4-1 古書の暗号
ヴァロが衛兵に連れ去らえれてから、約半刻。
フィアは宿のベットに寝転び、見慣れない天井を見上げていた。
平然というわけではない。
頭の中は今までにないぐらい回転していた。
「宿で待っててくれ。必ず戻る」
フィアは初め、取り乱しかけたが、ヴァロのその言葉にかろうじて冷静になれた。
ヴァロは来賓という立場でもある。
よほどの確証がなければ手荒な真似はできないと考えた。
またこの聖都コーレスにはカティという『狩人』もいる。
その『狩人』は聖都の中でもかなり上の立場にいるらしい。
彼女には手段があった。
ここはフゲンガルデンとは違い魔法を使えない結界ではなく、
魔法を使わせないための結界でもある。
自身の力を最大限使えば男一人の身柄ぐらいどうにでもなる…が、
彼はそれを望んでいないし、最悪の場合ニルヴァを含めた世界を敵に回すことになる。
一年前とは違ってできることも増えたがそれと同時に、
守らなくてはならないルールも増えたと思う。
不意に一年前彼女を残して捕えられたヴァロの姿が連行されていく姿と重なる。
「…引きずってるのかな」
ヴァロとフゲンガルデンに戻ってきた際の出来事を思い出す。
衛兵に連れられて行く背中を見ていることだけしかできなかった。
どれほど自身の無力さを呪っただろう。
どれほど自分の馬鹿さ加減にあきれただろう。
あの人は私を助けるために自分の人生すら引き換えにしてくれた。
こんな何も持たない私のために。
そのころの想いは今も変わらない。
あの人の為であれば私はどんなモノにでもなる。
たとえ世界のすべてを敵に回しても。…それがどんな代償を支払うことになったとしても。
それは覚悟でもあるのだが、狂気でもあることを彼女は知らない。
「明日戻らなかったらニルヴァさんに頼んでみるか…」
聖都の聖堂回境師という立場の彼女ならば、容疑者一人の身柄ぐらいどうにかなる。
彼女に借りを作ってしまうが、それは些細なことだ。
そう決めると少し気持ちが楽になった。
これからの方向性は決まったが、このままでは眠れない。
よほど用事がなければ、深夜の来訪は歓迎はされないだろうし、
ヴァロからも連れ去られる前に宿で待つように言われている。
何か意識を集中させるものがほしかった。
そんな中、例の子爵から借りてきた本を思い出す。
ベットに座り膝にその本を開き、弱い魔力を当てて書の式を宙に浮かび上がらせる。
小規模な魔力行使ならば、聖都の結界には引っかからない。
フィアは浮かび上がった魔法式をまじまじと見つめる。
断片的にわかる結界のルーン文字の配列形式は相当昔のもの。
ウルヒの持っていた詩集は四百年前のものと聞いている。
おそらくはそれと同時期ぐらいに作られたものだろう。
魔法式自体はそれほど長くはないし、内包する魔力も多くはない。
引き起こす事象もおのずと限定的なものになるだろう。
ただ腑に落ちないのはそれがどんな魔法式なのかわからないところだ。
魔法使いの見習いの落書きかもしれないと思ったが、それにしては規則性があり、手慣れた感じがする。
まるで鍵を差し込まれ、動き出すのを待っているようなそんな印象だ。
四つのルーン文字らしきものが使われているのも気になった。
魔術、魔法、結界等を構成するルーン文字は通常二十文字で構成される。
それに対応した式を用いなくてはならず、
一つの式を構成するのにかなりの数の文字を使わなくてはならないが。
ふと師ヴィヴィが最近どこかから手に入れてきた小冊子を思い出す。
「アレもこんな文字が使われていたっけ」
二か月前彼女の師がどこかから手にしてきた本。
ヴィヴィは一か月ほどフィアや結界のことはそっちのけで、その本につきっきりになっていた。
彼女の放任主義は今に始まったことではないので驚くべきことではないが、
問題はヴィヴィですらその本の中身の解読をあきらめたような感じがあるところだった。
彼女はフィアが知っている魔女の中では、最高クラスの魔法使いである。
その彼女があきらめることがフィアには想像できなかった。
あるときフィアはその本を盗み見たが、見たこともないルーン文字が四つ使われているのがわかる。
それと同じルーン文字が使われているのが妙に引っかかった。
その四つの文字がどういうものなのかわからないが、それは魔法式として成立しているように見える。
フィアは徐々にその本の解読に意識をのめりこませていった。
難解さゆえに、彼女はただひたすらにそれに没頭していく。
魔法を扱う者にとって式の解読は時間を忘れさせてくれるものだ。
窓が開く音に意識を戻される。どうやら風で窓が開いたらしい。
子爵の豪邸から部屋に戻ってきた後、窓に鍵がかかっているか、一度確かめたはずである。
フィアは不思議に思いながらも、立ち上がり窓を閉めた。
「こんばんは、泥棒が来たよ」
突如背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
フィアは驚いたがかろうじて出かかった悲鳴を飲み込んだ。
振り向くと反対の窓際に見覚えのある人影が立っている。
フィアの頭に警報が鳴り響く。
そして、その男はそれを見透かしたようににっこりと笑った。




