私のいつかの未来と思わしき夢の日記。2016/04/26
彼と「彼女」の結婚式の招待状が届いた。
彼とはもう数ヶ月会っていない。
最後に会った時はホテルで致した後に煙草をふかしながら、こともなげに言っていた。
「結婚式に招待するよ」
あれは本気だったのか。
その一言に堪忍袋の緒が切れた私は、服を着てホテル代をきっちり半分テーブルに置いて帰ったのだ。
それから連絡もない、それが別れだと思っていた。
すると、どうだ。
本当に宣言通り招待状を送ってきた。
自分から終わらせようとしたくせに、私は情けなく玄関に突っ立ったまま。
手元の問題に目が釘付けになる。
この後に及んで、私をどうしたいのだろうか彼は。
私は、どうしたいのだろうか。
今こうやって招待状と睨めっこをしていて、半混乱した頭の片隅でのこのこ行くのだろうな私は、と確信めいたことを思った。
式が行われるのはチャペルのある大きな旅館だった。
三泊四日というとんでもないスケジュール。
前夜祭、結婚式、後夜祭、だとか。
金持ちって頭がおかしい生き物だ。
のこのこ来た私は、出迎えに現れた彼を見て性懲りもなく胸を痛めた。
もう手に入らないことなどとっくに決まっていたのに。
傍らの彼女に私を会社の後輩だと紹介するのを聞きながら意識が遠くなる。
表面上の握手や挨拶をかわしていく。
私は今ちゃんと笑えているだろうか。
彼女の腰に手を回し旅館に先に入ることを促しつつ、彼は私を軽く振り返り含みのある笑みを見せる。
私はこれを期待して、のこのこと。
多分そう。
「部屋はここ。好きに使って」
キャリーバッグを部屋の奥に運ぶ彼。
彼が好きに使って、と言える立場なのかを考えながら、ついて部屋に入る。
畳の匂いがする。
和室なのに寝具は低めのベッドだ。
これは何のつもりなの?と聞こうとして彼を見やると抱きしめられる。
会いたかった、なんてほんと何のつもりだ。
そして振りほどけない私も、何のつもりなんだよ。
ふつふつと怒りがわいて一言物申してやろうと胸に手をついて離れると、間髪入れずに唇を重ねてくる。
あ、と思った。
もはや懐かしくもある熱と感覚が思い起こされて、反射的に体が昂ぶるのを感じる。
これは、だめだ。
舌の裏を掬うようにして舐められると腰にくる。
彼は私の弱いところを熟知している。
なんだこの負け戦。
次々押し寄せる快楽に、抵抗の選択肢を嬉々として手放す私が見えた。
どうせ最後なんだ。
もう、どうにでもなれ。
賢者タイム。
素晴らしいの一言に尽きた。
やっぱりうめーんだよなぁ、なんてゲスにもほどがある感想を胸中でもらす。
この、体を重ねたあとに残る、相手を所有したという優越と安心はなんなんだろうか。
そんなことを考えながら、彼とポツポツ言葉を交わす。
この数ヶ月がどうだったとか、出会った時の話とか。
「やーでもすげーよなー」
心地よい眠気に支配されつつあった頭を動かし、感嘆をこぼす彼を見やる。
「俺が結婚するってしかも明日って。んで来週から子作り開始だろ」
聞き捨てならない言葉にお花畑だった頭を打ちのめされる。
子作りとな。
いや結婚したら次はそうだよな、確かに。
来週からとか決めてんのかよ。
お前らことを急ぐな。
目がすーっと冷めていく。
信じらんねーよなー、なんて言う彼に、お前の神経のが信じらんねーよ!と言って絞め殺したい。
二人の愛の結晶♡なんて作られるぐらいなら今すぐに。
ていうか同じ行為をたった今私と致しましたけど?
ゴムつけてたけどな!!
言葉を発せないでいると、どうした?なんて聞いてくる。
我に返って今度は言いようもない悲しみに包まれた。
のこのこと来て、まんまと思うように抱かれて、またいつもみたいに彼が自分のものになったと勘違いしかけている。
こんな惨めでやるせなくて滑稽なことがあるか。
「そっか、子供…」
咄嗟にオウム返し。
彼は慈愛に満ちた目をして私を腕の中に引き寄せようとする。
おめでとう、と言ってその手を振り払う。
声が震えた、情けない。
起き上がって体温が残っていない服を拾う。
下を向いていると涙が零れそうで拾い上げた先から身につけていく。
下着を着終わった私を後ろから抱きしめる彼。
思わず吐いた息は涙に湿った響きをしていた。
それを聞いてか聞かずか私を抱く腕は力強くなる。
彼の胸中には今、こんなに好かれてる俺って罪な男って陶酔ぐらいしかないんだろうな。
そんなことを思うのに逃げられない。
こんなにずっと好きなのにこういう結末。
救いようもない馬鹿ども。
「もう彼女んとこ戻んなよ」
あ、もう奥さんか。
掠れた声をかける。
「…そうだな」
腕を解いては私を振り向かせて一つキスを落とす。
好きだよ、なんて呟いて。
自分だけすっきりした顔をして。
前夜祭は超お祭りモード。
もう手のつけようがない。
酒気が篭った部屋から出て、化粧を直しにトイレに向かう。
先客がいたようでゲーゲーと吐く声が聞こえる。
ご愁傷様、と気の毒がりながら二つ据えられた鏡台に座り化粧ポーチを出す。
粉をはたいていると、吐いていた人が個室から出てくる。
洗面台で口をゆすぐその人をなんとなしに見やると、まさかの彼女。
いや、奥さん。
一人勝手に気まずい気持ちになりながら目を逸らしかけると、向こうも私に気づいてしまった。
「えーと…後輩さん?」
少しすっきりしたような、それでもまだ青ざめた顔をして首をかしげ声をかけてくる。
「あ、はい。あの、大丈夫ですか?」
口の中がカラカラになってそれぽっちしか話せない。
軽い挨拶はあったものの、こうして話すのは初めてだ。
「飲みすぎちゃって」
見てすぐ分かる無理やりな笑みを浮かべて一目瞭然なことを言う。
気をつけてくださいね、と眉を潜めて気づかわしげな顔をした。
明日があるんだし、とは言えなかった辺り未練がましいと思う。
はい、と返事して彼女はまた口をゆすぐ。
私はアイラインをチェックした。
水が流しっぱなしになっている。
しゃーと細く勢いよく。
「…彼と、あんまり上手くいってないんです」
唐突にぽつりとそんなことを言うから、ビビってしまう。
彼女は、私と彼のことに気づいているのだろうか。
返事に困って硬直すると彼女がまた口を開く。
「あの人…たまに」
そこで一旦切れる言葉に緊張が高まる。
あ、これドラマとかでよく見る感じのシーンだ、なんて間の抜けたことを思いながら生唾を飲み込む。
彼女は半開きになった口を一度きゅっと引き結び、意を決したようにまた開く。
「体、売ってる…あの、売春してるみたいなんです」
奇妙な沈黙がおりた。
まだ水は流れている。
彼女の言っている意味が分からなくて、はぁと声を漏らしてしまう。
「えーと、売春」
「そう、売春です。女の人に体売ってるみたいなんです」
「売春、体を、売る」
理解が追いつかずに検索ワードみたいなオウム返ししてしまう。
どういうことでしょう…?と首を傾げると、彼女はいよいよ耐えきれなくなったように早口にまくし立て始める。
「私見ちゃったんですよ彼が本棚の本と本の間に挟んであるラブホテルのメンバーカードを…!バリ!バリですよ!ホテルバリ!どこですかそれ、南国風味なんですかね…!」
そんな名前のところ私と行ったことない!と発狂寸前。
「ば、バリ…はぁ…多分ヤシの木とか置いてるんですかね…」
あれだ、多分あの辺にあるところだと検討がすぐつく。
でも私も入ったことはない。
証拠がそれだけではいまいち信憑性に欠ける。
私のような女がもう一人いたのかもしれないし、と思いいたった瞬間、混乱を押しのけて彼女への同情がわき始めた。
まだそれだけじゃ分からないじゃないですか、と何様な慰めの言葉をかけようとすると彼女はまた口を開く。
「あの人!隠し場所変えないからいつでも確認できるんですよっ…!ポイント、まだ増えてるんですよぉっ…!興信所使ったら…やっぱり売ってたんですよ…!」
「あっあぁ………」
駄目だ、それは黒だ真っ黒だ。
結婚式前日なんて幸せ絶頂で然るべきなのに、なんて可哀想な人…。
私の言えたことじゃなかったか。
気を取り直して、大丈夫ですか?と今一度声をかける。
慰めの言葉がもう出てこない。
嗚咽を漏らし始める彼女にハンカチを差し出し、ついでに蛇口を捻って水を止める。
「…すみません取り乱してしまって。あなたもあの人のそんなところ知りたくなかったですよね…」
か細い彼女の声に、そういう人でしょうねまぁ、と答えるのを堪えながら、いいえと一言告げる。
慈愛に満ちた雰囲気を醸し出しておく。
あんなに憎くて仕方なかったのに今や同情と仲間意識が芽生え始めている。
昨日の敵はなんとやら。
少し一人にさせてくれ、と言われお直しもそこそこにトイレを出る。
薄暗い廊下の突き当たりには問題の彼がいた。
手などを振ってきやがるが、こいつ体売ってたのかよ見境ないなと思ってしまう。
「楽しんでる?」
まぁね、と返して宴会会場への襖にかけようとした手を掴まれ、やんわりと襖横の壁に押し付けられてしまう。
少し冷めた目をして見る。
堪えてない彼は唇を近づけた。
「彼女さんは?」
あぁ奥さんだったわもう、と思いながら白々しく聞く。
「飲みすぎたって。吐きにいった」
殊更丁寧な口付け。
長くて先がとんがっていて厚い舌。
大好きだったなぁ、と思う。
ゆるりと目を閉じると、床の軋む音が聞こえた。
咄嗟に私から飛び退いて離れていく彼の気配を追って目を開くと、トイレから出てきた彼女が見えた。
その距離3mほど。
彼女は恐らく、見たはずだ。
いやバッチリ見えていたであろう。
怒りや悲しみなどの一切を凌駕した能面のような顔をしてこちらを見ていた。
「あ、いやあの。これは…違うくて!」
私の視界の端にはアタフタしながら言い訳を考えている彼がいる。
私は彼女から目を逸らさない。
彼女は軽く頭を振り、手を額に当て大きな大きなため息をつく。
「もういい、もういいの。大体分かった、分かったから」
そう淡々と呟いて次の瞬間、足を踏み出しずんずんとこちらへ向かってきた。
私と来たら妙に冷静で、ビンタをかまそうと振り上げられた腕を掴む。
そして反動でよろけた彼女をぐいぐいと押して廊下にぺたんと座らせてしまった。
乱れた前髪の隙間から、大粒の涙を溜めた彼女の目が見える。
彼女はわなわなと震えた唇で悲鳴のような声を上げた。
「選びなさいよ!今すぐここから消える!?それともとことんやりきる!?」
ああ、こういう時に怒りが女に向くって本当なんだな、なんて思う。
さっきまで何も知らずに話していたのに。
掴んでいた腕を離し、向かい合ったまま土下座の姿勢をとる。
「いいえ、今すぐお暇させていただきます」
木の床が冷えていて額に気持ちいい。
私が彼女と逆の立場ならきっと、私は彼と婚約を解消して彼女と仲良くしただろう。
そんなことを思いながら、頭を上げ彼女の真っ赤になった目を今一度見つめてから一礼する。
すく、と淀みもなく立って私は自分の部屋に向かい出した。
まだ何一つ理解も整理もできていなくて、本当は混乱しているけれど。
とりあえずここから私がいなくならなければ収集のつくものもつかない。
元より覚悟の上だ。
心臓が痛むのを感じる。
と、いきなり後ろからスカートの裾をつかまれる感覚がして振り返ると彼がいた。
思わず立ち止まる。
「…なにしてるの?」
私と目が合った彼は誤魔化すような笑みを浮かべながら、
「えっと、ウェディング気分?」
等とのたまう。
堪忍袋の緒がぶちぎれる音が自分で聞こえた。
「お前がいつまでもはっきりしねーからこうなんだろうが!やること中途半端なんだよ!このバリ男!!」
私にビビった彼の手からスカートの裾をふんだくってビンタをお見舞いしてやる。
追いかけてきてた彼女も彼の背中をバシバシ叩いていた。
なにがなにやら分からないまま視界が滲んでいく。
瞬きをすると熱い雫が手に落ちた。
泣いてる、私。
そう自覚した途端に心が軋む。
好きだったのに。
好きだったのに好きだったのに大好きだったのに。
なんだって差し出して、いつでも身を投げ出せたのに。
「…もう」
掠れた声が零れる。
こんな馬鹿に惚れ込んで私何年無駄にした?
「いらないや」
瞼が熱い、涙で何も見えやしない。
私の名を呼んで追い縋る彼の腕を振り払って廊下を走り出す。
さようなら、全部終わりだおしまいだ。
これでいい。
まだ鋭く痛む胸を抱えひきつる口角で笑う。
こんなにも痛い、でも私生きている。
それだけでいいじゃないか。
私は大丈夫だ、逞しいじゃないか。
男なんていらなかったんだよーーー。
という夢を見たんだ。