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聖都事変 時計台が止まるとき  作者: 上総海椰
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終章 異形の壊求者

夕暮れにその男は桟橋で座って湖を眺めていた。

もうじき日も山陰に隠れる。

その湖は聖都コーレスからそれほど離れていない場所にあった。

周囲には人の気配が感じられない。


ヴァロたちはヴィヴィに導かれるようにその場所にやってきた。

夕陽が水面に反射し、まるで太陽が二つあるかのように見える。

「この景色は四百年も今も変わらずカ。

昔の僕ははこの黄昏を見ても何も感じなかったのだけどネ」

そう語る男の背中はどこか儚げだった。

「はじめまして、第四魔王ドーラルイ、またの名を『異形の壊求者』。私の名はヴィヴィ。横にいるのは私の弟子フィアとその護衛のヴァロ」

異様に張り詰めた空気の中でヴァロたちはそれと対面した。

男は桟橋の端に腰を掛けたまま振り返る素振りすら見せない。

「…カーナはもうこの世界のどこにもいないんダネ」

その男は何百回も大陸中に探査魔法を飛ばしているという。

一人を見つけ出すために。繰り返し繰り返し。

まるでその様子は大事な片割れを失い鳴いている獣のようとヴィヴィは言っていた。

それ故にその場所も容易に割り出すことができたという。

その表情は背後から読み取ることはできないが、その背中はどこか儚げに見えた。

「第九魔王ミャルデッケとの戦闘で『アビス』に堕ちたと聞いてる」

『アビス』というのは次元の狭間という場所だ。

入ったものは二度と抜け出せないという次元の狭間。

その場所は光すらも歪み、時間の流れですら一定ではないという。

ヴァロはそのことはあとでフィアに聞かされる。

「そっかー。カーナには一発殴られてやるつもりだったんだけどナ。

あれから四百年カ。まるで異世界にでも迷い込んだような気分ダヨ。僕の弟子たちももういないのカ」

「全員討伐されたわ。あなたの頼るものはもはやこの時代には何もないわ」

その男は嘆息し、話を続ける。

「いいや、あの連中をあてにはしているわけではないよ。

まあ、これで僕の生き永らえる意味の一つは無くなって少し安心したけどネ。

奴らには僕自身が引導を渡してやろうかと思っていたからネ」

その男の言葉からはどこか安堵のようなものを感じられた。

その声が妙に人間らしくてヴァロは少しだけ親近感のようなものを抱いた。

「あんた、ウルヒさんとは最期何を話したんだ?」

あの時あの男がすべてを引き換えにして望んだのか、ヴァロはそれが知りたかった。

「ウルヒ?…ああこの元の持ち主か。彼にはあんたらは一体何かと聞かれたヨ」

「…それであんたはなんと答えたんだ?」

「君がなってみればいいと答えただけサ。断っておくけど、僕は強要していない。

これは双方合意済みの契約だヨ。

彼は自ら望み、肉体を引き換えに、僕の躰と魔力を手に入れた。ただそれだけのことさ」

契約は双方の同意の下成された、第三者が口をはさめるものではない。

だが、ヴァロは感情的に納得がいかなかった。

「なあ、あんたもしあいつが契約しなかったらどうしてたんだ?」

「別にどうにもしないヨ。お互いただ結界の外に出てオシマイ。強要するのは個人的に嫌いなんでネ。

あのまま結界の中にいてもよかったけど、少しだけ外に未練もあったからネ」

ゆっくりとその男は振り向き、笑みを浮かべた。

ヴァロかつての異端審問官の表情に違和感を感じずにはいられなかった。

「君が僕の躰と戦ったんだネ」

ヴァロのことをしげしげとみつめる。

「・・・ええまあ」

「お見事。賞賛を送らせてもらうヨ。

あの躰には少なく見積もっても、あの都を5,6回消し飛ばす魔力はあったはずだからネ」

そんな物騒なことを平然と言ってのけるあたりはやはり元魔王である。

「ああ、勘違いしないでよ。別に未練があるわけじゃない、素直に誉めてるんだヨ。

あの躰の魔力量はかなりあったはずだし、そのウルヒとやらは魔法は使えないものの魔力は結構使いこなせていたからネ。

僕から見ても、なかなか強かったと思うヨ?」

自分が真っ二つに両断した躰の所有者から賞賛されヴァロは少し複雑な気分になった。

「あなたはこれからどうするつもり?」

「もし僕の望みが叶うのなら、もう一度人として人生を送ってみたいネ。

魔法使いとしてではなく、ただのヒトとしてノ」

真摯な眼差しだった。そばにいるヴィヴィが警戒を解くのがわかった。

「なら好きにすればいい」

「いいのかい?これでも僕は大罪人なんだケド?」

「いいんじゃない、もうこの時代にはあなたを断罪する人間はおろか、あなたを知る人間も数えるぐらいしかいないわ。

私たちに危害を加えるっていうのなら話は別だけれどね」

ヴァロはここに来るまでに、ヴィヴィに彼が教会から魔王認定された経緯を聞いていた。

異形となったのは、彼が肉体を捨てたのはそのほうが研究に都合がよかったからだ。

食料も、生理も、排拙もいらない。ただ研究に没頭したい、そのためだけに肉体をすてた。

その行為により教会は彼を異端と認め、彼を殺そうとした。

彼というよりは彼の弟子はその刺客を倒すうちに教会を敵に回してしまう。

最終的に教会は彼を魔王認定し、討伐軍を編成する。それが第三次魔王戦争のきっかけなのだという。

ヴァロは彼に対して同情心は持たないし、魔王と呼ばれるまで彼の弟子におびただしい数の人の命が奪われた。

もっと違ったやりかたがあったんじゃないかとも思う。

「いろいろ対応考えていたけど、あんたの腑抜けた顔見てたら対応する気も失せたわ」

「感謝するよ」

その男はヴィヴィを見てにこりと微笑んだ。

「はぁ…。まさか私が魔王から感謝日が来るとはね」

ヴィヴィは心底めんどくさそうな顔をした。

「あなたを見逃すために、ラフェミナから二つの条件が出されている。

一つ、今後あなたが魔王であったことを我々以外だれにも知られないこと。

一つ、今後我々に敵対しないこと」

「なるほどネ。これも彼女の思惑の内だったということか。まったく彼女も相変わらずだナ。

それで契約の方法はどうする?血呪でも使うカイ?それとも封栓?

ああ戒印はこの躰に負担が大きいから、できれば勘弁してくれると助かるんだけど…」

「私もそれは何度かラフェミナに提案したわ。却下されたけど。

私が知っている彼ならば、彼は約束を反故にするようなヒトではないってさ」

「…まだ彼女には信用はさてると考えたほうがいいのカナ」

その男はは穏やかに微笑んだ。

「さあ。解釈するのは自由なんじゃないかしら」

「わかった、僕の名と僕の誇りにかけてその約束を反故にすることはしないと誓うヨ」

男は夕日を背にそれを誓った。

「いいのか?」

ヴァロはヴィヴィに小声で尋ねる。魔力をもたないとはいえ元魔王。

その魔法は一度聖都コーレスでも目の当たりにしている。

「多分大丈夫。この男も脅威だけれど、『アレ』のほうがもっと脅威のはずだから」

「『アレ』?」

ヴァロの顔をヴィヴィは一瞥すると嘆息した。

「…こっちの話よ」

ヴァロの問いにめんどくさそうにヴィヴィは返答する。

「それじゃ、この話はお終い。こちらから一つ提案がある」

男はどこか吹っ切れたような顔でそう話を切り出した。

「提案?」

ヴァロたちは予想だにしない男の言葉に面食らった。

「この提案は君達にもけして悪くないと思うんダ。万が一のために、僕の監視もできるヨ」

男の言ってる言葉の意味が分からず、その場に居合わせた三人は首をかしげる。

「極力めんどうはかけないし、家事だって料理だって人並みにはできると思う。

もちろん気に入らなければ君らの舌にあった料理を覚えるヨ」

「…何が言いたいの?」

「僕を拾わナイ?」

しばらく言っている意味が分からず、その場が静まり返る。

静寂を破りフィアとヴァロは盛大に吹き出した。

ヴィヴィは頭をかかえ天を仰いでいる。

この場合、捨て犬というよりこれは捨て魔王とでもいうのか。

魔法使いはこんなのばかりか。

ヴァロは大声で叫びたい衝動に駆られた。

見渡すといつの間にか日も暮れている。

そして、この聖都を揺るがした大事件は幕を下ろしたのだった。

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