い、イエスマム!
「夏期休暇に入ったので一度実家に帰ろうと思うんです」
夏のある日、シャルはみんなの前でそう切り出した。
「どうしたんだ?急に」
「そうですよ。あんなに実家を嫌がってたじゃないですか?」
マールの言う通り、シャルは変態な兄がいる実家を毛嫌いしている。
実際に、去年の長期休暇も一度だって帰らなかった。
それが急にどう言う心境の変化なのだろうか?
「実は、大切な話があるから帰って来いって親に言われて仕方がなく」
「大切な話ねぇ」
なんだろう?
親の寿命がもう長くないとかそう言う展開か?
よくあるのだと、あとはお見合い展開とかだけど、一庶民にお見合いなんてないだろうし。
とすればやっぱり身内の不幸が一番あり得るだろう。
「別に行けばいいんじゃない?」
「それそうなんですけど……」
「やっぱりお兄さんが嫌なんですか?」
「はい…」
どんだけ嫌われてるんだよ。
まあブルマを壁に飾るような兄は嫌われて当然だと思うけど。
でも流石に嫌われすぎなような気もする。
多分他にも様々なセクハラを繰り返してきたんだろう。
「じゃあいっそのことみんなで行きますか?」
マールのその提案に、シャルの瞳が一瞬輝いたような気がした。
「でも悪いですよ。みんな予定があると思いますし」
「だったら彼氏連れてけばいいじゃん。ほら、この間の」
「だから彼氏じゃないって何度も言ってるじゃないですか!」
あ、しまった。
あの一件以来シャルの前で彼氏云々の話はご法度だったんだ。
結局あの後も、何度も土下座してようやく口を聞いてもらえるようになったと言うのに……。
あぁ、失敗した。
「シャルロットさんに彼氏ですと!?」
そんな地雷源に自ら嬉々として身を投じるのはマール・エマール。
以前のことを全く知らないが故の発言だ。
でもさ、今の俺の一言でシャルが怒ったの見えてなかったの?
ねぇ、バカなの?
あんたら天界人って自分に正直すぎないか?
「どこの誰ですか?イケメンですか?マッチョですか?俺様系ですか?優男系ですか?ヘタレですか?変態ですか?」
シャルの背後からはゴゴゴゴと漫画よろしく擬音が浮かんでいるが、それに気付いていないのか、気付いていてわざとなのか、マールは質問を続ける。
怒涛の勢いでシャルを質問攻めにする。
ほら、ついに堪え切れなくなった怒りが俺に爆発してる。
痛いよ?足の小指だけを踏まないで?
すっごく痛いよ?
「マールさん」
「はい?ひっ!」
能天気な表情から一転、マールの表情はシャルの呼びかけ一つで恐怖に歪んだ。
「そう言うんじゃありませんから。分かりました?」
「い、イエスマム!」
なせ敬礼?
というかそろそろ小指踏むのやめてもらえませんかね?
なかなかには痛いんですよ?
「話を戻しますが、私なら暇なのでついて行ってあげれますよ?」
「ワタシは無理だな。明日も街の食べ歩きだ」
我が主人様よ。
人間界の食べ物がそんなに気に入りましたか?
まあ俺の代わりに餌付けをしてくれる人がいるのは有難いんだけど。
「ちなみに………兄さんは?」
チラッとこちらを窺い見るシャルの顔には期待と不安が見えた。
そんな表情されたら俺もついて行ってやりたくなってしまう。
………しかし!
「無理だな。事務所は平常運転だから休めない」
そう、俺はもう学生じゃない。 働く身なのだ。
だから学生時代にように夏は遊ぶということができない。
特に、俺の場合生活が懸かってるわけだから、サボるなんて言語道断。
「悪いな」
「いいえ。ただ、………………兄さんと一緒の方が安心できると思っただけなので」
「ただ、なにって?」
「なんでもありません!この間の子と一緒にお仕事頑張ってくださいね!」
何を怒ってるんだ?
なんか怒らせるようなことしたか?
ホント、女の子の気持ちはよく分からん。
「ふふっ、怒らせたな」
俺が苦悩していると、クシャナがからかってきた。
今日は珍しいことに眠そうじゃない。
「全く、わざとにしてはわざとらしい。ということは素で分からないか。それとも気付かないように蓋をしているのか。どちらにしても早く気づかないと後悔するぞ?」
「俺にはお前が何を言いたいのかよく分からん」
「分からんのではなく分かろうとしないだけだろ。心の底では分かっていても、それを認めようとしない。一体誰に対して罪悪感を覚えているのやら」
本格的に分からん。
罪悪感なんて知らないし、そもそも俺が何を分かっていて、何を分かっていないかも分からん。
何よりこの幼女が一体何を言いたいのかが分からない。
「まあいい。悩め少年」
そう言ってクシャナは自分の部屋に帰って行った。
いつの間にかシャルとマールも消えている。
俺はもやもやしたまま自分の部屋に帰って行った。




