2話「幕開けは深夜1時45分」
2:幕開けは深夜1時45分
・深夜1時45分。
南風見の家にひとりの少女がやって来た。しかも自分がここにいる意味を訪ねてきている。
「……」
光志朗は背後を僅かに見やる。対して穂凪はゆっくりと首を横に振った。つまり穂凪の知り合いというわけでもないらしい。ならばこの少女はいったい何者だろうか?
「……クシュッ!!」
風を切る音はくしゃみでありそのくしゃみを放ったのは眼前の少女。5月とは言え深夜は肌寒い。それをこの少女は明らかに日中の格好で立っている。……日中……?そう言えばこの少女は夕方にあのコンビニで出くわした女性に似ている。
「……あの、」
その女性が今度は言葉を紡いだ。
「とりあえずすごく寒いので中に上がらせてもらってもいいですか……?」
再び背後を見やる。妹はグーと親指を立てた。
「……」
中の方へと手を招く。
「し、失礼します」
女性が中に入ると光志朗がドアを閉める。靴を脱いだ彼女は穂凪に導かれてリビングへと足を運んだ。
その後ろ姿に記憶はないがしかし前から見た姿は確かにあの時の女性だった気がする。そして服装も同じな気がする。まさかあれから6時間以上もその格好でいたのだろうか?ソファに彼女を座らせ穂凪がホットコーヒーを用意する。
「ありがと」
「ううん。それでお姉さんはどうしてここに?」
対面に位置取る穂凪の隣に並び彼女の言葉を待つ。
「それが、私にも分からないんです。大学帰りにいつもどおりの道を辿っていたはずなのに何故か足がここに動いて……」
「えっと、お姉さんはもしかして……」
「ち、違うのよ!?いつもはこんな抜けてなんていないのよ!?それにどうしてかここから離れることが出来ないのよ。私も最初は足の病気かと思ったけれど普通にここまでは歩いてこれたし……
私にも一体何がなんだか……」
「えっと、お姉さんいつからいたの……?」
「11時くらいから……」
「もう3時間近くもその格好であそこに立ってたの!?」
「……ええ、そうよね……。普通動けないにしてももっと早くインターホン鳴らすわよね。…………あの、1つお願いがあるんだけど」
「何?」
「…………お手洗いを貸してください」
赤面しながら言葉を落とした彼女は穂凪に導かれてトイレに消えた。一足早く帰って来た穂凪と相談する。
「警察に連絡した方がいいのかな?でも全然悪い人には見えないし……」
「…………」
とりあえず事情を知りたい。向こうは覚えていないかもしれないがこちらは彼女をあのコンビニで覚えている。ならもしかして何かしてしまったのか。……いや矛盾している。こちらを覚えていないのならどうしてここに来れるのか。
「えっと、警察だけはやめてください」
と、彼女が手を拭きながら戻ってきた。
「……そう言えばまだ自己紹介をしていませんでしたね。私は赤城悠凪。大学1年生です」
「私は南風見穂凪。高校1年生です。こっちはお兄ちゃんの光志朗くん。お姉さん……悠凪さんと同じ大学1年生です」
「ありがとう、穂凪ちゃん。…………えっと、お兄さんはひょっとして口を利けない人なのかな……?」
「いえ、極度のシスコンなのでそれ以外の人とは口をきく勇気がないヘタレド畜生なだけです」
「…………」
とりあえずあまり良く出来ていなかった妹の頭にチョップ。あだっ!と悲鳴を上げる妹を無視して彼女を、悠凪を見やる。
「…………それで?」
「え?」
「…………それでここへ来て何をしようって言うんだ?」
「…………そう言えばまだ説明していなかったわね。でも私にもよく分かっていないのよ。どうしてここへ来たのか。まるで磁石に引き寄せられるみたいな……」
「…………」
「……なによその目は。私を信じられないって言うの?」
「あんたとは夕方コンビニで会った。そんなファンタジーや被害者妄想を騙られるよりかはそれ以来ずっとストーキングされていたと考えた方が現実的だ」
「な……!?言うに事欠いて私をストーカー扱いするの!? 大体あんたと会った覚えなんてないわよ!」
「…………」
交錯させる視線。その雰囲気に居た堪れなくなったのか穂凪が二人の間に割って入った。
「えっと、それで悠凪さんは今はもう大丈夫なの?」
「え……?ああ、そうね。お手洗いも借りれたことだし帰らせてもらうわ」
最後まで恨み色を込めた視線で光志朗を睨みつつ彼女は踵を返し玄関に向かった。靴を履いてドアを開けて外の瑠璃色に視線を送る。しかしどうしてか中々一歩を踏もうとはしない。
「……どうしたの?」
「…………なんだろう、これ。動けない」
「へ?」
彼女は後ろを向いたまま一歩も前に進まない。ばかりかドアを閉めて玄関に戻ってきた。
「………………ごめん。私、帰れない」
「えっと、どこか具合でも悪い? 私の部屋で寝る? お医者さん呼ぶ?」
「ううん、大丈夫……大丈夫なんだけど……どうしたらいいか……」
靴を脱ぎ、兄妹が立つベランダにまで戻ってきてしまった。青くなった顔を上げれば自分に心配の色を向ける穂凪と懐疑の目を向ける光志朗が見えた。その両方に抵抗するためもう一度出ようとするのだがどうしても足が動かない。後ろ髪を引かれるという言葉があるが自分のポニーテールは重力以外の何にも触れていない。……この家から出られない……。体は全く平気だというのに足が言うことを聞かない。言いようのない重圧にここでやっと不安と恐怖が自覚出来た。頬を走る汗は暑さで誘うには夏といえど夜では足らず、その由来を確かめるのに数巡を要した。
「悠凪さん、やっぱりどこか悪いんだよ。今日は休んでいこうよ、ね?」
「で、でも……」
「お兄ちゃん、いいでしょ?」
「……」
光志朗は黙ったまま踵を返す。
「ほら、お兄ちゃんも好きにしろって言ってるよ」
「……よく分かるわね。………………でも、本当にいいの?だったらちょっとだけ休ませてもらおうかな?」
無理に笑顔を作る。きっとずっとあの寒い中で立ったままだったから足がどうにかなってしまっただけだ。少し休めばきっと自分の家に帰れるはずだ。そう幽かな願いを心にしまいつつ誘導する穂凪の背を追いかけた。
・悠凪が穂凪と共に風呂に入っている間に
光志朗はすっかり崩してしまった予定を再開させていた。ボタンという引き金を使って液晶の奥の敵を狙う。その腕前に一切の淀みはない。それでも脳裏の片隅ではあのストーカー女の事が気になっていた。
その動機、由来が何なのか。彼女自身にも自分達にも想像すら出来そうにない。それ以上に気になるのが今、この家に穂凪以外の女性がいると言う事だ。…………これはもしかしたらまずいことかもしれない。
あの女にくれてやれる興味は一切ないがそれと事実に関係はない。これは人助けだ。人助けに相違ないし、穂凪が相手をしてくれている。ならば如何程の問題もないはずだ……!そう心の片隅を焼きながら視線の先の電子の戦場に集中する。やがて、今日のノルマを終えてゲーム機を戻すため自分の部屋へと向かった。
「ん、」
ベッドの上。カバンとレジ袋がそのままだった。5月にエアコンをかけていない部屋で弁当を置き捨てているとなると品質が気になる。姑息と弁えていながらも袋から取り出して冷蔵庫へと戻ろうとした。
「…………これは、」
袋の中のもうひとりの住人:10円の赤い糸。そう言えばこんなものを買っていた。円華とのせめてもの姑息のために買ってしまった赤い物体。場合によってはこの一縷の何倍もの赤を呼びかねない由来を作るかも知れないと言うに。
「…………由来…………か」
つい最近その言葉を脳裏に思い浮かべた気がする。あの女・赤城悠凪がここへ来て尚帰れない由来。そんなファンタジーがあるとは思えない。きっと数時間も外に出ていて本人が弁えていた以上に体力を消耗していたに過ぎない。そうに決まっているはずだ。ドタバタドタバタ…………
「ん?」
何やら騒がしい。床を走る音がどんどんこちらに近付いて来ていた。
そして、
「な、何なのぉぉぉぉっ!?」
開いていたドアから悠凪がこちらにタックルするように突入してきた。まだ髪も濡れたままで首から下はタオルを巻いただけの姿だった。その状態で光志朗に突進。体重はともかく身長で勝る相手にタックルされてはひとたまりもなく光志朗はベッドまでの1メートルを吹っ飛ばされた。
「きゃあああああああ!!」
悲鳴を上げながらベッドの上に倒れた光志朗の上に半裸の悠凪がボディプレスをかましてきた。
「~~~~!!!」
なるほど。確かに女体特有の柔らかさやいい匂い、そして何より成熟した女性の胸が押し付けられているこの状態だけを見れば幸福と言えるだろう。しかし今の光志朗にそんな余裕はなく唾液の塊を吐き出してしまう。
「きゃ!汚い!」
自分にのしかかったまま半裸女はそう宣った。
「…………」
光志朗は口元を拭うと首から下げたオカリナに付けて音色を出す。緩急激しい滝壺のようなメロディに耳をくすぐられた悠凪は、
「!?な、何……こ、れ……」
勢いよくベッドから起き上がり、気を付けの姿勢を取ったかと思えばその場ですごい速度で回転し始めた。その回転はメロディが続く150秒間続いた。
「…………」
メロディを終えてオカリナから口を外すと同時に完全に目を回した悠凪が床に倒れた。
「な、何なのよ~~~?」
起き上がることすら出来ずにその場で悶絶している。
「疾風怒濤のマーチ、だね」
と、廊下から穂凪が顔を出した。こちらは下着姿だ。そして両手で必死に壁を抑えている所を見るに今のを聞いてしまっていたようだ。
「悠凪さん急に着替え途中なのに走り出しちゃうんだもん。一体どうしたんだろ?」
「…………さあな」
二人の兄妹は暗闇の中床に昏倒する半裸の女を見下ろして首をかしげた。




