8話「シスターは沈黙喚起」
8:シスターは沈黙喚起
・大学の片隅にある使われていない体育館。
かっては多数の運動系サークルが所狭しと汗水垂らしていたためにここの他にも2つ体育館があった。とある4年間ではバスケ・駅伝・卓球・ドッグファイト・ダンスで全国大会に出場するほどの強豪校だったのだがそのいずれも1年時から支えていたエース達が卒業してからは全国どころか地区予選にも勝ち進めずいつしか槍サー化してしまいその結果2つの体育館は取り壊され現在はこの小さな体育館しかない。それすらも3年前に運動系サークルが全滅したために今や庭園兼教会と化していた。表の庭を埋め尽くすは葉を毟られた青の薔薇。教会へ続く道を飾るは枝のない大木達。その右脇には水面の多くを足場で埋め尽くされ水たまり程度しか覗ける場所のない池とそこに居着くわずかばかりの金魚達。左脇には温室が設けられ中には小さな水田と、翼のない白いカラスが数羽存在する。そのカラス達は嘴の奥の方を輪ゴムで何重にも縛られていて僅かばかりしか嘴を開くことが出来ない。重い木製の扉を開け放てば手足のない壊れた人体模型がそこかしこに散らばる大聖堂の間。立ち並ぶ椅子には背もたれと脚しかなく座る面積はない。天井に浮かぶシャンデリアは10キロのダンベルをいくつも括りつけられている。しかも嫌がらせのようにその左右を巨大な扇風機が侵略して悪魔の風を吹き放している。
「…………」
そこに、彼女はいた。纏うは修道着。
しかしそれはまるで血塗られたウェディングドレスのように純白の生地に赤い花を咲かせていた。大層な純白のスカートは、ほぼ透明であり本来隠すべき下半身が露になっている。最後の居城とも言うべき下着もローレグで股布の部分に切り込みがされていて角度によっては中が見えてしまいそうな状態にあった。胸の前で祈りのために組んだ腕には袖がなく代わりに黒いレースのようなものを纏っていた。小さな肩にかかる銀色の髪は時折妖しく輝く。そんな血塗られた堕天使とも形容出来るシスター。彼女のもとに光志朗と悠凪は遣わされた。
・それは今から30分ほど前。
世界史の授業中だ。当然光志朗は内容などほとんど聞かずに携帯機で調教ゲーをやっている。しかし此度の教授は非常に融通が聞かずかなり真面目だ。
「こらこら。ゲームなんぞやっていたらレギオンにはなれないぞ出席番号23番!」
そう言ってゲーム機を取り上げてしまった。直後に光志朗はオカリナを吹き、教室中を同性愛フィールドへと変えてしまった。
「ど、どうして私がこんな事を……」
後ろに座っていた悠凪は友人と見受けられる女子と抱き合って唇を深く重ね合わせていた。そして自分からゲーム機を奪った教授は廊下を掃除していた初老の用務員さんに突撃した。
Go!ahead!Let's dig!
すべてが終わった後光志朗は罰としてこの教会の掃除当番を言い渡された。
「…………噂には聞いていたけれど怪しいところよねここ」
悠凪が周囲を見回す。池の水面からは何本もの人間の腕が伸びていた。角度的に腕より下は見えなかったがまるで水面に存在するであろう何かからその少なくとも8本以上の腕が生えているように見える。確かあの池には金魚しかいないはずだった。
「…………」
そーっと悠凪が様子を確認しようとするとその肩を光志朗に止められた。
「何よ?」
「さっさと終わらせる。例えここに居着くのが人知を超えた怪物であろうとな」
池の腕を見やる。悠凪の肩を叩いた音に含ませた力により8本の腕は、アビャァァァァァッ!!と奇声をあげながら水面に帰っていった。
「…………あんた本当にここを超えてあの教会に行く気? と言うか授業はまともに聞かないのに教授の言うことは従うの?」
「………………」
「…………あ、そっか。南風見教授のためか」
合点が行き、手を合わせる悠凪を背に光志朗は教会へと足を運ぶ。
「ヵォ……ヵォ……」
嘴を封じられ鳥類のものとは思えない程低い声を鳴らす白いカラス達が窓からこちらを見やっていた。あの窓はどう見ても高さ2メートル近くはある。翼がないはずなのにどうやってあのカラス達はあそこまで登ったのか。と言うか餌もないはずなのにどうして生きていられるのか。そもそもかなり貴重な存在である白いカラスをどうしてあそこまで集めてはあのような虐待を講じているのか。謎が謎を呼び行程を1つ進める度に言いようのない恐怖が重なっていく。そろそろ6月で蒸し暑くなるというのに悠凪は血の気が引くのを感じた。そうして巨大な木製にたどり着くと躊躇なくその扉を開ける。
「…………」
その先に彼女はいた。最初は後ろ姿だ。
半透明なスカートの向こうにある下着……どころか尻が丸見えとなっている。外からの光を浴びて背中を隠す銀の髪は蛍光灯のような輝きを放つ。わずか数秒に過ぎないこの時間が何秒も続いていたかのような錯覚が二人を襲う。
「…………掃除に来ました」
光志朗がなるべくいつものように声を放つ。と、正面の彼女はこちらを振り向いた。
「…………」
前髪で目元は隠れているがその顔立ちは幼く見える。背丈も光志朗どころか穂凪よりも小さいように見えた。そして風に揺らいだスカートの正面。その内部の露出が二人の目に入る。不自然なほど白く、しかしどことなく黒味を帯びた肌色。その肌に生えた唇が幽かに開くと、
よ う こ そ
「!?」
その声で空気を揺るがせていないにも関わらず彼女が発した言葉が脳を焼いた。悠凪はもちろん、ここで初めて光志朗が表情を変えた。気に留めるべきはいや、気を留めてしまうのはその異質ではなく特質だった。
お 掃 除 頑 張 っ て く だ さ い ね
またしても二人の脳を届かないはずの言葉が焼く。そして気付けば彼女の姿は瞳が映す光の中からは消えていた。
「ね、ねえ、今のって……」
「やめろ。人間は理解に及ばない現象に対しては沈黙せざるを得ない」
その言葉だけを内から放ると光志朗は内心で沈黙を破った。
…………あのシスターは怪物だ。音を殺し光すら届かない…………。
しかしそれ以上はやはり沈黙せざるを得なかった。
・1時間を費やして大聖堂の掃除を終えた。
外や持ち主とは違って教会そのものは特に変わったところはなかった。元々体育館というだけあって体育倉庫があり、中にはバスケのゴール台やホワイトボード、さらにはビート板まで置いてあった。
確かこの大学にはプールはなかったはずだが昔はあったのだろうか? 冷や汗が純粋な労働汗に変わり一段落着いた時だった。
終 わ っ た よ う で す ね 、 ご 苦 労 様 で す
「!?」
またしても脳裏を焼く言葉のない意味。そして気付けば正面の通路に立つシスターの小さな姿。
そ れ は わ ず か ば か り の 感 謝 の 意 で す
「……あ」
次に意味が脳を焼いた時には既に二人の手にはビニール袋が握られていた。中を見ると悠凪の方には裁縫用の小さなハサミが、光志朗の方には数枚の楽譜が入っていた。
「…………これは、」
そして次の瞬間には二人は教会の外にいた。当然二人共自分の足が己の質量をここまで運んだ記憶も実感もない。
「…………私のはまだ分かるけどあんたのそれ、何よ?
あんた音を使えるってのは分かるけど音楽も嗜めるの?」
「…………いや、これ以外に楽器は使えない。…………だが…………」
光志朗はオカリナに触れながらも楽譜を睨む。悠凪も顔を覗かせるが記号や音階を読むだけの専門知識はない。
「…………何の曲?」
「…………分からない。曲にはなっていないように感じる。ただの雑音か……?」
尚も凝視を続けるがしかしここで立ったまま解読するにはこの楽譜はあまりに読めない。楽譜を袋に仕舞って家に戻ることにした。




