18話「崩落するは自分宮殿」
18:崩落するは自分宮殿
・耳に響くのは無数の悲鳴と救急車のサイレンと建物が崩落する音。
それらがこれでもかというほどに混ざり合って聴覚は麻痺している。
「全く。やってくれたものだな」
ジアフェイ・ヒエンは頭を掻きながら救助部隊や調査部隊の指揮を執る。
「ほら、ぶつくさ言ってないでまじめに働いてください」
脳裏に響く困ったような呆れたような声。
「わざわざ覚醒のGEARを持っている人を福岡から連れてきたんですから機密事項をペラペラ喋ってしまった罰を喜んで引き受けてくださいね」
「こちらとしては全力で頭を殴られて気絶した挙句背筋に氷に近い冷水をぶっかけられて無理やり起こされたような状態なんだからもう少し怠惰をさせても罰は当たらないと思うんだが」
「あなたの犯したその罪が既に中々帳消しできないほどなんです!」
「…………やれやれ。こっちの周りの年下はどうしてこう焦燥が得意分野なのか」
「あなたが全方位に何の考えもなしに悩みの種やら不具合やらをこれでもかというほどばらまいているからですよ!」
「ヒステリー! 怖いねぇ、年頃の娘はどうしてこうヒステリーが続くのか」
「…………私、代表にあなたの給料半分にするよう申請してきますね」
「それは困る。そうなったら誰が毎月のエロゲ代を払ってくれるのか……!」
「そんなもの知りませんし女子高生に尋ねないでください」
「安心したまえ。エロゲで屠られるヒロインの9割は女子高生だ。君もどこかのゲームではヒロインになれるぞ」
「そんなヒロインはごめんです」
「何だか今日は随分と釣れないものだな。生理か何かかい?」
「……あなたは本当に他人に悩みの種を植え付けるのが得意な方ですね」
「妙だな、そんなGEARは持っていないのだが。こっちゃ君と違って持っているGEARは1つだけ。勘違いなんじゃないのかな?」
「…………ヒエンさん。この会話、全女性スタッフにもそのまま送っておきますね」
「まあまあ、そう焦らずに。……ところで聞きたいんだけど」
「何ですか?」
「あの二人、どうなったんだ?」
「…………本来ならヒエンさんにはそれを聞く権利はあるのですが流石に先程あれだけ命令無視していたのでその権利は今は与えられていません」
「……そっか。まあ、あの連中が自分でぶっ壊したんだ。それなのに巻き込まれておじゃんなんてありえないか」
警棒片手、飴玉片手にヒエンは崩落した現場を見上げた。
・病院。
先程光志朗が崩壊させたものから数キロ離れた別棟。そこに光志朗と悠凪は運び込まれた。最初は当然二人を離して治療する予定だったがGEARに匹敵する何か別の力の働きがあって二人を乖離できない事が判明したためやむなく同じ部屋で治療をすることになった。
「…………」
光志朗は現在オカリナは没収され首から下の神経を停止させられ口笛も吹けないように口の中に布を含まされている。3階分の高さを落下したが咄嗟に音をバリアにしたためか防御しきれなかった左腕の骨折程度で収まったが怪我以外の事でしばらく外には出られなさそうだった。
「…………」
横のベッドには悠凪が眠っている。悠凪にも特別な検査が行われGEARの有無を確認されたがGEARは発見出来なかったそうだ。悠凪の方の怪我は落下自体は光志朗が庇ったために軽い脳震盪で済んだがそれ以前にかなりの距離をかなりの速度で吹っ飛びモノを詰め込んだカバンを盾にしたとは言えコンクリートの壁をぶち破った衝撃は凄まじく、彼女もまた左腕の骨折と全身打撲を負っていて現在意識不明。それに光志朗がしばらく外に出られない以上彼女もまたここから動くことは出来ないだろう。
「…………」
光志朗が時計を見た。既にここに運ばれてから24時間以上が経過している。食事を取っていないのはもちろんだがずっと拘束されていてなお一睡も出来ないのはしんどい物だ。ずっと目の前にあった目標が崩れ何をしたらいいのか分からない無力感とやはり崩落して炎上したあの病院に取り残された朱華の現状が気になる。冷静になった今だからこそ分かるが結局この手で朱華を殺すことには成功したのかもしれない。しかしあまりに多くを巻き込んでしまった。罪悪感が孕まれている。そして何も言えずに置いてきてしまった穂凪の事が心配だ。昨日は一人で過ごしたのだろうか?そんな事は今まで一度としてなかったから泣いてしまっているんじゃないだろうか? 穂凪は朱華、円華に次いで大事な存在だ。順位の都合だったとは言え彼女を泣かせてしまうのはかなり心が軋む。
……いや、何を言っているんだ。寝不足だからといって自分で蒔いた種だ。それに自分が心を痛めるなど愚の骨頂。いや、狂人の域だ。心配せずとも元より朱華を仕留めた後は罪滅ぼしに生きると決めてあるし
いつでも腹を切る覚悟は身に纏っている。何も恐れはない。穂凪ももしかしたら円華が付いていてくれるかも知れない。ならば安心だ。
「…………」
隣の悠凪を見やった。結局こいつがやってきたおかげは何もない。いや、新たに心配の種が出来てしまっただろう。自分が死んでしまえば赤い糸はどうなるのだろうか? 死体に一生付き纏う事になるのだろうか? ならば死体を完全に崩してしまったら?第一あの赤い糸の事だってまだ何も分かっちゃいない。
GEARと呼ばれる力の一種なのだろうか?
「……………………ん、」
音がした。悠凪からではない。この24時間全く変化がなかったドアからだ。
「へえ、あれがマイスターさんか」
声と共に現れたのはこれまた少女だった。年の頃は穂凪と同じ、15歳前後だろうか?
「…………」
「そう睨まなくたって何もしないよマイスターさん。私の名前は馬場久遠寺。久遠ちゃんって呼んでね。
……ってその状態じゃ喋れないか」
と言うと、久遠は事も無げに光志朗の口を塞ぐ布を外してゴミ箱に捨てた。
「まさか俺を解放しようと?」
「ん~、流石にそこまでやっちゃうと久遠ちゃんでも怒られちゃうかな」
「…………取引か?」
「さっすが、その鋭さは死神さん譲りだね」
「死神?」
「そ。昨日会ったんでしょ? マイスターさんにペラペラ喋っちゃったから今じゃ死神さんは下働き状態だよ」
昨日会った、ペラペラ喋った、それらに符合する奴は一人しかいない。あのヒエンと言う男だ。という事はこの少女も機関の人間、GEARを持っていると言う事か。
「早速だけどマイスターさん。会わせたい人がいるんだ」
「会わせたい人?」
「お兄ちゃん!!」
久遠の背後からやってきたのは誰かと思えば穂凪だった。
「穂凪……!」
「もう! バカバカ! 心配かけてこのシスコン!」
拘束されて動けない兄に突進して往復ビンタをしながらも号泣する妹様。
「マイスターさんの妹だって言うから特別にここに連れてきたんだ」
「…………」
なるほど。合点した。決して自分を心配して安心させるためだけに穂凪を連れてきたわけじゃない。穂凪はむしろ人質だ。これから行われるであろう取引のための人質なのだろう。
「さっすがマイスターさん。もう久遠ちゃんが言いたいこと分かったんだ」
「…………聞こうか」
「うんうん。とりあえず今の代表からの言葉をそのまま伝えるね。
”南風見光志朗さん、望めば失われた記憶も返すので大倉機関に所属してください。そうすれば全ては身内人事。三船や伏見に狙われる前に囲っておきたいのです。こんなことしたくはありませんが妹さんが居ることを忘れずに”だってさ」
「…………」
大体予想通りだが三船や伏見とは何なのだろうか? 三船は確か昨日聞いた名前だ。この機関にとっての敵なのだろうか? だとすれば伏見もそれに付随する組織か。それに狙われたくないと言う事はそれらはGEARを持つ人間を始末したいのか? それともここと同じように集めたいのだろうか?
前者であれば甚だ危険でそれ故に安全だと言うしかないが、後者だったらただのヘッドハンティングだ。ある意味前者より保証出来ない。当然どちらであろうとも穂凪を盾に使われている。いや、先方が気付いているかどうかは別として今では悠凪も立派な人質だ。これでは吝かではない。是非もないとはこの事だ。
「どうする? マイスターさん」
「……そのマイスターさんと言うのはどういう事だ?」
「え? あだ名だよ? だって君、音を使うんでしょ? 知ってるよ、音だけで病院のスタッフ全員を洗脳した挙句ひと棟崩壊させたんでしょ? あの死神さんが本人は絶対に死なないのにその気になったらどこまででも相手を死に追い詰める死神みたいな人なら君はマイスターさんだよ」
「…………」
この少女、穂凪並かそれ以上の逸材のようだな。意味が分からない。
「…………俺の答えはもう分かってるはずだ」
「うん、そうだね。穂凪ちゃんがいるもんね。そこのお姉さんだってそうだものね。でもね、みさk……じゃなかった現代表から言質をしっかり取るようにって言われてるんだ。だから、はいこれ」
久遠が出したのは契約書。内容は当然光志朗が大倉機関に所属するためのもの。
「…………所属だけでいいのか?」
「え? どういう事?」
「せっかく人質に言質まで貰えるんだ。どうせなら奴隷のように働かせるんじゃないのか?」
「…………こんなことしておいてなんだけどさ、大倉機関はブラック企業でもなければ怪しい組織でもないんだよ? 立派なこーえきほーじんだし。マイスターさんは別に大倉機関を皆殺しにしてやろうとかGEARの力で世界征服してやろうとかどっかの死神さんみたいに全世界の可愛い女の子を片っ端から自分のものにしようとか思ってないんでしょ?」
「…………むしろあの男はそんなことを願って所属しているのか」
「その死神さんだって可愛い女の子のお願いならある程度は聞いてくれるんだからここにいられるんだよ。で、君はあの人以上になっちゃうのかな?」
「まさか。だが、いくつか条件があるのを聞いてくれ」
「……久遠ちゃんには飽くまでも上に相談するポイントが増えるだけだけどそれでいいなら」
「…………分かった。まず1つ、俺の現在の所属はそのままにしてくれ」
「ゲーム会社だっけ? いいけど本職2つを兼任とかマイスターさん過労死するんじゃないのかな?」
「月1本に絞ってくれれば何とかなる。……所属ならちゃんとここは給料が出るのだろうな?」
「それはもちろん。まだ11歳だった頃の久遠ちゃんですら月30万は貰えてたからね」
「…………超ホワイト?」
「まあ割と」
「…………なら次だ。穂凪をこの世界に巻き込まないで欲しい」
光志朗の言葉に穂凪と久遠が顔を合わせた。
「ま、まあ、検討してみるね。でも穂凪ちゃんもGEARがあるんだからここに置いた方が安全だと思うんだけど?」
「ならどうして今まで危険がなかったんだ?」
「そ、それは久遠ちゃんには分からないよ……」
「…………」
きっと父の采配だろう。恐らく父はここの所属だった。大工の仕事をしていたというのも本当だろう。きっと今の自分みたいに複数の仕事を担っていたと言う事か。……ゲーマーとならともかく大工をやりながら別の仕事やるとはうちの父親は怪物か何かか?しかしこの久遠と言う少女は11の頃には既にここのメンバーだった。現在の年齢から察するに4年近くはここにいるというわけだ。ならば、父に関しても知っていることがあるのでは?
「お兄ちゃん、私なら平気だよ? 昨日はちょっと泣いちゃったけど、でもお兄ちゃんと一緒ならどこだって大丈夫だよ?」
「…………穂凪」
「うわあ、何この子滅茶苦茶可愛いんだけど。もう! 穂凪ちゃんってばやっぱり久遠ちゃんと結婚してよ!」
「えっと、久遠ちゃん? 私達女の子同士……」
「そんなの関係ないでしょ? あ、でもそしたらお兄ちゃんが一人増えちゃうのか。それに久遠ちゃんにはもう美咲ちゃんがいるし……むむむ」
1つ新しい情報が入った。この少女、まだ高校生くらいだろうに暁帆の同類か。
「いいか?」
「あ、うん。何?」
「3つ目に入る前に確認がしたい。…………朱華はどうなった?」
「…………ごめん。久遠ちゃんには知らされてないよ。これから言うことは勝手な感想だけどいいかな?」
「…………言ってみろ」
「久遠ちゃんはそこまで階級=権力が高くないんだけど流石に死人の情報だけなら教えられてると思うんだ。特にこれから交渉をする相手の関係者とあれば。それが入っていないってことは助かってるんじゃないのかな? それで今度は念入りに情報を潰すためにその所在地を教える人を限っているとか?」
「…………」
理には適っている。そして音で心を読むまでもなくこの少女は嘘をついていない。しかし、これでは降り出しになる……いや、あれだけの騒ぎを起こしておいてなんだが今の自分はもう今更朱華に対してどうこうしようとか少なくともまた探し出して今度こそこの手で始末しようなどとは言える程の体力気力は残っていない。
「分かった。で、3つ目だが」
心なしか問う光志朗の体は震えていた。
「…………今回の件での弁償ってやはり俺がするのだろうか? 少なくとも病院ひと棟を丸々弁償するだけの手持ちはないんだが……出来れば出世払いで頼みたいのだが…………」
「あ、うん。それは大丈夫だって。代わりに払ってくれた人もいたし」
「代わりに払ってくれた人?」
自分で払わなくていいのは嬉しい知らせだがそれ以上にそれが気がかりだった。
「ごめんね、これは企業秘密。でもマイスターさんは私費以外でここに払うものはないよ」
「…………そうか」
今までになく盛大に胸をなで下ろした。まだ穂凪が自分の上半身に乗っかったままだったから自分の胸を撫でるということはイコールで穂凪の胸をも撫でることになるのだがお互いに全く気にしていない。
「…………なるほど。死神さんがああなのにマイスターさんがそうなのはつまりもう満たされているからと言う訳なんだね。いいな~。久遠ちゃんにも生えていたら穂凪ちゃんをじっくり味わえるのに~!」
「…………お兄ちゃんあの人怖い」
「…………だろうな」
初対面でほぼ同い年の同性から全力で貞操を狙われてるんだ。恐怖がないわけがない。
「……1つ言っておくが確かに一緒に寝たり風呂に入ったりはしているが
一線を越えた覚えはない。人を近親相姦したような風評は許さないぞ久遠寺」
「久遠ちゃんって呼びなさい。寺まで入れたら可愛くないでしょ?」
「そこは交換条件だ」
「……くっ、そこまで妹さんを渡したくないということかな……?」
「…………そこは本人が決めることだ。もし仮に穂凪がお前にラブだと言うのならそれでもなお止めようとは思わない」
「お兄ちゃん!?」
眼前で抗議の声が上がった。
「で、条件はその3つ……と言うか2つでいいのかな?」
2つ目がまだ未解決だがそこは追々解決していけばいいか。少なくともこの組織に害意が無い事は分かった。
「…………他に質問が後から出てきても時々に聞いてもいいのなら」
「うん、それくらいはいいと思うよ。じゃ、交渉成立だね」
「きゃ!」
そう笑い、久遠は穂凪の尻を撫でてから部屋を出ていった。
「…………災難だったな」
「ホントだよぉ~!! でもお兄ちゃんが無事で良かった」
「…………ああ」
とりあえず大倉機関には変人しかいない。それは確定で良さそうだ。