17話「爆走するは光の志」
17:爆走するは光の志
・到着のメロディが響き渡る。
昼過ぎのホームはその前後と比べて利用客は多くはない。少なくともその前後の大半を占めるサラリーマンなどはほとんどいない。老人や子連れの主婦、場合によっては自分と年の近い若者が主だ。
「…………」
そしてその中に光志朗の姿もあった。車内で飲み干したコーラのペットボトルをゴミ箱に捨ててフロアに降りる。
…………いるな。光志朗は無音に近い極めて高い音を周囲に放ちレーダーにする。電車から降りて病院の方角へと足を運んだところから二人程自分を追っている者がいる。別に不思議な話ではない。朱華のいる病院の所在地を知るのが円華や穂凪などごく少数しかいないのは自分を庇った事のためではないだろう。
どこの誰の掌かは知らないが何かの上を自分が歩いている。だから怪しんでいる。そのどこぞの誰かさんが何を企んでいるのかは分からないがもう朱華は余命幾許もないだろう。あれから2年。植物人間状態以上にはなれていない筈だ。正式に朱華が死んだと言う情報は穂凪はともかく円華にも知らされていないとなれば……。
「…………なるほど」
一歩二歩。光志朗はわざと一通りの少ない一本道に入った。そうして数歩歩いてから後ろの二人が追ってきた事に気付くと態と財布を落とした。落とした財布がちょうど後ろの二人の足元を通過しようとした時に財布の入っていたポケットを叩いて慌てて見せた。
「財布が……ないな。どこだ?」
立ち止まり当然のように後ろを向く。やはり財布はちょうど二人の足元にあった。
「すみません、足元失礼します」
駆ける。ついでに自分の声に自白の音色を混ぜる。
「…………」
追跡者二人は警戒しながら財布を拾う光志朗を見受ける。
「で、あんたらはどこの者だ?」
問う。自分を追跡する者ならば本来まず答えることがないであろう質問を。
「わ、我々は大倉機関の者だ……」
「俺は、三船だが……」
「…………大倉と三船?」
光志朗が言葉をつぶやく。と、正面の二人は自分が何を言ったのかに驚き次いで片方の表情が青くなる。
「しまった……!」
「貴様三船だと!? スパイか!?」
右の男が左の男に掴みかかる。と、
「!?」
鈍い音が響いた。左の男の右の貫手が相手の胸を貫いていた。やがて、右の男はその場に倒れ出血することなく死んだ。
「ふん、体術だけを磨くだけの平和ボケの馬鹿どもが最先端の科学を抱く我々に勝てると思っているのか?」
「なるほど。だが、俺なら勝てるぞ?」
「何!? ……がっ!?」
突如として放たれた光志朗の言葉に返事をしてしまった左の男は首から下の神経を止め、その場に倒れた。峰打ちのマズルカだ。
「いろいろ聞かせてもらおう。三船とは? 大倉とは何だ?」
「それはこっちが答えてやるよ。一字違いな不死身の世紀王子」
「!?」
声。振り向けば背後だったそこに一人の青年がいた。その声、風貌には確かに覚えはない初対面のはずだがしかし幽かに覚えがあった。その矛盾に警戒がより深まる。
「……その様子じゃ本当に覚えていないようだな。まあいい、お前の望みはあの少女・朱華ちゃんだったか?」
「…………」
光志朗は迷わずオカリナに手を添える。が、同時に耳を手で叩きながら青年が距離を詰めて光志朗の両肩の関節を外した。
「っ!!」
「それはあまりに懲りてるんでな」
耳を戻して青年が背後に回る。そして裏拳の一打で三船を名乗った男を気絶させた。
「まあ聞けよ。朱華ちゃんならお前の想像しているような酷い目には遭っちゃいない。誰が壊れていようとも可愛い少女を人体実験にするかよ三船じゃあるまいし。これ以上カワイ子ちゃんが酷い目を見るのはお前の音以上に懲り懲りだ」
「…………」
「だから、お前の目的も果たせてやるわけには行かない。いいか? どこぞの馬鹿野郎じゃあるまいし愛した者を愛故にその手で殺すなんざ無辜の民を虐殺して楽しむ事以上に最低な事だ」
「……!」
光志朗は口笛を吹いた。それには全身麻痺が預けられていた。が、青年の動きは数秒しか止まらなかった。
「何!?」
「余裕を見せてやる。お前が正式な楽器を使ったもの以外の音色はこっちにゃ僅かしか通じない。それは3年前に証明済みだ。それを忘れてやるほどこっちゃ記憶喪失が好みじゃない」
この青年が何を言っているのかが分からない。まるで自分と前にも戦ったことがあるかのような言い分だ。実際自分の手段が初見未満で全て防がれている。いや、相手はまるでこちらの思考を読んだような事を言っていた。ならばテレパスのような事が出来るのだろうか?
「とにかくだ、諦めておけ。せっかく世界の内側から出られたんだ」
「世界の内側……?」
「やーさんじゃないから殴って黙らせようなんざ思っちゃいない。だからそう言っていられる内に帰ってもらえたら幸いなんだが」
「……ならば問い続ける。朱華はどこだ?」
「知ってるんだろう? どうやったかはまだ分からないが。…………ああ、なるほど。自白……に近い音を使って従姉から聞き出したのか」
「…………」
なるほど。このやや遅れた反応。テレパスはこの男じゃない。他の誰かが光志朗の思考を読み、それをこの男に告げている。だとしたらこの男の持つ力は音を通用しないものか?
「スタッフのGEARだ」
「GEAR?」
「……飽くまでもこっちに与えられた任務はお前さんを追い返す事だ。お前さんは納得するまでここを動くつもりはないだろうしな。だったら別に機密でなければ話せるものは話してしまっても悪くはないか。GEARってのはお前さんだって持ってる力の事だ。GEARとは力であり役割でありそれは人それぞれで世界を構成する物だ。お前の音がそれに当たる。本来なら全人類……に関わらず万物にはGEARが与えられている。その多くがそれに気付いていないがな。…………だあっ!! うっせぇ!! 美少女ちゃんでも命令するな! 身内の前でレイプすっぞ!!」
「……?」
急にキレた。いや、テレパスで釘を刺されたのだろうか。それを鑑みるにGEARと言うのはやはり特別な存在。父が……父が何なのだろうか? どうして父の存在が今になって突然脳裏を焼く? この男に対するデジャブも妙だ。ならば中々に場違いだが仮説を立てられる。…………自分は一度外的に記憶を失わせられている。それにより失わせた連中はもちろん自分が使っているGEARとやらの記憶さえもない。そう突拍子もない仮説を盾にすれば恐ろしい事に辻褄は合ってしまう。
「あん? なんだ、自分でたどり着いちまったのか。そうだ、お前さんは2年前に大倉機関によって記憶を失わされている。だがそれはお前さんのためでもあった。あの時のお前さんは精神崩壊寸前だったからな。無理にでも記憶を奪っちまわないと下手したら朱華ちゃんと同じ状態になりかねなかった。……もちろん機密保持の側面もあったがな」
「…………ならあんたも記憶を消されるんじゃないのか? いや下手したら存在ごと」
「……………………あ~なるほど。その発想はなかったわ。だからさっきから……は怒ってるのか。え? 名前出すな? しゃあないな」
「…………」
肝心の名前の部分は聞こえなかった。まあ、聞こえても覚えていない名前だ。仕方ないだろう。それより本当に自分は記憶を失っていたようだ。それに朱華を眠らせた前後の記憶は自分でも虚ろだったのは妙だと感じていた。まさか無理にでも記憶を奪わなければ精神崩壊してしまうほど自分が荒れるとは。
「…………ならばこそ1つ聞きたい?」
「何だ?」
「朱華に会わせてくれ」
「出来ない。こっちの要件は伝えたはずだぞ?」
「こっちの都合もあんたが勝手に納得してくれたはずだ」
「…………それもそうだな。じゃあ、会わせちまってもいいのかな?」
「いいのか?」
「それくらいの男気は見せてやりたい」
「……それはありがたいがそんなことをしたらあんた……」
しかしそれは間に合わなかった。
「こらああああっ!! ヒエンさん! あなたは何!? 何ですか!?
やるなと言われたことだけをひたすらやり続けないと力を保てないGEARか何かなんですか!?私のGEARでも八つ裂きに出来ないか後で試してあげましょうか!?」
「耳が死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」
「…………」
すごい、恐らくテレパシーなのに脳に直接語りかけているだけなのに何故か光志朗にまで声が聞こえたような気がする。と言うか今の声に覚えがあるような気がする。テレパシー故のフィルターでも掛かっているのか妙に誰の声だか特定がしづらいが。この声の主も記憶を失う前には知っていた人物なのだろうか?にしても目の前のヒエンと呼ばれた青年も今の声の主もかなり若い気がする。大倉機関とやらは若年層で形成された組織なのだろうか?
…………ヒエンが言うには3年前、つまりまだ中学を卒業したあたりで自分は連中と何度か面識を重ねた可能性がある。ならばその可能性が高いのか。
「…………とにかくその人だけは朱華ちゃんとは会わせてはダメですからね! この2年間の何もかもがパーに! パーになってしまうんですからね!! もしこの命令まで無視したら美咲ちゃんにあの夜の事を話しますよ!?」
「OKマム。話を聴こうじゃないか」
「…………あんた何したんだ?」
「少年、あらゆる生命体は過ちを犯すものだ。特に男が可愛い女の子が無防備を晒しているのを目撃した夜にはな」
「…………」
さっきレイプがどうとか言っていた。この男、そういう口だろうか? と言うか普通に念話が自分にまで及んでいるのだがいいのだろうか?
「あ、しまった! ……くう、やっぱり勝てないなぁ……」
その言葉以来その声は聞こえなくなった。
「…………まあ、そういうわけだ。お前さんを連れてやることは出来なくなった。引き続いて言うが、諦めろ少年」
「…………少年少年言われるがもう19だぞ?」
「知っている。だが前に会った時はまだ15だ。こっちからすれば十分少年だ」
「…………」
こいつには時間と言う概念がないのだろうか?しかし、今はこいつの指図に従ってやるわけには行かない。
「おい、見せてやりたいエロ動画があるんだ。PSPをとってくれ」
「あん? ああ、いいぞ。バッチこい」
いとも容易くヒエンは光志朗のポケットから見えていたPSPを取り、イヤホンを両耳につけた。光志朗は指だけで音量をマックスにする。
「6番を再生してくれ」
「あいよ」
「あ、馬鹿……!!」
念話の声が止めるが時既に遅し。ヒエンの聴覚は最大音量によって通常の数倍にまで強化された強制睡眠のメロディに完全に支配された。
「~~~~~~~!!!!!!」
その爆音を聴覚が、脳が受け取ると同時に且つ継続的に彼の意識を闇に消し続ける。ヒエンが眠り倒れると同時に光志朗は何とか両肩の関節を入れなおし、その激痛に耐えながらもPSPを回収する。一度解除したがしかし決まってしまえば不眠のGEARでもなければ数年間は眠り続けるだろう。先程この男は正式な楽器でなければと言った。だが、PSPのミュージックフォルダに用意された曲は全て1年前に光志朗がわざわざコンサートホールとプロが愛用するコントラバスと言う可能な限り最強最大の準備を丁寧に音で借りた上で奏でたものだ。もし仮にテレビなどでそのまま全国放送すれば日本に住むほぼ全ての生命を生きたまま永眠させることすら出来るだろう。もし生命維持装置などで無限に寿命を持たせられる状況を整えてからやれば全人類ウラシマ効果を実感出来るほど長い年月を眠らせることが出来るだろう。なお1番から10000番まであり全て1セットにしてパソコンとPSP、さらに4ギガのメモリーカード、USBメモリ等等に合計600セット用意してある。
「…………そんなことしてたんだ。鬼畜すぎるよ…………」
念話先の声がひどく悄気た声を出す。しかしやはりテレパス先の相手までは直接その音を聞いたわけではないからか眠らせることは叶わなかったようだ。だが、これで邪魔者は消えた。かなり足止めを食ってしまったが急いで朱華が眠る大倉機関とやらの病院に行かなくては。
・大倉機関。
朱華が眠るとされる病院。そこに専用スタッフが大慌てで駆けつけた。光志朗が来るまでの時間は大体20分。それまでに作戦を成功させなくてはならない。
「早く! 早くしてよ! あの人が来てしまったら遅いんだよ! ついでに読心や自白のメロディを使われても面倒だからこの事を知る全スタッフは直ちに別部署への移動を開始すること! これは現代表の言葉でもあるんだからね!」
脳にだけ聞こえる声のために忙しなく動き回るスタッフでたくさんのそこへ、
「しかしそんな緊急指令を華麗に迅速に打ち砕く我参上セリ」
突如窓をぶち破り音の塊をサーフィンボードにして音のバリアであらゆる抵抗を無視して音速のスピードを以て光志朗が突入してきた。
「なんじゃそりゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
スタッフ一同、さらには念話先の声も喉を潰す勢いで大声を上げた。
「読心ソニックブームひき逃げダッシャァァァァァァァッ!!!」
さらに光志朗は自分を纏う音のバリアに読心効果を加えた上で病院の全階層の壁を次々とぶち破りながら激突し、漫画のようにぶっ飛ばしていったスタッフ達の心を読んでいきさらに加速を続けて病院全体を蜂の巣にした。
「面倒だな。……ん、呼んでみればいいだけの話か」
1階から屋上までの全エリアをぶち抜いて建物全体が崩壊を始めてやっと止まった光志朗がオカリナを手に取り、この音色を聴いたある条件をかけた人物を強制的にここまで引き寄せる、ググりのメロディを放った。それもスピーカーを用いて全階層に最大音量で。
「朱華の現在の居場所を知っている奴は全員ここまで来い!!!」
スピーカーから発せられる声とメロディ。それは病院の外、周囲600メートルにまで響き渡った。
すると、
「うわあああああああああああああ!!!」
下の階層から初老で白衣の男性が床を突き破ってここまでやって来た。
「吐け」
「は、南風見円華は中枢室にいる……」
「案内しろ」
「は、はい……」
「いたぞー!! あそこだー!!」
と、今度は衛兵と思しき男達がざっと10人以上は走ってきた。
「お前らはボディガードだ!」
「はい! 了解いたしました!」
絶対服従を込めた言葉は耐性のないGEARを持った全てを従わせる。これにより光志朗はこの建物を衛兵ごと完全に支配したようなものだった。当然普段の光志朗はここまで不遜を働くことはない。特に4年前に朱華をわざと眠らせたような他人の意識にまで働きかけるような事は絶対にしない。だが、今やその朱華のためでありそしてこの組織には大きな借りもあるのだ。円華を裏切ってまでこのような行動を取ったのだから冷静でいられるはずがない。
「…………ここか」
厳重に護衛され案内されでたどり着いた中枢室。
「あんたらは気絶してろ」
「はっ!!」
声でそこにいた全員は全速力でブリッジを行い見事に頭を床に叩きつけて気絶した。……誰も気絶の方法まで指示した覚えはないのだがここのスタッフはどう言う日常を過ごしているのか。警棒と拳銃を持った衛兵やら初老で白衣な老人まで一斉に超スピードでブリッジする光景は冷静ではいられていない光志朗ですら数秒唖然とするほどだった。
「…………まあいい、」
ドアノブに手を当てる。……この先に朱華が眠っている。あの顔を2年ぶりに見る。そう考えるとどうしたって躊躇や期待が浮かんでしまう。数秒か数分かあるいは刹那か、躊躇を孕んでから光志朗がドアを開けた。
「…………」
そこはおおよそただの病室とは思えない部屋だった。まず黒い。何もかもを黒いペンキか墨汁で塗りたくったかのように黒い。そして緑色が走っている。部屋中を絶え間なく無数の蛍が飛び回っているように緑に輝く部屋だ。そのおかげで数秒気付かなかったがこの部屋には照明や窓は一切なかった。完全なる暗闇の密室。その最奥に一台の寝台があった。
「…………」
自然と重くなる一歩を重ねていきついに寝台の傍らに立った。
「………………朱華」
そこに朱華は眠っていた。チューブのようなものを頭に巻かれ、そのチューブは床や壁に繋がっていた。
機械の類は一切見当たらず生命維持装置があるのか、脈を測る機械があるのかどうかも不明だ。この様はまるで病室と言うよりは電力室のようなものだった。眠る朱華の額に手を置く。そこで音をレーダーにして彼女の内部を調べる。彼女の脳は既に停止していた。完全に脳死していた。心臓の方は僅かに活動をしている。俗に言う植物人間状態であるのは間違いないようだ。
「…………」
思考する。躊躇する。期待する。不安する。恐怖する。想起する。
指先に音を可能な限り凝縮させて音のメスを作り上げた。なるべく朱華の面影を残したまま心臓だけを刺して終わらせてやりたい。あのヒエンと言う男はそれを非難した。だが、自分だけが朱華を終わらせてあげられる。それは決して悲しい事だが不幸な事ではない。むしろ幸運な事だろう。他の誰かに彼女の幕を下ろさせるのは余りに許しがたいことだ。なるほど。この感情はあの男が言う馬鹿げた事に相違ないだろう。しかし、バカで結構。光志朗は既に自らをあの時朱華に対して孕んだ感情と同じく、人の怪であると自負している。化生の類だ。ならば道理など適うはずもない。だから、別にここで無理をして見せる必要などない。……見せる? 自分は今そう言ってしまったか?もしそれが本当なら自分は……。
「!?」
その時だった。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
壁をぶち破り悲鳴を上げながらその部屋に悠凪が突っ込んできた。これでこの病室はわずか10分の間に108回穴を開けられた。
「し、死ぬかと思った……!!」
壁をぶち破って自分の足元にへばりつく悠凪はまるで昨日と変わらない有様だ。
「…………」
「光志朗! あんたに朱華さんを殺させはしないわよ!」
「…………お前までそれか。大体どうやってここまで来た? ……と言うかよく普通に生きていたな。そういうGEARか?」
「ギア? 何の事だか分からないけど私にはこれがあるんだから!」
そうして悠凪は買ったばかりで10円のシールが貼られた赤い糸を見せる。
「…………なるほど。円華姉さんの店で新しく買ったのか。せっかく一人になれたというのに物好きな奴だ」
「物好きで悪かったわね。でも、そうやっていつになくペラペラと軽口を叩くってことは
今のあんたは自制できない程冷静じゃないってことでしょ?」
「…………」
全く、敵味方問わずここまで言われるとは悪い冗談だ。しかし、所詮この世は民主主義。数が多い方が正義だ。ともなれば自分が間違っている事の証明? いや、それこそ悪い冗談だ。ここまで成し遂げられた結果を無に帰すなど天命が許すものか。
「だいたいあんた、やりたい放題なのよ! あんたはただの上下対応シスコンでいいの! 音をイタズラに使っていればいいのよ!そんな、そんな人間地味た事を捨てて全ての愛情を注いだ人をどうして殺せるって言うの? 私が昨日襲われたから? 死ぬかもしれなかったから? 朱華さんにこれ以上誰かを傷つけて欲しくなかったから?」
「…………」
「あんたが朱華さんを殺そうとしているのはあんたが自分の手で介錯したいから? そうでしょ? でも、あんたはその子を殺せない。やろうと思えば2年前に出来たはずよ! 今だってやろうと思えば出来たはずなのに結局あんたは自分に負けて彼女を殺せなかった! 朱華さん以上に弱い自分が怖くてさらに逃げようとしてこんなことをした! そうでしょ!? 弱い自分をさらに閉じ込めてしまうために他人を巻き込むな!」
「…………好きに言ってくれる」
指を鳴らす。その音に僅かだが自分の感情を込めた。
「!?」
それを聞いた悠凪は一瞬だけだが光志朗の感情を知った。どうしようもなく不安定で、密室で自らが傷付く事も構わず暴れまわる牛のようだ。
「……でも、あんたは自分だけで自分を止める必要があるのよ。少なくとも誰かを殺してなんて方法じゃ意味がないわ……」
「なら、どうしろと言うんだ? またここで記憶を消してもらえとでも言うのか? ここまでしたんだ。今度は記憶だけで済むとは思えない」
「だからって朱華さんを道連れにするの? あんたは朱華さんが、ううん。他人がいなければ何も出来ない未発達な餓鬼なのよ!常に受動的な動機がなければ動けない未成熟な子供でしかないのよ!」
「…………」
「苦しいなら苦しいって言えばいい! 悲しいなら悲しいって言えばいい! でもそれを知らせるために他人を巻き込むんじゃないわよ! あんたには自分の言葉があるんでしょ!? 力を込めた音じゃない、心を込めた言葉が!」
「…………言葉…………」
光志朗はつぶやく。しかし、その瞬間だった。……重力が歪んだ。否、この建物がついに限界を迎えて崩れ始めたのだ。数ある柱のほとんどが貫通され各階層が崩れ落ちていく。
「…………ここももう限界のようね」
「…………朱華は」
振り向く。寝台の上の朱華は変わった様子はない。しかし、彼女の頭から伸びていたチューブから煙が出ていた。そしてついに燃え始め、部屋に炎が発生する。何か特殊な樹脂でも使われているのか部屋の床に簡単に広がり炎上する。
「朱華!!」
「…………脱出するわよ」
「だが、朱華が……!!」
「当然あの子だって助けるに決まってるでしょ!」
悠凪が走る。炎の中に自分から突っ込んで眠る朱華に手を伸ばす。だが、
「……!!」
光志朗の足場がついに崩れその体が下へと落ちていく。そして、見えざる赤い糸に繋がれた悠凪の手は朱華から遠ざかっていく。
「そんな……!!」
崩れゆく足場で腰を張る。が、その体は落ちていく光志朗に吸い込まれていく。
「朱華さん!!」
声を出し、叫びながらも徐々に朱華の姿は小さくなっていきそして炎の中に消えた。