2-1 二人の歩調
フィアは聖堂回境師という役職にある。
それは唯一教会に認められた魔女でもあり、ある意味絶大な権力を持つという特別職である。
現在教会に認められたものはフィアを含めて八人いるという。
それぞれ各地の要所となる都市に一人づつ配置されており、そのどれもが名のある魔女だという。
その役職の存在は一部の人間なら知っているが、それがどういう仕事をするかはほとんど知られていない。
結界の管理、魔器の所在確認、領内における魔物の処置等々…、
実際のところそのいくつかはあまり公に出来ない類の仕事ばかりであり、国家機密にも触れるものすらあるためだ。
ゆえにその存在は一部には知られてはいるものの、その仕事の内容は大体の人間が知らない。
ヴァロも少なくとも一年前まではその一人だった。
聖都コーレスにたどり着いた翌朝、ヴァロとフィアは宿から出て、大通りを歩いていた。
「フィアこれから例の聖堂回境師のとこ行くんだろ?」
前を歩くフィアにヴァロが声をかける。
「ええ。ヴィヴィに言われたとおり、まず挨拶しておかないと」
フィアの服装も昨日とは変わって、ほぼ黒一色でどことなく清楚な雰囲気を醸し出していた。
心なしか、周囲から視線を集めているような気がする。
「しかし一体何着もってきたんだ?」
「六着よ。普段着三着、式典用のドレス、寝間着、儀礼服。
ちなみにこの服装は儀礼用。できれば普段着をもう一着持ってきたかった」
宿に着く前に運んだ荷物の量を思い出す。半端な量ではなかったはずだ。
「ずいぶん持ってきてるんだな」
一方のヴァロはというと一張羅と普段着二着のみである。
昔旅をしていた時は一か月間同じ服だったときもある。その時と比べればだいぶましだとは思うが。
「これでも少ない方よ、貴族の女性ならば旅行に少なくとも一ダースは持って歩くと聞くわ」
「一ダース?そんなに?」
「社交の場では必要なことよ?普段着で式典に行くとしたら、それは相手にとって失礼なことじゃないかしら?
それに聖堂回境師としてきちんとしないとヴィヴィとかにも迷惑がかかるでしょ」
「…金がかかるな」
衣類一着でも相当な金額だ。中古ですらかなりの額になる。
ましてドレスなどと言ったら、その金額で家が買えるものすらあるという。
「実は今着ているものはヴィヴィから借りてるんだけれどね」
フィアはそう言ってぺろりと舌を出す。
無理もないフィアが聖堂回境師という役職に就いて、まだ一年ちょっとしか経っていない。
いくら聖堂回境師に支給される給与が多かろうと、すべてを買い揃えられる余裕があるとは思えない。
「ケイオスさんには式典用のドレスを買う時にお世話になった。
ほかに普段着を何着かいただいてる。後で何かお礼しないと…」
ヴァロの兄ケイオスのフィアへの執心っぷりは、まるで実の子へのそれを思わせるほど過剰である。
一年前、とある事件がきっかけででフィアと知り合って以来、何かにつけてはフィアに何かしらを送っているらしい。
この間などフィア渡してくれと、商会を通して手に入れたという宝石をはめ込んだネックレスを渡されたことがある。
さすがに断ったが、次は何を送ってくるのか予想もつかない。
ヴァロの頭痛の種でもある。
「兄貴には俺のほうからお礼を言っておくよ。子供がそこまで気にするな」
ヴァロはポンポンとフィアの頭をたたく。
「ヴァロは私をいつも子供扱いして…」
上目づかいで抗議してくる。うっかり子供扱いしたことにヴァロはしまったと思った。
以前子供扱いした後、フィアは一週間ほどまともに口を聞いてくれなかった。
「そ、それはそうと、これから会いに行く聖堂回境師はどんな奴なんだ。
ヴィヴィからおおよそは聞いているけど少しでも情報は多いほうがいいだろ」
ヴァロは話題を強引に切り替えた。
聖都を守る結界はフゲンガルデンの実に三倍以上。
それを彼女とその弟子四人で管理しているという。
ニルヴァ、別名『白亜の魔女』。ヴィヴィはめんどくさいやつと言っていた。
「私も初めて会う方だからよくわからない。ヴィヴィの話によれば傀儡魔法の専門家と聞くわ」
「フィアは魔法は使えないんだろ?大丈夫なのか?」
同じ聖堂回境師とはいえ相手に敵意がないとは言い切れない。
招待は受けているが、相手にはどんな思惑があるかわからないのだ。
「その点は問題ないと思う。私たちは招待された人間なのだし、私も聖堂回境師。
もしなにかあったのならそれは魔女としての沽券に係わるわ。話によるとここの聖堂回境師はそういうのをすごく嫌ってるらしいし」
要するに見栄っ張りなのだろう。
フィアはくるりと振り返ると簡単な魔法式を組み上げ、掌に魔法の火をともして見せる。
「それとね、一晩この結界の中で過ごしてみてわかったけど、この結界の中では私にも最小限の魔法は使える。
リスクはあるけど、使うのなら結界の外と同じように魔法を使えるわ。
魔法式自体を封じられていたフゲンガルデンの結界とは違う。結界にもいろいろと種類があるということかな」
「それならいいんだが」
「ただあまり大きいものを使うのは避けたほうがいいと思う。
ある一定以上になると段階的に何らかの仕掛けが作動するようになってるみたい。
…どういった仕掛けなのかまではわからないけどね。試してみればすぐわかるけど?」
「勘弁してくれ」
式典が明日に迫っている今。問題事に巻き込まれ、悪目立ちするのはごめんである。
「フフ…冗談よ。魔法を使ってもいいけれど、あまり大きな魔法は使うなってことでしょう。
この結界はフゲンガルデンとは違って魔法を使わせないことが目的ではないから…」
聖都は対魔王戦争の際に最後の砦として使われていたという背景がある。
対してフゲンガルデンは昔魔王の居城として使われ、現在でも地下深くに第三魔王が地下深くに封印されている。
要は用途が全く違うのだ。
「このコーレスにある結界は魔を迎え撃つための結界」
その言葉にフゲンガルデンからの行程で見てきた砦の跡地を思い出していた。
もともと聖都コーレスは魔王戦争の際に最前線の要塞として使われていた経緯がある。
それから考えると当然ともいえた。
「フゲンガルデンでは例外なく式を作ることを禁じられていた。
それは術者も同様。もし例外という孔を作ればそこから結界自体が崩壊する危険もあるためよ。
一方でこの結界の中では管理者から許可を得られれば魔法の類は使えるようになる。
もちろんある一定の制約はつくけれど」
「そ、そうか」
ヴァロは意味はよくわからなかったが取りあえず同意しておく。
「ひとつ気になったんだが、結界術と魔法はどう違うんだ?」
「魔法は魔力を使って世界に働きかける方法、結界は力を留める場を作り出す方法。
唯一共通しているのはどちらもルーン文字を媒介するところ。
前者はオード方式をもちいてルーン文字を配置し、後者はルードリック方式を用い…」
「まて、俺にもわかるように説明してくれ」
魔法のことになると饒舌になるフィアをヴァロは制した。
放っておけば、このまま延々とわけのわからない講釈を長々と聞かされることになるからだ。
フィアは少し考えるようなそぶりをした。
「…つまりはその場所に魔力をとどめておけるか置けないかの違いだけ」
「それだけか?」
「大まかに言えばね。どうやら話しているうちに着いたようね」
フィアはとある豪邸の門の前に立ち止まった。
「まさか、ここじゃないよな…」
「ここよ?」
大通りから少し外れた場所にそれはあった。
目の前には貴族の屋敷と見まごうほどの大きな豪邸。
聖都の一等地と言ってもいい場所である。
ヴァロは門の塀越しに見えるその光景をまじまじと見つめる。
「…どうみても大貴族の屋敷だろ」
ヴァロは難しい顔をして立ち尽くした。
フゲンガルデンにあるヴィヴィの住処はもっとひっそりとしたものであったはずだ。
イメージがあまりに違いすぎる。
「ここで間違いはないわ。ここから結界の要所にいくつも構成が伸びている。
ここは結界の基点の一つ。あの時計台が心臓とするならこっちは頭ってところかな。
案の定、人払いの式もかけられてる」
人払いの式と聞いてヴァロは周囲を見渡す。見る限り人影はない。
先ほどまでヴァロたちは大通りを歩いていて、平日の朝だが、ヴァロたちの歩く通りにはかなりの人間がいたはずだ。
はじめてヴィヴィの家に行った時を思い出す。
馬車の中からだったが、あの時も気が付くと周囲に人影はなくなっていた。
あの時の感覚を思い出していた。
二人の目の前で、門がひとりでに開いていく。
「入って来いって」
少なくともヴァロたちは客人であり、危害を加えられる可能性は低い。
目の前にはフィアが振り返りヴァロの顔をじっと見ていた。
ヴァロは頷くと、意を決して門の中へ足を踏み出した。