4-2 笑う男との対話
「寝た隙にこの本もらっていくつもりだったけれど、うまくいかないものだね」
静かにそして低い声でその男はつぶやいた。
フィアは戸惑った表情を浮かべたがそれはほんの一瞬。
すぐさまフィアの表情が緊張一色になる。
「このままだと君、朝までこれを解くのに没頭しそうだからさ」
いつの間にかベットの上にあったはずの本が、彼の手に握られている。
この男ならばこのぐらいの芸ができたとしても不思議ではない。
「用は済んだのでしょう?だったら見つからないように出ていくのが泥棒でしょう」
フィアは精一杯の虚勢を張る。フィアはこの男が一人の人間として苦手だった。
この男が何を考えているのかわからない。
「それはそうだ。けれどここにきて少し考えが変わってね。
先に言っとく…あの子爵を殺したのは俺だ」
ウルヒの口から出た言葉ににフィアは戦慄する。
殺人という重大な情報、もしくは秘密を打ち明ける
つまりはその情報は意味をなさないと暗に示していたからだ。
この男のことだ。ブラフの可能性も捨てきれないが、もし本当だとしたら…。
私はこの男にここで殺される。
聖都の結界を抜きにしてもこの至近距離で『狩人』と対峙するなど
猛獣の檻の中に放り込まれた兎のようなものだ。
魔法を使おうにも式を編む瞬間に、息の根を止められる。
それだけの技量がウルヒにはある。震える右腕を左手で強引に押さえつけた。
あの人のために生きると誓った命。
今更死ぬことは怖くない。ただ、無意味に死ぬことが怖かった。
「そう怖がらなくても大丈夫だよ。君が何もしない限り僕は君に何もしない」
それは自分をいつでも、どうにでもできるということだろう。
さらに恐怖している自身も相手に悟られていた。
フィアは自分の無力さに無性に腹が立った。
「…あなたの望みは何?」
「話が分かる人でよかったよ。抵抗されたらこちらもそれなりの対応をしなくちゃならなかった。
くれぐれもおかしなことは考えないことだ」
この場の主導権はウルヒにある。フィアは慎重に相手の隙を伺うことにした。
「子爵の屋敷では他に何かめぼしいものはあったかい?」
「その本以外にめぼしいものはなかったわ」
そっけないフィアの返答に、ウルヒはどこかつまらなさそうな素振りを見せた。
「一方的に質問しても面白くないな。…少しゲームをしないか?」
「ゲーム?」
怪訝な顔でフィアはウルヒに聞き返した。
「お互いに質問をしあう。質問は一度につき一度。答えられないものは答えなくてもいい」
フィアはとりあえず頷いた。この場の主導権はウルヒにある。
「今日の君の朝食は?」
「…エッグトーストとミルク」
少し戸惑いつつも、フィアはウルヒの仕組んだゲームに乗ることにする。
「あなたの好きな小説は?」
「コンラ=エルグニカ『芋侯爵』」
「…ずいぶん大衆的ね。詩集の件もあるし、あなたは純文学的なものを好むと思ってた」
「悲劇よりも喜劇のほうが好みでね。理解が早くて助かるよ」
ウルヒの表情には憎たらしいほどの笑みは変わることない。
「君は式典にあわせて第四魔王関連の遺産が明日公開されるのは知ってるかい?」
「ええ。第四魔王に関するものが出展されると聞いてる」
フィアは考えるのをやめ、このウルヒのゲームに意識を集中させる。
式典の話はクーディス子爵と食事したときにその話は出てきている。
「あなたが仕事で殺した数は?」
「魔女は十五人、魔獣は三十。人間は十五人ぐらいまでは数えてた」
「君はヴィヴィに師事してよかったと思ってる?」
「ええ」
フィアは迷いはなく答える。
「あなたの狩人内での序列は?」
「二か月前までは十三位。今はどうなっているかわからない」
十三位といえば相当上のほうだ。
「君はメルゴート出身者だね?」
「ええ」
隠していても仕方がない。フィアは質問の質が変わったと感じた。
「あなたの扱う魔器はいくつ?」
「五つ。魔道具を含めるならもっとかな?ちなみに今隠し持ってる暗器は七つ。
君を殺す手段なら九つ」
自身の手の内をさらしたというのに、ウルヒの態度には変化が見られない。
小娘の命などどうとでもできると言われている気がしてフィアは内心いらだった。
頭を冷やすために深呼吸を行う。
「あなたの年齢はいくつ?」
「…五十歳ぐらいかな。おおよそだけれど」
予想外の言葉にフィアは耳を疑う。ウルヒの見た目は二十代前半だ。
どう見ても五十には見えない。答えを偽ることは禁じていない。
ただフィアは目の前の男は嘘を言ってはいないような気がした。
「君の実年齢は?」
「十四」
「へぇ、意外だね。魔法の完成度から三十路は超えてると思ってた」
ウルヒの無礼な言葉は無視してフィアはゲームを続ける。
「あなたの故郷は?」
ウルヒの不躾な言葉を無視してフィアは続ける。
「エブド共和国の西の山脈地帯の麓の山村、ノウーザ」
ノウーザ…どこかで聞いたような覚えがある。
もしもその記憶が正しいのならば、この男は存在していないはずだ。
フィアが考え込むのを遮るようにウルヒは言葉を発する。
「魔女ってさ。見た目若いままの多いよね。あれも魔力のせいかい?」
「ええ」
「その故郷はどんな…」
「悪いが、その問いは答えられない。僕の故郷はもうこの世には存在しないからね」
ウルヒの言葉にフィアは一つの事件を思い出す。
それならば五十という年齢も出まかせというわけでもないだろう。
ただそれにはいくつもの障害を乗り越えなくてはならない。
文字通り命がいくつあっても足りない。
うまくいったとしてもそれがすべて終わるころには、精神に異常をきたしているほどのものだ。
「それじゃ、年齢の遅延はどういう感じだい?」
ウルヒの言葉にフィアは強引に現実に引き戻される。
「肉体の時を止められるのは数名。体質と魔力量、扱う魔法にも依存するけど、
大体二分の一から十分の一ぐらいまで歳を取るのを遅らせることができる。
私の知る限りでは最大百分の一」
「今までそこらへんが謎だったけど、少し納得いったよ」
「なぜあなたは生きているの?」
あの村のことは、あるヴィヴィの家の書物を片っ端から読んでいた時に目にしたものだ。
魔女関与する事件の中でそれはもっとも凄惨で残酷なものであり、
それが本当に人間のすることかと疑わずにはいられなかった。
「なるほど、事件を知っているのか。意外と物知りだね。
僕だけが僕を捕らえた魔女に愛玩動物として生きることを許されたんだよ」
それは衝撃だった。
その魔女の集団の凶行は知ってはいたが、あまりの残虐ぶりに作り話のように感じていた。
「仲間を皆殺しにされて生き残っているってどんな気持ち?」
「…よくわからない。悲しいというよりはああそうなってしまったんだという感じ」
ウルヒが意外そうな表情を浮かべる。
「君にとっての仲間って何?」
「ヴァロ」
ウルヒの問いにフィアは即答した。
しばしの間のあとウルヒは吹き出した。
「くくく…もっともまともに見えて君も歪だね」
心底愉快な様子でウルヒ。フィアは少しづつ衝撃からも回復してきた。
ただフィアはその言葉の意味が全く理解できない。
「…歪?」
「さて俺のお手付きだ。最後になんでも一つだけ答えよう」
改めてウルヒはフィアに向き合う。
顔にはいつもと同じ笑みを浮かべながら。
「その書物を集める理由は何?」
フィアは核心に踏み込むことにした。
「…答えを知るため。今宵三冊が揃い、そこへの扉を開いてくれる」
今宵という言葉にフィアは軽い引っ掛かりを覚えた。
どうして今日なのか。
「答えを知るため?答えになっていない」
「どのみちすぐにわかる。一つ聞いておくけど、君らは老いを遅く出来ると言った。
ならば君自身も老いを止めるつもりかい?」
フィアは言葉を詰まらせる。
考えたこともなかった。いや、それから彼女自身目を背けていた。
それを考えないようにしてきただけなのかもしれない。
あの人のいない私だけが残された世界。それはどれほどの絶望だろう。
その世界を想像して、フィアの瞼から涙がしたたり落ちた。
「問答は終わりだよ。さて、君が死んだらヴァロ君は悲しむかな?」
ウルヒは懐からナイフを取り出した。




