2-3 聖都の異端審問官
『星見の間』から移動してきたヴァロたちは来賓用らしき部屋へと案内された。
そこでニルヴァとフィアはお互いに向かい合うように座り、魔法やら結界やらの話をはじめた。
初めはぎこちなかった二人の会話も、今や冗談を言い合うぐらいになっている。
お互い魔法を使うものとして通じ合うものがあったのだろうか。
二人の会話は予想に反して弾んでいる。ヴァロはというとまるで置物のように立っていた。
「…ですから、フゲンガルデンの封鎖結界においては、この第六補助式と第七補助式が付け加えられているんです」
フィアが目の前に展開された結界式を指さしながら熱を持って語る。
「それではナナリア式に影響を与えないかしら?」
「…もちろん多少の影響はありますが、その影響は限定的です。ルア結界断界論はご存じですか?」
ニルヴァも興味深くフィアの言葉に耳を傾けている。目の前で交わされている会話は異次元の会話である。
同じ言語を使っているとはとても思えない。
当たり前のことではあるが、ヴァロにはついていけない話でもある。
昼食をはさんで、二人の話し合いは続いているからかれこれ二刻は続いているが、それでも全く収まる様子がない。
窓の外に見える風景はすでに赤みがかかり始めている。
もうすぐ夕方だとぼんやりと考えつつ、この状況が一刻も早く終わってくれることをひたすら願っていた。
「ニルヴァ様、間もなく会議のお時間です」
唐突にその会話は途切れた。いや途切れさせられたというべきか。
ヴァロの脇にいつの間にか一人の女性が立っている。
視線を向けるが、その女性はヴァロなどまるでいないように何の反応もない。
「いけない、私としたことがうっかり話し込んでしまいましたわ」
「忙しい中、時間を割いていただき…」
「そうかしこまらなくてもいいですわ。同じ聖堂回境師同士そういう気遣いは不要です。
わたくし、あなたとはもう少しお話がしたいですわ。式が終わってから少しお時間は取れますかしら」
ニルヴァという聖堂回境師がフィアを認めたということだろう。
「喜んで」
フィアに話し相手ができたのは喜ばしいことだが、
ヴァロはまたこんな長話に付き合わされると思うと内心げんなりした。
「フィアさん、少しいいかしら」
フィアはニルヴァに手招きされ、
少し話し込んだ後、何かを手渡されたように見えた。
フィアは一礼し、ヴァロのもとに戻ってきた。
「それではごきげんよう」
ニルヴァに頭を下げ二人は屋敷を後にした。
「ずいぶん長話になったじゃないか」
「こういう機会でもないとヴィヴィ以外の魔女とは話せないからね」
彼女は満足げにヴァロの前を歩く。
「そういえばさっき何か手渡されたみたいだったが?」
「ああ、これ?この結界のキーストーン」
フィアは掌に青い石を置いて、ヴァロに見せる。
その石は水晶のように透き通っていて、弱い青白い光を放っていた。
石の表面には細かく小さな文字がびっしりと描かれている。
「石を中心とした範囲の中で、聖都の結界を一時的に解除できる道具。
この石には結界を一時的に無効化するルーン文字が刻んである。
数回使えば壊れちゃうけどね」
「ずいぶんときれいな石だな」
「多分原石だけで宝石と同じぐらいの価値があるんじゃないかな。魔術王直轄地でしかこの石は採れないからね」
二か月前の魔女捕縛の一件のときもインクと紙だけで恐ろしいぐらいの値段がしていたのを思い出す。
彼女たちの使う道具は皆それぞれ特注品らしく、原材料を揃えるのに相当金を使うらしい。
「そんなのを渡されたってのか?」
「要は魔法は必要以上に使うなってこと。渡されたのはこちらの位置を把握しておくため。
このキーストーンは存在するだけで結界に微妙に干渉するから、ニルヴァぐらいの魔女なら簡単に見つけられる。
それと使えばニルヴァに筒抜けになる。万が一トラブルが起きても魔法を使わずに対処して見せろってことでしょ」
「いくらなんでも深読みしすぎじゃないのか?」
「…私はニルヴァなりの試験のようなものだと思ってる。トラブルがあっても魔法を使わずに解決して見せろっていうね」
フィアは一年前に聖堂回境師という役職に就いたばかりだ。
その資質を試されているのだろう。
屋敷の門が来た時と同じようにひとりでに開いてく。何度見ても不思議な感じがする。
「あー、なんかおなかすいちゃった。ヴァロ帰りになんか食べていこ?」
「そうだな…それじゃ…」
言いかけたヴァロは視界に夕焼けを背に二人の男を捉える。
一人はがっちりとした体躯の大男、もう一人は見たことがある長身痩躯。
人払いの術がかけられている中でここまで来れる人間は数えられるほどしかいないはずだ。
「やっ、『バニラ』への挨拶は終わったみたいだね」
右手を上げるしぐさと軽いノリで話しかけてきたのは長身痩躯の男。
その人を食った笑みとその声は、忘れようにも忘れられない。
「お久しぶりです、ウルヒさん」
ウルヒは相変わらず憎らしいほどににこやかな笑みをしている。
ウルヒはヴァロの先輩の聖都の異端審問官『狩人』であり、何度もお世話になっている。
「あれはお宅のとことは違って形式にこだわるからね。
昨日コーラルに到着したのは知ってたけれど、機嫌悪くされると困るから挨拶は控えていたわけさ」
「二か月前の一件、本当にありがとうございました」
ヴァロとフィアは深々と頭を下げる。
「お礼はいーよ。こっちも成り行きで一緒しただけだから。『狩人』には慣れたかい?」
魔女捕縛の一件でウルヒには世話になっている。
「徐々にですが」
「南のほうは比較的魔物等の出現が低い。ゆっくり慣れるといいさ」
「ところで隣の方は?」
「ああ、わすれるところだった。どうしても『竜殺し』に会いたいって言うから連れてきた」
今日初対面だが、機嫌を損ねる姿は容易に想像できて、ヴァロは思わず苦笑した。
ヴァロの眼前にもう一人の男がのっそりと動いてくる。
身長はヴァロよりも頭一つ高く、ヴァロは見上げる格好になる。
聖都守護兵の制服を着ているもののその制服。
ふと、ヴァロの目に聖都の階級章が目に留まる。
「こら、ウルヒ、忘れるとはひどいぞ。
初めまして、私は聖都守コーラル護警備主任をしているカティロック=イイサロッタ。
君が竜殺しのヴァロ殿。隣にいるのはフゲンガルデンの聖堂回境師フィア殿!
噂は仲間から聞いております。こうして会えたことに感謝いたします」
目の前の大男は柔和な物腰で一礼し、ヴァロたちに手を差し出してきた。
心なしか目を輝かせているように見えるのは気のせいではあるまい。
聖都守護警備隊主任といえばここ聖都の警備を一括している組織の上層でもあり、
ヴァロなど田舎騎士からみて雲の上の存在でもある。
「マールス騎士団所属ヴァロ=グリフです。よ、よろしく」
ヴァロは差し出された分厚い男の手を握り返した。
ウルヒの口から出てきた言葉を飲み込むことができなかった。
警備主任といえば聖都の全警備を司る人間だ。さらに言えば聖都の要職でもある。
「そうかしこまんなくてもいいよ、そいつもうちらと同じ『狩人』だ」
ウルヒがあきれたように言葉を投げてきた。
「『狩人』」
ヴァロは目を丸くした。
「自分の家は軍人の家系でね。父の勧めで狩人に入っている」
「『狩人』に放り込まれたの間違えだろ」
狩人に放り込むという家系もそれはそれですごい。ヴァロは今まで自身こなしてきた修行を振り返る。
実際に修業した期間は二年とはいえ、何度死ぬかと思ったかわからない。
そもそもあれを修行というのかすらはなはだ疑問だが。
「お恥ずかしいことに、最近は自身の仕事にかかりっきりでね。
『狩人』としての活動にはここ三年、参加していない」
どこか恥ずかしそうにカティは言う。
「なまってる腕でしゃりしゃり出てこられても迷惑なだけさ」
「ウルヒは手厳しいな」
苦笑いを浮かべながらカティは答え、時計台のほうを振り向く。
「もう少し話をしたいところだが、これから会議だ。私はここで仕事に戻るよ。
ヴァロ君、今日は君に会えてよかった。機会があれば是非とも武勇伝をお聞きしたい」
「はあ」
武勇伝とかどうやら彼の中では英雄になっているらしい。
ヴァロはむず痒く感じながら、彼の背中を見送った。
「頑固で融通の利かないな奴だが、意外と頼りになる。何かあれば相談するといい」
「はい、ありがとうございます」
「…君は狩人に関してもう少し知ったほうがいい」
ウルヒの何気ない一言に、狩人について何も知らない自身を思い知る。
「招待状の件ですけれど…」
フィアが見計らったかのようにウルヒに問いを投げた。
「君たちを招待したのは『バニラ』だよ。
一介の『狩人』が教会主催の式典の招待できるわけないじゃないか」
至極まっとうな答えにヴァロはまあ納得しかけた。
「ただ、ニルヴァに君らの武勇伝の話をしたら興味持ってね。
興味があるなら式典に誘ってみたらどうかと話したのは俺だけどね」
やっぱり元凶はこの男からかとヴァロは納得した。
「それでその話を素直に白状するのはどうしてです?」
「君らがどんな顔をするか見てみたかったからさ」
聞くんじゃなかったとヴァロは頭を抱えた。
この男が絡むとどうしてもこの男の手の平で踊らされている気がしてならない。
「例の詩集はどうでした?」
「読んでる最中さ。かなり昔の文字を使っていてね。時間をかけて読んでるよ」
「それならフィアに…」
「手間も醍醐味の一つさ。じゃ」
ウルヒはヴァロの言葉を遮るように言うと、背中越しに手を振りヴァロたちの前から去って行った。
後ろ姿を見ながらのヴァロとフィアのため息が重なる。
二人はお互いに顔を合わせて苦笑いを浮かべた。