5-1 深夜の聖都
深夜の聖都は静まり返っていた。
周囲は闇に覆われ、静寂が支配する。
人影のない聖都には猫が堂々と通りを闊歩している。
そう今は人の時間ではないのだ。
それを打ち壊すように、乾いた二つの足音が通りに響く。
ヴァロとフィアはいつもよりも若干早いペースで歩く。
背後から少し遅れて足音が聞こえてくる。
子爵殺しの容疑をかけられたヴァロには監視の兵がつけられている。
ヴァロはできるだけ背後に目を向けないように気を配りながら足を動かす。
フィアは一度ウルヒと遭遇し見逃されている。
ウルヒの考えが変わり、フィアを標的にしたのならば魔法の使えないフィアが、
勝てる可能性は全くないといって過言ではない。
「追手は気にしなくてもいい。ニルヴァ邸に着くまでにここの結界の人払いで撒けるはず。
問題はそのあと、ヴァロはどうするの?」
ヴァロの脇から見上げるようにフィアが聞いてくる。
「フィアをニルヴァ邸まで送った後、ここのもう一人の『狩人』に事態を報告しに行く。
俺一人ではあのウルヒさんを止められるとは思えない」
「フィアのほうこそ、ニルヴァさんは狩人捕縛に協力してくれる思うか?」
「協力させる、絶対にあいつの思い通りはさせない」
ウルヒをあいつと呼ぶフィアの目に意志の光があった。
「魔器は…」
「ヴァロが持っていて。もう聖都内では使うことはできないし、
ヴィヴィは私に任せると言った。ニルヴァの説得は私がどうにかしてみせる」
覚悟のこもったフィアの言葉をヴァロは頼もしく感じた。
「ウルヒの目的は一体なんなんだろうな。ヴィヴィが言う聖都消滅って、想像もつかないんだが」
「ヴィヴィは根拠のないことは言わない。
私たちに話さないのはまだ彼女自身、確証が持てないからだと思う」
「フィアの見方はどうなんだ?」
「…おそらくあの魔術書に書かれた魔法式に関係しているものだと思う。
あの魔法式の解読さえできてさえいればウルヒの狙いもわかったんだけど」
悔しそうにフィア。
魔術書には分割した魔法式が書かれていたという。
以前ヴィヴィから魔法式の断片ではその魔法がどんなものかわからないと聞いたことがある。
フィアを責めるものはだれもいないだろう。
「フィアはウルヒと対話したんだろ?
何か会話の中で手掛かりになるようなものはなかったのか?」
「取り留めもない話ばかり。今回の式典の展示物のこととか、ノウーザの事件の事とか」
ヴァロはノウーザという単語に反応した。
「ノウーザ…ウルヒはそう言っていたのか?」
「ヴァロも知ってるの?」
さも意外そうな顔でフィアが聞き返してくる。
「知ってる。昔師から聞かされた。
およそ四十年前、村の人間すべてが一夜にして失踪した事件だろ。
二百年前から大陸各地で十数年に一度村の人々が忽然と失踪する事件の一つだった。
近隣の村々に何があったのか尋ね回るも誰も目撃者はいない。
さらに国境を跨ぎ大陸各地で行われているために、国家同士の連携もとりずらかったというのもある。
加えて目撃者も、芸人風の恰好をした旅の一団とすれ違ったという行商の者が数名いるだけ。
いくら捜査しても村人はおろか、事件の手がかりすら見つからず、その事件は永遠に未解決に終わるかと思われた。
しかし、二十年前に『狩人』が、あるはぐれ魔女の住処を襲撃した際に一人の青年をその住処で発見、保護。
その事件の真相の一部始終ががその一人の青年から語られることになる。
その青年の証言によれば、失踪事件は数名の魔女たちが一般の人間を実験材料にするために狩っていたという事実だった。
その事実を知るにつれその事件の凄惨さが徐々に浮き彫りにされる。
魔女が関わっていたということと、あまりの凄惨さのためその事件は一般に公表されていない」
フィアの言葉が気に障ったのでヴァロは詳細に語った。
彼女たちほどではないにせよヴァロも騎士になるために、それなりの教養は身につけている。
「事件を証言した青年が保護されたのは二十年前、いくらなんでも無理がある」
ウルヒの容姿はどう見ても二十代前半といったところだ。
逆算するなら保護された当時幼児になり、年齢が合わない。
さらにノウーザの失踪は今より四十年以上前の出来事。
その青年の年齢は五十代になっていておかしくない。
「魔力を扱う人間ならば魔力を使って凍結まではいかないまでも、肉体の年齢を遅らせることはできる。
けれど、本来魔力は人体にとって有害なものでしかない。
一般の人間がそれを行えば、一生寝たきりか最悪死ぬこともある。
それが一般人に魔力を使うことを禁じている理由」
「…ウルヒがその被験者だったと?」
「おそらく」
「死ぬほどの苦痛を伴ったはず。常人であれば壊れてもおかしくないほどの」
周囲の人間が次々と死んでいく中、それでもあの男は生き残った。
どれほどの地獄だったのかヴァロには想像もつかない。
その中であの男は何を思い生き残ったのだろう。
「着いた」
ヴァロはフィアの言葉に我に返った。
いつの間にかたどり着いていたらしい。
フィアがニルヴァ邸の門に立つが一昨日のように門は開かない。
「門が開かないぞ?」
フィアは真剣な眼差しで虚空を見つめていた。
「ニルヴァはそこにいる」
フィアは小声でヴァロに語りかける。
「こんばんは。同じ聖堂回境師とはいえ、深夜に訪ねてくる方だとは思いませんでしたわ」
ニルヴァの態度にはあからさまな不快感が現れている。
「こんばんは。ニルヴァさん、夜分遅く申し訳ございません。お願いがあってまいりました」
フィアは怯むことなくニルヴァと向かい合う。
「あなたにあげたキーストーンももう使ってしまったみたいですわね」
ここの結界管理者はニルヴァだ。一時的とはいえ結界に穿たれた孔などすでにお見通しということだろう。
「その男にかけられたクーディス子爵殺しの一件かしら?」
ニルヴァは既にどこからか情報を得ていた。
さすがは聖都コーレスを取り仕切る聖堂回境師といったところだろう。
「違います。ウルヒ捕縛の件に関してです」
「『狩人』ウルヒの捕縛?ずいぶんと突拍子もないことを言うのですわね」
「信じられないのも仕方ありません。
ですが彼は私の宿に現れ、その際に子爵殺しの件を告白し、私から魔術書を奪い逃走しました」
「子爵殺し…確かにウルヒはわたくしの下で働いていることは認めます。
彼の発言の真偽はともかく、その事件の捜査は教会守護兵の仕事ではなくて?
たとえ捕縛するために死人が出たとしても。人であるあの男が行ったこと。人の捕縛には我々は関与しませんわ」
フィアは目をつぶり息を吐いた。
「…私の師のヴィヴィの言葉です。放っておけば今日中に聖都が消滅するかもしれないと。
お願いです、どうか力をお貸しください」
フィアは深々と頭を下げた。
「あのヴィヴィが?」
しばらく二人の間に沈黙が流れる。
「…いいでしょう、あなたの話を聞きますわ。入ってきなさい」
目の前の門がゆっくりと開いていく。
フィアはヴァロのほうを一瞥すると、小さくウインクして見せた。
フィアが門の中に入ると門はひとりでにしまっていく。
フィアは自分の役割を果たそうとしている。今度は自分の番だ。
ヴァロは大きく息を吸い込むと反転して、その場から立ち去る。
路地から出ると数人の教会守護兵らしき人間が右往左往していた。
「現在子爵殺しとして容疑をかけられているヴァロという者だ。
聖都警備主任のカティロック=イイサロッタ殿にお会いしたい」
ヴァロは胸を張り、一歩を踏み出した




