12話「順風満帆はハザードマーク」
12:順風満帆はハザードマーク
・電車。その車内。
悠凪がゲームの半分を担ってから一週間が過ぎた。
「ふわあ、」
登校中の電車で悠凪はあくびを放った。一瞬だけ光志朗が見やる。
「し、仕方ないでしょ!? あのゲーム本当に面白いんだもん。あと60時間くらいやればタージマハルが完成するわ」
「…………超次元に霊廟か」
あの元気ハツラツなダ女神が明るいテンションのまま霊廟に現れるのはひどくシュールだろう。しかしそう言う自由度の高さがそれを求める者達に強く応えているのも事実。これはいざ売られるとなれば恐ろしい売上になる可能性が出てくるだろう。
「けど流石のあんたもああいうゲームはこういう場所ではやれないのね」
「それはそうだ。いつどこで頭のおかしい連中が画面を見て俺を通報するか分かったものじゃないからな」
「…………あ~~~、なるほど」
把握。そしてまたあくびをこぼす。
「…………説得力はないだろうがあまり夜更しをするものではない。もしそれで事故でも起こしてみろ。うちの会社は潰れるぞ。賠償金のために予算のほとんどを失いそれを補うために社員達はこぞって労働時間が増える。今はまだハイになっててどうにかなってるが半年は持たないだろう」
「…………地味にリアルな忠告をありがとう。でも流石にそれは大丈夫よ。ちゃんと睡眠はとってるから。あんたこそ万年寝不足なんだから何かあったらタダじゃないんじゃないの?…………前にだって事故起こしてるんでしょ?」
核心。そこを不意打ち。不意だったのは光志朗は当然ながら、悠凪も言った後で気付いた。
「………………この仕事を始めたのはその事故の後だ。両親が死んで円華姉さんが家賃を払ってくれるようにはなったが生活費までは苦しそうだったから俺が始めたんだ。偶然親戚が会社の株主だったからな」
「…………そうだったんだ」
確か事故は2年前と聞いた。ならば光志朗は高2の頃から今のような生活を送っていた事になる。それでは背が伸び悩むのも無理はない……のかもしれない。
「…………」
これ以上の推測は明らかに自らに不遜を訴える視線を送る光志朗の名誉のためにも止めておいた方がいいだろう。そのためにも車窓からの景色を楽しむことにする。…………あれだけサンドボックスをやり続けていると町並みを1から分解して作り直してみたくなってくる。
「……これがゲーム脳かしら?」
「あれは科学的に成立していない妄言だ。しかしお前のそれはある意味ゲーム脳かもしれないな」
腕を組み壁にもたれかかり瞳を閉じた光志朗はそうつぶやいた。その目の閉じた頬をひっぱたいてやりたくなったがしかし自制した。少なくとも今の自分にはこいつを殴る資格はないだろう。
・大学。
ひどく平坦な授業が今日もまた続きその場にいる大半の人生を無意味に奪っていく。悠凪は無駄を信じたくないのかあるいはその神経に眠る何かを刺激されるのか一生懸命に学生を振舞ってキーボードを叩いている。対して光志朗は言うまでもなくその手前でゲームをしている。例の百合ゲーはこの一週間で50時間以上やっているのだがつい最近やっと個別ルートに入った。共通ルートの日常ゆるふわ風味が45時間近くも続いたのだ。アニメ1話を20分とすれば120話以上も続いているような物だった。これ漫画化するのが一番儲かるのではないかと邪推するほどだ。しかし、個別ルートに入れば今までのゆるふわが嘘のように変わりシリアスとなった。まだ一人しか進んでいないしそれも終わっていないがアージュ向きの作品だなと思った。と言うかこれだけの作業を他人に求めておいて自分はサンドボックスを担当したその人物はよく殺されずに済んだと感心せざるを得ない。
そして衝動だけでここまで長い物語を書けたなと驚嘆せざるを得ない。この世で最も恐ろしいのは力を持った難民だと言う事だろうか。そしてそれをたった4000円で売ろうと言うその魂胆は常軌を逸しているだろう。脚本家には本当に2,3発程度じゃ済まされないだろう痛手を求められることは間違いない。
ともかく今月の2作品はあらゆる意味で大玉だ。ゲーム業界を震撼させると言っても過言ではないだろう。そんなゲームをやっている自分達二人はきっと幸運な存在なのだろう。作業分担が功を成しているのかまだ一週間ほどだがどちらもほとんど終わっている。これならばもう一週間程度でコンプリートも夢ではない。
……………………
………………
…………
……
やがて終了のチャイムが空間を震わせ、教授も生徒も散り散りになる。光志朗もゲーム機を仕舞って立ち上がるのだが、
「……?」
後ろから音が聞こえない。振り向くと悠凪がパソコンに上半身を預けて突っ伏していた。席を立ち悠凪の傍らに移る。
「はあ……はあ……はあ……」
普通じゃない吐息がその口から漏れていた。冷房の効いた教室だと言うのに尋常じゃない汗をかいていた。
「………………」
周囲を見回す。教室の後ろの方に手押し車があった。悠凪の上体を起こし、パソコンを閉じて荷物をまとめて悠凪ごとその手押し車に乗せる。きっちりと車体に体を縄で巻きつけてある。
「…………これで大丈夫だろう」
そして自分の荷物を持ったままに走った。すると赤い糸の力で悠凪が引き寄せられる……手押し車ごと。
やがて車輪のために恐ろしい加速となり、光志朗を追い抜きそうになる。と、光志朗は手押し車の上に飛び乗った。危うく悠凪を踏みそうになってしまうが何とか空いている足場に着地した。さて、光志朗の体重が加わったにも関わらず減速する兆しを見せない手押し車はまるでバイクのように突っ走り、持ち手の部分を光志朗が操る事でカーブも出来るようになった。曲り角をカーブして階段も飛び降りて次々と進撃を続ける手押し車。当然周囲からは驚愕の声が上がるが気にする必要性は感じられない。目指す先は保健室だ。
「…………あそこか」
前方。保健室が見えてくると同時に光志朗はオカリナを手にする。そして目測3メートルのところでオカリナを吹く。その音色は音の壁を生み出し手押し車のスピードを殺す。それにより爆走していた手押し車は保健室のドア目前10センチで停止した。光志朗が飛び降りて縄を解こうとしたその時だった。
そ の 子 を 助 け た い よ う で す ね
「!?」
言葉なき意味が脳を焼いた。同時に悠凪を縛っていた縄が最初からそうだったように解けて丸くなった状態で悠凪の胸の上に置かれていた。そして光志朗の背後にはあのシスターが立っていた。
「……っ!!」
光志朗は可能な限り迅速に距離をとり、オカリナに口を付ける。
お や め な さ い、破 滅 を 奏 で て し ま え ば そ の 子 ま で 巻 き 込 み ま す よ
「…………」
光志朗は前方でその怪異を晒すシスターを睨みながらもオカリナを手放す。悠凪を気遣ったからではない。自分が今、破滅の曲を奏でて攻撃しようとしたのを事前に見破られてしまった事が由来だ。そして恐らくこのシスターには自分の手は何1つ通用しないのだろう。
「…………」
冷や汗を流しながら堕天の女を見やる。と、
「…………う、ううん……?」
その近くで悠凪が目を覚まし上体を起こした。
「あれ? 光志朗? …………私何やって…………きゃ!!」
周囲を見渡し自分のすぐ近くにシスターを発見して慌ててこちらに駆け寄る。
心 外 で す ね、私 は 助 け た だ け だ と い う の に
表情は見えない。声色もない。しかしどこか悲しんでいるような気がするのは人間を見過ぎているからだろうか?
軽 い 疲 労 の よ う で す。夜 は ち ゃ ん と 眠 り ま し ょ う
漆黒は伝える。悠凪は条件反射のように頭を下げ謝辞を述べた。
「…………答えろ、あんたは何者だ?」
私 へ の 応 え は 既 に あ な た は 弁 え て い る は ず で は ?
「…………」
理解に及ばないものには沈黙せざるを得ない、か。
安 心 な さ い、私 は あ な た 方 に 害 を 成 す 存 在 で は あ り ま せ ん
そうして次の瞬間には視界からシスターは消えていた。それを確認して数秒してから大きく深く息を吐いた。時間にしてみれば10秒程度だったろうが、何日も時間を止められていたような感覚に襲われる。そうして過ぎた時間がもう何日も前のように感じる。つまりこの10秒程度で何日分かの情報を与えられそれを理解するのに何日分かの感覚を使う必要があった。…………情けない事だ。
「…………立てるか?」
「え、あ、うん。と言うかもう立って走ってるし。私……何があったんだっけ?」
「…………行くぞ。そろそろ次の授業だ」
「あ、うん」
あのシスターは決して人間ではないだろう。あるいは既にこの世界を統べる概念の域にあった存在ではないだろう。しかし、敵ではないという事は分かった。それはきっととんでもなく大きな収穫のはずだ。
・夕方。
今日は悠凪がバイトの日のためわざわざ逆路線の電車に乗ってあの牛丼屋へと向かう。
「てーいんの伊王野塔矢さん、注文はまだですか?」
入店早々何やらあの男性店員に噛み付く女子校生二人を発見した。
「……いらっ……赤城か。助かった」
「伊王野さん、今日美琴さんは?」
「あいつなら知らない。また失踪した」
「またですか……美琴さんの放浪癖治りませんね」
「…………いつもの事だ。南風見はいつもどおりか?」
「………………」
「…………そのようだな」
寡黙の内側に燃えるは疑念の火。何故あの伊王野は自分の名前を知っていたのかそして何故にフランクなのか。ともあれ空いているカウンター席に座る。隣にはさっきからほぼ物理的に噛み付きにかかっている女子校生。片方は人形のように大人しいのだがもう片方はそれとは別の意味で近寄りがたい。
「……芽衣、いい加減にしろ。特盛にするぞ」
「へえ、塔矢さんは私がおデブな女子高校生になってもいいんだー」
「…………」
伊王野の知り合いだと言うのは確かだがどういう関係なのか。とりあえず無視してゲームを……
「ってあんた何やってるのよこんなところで!!」
いきなり画面を見られ絶叫された。
「芽衣、迷惑だ」
「そんなダジャレはいいから! なんでこの人女の子の前でエッチなゲーム出来るわけぇ!?」
「…………前じゃない、隣だ」
「うわ、しかもこの人塔矢さんと一緒でネクラなタイプだ」
「…………」
「…………」
「そうやって無言で睨むところもそっくりだよ!」
「あ、あの、芽衣? 流石にそろそろご迷惑だと思うんです。塔矢さんや赤城さん、それからこの方にも」
やっと人形のように隣でおとなしくしていた少女が口を開いた。しかし、何というか嫌な言い方だが人間っぽくない声だった。
「でも、メア……」
「その人形の言うとおりだ。これ以上は営業妨害として警察を呼ばざるを得ないぞ。悪いがうちには前科者を置いておくつもりはない。」
「…………もう、ここには私の味方はいないの~?」
そう言って芽衣と呼ばれた少女は走り去ってしまった。
「…………南風見、悪かった」
「…………構わないがどうしてそこまで馴れ馴れしい」
「あいつか? 悪いが少し情緒不安定でな」
「…………あんたの話だ」
「……………………なるほど、迷惑だったか」
「そこまでじゃないが、それとその子を人形と呼んだがそれはどう言う……」
「悪いが口出し無用だ。俺も今度からお前に対して店員と客だけの関係にしよう。だからその人形と俺に関するな。…………これが望みなんだろう?」
「…………いいだろう」
視線は交わさない。交わすは言葉のみ。光志朗は構わずゲームを続け、塔矢は牛丼を作り始めた。
「…………あのさ、光志朗」
と、そこで制服に着替えた悠凪が顔を出す。
「一応伊王野さんは先輩なんだからあまり喧嘩しないでよ」
「…………」
それを喧嘩と断ずるならばその程度の理解しかしない奴に口を挟んでもらいたくない。光志朗の視線から悠凪も何となく察して嘆息。塔矢に並んで牛丼作りを始めた。となると傍らに残ったのはメアやら人形やらと呼ばれた少女だけとなる。
「…………」
寡黙と言うには些か人間味がない。自分と同じで牛丼屋にいながら決して牛丼を口にしようとはしていない。いや、牛丼どころか水すら手をつけていない。と言うか置かれてすらいない。伊王野塔矢と何らかの関係があるのは見えるが流石に不自然な気がするものだ。
「…………」
しかしそれを言葉にするのは控えた。そこの少女同様自分も本来ならばこの店からしたら招かれざる客。
傷の舐め合いに被害者を巻き込むと言うのは流石に拙すぎる。ならばここは黙ったまま自らの所業に慎むべきだろう。
………………
…………
……
異変に気付いたのはここへ来てから1時間が過ぎようとしていた時だ。
「ん?」
カバンの中に楽譜が入っていた。それも前回とはやや違ったようにも見える。先程シスターと接触した際に入れられたのだろうか?楽譜に目を凝らす。音階に変化は見当たらない。しかし休符が追加されている。これはもしかしたらあのシスターと会う度に楽譜は完成していくと言う事だろうか?馬鹿げた事とは思えどあの人外シスターの事だ。彼女の行う事には決して常識を求めてはいけない。同じ理にたどり着く人物は残念ながら周りに溢れているがその中でもアレはぶっちぎりのトップだ。警戒への怠慢以上に理由の追求は考えない方がいい。しかしそれと真っ向から矛盾してしまうがこの楽譜にはきっと何か意味があるのだと思う。この楽譜に込められた音色に意味を求めてしまう。それは、以前一度だけ見てしまった未練という名の幻想故かあるいは。……そのどちらにせよ、音を使う以上は他人のいる環境では避けた方がいいだろう。
光志朗は楽譜をカバンに戻し液晶に視線と意識を入れ込んだ。そうして最初に感じる言葉はやはりこうだ。…………個別ルートも長い。既に10時間は費やしている。それでなお濡れ場の1つもないのは流石に下らない。話がシリアスなのは分かるしそれなりに見応えもあるが何より長すぎる。自分のように真面目に集中して連続する奴でもくたびれてしまう。恐らく携帯機でエロゲ且つ男の出ない完全レズゲーでゆるふわ系とシリアスの混合と言う話題の塊のような作品が4000円で売られるのだ。きっと購入する大半はライト層。それがこの苦行に耐えられるはずがない。せめて共通ルートを半分位に出来ればまた違うのだろうが。とにかく企画者の暴走である事に変わりはないだろう。
・夜。
あらかじめ穂凪には伝えてあったため穂凪にはひとりで夕食を取っていてもらった。
「…………」
二人が家に帰ると穂凪は悠凪が作り置いていたバスケットボール大のおにぎりを食べていた。
「…………食えるのか?」
「うん? うん、普通に美味しいよ?」
「いや、味じゃなくて量……」
「うん。さっきから2時間くらいかけて食べてるよ。……全然減らないけど」
そりゃリスのようにかじりながら食べていては減るものも減らないだろうがしかしそれ以上にどうやら密度が高いようだ。
「…………ごくり」
誘発されたのか悠凪が2個目を取り出して口に含んだ。
「いい? 穂凪ちゃん。これはね、こうやって食べるのよ」
そう言うと、一気に口の中に押し込み始めた。口を開閉しておにぎりを粉砕する速度は文字通り目にも止まらぬ程で実際動いていないようにも見える。それなのにバスケットボール程の大きさが見る見る内に削れていく。そうして5分前後で完食した。…………穂凪は2時間以上かけてもまだ半分以上残ってると言うのに。
「じゃあ、お風呂先に貰うわね」
「あ、うん」
「…………」
流石の穂凪もドン引きしていた。しかしそれは人類共通の意識であり物理的正論だろう。
「……お兄ちゃん、手伝って……」
「………………」
穂凪から受け取るとそれの重量は中々だった。2,3キロはあるだろう。もはやバスケットボールでなくボウリングボールだった。結局二人で食べてもほとんど減らず風呂から上がった悠凪に全部食べてもらった。
「じゃ、お風呂入ろっかお兄ちゃん」
「いやいや待ちなさいよ。何ナチュラルにそんな……」
「大丈夫だよお兄ちゃんみたいな玉無しに何が出来ると思うの?」
「…………あなたの妹は随分ね」
「お褒めに預かり光栄だな」
そうして当然のようにそのまま浴室へと向かっていった。
「…………まあ、兄妹だし今までので特に問題が起きるでもないからいいのかな?さて、私はタージマハルの建設を再開させますか」
学校にはゲーム機ごと持ってきていないため実質悠凪がやれるのはこの帰ってきてから寝るまでの時間だけだ。バイトで疲れているはずなのにむしろ意気揚々。一体どうしちゃったのかと思うほどに体が高揚している。疲れているほど集中出来る……ような体質でもなかったはずだが?
「…………ま、いっか」
それから4時間ほどプレイして気付いたら7時間だった。
「馬鹿な……そんなはずは……」
「…………お前も順調に底なし沼に足を踏み入れつつあるようだな」
真っ暗なリビングでタージマハルを建設する悠凪に光志朗が一言告げた。
「………………」
正直に戦慄しつつ悠凪は項垂れ液晶で自分に微笑むパーカー女神に萌えるのであった。