クレータの独房の前を通ったからだ。
当然、クレータもアスラに気付いた。
ちなみに、クレータは両手両足をガチガチに拘束されていた。
「人間を1人、国が殺すわけですからね」クレータが言う。「面倒な手続きが多いのでしょう」
「だったら、逮捕より殺害の方が効率いいね」
「私もそう思います。でもご安心を。死刑の日取りは決まりましたから。少し前に告知されました。私はその日を、ただ待つだけです、アスラ・リョナ」
「そうかね。大好きなアーニア王のことを今も想っているかね?」
「いいえ」
クレータの返答に、アスラは少し驚いた。
サイコパスであるクレータが、アーニア王への執着を簡単に捨てられるとは思えない。
もし本当にアーニア王への執着が消えたのなら、
「別の誰かに執着したかね?」
そういうことだ。
「ええ。さすが私の理解者」
クレータの声が弾んだ。
「ああ、まさか私かね?」
「ええ。さすが私の理解者」
「実に嬉しいよ、ありがとう、早く死ね」
アスラは溜息混じりに言った。クレータに興味はない。仲間にする気もないし、恋人にする気もない。
当然、性的な欲求も湧かない。前世のアスラなら、1度は抱くかもしれないな、と思った。
「死ぬ前に会えるなんて、まさに運命! そう思いませんか!?」
「ああ、そうだね。素晴らしい運命だね。最高だよ。神様ありがとーってね」
アスラはどうでも良さそうに言った。
クレータに興味はないけれど、一晩のヒマ潰しに会話するのは別に構わない。
「もしも私が、助けて欲しいと依頼したら、アスラは助けますか?」
「断る」
「いくら積んでも、ですか?」
「いくら積むのか参考までに聞いておこう」
「2万ドーラ」
「やっぱり断る。その程度の額で、アーニア王国の憲兵団と険悪にはなれない」
アスラはアーニア王と約束がある。それを果たすまで、アーニア王国との仲を拗らせる気はない。憲兵であれ、他の組織であれ同じだ。
「では逆に、いくらなら私をここから助け出しますか?」
「天文学的なドーラが必要だよ」
アーニア王とアスラは楽しいことを企んでいる。とっても、とっても楽しいことを考えている。それを失いたいとは思わない。
「そうですか。残念です」
「運が良ければ、死んでもまた転生する。あるいは、【再構築】されるさ」
アスラが前者で、ブリットが後者。死んでから生まれ変わったのがアスラで、死んでから魔物として生き返ったのがブリット。
同じようで全然違う。
「はぁ……」
クレータはよく分からない、という風な曖昧な返事をした。
そこからしばらく沈黙が続き、アスラは少し腹が減ったことを認識。
「食べ物はあるかね?」とアスラ。
クレータへの質問ではない。
「ほい」とユルキが鉄格子の向こうから何かを投げた。
アスラはユルキが投げた何かを受け取る。
クリームパンだった。
「こんな夜中にパン屋が開いていたかね?」
「まさか。そいつは買っといたやつっす」
「ユルキ・クーセラ」クレータが言った。「どうも。久しぶりですね。私のお菓子はありませんか?」
「俺、お前に名乗ったっけか?」とユルキ。
「取調べで君の名前も出たのだろう。名乗っていないのなら」とアスラ。
「ぶっちゃけ忘れたっす。名乗ったかもしれねーし、名乗ってねーかも。どっちでも」
ユルキは両手を広げて、小さく首を振った。
アスラがクリームパンにかぶりつく。
「団長、とりあえずそこ、出るっすか?」
「いや、明日になれば出られるはずだから、無理に脱走する必要はない」
「そうっすか。とりあえず、ブリットは安全っすよ。ラウノとサルメが一緒っす」
「了解。明日、私と合流したら城下町を出た方がいいかもしれない。チェーザレはなぜブリットの居場所が分かった? そういう魔法か? あるいはラウノのように、特別なスキルを得ているとか?」
「そう、それは不思議っす。だから念のため、普通の宿やホテルには泊まってねーっす」
チェーザレとメロディがどうなったのか、アスラは知らない。
メロディが負けるとは思えないが、チェーザレの実力もかなり高い。
トリスタンはしばらく動けないだろうが、最悪、チェーザレだけで再びブリットを襲撃する可能性もある。
そこまで思考して、アスラはふと思った。
別に、殺せば良くないか? チェーザレとか、こっちから探し出して殺せば良くないか?
だって、これは。
戦争なのだから。
「団長?」
「悪い。どこだね?」
アスラが聞くと、ユルキは唇だけで場所を伝えた。
民家、と。
「なるほど。確かにそこなら安全だね」
普通は安全だ。
まったく関わりのない人物の家に押し入って、そのまま借りるのだから。
あとで宿代は腐るほど払ってやるから、多くは通報されない。まぁ、されても問題はないけれど。
「まぁでも、団長の言う通り、明日には城下町を出た方が安全っすね」
「いや、その件はまた明日話そう」
チェーザレ抹殺について。
「あなたたちは、いつも忙しいのですね」クレータが少し笑いながら言った。「今度の敵は私よりも手強いですか?」
「君は悪いけど雑魚の部類だよ」アスラも笑った。「所詮は私の下位互換。戦闘能力がもっと高ければ、それなりに楽しかったかもしれないけれど」
「そうでしたね。私はアスラの下位互換。それでもいいのです。こうして、アスラの声を聞いているだけで、私は幸福です。アスラの胸に、ナイフを突き立てる妄想が捗ります」
「って言ってるっすよ?」
ユルキが呆れたように言った。
「アーニア王から私に乗り換えたらしいよ」アスラが溜息混じりに言う。「最大の理解者になってしまったから、まぁ仕方ない」
アスラはクレータの行動を先読みして、待ち伏せして、そして制圧した。
クレータ的には、アスラはクレータの全てを理解しているように見えただろう。そしてそれは実際その通りなのだ。
クレータはこの地下牢で冷静に思考した。時間だけは多くあったから。そして結論に辿り着いたのだ。
アスラこそが自分の求めていた理解者だと。
「アスラの表情が苦痛に歪むところを想像しただけで、イッてしまいます」
クレータが官能的な声で言った。きっと今、この瞬間も想像しているのだ。
「それはどうも。私は変態にモテモテで困るよ」
「実際、なんでモテるんっすかねぇ?」
「知らないよ。変態の好みなんだろうね」アスラが小さく首を振る。「おかしな話さ。私はどう見ても美少女だし、普通にモテてもいいと思うのだけど、寄ってくるのは変態ばかり」
言ったあと、アスラはクリームパンを食べ終わった。
「ほい水」
ユルキがローブの下から皮革水筒を出して、アスラに投げた。
アスラは水筒を受け取り、中身をゴクゴクと飲んでから、水筒をユルキに投げ返した。
「それで? ブリットから何か新たな情報は聞き出したかね?」
「ういっす。セブンアイズ全員の特徴と名前、それから、連中の任務っすね」
「まず任務を聞こう」
「監視っす。フルセンマークに住む人類が、フルセンマークの外側に出ないように監視して、出そうなら殺す。実際の配置は、大森林に2人、東の山脈に1人、西の海に1人、北の海に2人っす。残り1人は連絡係らしいっす」
「なるほど。新大陸発見の報がない理由が分かったよ。セブンアイズが人類を閉じ込めているわけか。理由は聞いたかね?」
「ブリットは知らねーっす。命令を実行しているだけみたいっすね」
「そうか。まぁいい。セブンアイズの特徴を聞いておこうか」
「うい。性格がヤベェのは2位っすね。あ、死んだゼルマはもう省いてるっす」
「いいよ。続けて」
「今の敵は7名ですか」クレータが言う。「そして1人はすでに殺害済み、と」
「ああ、そうだよ。でも正確には2名殺害済みだよ」
まぁ、ナシオが【再構築】すれば7人までは増えるけれど。そこまでクレータに教えてやる義理はない。
「4位はハヤブサっすね。鳥っす。鳥を【再構築】で魔物に変えて、連絡係にしてるっす」
「死体なら何でもありか」アスラが苦笑い。「鳥だけにぶっ飛んでるね。羨ましいよ」
私も早く神域属性を得よう、とアスラは思った。
「3位は通称、雪女。神域属性・氷結の魔法使いらしいっす。冷静で知的、よく謝るらしいっす。たぶん元は人間だろう、って話」
「神域属性?」
「そうらしいっす。神域属性は、セブンアイズの中じゃゼルマと3位と2位が使うらしいっす」
「分かった。では2位と1位の特徴をパッと頼む」
「まず、3位から7位までの実力は団子っすけど、2位と1位はガチで強いらしいっす」
「ほう。それで?」
「2位は牛頭の怪物、上位の魔物であるミノタウロスの強化版で、固有の名前をブリットは知らないみたいっすね」
「ふむ。では普通にミノタウロスと呼称しよう」
「人間や他の生物を潰して殺すのが好きらしいっす。音がいいって話っすね」
「そりゃ変態だ」とアスラ。
「で、1位は元大英雄」
「ほう。大英雄か。それは厄介そうだね」
「同感っすね。元から強い大英雄が【再構築】されたとか、冗談にしても笑えねーっす。以上」
「よろしい。ではユルキはその情報を拠点に送っておくれ」
言ったあと、アスラはベッドから起き上がって鉄格子まで移動。
ユルキが顔を近づけ、アスラは囁くように言う。他の誰にも聞かれないように。
「アイリスに伝えろ、情報をまだ英雄に流すな、と。こちらで教えていい情報をしっかり精査する」
「うい。手紙の文面はサルメに考えさせるっす」
ユルキが返事をして、アスラは再びベッドに戻った。
「では、私は眠るとしよう。また明日、どこかの通りで会おう。そっちで判断して接触しておくれ」
「了解っす」
言って、すぐにユルキが音もなく消える。
間違いなく、ユルキはこの地下牢に不法侵入したのだ。夜は警備が薄くなる。地下牢の入り口には見張りがいるが、それさえ躱せば中には誰もいない。
定期的に見回りがあるだけで、中で待機している警備はいないのだ。
「すごいだろう? うちの団員は」
「情報を収集したことですか? それとも、この地下牢に潜入したことですか?」
「どっちもだよ。君にも辿り着いたしね」
「ハイレベルな傭兵だとは思います。ところで、会話を私や他の囚人に聞かれたのは問題ないのでしょうか?」
「特にない。第一に、誰も君らの言葉に耳を傾けない。第二に、君らに話し相手はいない。第三に、聞かれてまずい情報は話していない。以上だ。おやすみ《一輪刺し》の君。いい夢を」
「はい。夢で会いましょう」
「そりゃ最高だね。夢にはいい思い出がある」
アスラはセブンアイズの7位、ユーナを思い出していた。
正確には、ユーナの見せた夢を。
実に楽しい夢だった。いつか、現実でも銃火器で魔物退治をしてみたいものだ。