4話 私は全ての人間を殺せる 罪悪感を覚える心を持っていないからね
アスラはティナに声をかけたが、反応がない。
揺すってみたが、やはり反応がない。ついでとばかりに、頬を叩いたけれど、それでもティナは起きなかった。
「よし。では奥の手を使う」
アスラが珍しく闘気を使用した。
それは酷く粘っこくて、陰湿で、暗くて、憂鬱で悪意に満ちたおぞましい闘気だった。
「……闘気って、性格反映するっけ?」
アイリスが引きつった表情で言った。
「というか、団長さんが闘気を使うなんて、よっぽどですよね?」
サルメが言った。
アスラは闘気をクソと断言していたし、今までの戦闘でも使ったことはない。
ちなみに、サルメもアイリスも他の団員たちも、部屋の外に出ている。もちろんメルヴィも外に出した。
「さてと、出てこいジャンヌ。でなければティナを殺す」
アスラに殺気が満ちる。
団員たちは鳥肌が立って、ビクッと怯えた。それほど強烈な殺気だった。
誰かを殺すと、アスラが本気でそう誓ったら、これほど肌に痛い殺気を放つのか、と団員たちは顔を歪めた。
アスラの殺気と殺意に反応して、固有属性・宵の付与魔法【守護者】が発動。
同時に、【守護者】ジャンヌが漆黒のクレイモアで一閃。
アスラはその攻撃を回避するが、シャツが少し裂けた。
「アスラ?」
攻撃してから、ジャンヌが殺気の主を確認して呟いた。
ジャンヌの背には黒い翼が生えている。
「なぜ、ティナを殺そうとしたのですか?」
ジャンヌは神々しいのか禍々しいのか分からない、妙な雰囲気だった。
そして、クレイモアは構えたまま。
「クソッ、闘気を使っても君の攻撃を完全に躱せないか」
裂けたシャツを指で摘みながら、アスラが言った。
「いえ、ナナリアですら腕を失ったあたくしの初撃ですよ?」ジャンヌが呆れた風に言った。「アスラ、あなた本当はどれほど強いのですか?」
「来ると知っていたからだよ。不意打ちなら私でも躱せるか際どい」
闘気はあくまで、使用者が最大の力を出せるというだけ。強化されるわけではない。元が弱ければ、闘気を使っても弱いのだ。
アスラは闘気を仕舞った。やはり闘気はMPの消費が激しい。よって、魔法兵とは相性が悪い。普段使いには向いていない。
それに、アスラは普段から自分のコンディションをコントロールしている。それでも腹痛になってしまったけれど、生きていればそういうこともある。
「それで?」ジャンヌが言う。「なぜティナを? その殺意は本物だと感じます」
「そりゃ本物さ。私は誰でも殺せる。寝食を共にした恋人でも、戦場で背中を預けた戦友でも、可愛く無邪気な子供でも、私は分け隔てなく殺せる。徹底して殺せる。だから私の殺意は、私の殺気は、いつだって本物だよ」
アスラが言うと、ジャンヌの表情が険しくなる。
「でも、実際にティナを殺す気はない。君に用があったから出てもらったんだよ」
アスラは普通に言ったが、身を裂くような激しい殺気はそのままだ。
そうでないと、ジャンヌが消えてしまうから。
「あたくしに、何の用です? 言っておきますが、あたくしは魔法の産物で、本物のあたくしではありません」
「知ってるよ」アスラが肩を竦めた。「ティナが起きない。起こしたまえ」
「はい?」
ジャンヌが目を細める。
アスラが右手でティナを示す。
ジャンヌがティナに視線を送る。
ティナはスヤスヤと、気持ちよさそうに眠っている。
「確かに、これほどの殺意を、殺気を感じて起きないのは変ですね」
ジャンヌがクレイモアを消して、ベッドに近寄る。
「幸福な夢を見ているのさ。たぶん君との夢だろう。だから君が耳元で愛を囁くなりして、現実に戻してやっておくれ」
「分かりました。やってみましょう」
ジャンヌはなぜかその場で服を脱いだ。
「おぉ」とレコが嬉しそうな声を上げた。
「いいね」ユルキが言う。「見慣れない奴の裸は、やっぱ少しはそそるぜ」
団員の裸は見飽きている。拷問訓練で飽きるほど見たからだ。
今後、ラウノ、レコ、サルメ、アイリスの裸も腐るほど見るはめになる。
「……変態ども」とイーナ。
「最低」とアイリス。
外野の声を無視して、ジャンヌはティナのベッドに入った。
そして、目を瞑り、スヤァっと眠り始めた。
「おいジャンヌ。ぶち殺されたくなかったら、真面目にティナを起こしたまえ」
「あたくしはどうせ、もう死んでいますからねぇ、そんな脅しは怖くありません」
「というか、クレイモアを消せるなら、服も消せるだろうに」
マルクスが冷静に突っ込みを入れた。
「気分の問題です」
ジャンヌがムスッとして言った。
「君の気分なんかどうでもいい」アスラが言う。「さっさと目的を果たしたまえ」
ジャンヌは少し笑ってから、ティナを抱き寄せた。
「ティナ、姉様はお腹が空きましたよ? 何か作ってください。飢え死にしてしまいます」
ジャンヌはティナの耳元で囁いた。
「ティナ、洗濯物が溜まっています。洗ってくれないと、姉様はずっと裸で過ごすことになりますよ?」
「う……」とティナが反応した。
「ティナ、歯を磨きたいので、洗面台まで姉様を運んでください」
「あ……う……」
「ティナ。姉様はティナが反応してくれないと、寂しくて死んでしまいますよ? いいんですか? 姉様が死んでもいいんですか?」
「あああああ! 姉様はもう本当に、本当にもう!! ぼくがいないと何もできないんですのね!!」
ティナが勢いよく起き上がった。
そして周囲の状況を確認して、キョトンと首を傾げた。
けれど次の瞬間、アスラの殺気に気付いてジャンヌに抱き付いた。
「心配しなくていいよ」アスラが言う。「ジャンヌを消さないために殺意を向けているだけだから」
「……本当ですの?」
ティナは酷くビクビクしている。
まぁ当然だ。アスラの冷たくて刺すような殺気を浴びているのだから。
「はい。大丈夫です」ジャンヌがティナに頬ずりする。「あぁ、ティナ可愛い、ティナ可愛い」
「ねぇ、ジャンヌって本来あんな性格なの?」とアイリス。
「僕は伝説級の人物であるジャンヌ・オータン・ララがダメ人間なことに衝撃を受けたよ」
ラウノは苦笑いしながら言った。
そういえば、ラウノはジャンヌとルミアの入れ替わりを知らないのか、とアスラは思った。
今後、ルミアを紹介する機会があれば、その時にでも説明すればいいか、とアスラは頷いた。
「あたくしはあたくしの性格を模写していますが、なんと言いますか、あたくしが一番あたくしを好きだった頃の性格ですね。端的に言うならば、闇落ち前です」
「なるほど」アスラが言う。「君は経験累積型だね? ナナリアの腕を斬ったことを覚えていた。いい戦力になりそうだね」
「あたくしはティナを守る以外、何の興味もありません」
「だろうね」アスラが肩を竦めた。「言ってみただけだよ。それじゃあ、そろそろ消えておくれ」
「ティナ、大好きですよ」
「ぼくもですわ」
2人は布団の中でギュッと抱き合った。
アスラは溜息を吐いてから、殺意を消して殺気を仕舞った。
少し遅れて、【守護者】ジャンヌが消える。
「さて。詳しい経緯の説明はレコ」アスラがレコを見る。「君がやれ」
「はぁい」
レコが部屋に入って、ベッドに駆け寄り、そのままベッドに座った。
「私は寝る。明日のためにも、みんな寝たまえ。索敵したがセブンアイズは見つからなかった。今夜はもう来ないだろう。仮に来たとしても、ゴジラッシュがいるからそこまで脅威でもないね」
ゴジラッシュは可愛いペットで便利な乗り物だった。
でも、これからは戦力としても数えることができる。
ラッキーだね、とアスラは思った。あれほどの戦力を、何の苦労もなく手に入れたのだから。
「ねぇ、あたし、むしろゴジラッシュが怖いんだけど?」とアイリス。
「……そう?」イーナが首を傾げる。「……カッコイイと、あたしは、思った……」
「躾けさえしっかりすれば、大丈夫だろう」マルクスが言う。「まぁ、現時点でもゴジラッシュは良い子だが」
◇
翌日。午前中。
アスラたちはゴジラッシュでアーニア王国城下町の上空を旋回していた。
「ゴジラッシュ、あっちだよ。あっちだ。クソ、そっちじゃない」
アスラがゴジラッシュの背中をバシバシと叩くが、鱗が固すぎてアスラの手の方が痛む。
「やっぱティナがいねーと、細かい操作は難しいっすね」
ユルキがヘラヘラと笑った。
ゴジラッシュが高度を下げると、城下町の人間たちは空を見上げてこちらを指さしていた。
けれど、パニックは起こっていない。事前にゴジラッシュで行くと伝えていたからだ。
城下町の人間たちは、今日、ドラゴンが飛ぶことを知っているのだ。憲兵団がお触れを出しているはずだから。
「ラウノさん大丈夫ですか?」とサルメ。
「うん。空の旅にもだいぶ慣れたよ」ラウノがニコニコと言う。「あんまり高いとまだ少し怖いけどね」
ラウノは割としっかり、ゴジラッシュの鱗を両手で掴んでいる。
「ゴジラッシュ、あっちだ」
アスラはゴジラッシュの頭の付近まで移動して、両手で強引にゴジラッシュの顔を動かした。
ゴジラッシュの視線の先には、憲兵団本部が映ったはずだ。
ゴジラッシュは小さく鳴いてから、憲兵団本部の庭に着陸した。
庭にはシルシィと、お供の憲兵2人が立っている。
シルシィは平然としていたが、お供2人は少し怯えたような表情だった。
「無事到着っすね」
最初にユルキが降りて、次にラウノ、サルメ。
最後にアスラが降りて、ゴジラッシュの首を軽く叩く。
「ご苦労ゴジラッシュ。縄張りに戻っていいよ」
アスラが優しい口調で言うと、ゴジラッシュは嬉しそうに咆哮し、翼をバサバサと揺らし、それからクルクル回転しながら離陸した。
「……団長さんに労われたのが、よっぽど嬉しかったのでしょうか?」とサルメ。
「テンション高すぎだね」とラウノ。
「お待ちしておりました」
シルシィが言った。
シルシィはアーニア王国憲兵団の団長で、31歳の女性。
海を思わせる深いブルーの髪に、他の憲兵とは違う白い制服。そしてメガネ。この世界ではメガネがまだ高価なので、あまりかけている人間はいない。
「やあシルシィ。まずは宿で少し休む、それから、午後になったら最初の講義を始めよう」
「宿ではなくホテルを取ってあります。案内させましょう」
シルシィが言うと、お供の1人がアスラたちに近寄った。
今回、宿泊施設を予約したのは憲兵団だ。わざわざ講義に来てもらうのだから、それなりの宿泊施設を用意したかったのだ。
この世界におけるホテルは、宿に比べて宿泊料が高い。そして当然、それに見合ったサービスを受けられる。
プライバシーの保護、宿より高いセキュリティ意識。
それから、
「わぁ! ホテルに泊まれるんですね!」サルメが喜んで言う。「ホテルの食事、とっても楽しみです!」
多くのホテルは、ホテルの中に宿泊客専用のレストランが入っている。
そして大抵の場合、そのレストランの食事は美味い。