10話「切欠はレズ喫茶」
10:切欠はレズ喫茶
・蛹路暁帆が南風見の家にやって来た数日後。
「では、蛹路さん。これを光志朗くんによろしく」
部長が30万の入った封筒を手渡す。
「分かりました」
「しかし、奇妙な運命だね。光志朗くん、君の同級生なんでしょ?」
「はい。高校時代に3年間一緒のクラスでした」
「へえ、……付き合ってたりしなかったの?」
気軽に部長は地雷を投げた。如何に上司の物とは言えそれを平常に受け止められるほど暁帆の肝は据わっていない。そのために数秒の沈黙を作ってしまった。
「……………………」
「蛹路さん?」
「…………あ、はい。すみません。少しトラウマと幻肢痛がよぎってました」
「…………あぁー、その、なんかごめんなさい」
「いえ、大丈夫です。…………私と彼はそのような関係ではありませんでした。ただのクラスメイトですよ。ただ、弟が彼の妹に惚れていまして一度だけ弟を連れて彼の家に遊びに行ったことがあります」
「…………君の弟は確か4年前に…………」
「…………はい。過去の存在となりました」
「…………そうか」
「ですが彼女ももう過去の存在です。全く忘れていられるかと言われれば決して肯定出来るものではありませんがしかし、現在とは無関係でありたいと思っております」
「…………分かった。ならばこちらもそう考慮しよう。……では、それ、頼んだよ」
「はい、では、行ってまいります」
暁帆が封筒を手に取りオフィスを後にした。
・大学。
今日も今日とて悠凪と光志朗はどっちに行くかで揉めたが珍しくこの授業だけは一致した。何故ならば、この授業は経営文化。そして今日は助教授である南風見円華が担当する授業だからだ。だからかさすがの光志朗もこの90分ばかりはゲームをせずに授業を聴いていた。
「光ちゃん、ここ分かるかな?」
「あ、うん。姉さんの授業を忘れるわけないじゃないか」
「うんうん、いい子に育ってくれてお姉ちゃんは嬉しいよ」
「姉さん…………」
「……………………あの、授業中では?」
突如として見つめ合う二人に後ろで悠凪や他の生徒が困惑する。とは言え別にこれが初めてではない。特に隣に座る竜嗣は慣れているのかゲラゲラと笑っている。
「面白いだろ、あれ」
「…………確かにあんな光志朗は滅多に見ないわね」
「……後ろの二人、聞こえているぞ」
光志朗が目尻だけで二人を見やる。他の人間……いや、円華を巻き込みたくないためにオカリナは使わないがしかし手が相手の肩にも届くこの距離ならば小音で十分。光志朗が指を後ろの机に置いた時だ。
「…………」
机の上で充電してあった携帯が唸った。長さからしてメールではなく電話。光志朗のアドレスを知っている人物はそう多くない。穂凪、円華、悠凪、暁帆、会社、そしてもう一人。円華と悠凪が同じ教室にいる以上二人は除外される。穂凪も自分がいま授業中だということは分かっているはずだし第一向こうも授業中だ。いたずらに掛けてくるような妹ではない。ならば…………。
「…………」
光志朗が前の席の人間の背を盾に誰からのか相手のアドレスを見やる。見るまでの刹那は緊張していたがしかし見てからは内心で安堵した。相手は暁帆からだった。それを確認してから前方の円華に視線を送る。最初はきょとんとしていた円華だったが通じ合っているからかすぐにOKサインを出した。
「ごめん、姉さん」
席を立ち、教室の外に走る。
「待って!先に私に……きゃああっ!!」
釣り上げられ船の床を滑る魚のように机やら人間の頭やらの上を悠凪が滑っていった。
廊下。
「…………何の用だ?」
やや不機嫌に光志朗は言葉を機械に放つ。
「今が授業中だってのは分かったし謝るからそんな声出さないでよ。…………先月分の給料と今月分のゲームを持ってきたんだけど誰もいなかったから電話したまでよ」
「そうか。ポストにでも入れてくれ」
「…………給料はともかくゲームは出来ないわ。出来れば直接渡したいんだけど」
「ならここまで来い。そこまでの距離でもないし場所も分かるだろう?」
「…………何時間掛かると思ってるのよ」
「2時間は掛からない。それとも授業が終わり帰るまでの5時間を待つか?」
「…………分かったわよ。その代わり夜何か奢りなさいよ」
「考えてやる」
光志朗が電話を切る。
「…………何をしている? お前までサボっていい権利は与えられていない」
「…………………………どの口が言うわけ?」
振り向けば教室前のベンチで打ち上げられた魚のように悠凪が死にかけの体を晒していた。
・光志朗からの電話を切った暁帆は一度だけ経験のある記憶を辿りまずは駅に向かった。
念のため携帯で交通を確認しながら切符を買って電車に乗る。電車に乗ってから小銭の手持ちが少ないことに気付く。電車に降りてから近くの銀行を探してみるか…………。
1時間後。電車から降りた暁帆は駅を出て銀行を探す。この街はそこまで大きな街ではない。駅のホームからは目的地である大学とさらにそこから3キロ離れた隣の大学が見え、その周囲にいくつもデパートや食事処、小さな店などがあるだけがこの街だ。練り歩いても2時間は掛からないだろう。しかし残念ながら角度の問題か駅のホームから銀行は見えなかった。だから練り歩いて探す必要がある。探しながら、あるいはここまで来させたのだから光志朗に帰りの小銭を借りると言う手もあったのだがあの無粋な男がそんなことをすんなり了承するとは思えない。それになるべく他人に借りは作りたくない。他人に借りを作るくらいなら自分に被害が訪れた方が遥かにマシだ。
「……あ」
駅を出て20分歩いた頃。信号待ちをしている暁帆が偶然右手にあった建物を発見した。
レズ喫茶。
「………………」
18歳以上且つ女性のみが入店を許可されたピンクの店。いくつも窓が見えるのにしかし中の景色は見ることが出来ない。
「………………………………」
一歩。カニのように横向きに右に進む。
「………………………………………………」
また一歩。横向きに進む。
…………いやいや自分は何をしているのか。
そんなにこの前女子の股ぐらの味を噛み締めたのが癖になってしまったのか? それとも逆に女子高校生に股ぐらで喋られたのが効いているのか? いやしかしどんなに求めてもこう言う店にJKは現れない。
そう言う風な人はいても断じて本物はいない。…………と言うかもし仮にいたとしたら普通の店ではないのだからむしろいないで欲しい。と言うか全然、全くそういう話ではないはずだ。確かに男っ気の少ない自分の半生であったがしかしだからといって同じ色を求めているとは……。
「あ」
しかし気付けば自分は店の前に立ってその扉を開けてしまっていた。冷房と上品な香水の効いた心地いい風に撫でられる。外見は一見ただの喫茶店だ。しかしよく見たら店員が客の股の間に座り込み何かをしている。
「…………あ」
カウンターの奥から店員が一人こちらに気付いて急ぎ足で来た。
「いらっしゃいませ。入店は初めてですか?」
「あ、は、はい!」
恥ずかしい。声が裏返ってしまった。
「では、こちらへどうぞ」
店員に導かれて空いていた席へと足を運ぶ。
「………………ぁ」
途中何度も女性の小さな声が生まれては耳に届く。
「…………あの、失礼ですが18歳以上でありますよね?」
「あ、はい!これでも19歳です!」
懐から顔写真付きの社員証を見せる。生年月日を確認した店員はすぐに笑顔に戻る。
「ひょっとしてこういうお店初めてですか?」
「は、はい!」
「緊張しないで大丈夫ですよ。さ、こちらへどうぞ」
手で示された席は窓際。2階のため外から見られることは少ないだろうが……
「大丈夫です。こちらの窓は外側からは見えない作りになっています。なので気軽に露出プレイごっこが出来ますよ」
「ふぇ!?」
何だかいきなりすごいことを言われたような気がする。
「では、ご注文をどうぞ」
「え、あ、あの、」
「お飲み物ですよ」
「あ、そ、そう……?ならえっと、紅茶を」
「はい、かしこまりました」
座り、カウンターに消えていく彼女の背中を見やった。自分とそこまで年齢は変わらないだろう。名札には霞とだけ書いてあった。恐らく源氏名という奴だろう。やがて彼女は紅茶の入ったコップを持ってやって来た。
「口移しがいいですか?」
「い、いえ!普通で!」
「分かりました。では、お次のもう1つの注文はどうですか?」
「もう1つの……」
それは、恐らく間違いなくあっちの方だろう。
「いや、あの、その」
「ならお任せということでいいですか?」
「は、はい!」
「では、」
それから1時間。暁帆はとても紅茶なんて飲んでいられる状態ではなかった。前方は開放的な空間でしかも他に数人程度とは言え客がいる。後方は向こうから見えることがないとは言え完全解放された窓。そんな状態でこの1時間何度痴態を晒してしまったことか。特に感覚が繋がっていないにも関わらずこの鉄の指を掴まれ艶美に口に含まれた際には少しだけ男の気持ちが分かったような気がする。
「あ、あの、」
「あ、すみません。痛かったでしょうか?」
「い、いえ、大丈夫です……」
それから、本来1時間でサービス終了なのだが絶頂寸前というところでその時間が来てしまったため延長をする事にした。
結果。
「……………………………………」
気付けば延長料金込みで27万。時刻は7時間を費やし外は既に薄暗く、携帯を見れば怒りの着信が何件も入っていた。
「……………………………………」
当然27万も手持ちにはなく、そもそも手持ちを求めて銀行を探していたのだ。だからと言って食い逃げならぬヤリ逃げと言うのも出来ずについ、預かっていた光志朗の給与を使ってしまった。
残金3万。本来の10分の1。既に銀行もしまっている中。
「あれ?暁帆ちゃん?」
コンビニに向かう途中の円華と出くわした。……間違いなくいい経験になったがしかし、最初からコンビニのATMを使えばいい話だった……。
とりあえずATMで自分の口座から27万を引き出して封筒に入れ、何事もなかったかのように電車に乗り込んだ。南風見の家に着くと当然のように怒りのメロディに体を蝕まれた。