6話 私に人質は通用しない 何度言えば理解してくれるんだい?
「自首させてください……自首させてください……」
アーニア王国、城下町の民家で、30代の男が椅子に縛り付けられて座っている。
彼は全身痣だらけで、口から血と唾液の混ざった粘っこいものが垂れている。
「おいおい、それは困るよ。君にはここに居てもらわないと」
彼の家で、彼の食材を使って昼食を済ませ、彼のソファでくつろぐアスラが言った。
「もう……反抗しません、抵抗しません……許して……」
彼はブツブツと、祈るように言った。
「うん。最初から素直に従っていれば、痛い目に遭わずに済んだのに」アスラが背伸びしながら言った。「ほら、私は言っただろう? 抵抗するな、抵抗しなければ酷い目に遭うことはない、って」
アスラの座っているソファの少し前に、ボロボロの彼が座っている椅子がある。
距離にして、1メートルも離れていない。
「それってつまりね、抵抗したら半殺しにするって意味なんだよね。これからは、よく私の話を聞くことだね」
「自分が……殺しました……あなたの言う通りです……。自首させてください……。これ以上、あなたといたくない……。助けて……」
「おいおい。そんな辛そうな声を出すなよ。私だって辛いんだよ? もう24時間も君を拘束しているのだから。君の糞尿は汚いし、水も飲ませてやらなきゃいけない。死なれては困るからね」
「……いっそ、殺して……」と彼。
「ダメだってば。君は生の教材なんだよ?」アスラが言う。「10年前の未解決事件の犯人が君だからね。私は私の可愛い生徒たちに、教えたことを駆使して事件を解決しろと指示した」
アスラ式プロファイリング講義の最終段階。即ち実践。
「それでね、私の可愛い生徒たちが、君に辿り着いた時、君がいないと悲しむだろう? ほら、君が国外に出ていたら悔しいだろう? 天文学的確率だが、君が罪の意識で自殺したら、スッキリしないだろう? 私の生徒たちには報われて欲しいからね」
アスラは淡々と言った。
ほとんど何の感情も籠もっていない。
「だから、私は先に君を見つけて、こうやって拘束しているわけさ」アスラが肩を竦める。「いや、自分でも過保護なんじゃないかって思うよ? でも、私には悪癖があるんだよ。自分で育てた連中に甘くなってしまうという悪癖がね。まぁ、執着とも言うんだけどね」
アスラは立ち上がり、ストレッチを始めた。
「……全部話します……殺しました……。憲兵様、早く……来て……助けて……殺しました……」
「うん、知ってるよ。君が殺したのは10歳の少女だ」アスラはストレッチを続けている。「誘拐して、犯して、殺した。まるで物みたいにね。君は少女を人間として見ていなかった。性処理用の玩具か何かとして扱った。憲兵たちは怒るだろうね。きっと君は死刑だよ?」
アスラはストレッチを念入りに行っている。
ちなみに、ストレットのあとは筋トレをする予定だ。それでも生徒たちが来なければ、新性質の実験。
「殺したのは……事故です……。殺す気は……なかったのです……」
彼は泣いていた。なぜ泣いているのか、アスラには理解できない。罪を悔いているわけではない。それだけは確かだ。
悔いているなら、10年も逃げたりしない。とっくに自首している。
「うん、分かるよ。分かるとも。君はただ、首を絞めたら気持ちいいって気付いてしまっただけだよね? よく締まるから。それでウッカリ、殺してしまったんだよね?」
「……はい。そうです……事故です……死刑は……許してください……」
「それは仕方ないよね? 自分が気持ちいいのが一番だよね? 人間ではなく物である少女の気持ちなんて、どうでもいいよね? 私も完全に同意だよ」
アスラは酷く優しい声で言った。
男が何度か頷いた。
「……そもそも、あの子が、誘ったんだ……、いやらしい、肩の出てる服で……娼婦みたいな服で……自分に笑いかけて……」
「だよね!」
アスラは左脚で男の顔を蹴った。
男が椅子ごと床に倒れ、潰れたカエルみたいな声を上げた。
「……止めて……もう止めてください……」
「嫌だよ? だって、自分が気持ちいいのが一番だろう? 私は君を痛めつけると気持ちいい。それに、私は反社会性人格障害で、君の痛みが理解できない。君を人間ではなく物として見ている。物の意見や気持ちなんてどうでもいいよ? 君がそう言ったはずだけどなぁ」
アスラは倒れた男を何度も踏みつけるように蹴った。
「あは、私の生徒たち! 早く来てくれないと犯人が死んでしまうよ!!」アスラが言う。「てゆーか、いい加減、理解しておくれよ! 君と過ごすのは不愉快なんだよ、私! だから黙って! 頼むから黙っておくれよ!」
男が何度か血を吐いて、アスラは蹴るのを止めた。
まぁ別に死んでもいい男ではあるのだけど、できれば生徒たちに逮捕させてやりたい。そういう親心で、蹴るのを止めたのだ。
アスラは男を放置して、ストレッチの続きを始める。
ストレッチが終わって、筋トレに移行した頃、憲兵たちが家の中に雪崩れ込んできた。
「教官殿!?」「アスラ殿!?」
「先生!?」「すでに確保済み!?」
憲兵たちは室内の様子を理解して、それぞれ驚いていた。
アスラはパチパチと拍手。
「よく辿り着いた。君たちはアスラ式プロファイリングを用いて、見事に10年前の少女誘拐、強姦殺人、及び死体遺棄事件を解決した!」アスラは嬉しそうに言った。「今後は君たちが、世界の憲兵を引っ張るんだ! さぁ逮捕したまえ!」
ちなみに、ラウノはこの課題捜査には参加していない。ラウノは捜査が上手いし、反則レベルのスキルを使うからだ。
要するに、ラウノがいたらラウノだけでも解決できてしまう可能性があったので、外したというわけ。
外されたラウノは、ユルキと一緒にセブンアイズの襲撃に備えて見回りをしている。
サルメはホテルで休憩中だ。
「私の講義は明日で最後だ。今日の君たちを誇りに思うよ」
◇
「かーんぺーきちょーじーん、じゃないですかぁ……」
アーニア王国の安っぽい宿。角の部屋の隅っこで、壁にもたれて座っているブリットが言った。
ブリットは人形を使ってずっとアスラを監視していた。どうにかアスラを殺すため、何か弱点はないかと、事細かく分析した。
ブリットは元人間なので、ゼルマやユーナに比べると慎重に動く。悪く言えば、意気地無し。
「……うぅ、嫌だぁ……、アスラ・リョナに近付くの嫌だぁ……」
ぐすん、と半泣きで呟くブリット。
しかし、ご主人様の命令を無視するわけにはいかない。ナシオは優しいけれど、ナナリアは残酷だ。
そして、アスラ抹殺はナナリアの命令。
他人が死ぬのはいいけれど、自分が死ぬのは嫌だ。しかも、次に死んだら2回目である。もう死にたくない。
ブリットは人間としての人生を、病気に殺された。
幼い頃から傀儡師として活躍していたブリットの人形劇を、偶然たまたま、ナシオが見て気に入った。
だから、ブリットの死体を【再構築】したのだ。
「うぅ……今までの人生で、最も危険な場所への接近になるのですぅ……」
即ち、アスラ・リョナ。
かの銀神、ゾーヤの預言を覆し、ジャンヌ・オータン・ララを討ち滅ぼし、セブンアイズの5位と7位も抹殺した。
まぁ、7位を殺したのは主に竜王種だけれど。
「……正攻法は、無理なのですぅ……。ちょっと卑怯なこと……するのですぅ」
ブリットの戦闘は主に人形を使って行う。人形たちは小さなナイフを持って、小ささと機動力を用いた戦法を取るのだけれど、それがアスラに通用するとは思えない。
人形たちは、いざとなったら爆発させることもできるのだけれど、それもアスラには通用しない気がする。
爆発させるためには、魔力を送り込む必要があるので、タイムラグが生まれるのだ。そのタイムラグで対処される。そんな気がする。
「……よし、明日、実行するのですぅ」
ブリットはグッと拳を握った。
ブリットの観察によって導き出されたアスラ唯一の弱点を突く。
◇
翌日。憲兵団の会議室改め、アスラの講義会場。
「さて、今日で君たちともお別れだね」
最後の講義を終えて、アスラが締めの挨拶を始める。
時刻は正午をやや過ぎた頃。午前中だけで終わるはずが、うっかり少し伸びてしまったのだ。
アスラの隣には、助手のサルメが立っている。
ラウノは憲兵たちに混じって生徒の席に座っている。
「だけれど、教えるべきことは全て教えたから、名残惜しいとは思わない。私は忙しいしね」
マルクスから届いた手紙によると、魔殲がこちらに向かっている。
古城からなら、普通に移動していればそろそろ到着するはずだ。
「君たちの活躍を願っている。では解散」
「「ありがとうございました!」」
憲兵たちは完璧に声を重ねた。
そして。
アスラは人形の存在に気付く。各長机に1体ずつ、人形が立っている。
憲兵たちもその人形を認識。
「テメェら!! 動くんじゃねーぞ!!」
一番前の長机に立っている人形が言った。茶髪の男の子の人形。若干、レコっぽいな、とアスラは思った。
憲兵たちはキョトンとしている。
「動いたらドカンだぞ!!」
2列目の人形が言った。こっちは赤毛の女の子。
「あの、教官殿、これも何かの課題でしょうか?」
憲兵の1人がおずおずと言った。
「いや違う。誰も動くな」アスラが真剣に言った。「私のお客さんだよ。巻き込んで済まないね」
「その人形は爆発します」サルメが補足する。「最上位の魔物の種族固有スキルだと思われます」
サルメの言葉で、憲兵たちが驚いたような表情を見せた。
けれど、誰も怯えてはいなかった。アスラが教え込んだのだ、常に冷静でいるようにと。
「それで?」アスラが言う。「何の用かね?」
「わ、分かり切ったことを聞くな!」
レコに似た人形が、ピョンと飛んでアスラの前に移動した。
「分からないから聞いているんだけど?」アスラが首を傾げる。「話があるんだろう? そうでないなら、何も言わずに人形を作ったと同時に爆発させればいいじゃないか」
「も、もしかしてそっちの方が通用した系か!?」
レコ人形がアスラを見上げながら言った。
「普通に考えて、相手を殺すなら奇襲の方がいい。なんなら、最初から私の足下に人形を作って、そのままドカンでいい。違うかね?」
アスラが言うと、レコ人形が首を捻った。
バカなのかな、とアスラは思った。
セブンアイズは面白いスキルを持っているが、みんな頭が弱いのかもしれない。
「ま、まぁいい!」レコ人形がアスラを指さす。「アスラ・リョナ。俺様は他人を巻き込みたくない! お前だけ死んでくれれば、他のみんなは解放するぞ!」
「なんですか? いい人ですか?」サルメが淡々と言う。「気にせずドカンすればいいじゃないですか」
「お、俺様は人じゃない! 人だったこともあるけど、今は偉大なるセブンアイズの6位だ!」
「人だったけど今は魔物? どういうことだね?」アスラが言う。「最初からそういう存在ではないのか、セブンアイズは」
「ふははは! セブンアイズとは! とある高貴なお方が作った存在だ! 選ばれし者たちだ!」
「ほう。人工物ということか」アスラが頷く。「なるほど、ところで君たちの普段の任務は?」
「俺様たちの任務は……って! そんなこと、どうでもいいし! ドカンされたくなかったら、この無関係な善人たちを救いたければ、お前だけ自決しろ!」
「断る」
「よし! じゃあ早く死ね……え?」
レコ人形がアスラを見上げたままで硬直した。
「何かの冗談かね? というか、前にもこんなことあった気がするよ」アスラが笑う。「君は、もしかして、どうやって私を殺そうか考えて、考えて、今日まで考えて、そして人質を取ることにしたのかい!?」
アスラの表情に、レコ人形がビクッとなった。
他の人形たちも連動したようにビクッとなった。
「い、いや、お前それでも人間か!?」レコ人形が言う。「てか、お前の大事な生徒だろう!? お前、生徒のためにあの変態男を拘束したんだろう!? 生徒がちゃんと逮捕できるように、変態が逃げたり死んだりしないように! そんなお前が、生徒たちを見捨てるはずがない!」
「君、私を監視していたようだけど、だったら、私がどういう人間か知っているだろう?」
「く、口では厳しいことを言うが、実は割と優しい師匠タイプだ!」
「うわぁ」ラウノが呆れたように言った。「分析能力皆無で笑える」
「呆れて言葉が出ませんね」サルメが溜息を吐いた。「出直した方がいいのでは? この作戦では、団長さんを殺すのは不可能です」
「いやおかしいって!」レコ人形が焦ったように言う。「確かにアスラはクソ野郎だけど、それでも自分の育てた相手には甘いんだろう!? 自分でそう言ったじゃないか! ちゃんと聞いたんだからな!?」
「ご託はいいから、試しにドカンしてみたまえ」アスラが楽しそうに言う。「ほら、やれよ。構わないからやれ。その代わり、私は死なないよ? ドカンが終わったら、私はいかなる手段を用いてでも君を見つけて、八つ裂きにしてやる。1000回死ぬのと同等の苦痛を与えてから殺してやる。君のご主人様にも同じことをしてやる。必ずそうしてやる。もしいるなら、君の家族や友人もまったく同じように殺してやる。それは全て君のせいだ。私の生徒たちを殺すのだから、それぐらいの覚悟はあるだろう? さぁやれ。今すぐやれ。楽しみだよ。とっても楽しみだよ。君の肉を引き裂くのが今から楽しみだよ! 君の全ての知り合いを同じように引き裂くのがとぉぉぉっても楽しみだよ!!」