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[狼よ、斯くて遥か高みを超えよ・2]

 


「なるほどの、大体の事情はわかった」


 鬱蒼とした森の中、ほんの少しだけ拓けた場所に建つ小さな掘っ建て小屋。ここはガロンが森で出会った謎の老人の家だ。

 暖かい光を放つ暖炉の前で老人と向かい合って座ったガロンは、出された茶を飲みながら今までの事を話していた。

 老人は死んだような目をしながら殆どを黙って聞いていたが、時々深く刻まれた皺を錆びた鉄の様に動かして気になった事柄を尋ねる。不思議な者で、年を取った者の持つある種の能力とでも言うか、ガロンは聞かれた事に素直に答えていた。


「なら俺がここに居る必要も時間がねぇのもわかったろ。強くならなきゃなんねぇんだ、こんなとこで茶を啜ってる場合じゃねぇんだよ」


 古びた湯呑みを机に叩きつける様に置くと、老人に礼を言ってガロンは立ち上がる。

 どうやら見当が外れた様だ。話を聞いてもらう事で多少は心も落ち着いたものの、これ以上ここで得る物は無さそうだ。寂しい隠居老人に付き合っている暇は無い。


「まったく、せっかちは若いモンの悪いとこじゃの。そもそもお前、そんな体で何をするつもりなんじゃ」


 出口に向かっていくガロンの背中に、老人は無感情な風に声をかける。


「わかんねぇよ、だけどジッとはしてるのは無理だ」


「ふむ……」


 背を向けたままの若者に、老人は立ち上がり小さな窓から晴れ晴れとした外を見て静かに唸る。感情を表に出さないその顔が、心なしか嬉しそうに見えるのは何故だろうか。


「お主さえ良いのなら、ワシが修行をつけてやらんでも無い。もちろんワシの言うことには全て従ってもらうがの」


「なに言ってんだよ……言っちゃ悪いが、アンタみたいなヨボヨボの爺さんに何かを教えてもらうほど落ちぶれちゃいねぇつもりだぜ」


 突拍子もない提案にうんざりしながら振り返る。引き止めるにしても、もっとマシな言葉は無いのだろうか。

 外を眺めるその背中は曲がり、ひどく小さく頼りなく、とても修行がどうこうと言う風情では無い。正直、こんな森の中で独りで生きていけているのが不思議なほどだ。


「はっきりモノを言うのう、その無礼な態度は父親そっくりじゃな」


「え……?いまなんて……」


 その言葉に目を見開く。盗賊団で育った事は話したが、まるでこの老いぼれは偉大な首領の事を……自分の父親を買って出てくれた男のことを知っているかの様だ。


「もし、もしお主の父親……若かりし頃のヴァロンに修行をつけたのがワシだとしたら……お主どうする?」


 片眉を釣り上げ、顔だけをこちらに向けて老人は信じられない様なことを口にする。今度こそ、老人の表情は明確に嬉しそだった。


「お、おい……マジで言ってんのか…!?」


 目の前のこの矮小な爺さんが、親父の師匠だっただと?そんな馬鹿な。


「巡り合わせとは不思議なモンじゃの。たまたま見かけたお主からヤツの名が出たのは驚いたが、これも何かの縁じゃろうて」


 再び顔を窓の外に向け、驚くガロンを放り出して独り懐かしむ様に口を開く。一度は落ち着いたガロンの心も、先程までとは違う意味で取り乱していた。


「ま、待て待て待て!いくらなんでも突然すぎるぜ!爺さん何モンだよ!」


「ワシか?ワシの名前はガイオン……昔々に武術で天下を獲っただけの、くだらんジジイじゃよ」


 ガロンに体を向き直した老人──ガイオンの顔は、悪戯っぽく不敵な笑みを浮かべていた。




「まだ信じたわけじゃねぇぞ……もし親父の名前を知っているだけで適当なこと言ってんだったら許さねぇからな」


「じゃからそれを今から証明してやると言っとろうが。ほんにせっかちじゃのう、体に毒じゃぞ?」


 ガイオンに連れられて外に出たガロンは、当然ながら半信半疑で口調も荒くなる。それを気にもせずに、ガイオンは今にも折れそうな細い腕で、庭先の切り株に突き刺さった薪割り用の斧を手に取る。

 よく手入れされている様で、刃先は日光を反射して鋭く光った。


「ではまずこの斧を持て」


「おう、それでどうすんだ?」


 ガロンが手渡された斧を受け取ると、ガイオンは十歩ほど離れたところまで歩いて行き、立ち止まってこちらに向き直る。


「ふむ、この辺で良いかの……よし、その斧を儂に向かって思いっきり投げろ。遠慮はいらん、殺す気で投げるんじゃぞ」


「な、なに言ってんだ!?死んじまうぞ!」


 またしてもの別方向での衝撃発言に、ガロンは目を丸くして当然の言葉を返した。こんな近距離で思い切り投げられれば、エヌエムを使ったガロンですら無傷での回避は難しいだろう。


「大丈夫じゃって。気にせんで良いから早う投げろ、見たところ腕は無事なんじゃろう?」


「んなことできっかよ!俺は人殺しにはなりたくねぇ!」


 当然だ、自分は盗賊ではあっても殺人鬼では無いのだ。投げろと言われて二つ返事で実行できる筈がない、そんなことができる奴はただの異常者だ。

 しかしそんなガロンの気持ちは知ったことでは無いと、いささかイライラした風にガイオンは急かす。


「良いから!はよ!投げろ!」


 どうあってもこの愚行を辞めるつもりは無さそうな顔に、ガロンも仕方なく諦めをつける。当たらない様に適当な位置に投げれば良いだろう。


「……ったく!どうなっても知らねぇぞ!!」


 しかし考えが甘かった。投げる瞬間に肋骨が痛み、自分の意志よりも早く手が開いてしまったのだ。


「やべっ!!」


 さらに悪いことに、ガロンの手を離れた斧はまっすぐにしょぼくれた老人の顔面に向かって飛んで行く。自分が恨めしく思える程に会心のスピードで……

 悲惨な光景を見まいと、ガロンは思わず目を逸らした──


「なかなかの速度じゃの。大怪我しながらこれだけできれば大したもんじゃ」


 特に慌てた様子も無い、落ち着いたガイオンの声が聞こえたと思った次の瞬間、辺りに甲高い金属音が短く鳴り響く。

 恐る恐る目を前に向け直すと、そこには先程までと変わらず背中を曲げたまま佇むガイオンと──その足元には、まさしく木っ端微塵としか言えない程に粉々に砕け散った斧の残骸が散らばっていた。


「ほれ、これでちょっとは信じてもらえたかの」


 事も無げに呟くガイオンの姿は、しかし何故だかとても強そうに見えた。ガロンは、ほんの少しだけ心の底が昂る感覚を覚えた。



[狼よ、斯くて遥か高みを超えよ]続く

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