僕が助手と呼ばれるようになった理由
本務はボロボロの見た目であったが、身体機能に支障があるわけでは無いようで、元気に僕の隣を歩いていた。逆に僕は、激しく打ち付けた右半身が酷く痛んだし、携帯は壊れたままだし、学ランを貸しているので春先の夜風はとても寒くて、終始震えっぱなしだった。
家に着いても、普段から帰りが遅かったり、それどころか帰ってこない日も度々ある姉がいない戸建ての我が家はボロボロの僕らを出迎える準備が出来ているわけがなく、しばらくは汚れた体を洗うために風呂を沸かしたり、夕飯を食べていない僕らのために冷蔵庫の中にあるものを使った料理を作ったりと、しばし走り回っていた。もちろんその間、本務は僕のジャージに着替えて居間でのんびりと僕が出した茶をしばいていた。
「それじゃあ聞かせてもらおうか」
「何をだい?」
「今回のことだよ!」
風呂に入ってサッパリし、体の傷を消毒した本務は、僕の分の夕飯すら食べつくしそうな勢いで料理を胃袋に収めながら、すっとぼけた。
「ああ、そうか。すまない、完全に忘れていたよ」
「……」
「そんな目をしないでくれたまえ」
本務は箸をおくと、僕の責めるような目を見て観念したのか、ようやく事の顛末を話し始めた。
「今回、"影踏み鬼"を子供たちに手伝ってもらって探し出すことにしたのだけど、思ったより見つからなくて焦ったよ」
「そういえば、何で子供たちまで参加させたんだ? 影踏み鬼なら二人でやればいいだろう」
「子供の純真な思いが必要だったんだよ。こういった怪現象が古今東西、子供のほうが起きやすいのは、子供が純真であるからゆえなんだ。キミが"影踏み鬼"に出会ったのだって子供の頃だし、次に出会った時だって公園の近くだったというから、傍で子供たちが集まって遊んでいたからだろうと思ったんだ」
"影踏み鬼"とやらが僕に向かってきたから良いものの、全く関係ない子供に向かって行っていたらどうするつもりだったんだ。とは元凶である僕が言うわけにはいかず、口を挟めなかった。それに彼女なら、そういうときの対処も考えていたことだろうと、僕は勝手に納得する。
「ボクはキミの後ろを追いかけながら、キミを監視していた。いつ"影踏み鬼"が出てきてもいいようにね。そしてヤツが出てきたときに、キミをあの廃屋の地下へ誘導したのさ。あそこを見つけるのは苦労したよ。地下室があって、誰も使ってない廃墟なんて、滅多にあるものじゃないからね」
僕が本務と影踏み鬼の間、出くわさなかったのはそのせいか。終始、鬼である時間が多かった僕は、ほぼ常に追う側であって、まさか自分が追われる側になっているとは思わなかった。"影踏み鬼"と出会ったときにタイミング良く、僕に声を掛けられたことにも説明がつく。
「でも、何で僕は地下室に閉じ込められたんだ?」
「影を踏む、という行為は、古来から厄を使役するという儀式であることが多かったんだよ。厄を役にするためにね。つまり鬼の影を踏んだキミは、一時的とはいえ、鬼を自分の影に使役していたわけだ。そして鬼を完全に消すためには、キミの影を完全に消せばいいのだけど、現代はどこにでも明かりがあるからね。三百六十度、全方位から光を当てれば影は消えるけど、そんな設備を用意するのは無理だ」
「そこで、完全な暗闇が生まれる地下室ってわけか」
「そのとおり。光が無ければ、影も生まれないからね。予想どおりキミの影という道標が消えてしまって、ヤツはボクを追いかけ始めたよ。何度か捕まりそうになったけど、跳んだり転がったりして避け続けた。ヤツの力が完全に失われるまでね」
それであんなにもボロボロだったのか。まあ、見た目に反して傷は大したことなかったようだけど。しかし、ここで生まれた疑問を僕はそのまま口にする。
「……待てよ、それならどうして最後に僕をヤツは見つけられたんだ?」
そう、ヤツが扉を叩く音で僕は恐怖し、情けなく気を失ってしまったのだ。あの音は本務の華奢な体ではけして出すことが出来ない、そう確信できる程の轟音だったのだから。
「それなんだけどね、どうも何かの拍子にキミを見つけてしまったらしいんだ。途中でボクを完全に無視して、あの廃屋に戻ってしまったんだよ。何度も止めようとしたのだけどね、その度に吹き飛ばされてしまって余計な傷が増えてしまった」
本務の言葉に、僕はハッとする。あの時、暗闇の中で一瞬だけ携帯が光って僕の影を生み出したのだろう。そして、それを鬼は感じたんだ。そのことを本務に話すと、彼女は呆れたような困ったような複雑な表情をした。
「……携帯か。完全に失念していたよ。なにせ、生まれてこのかた持ったことがないからね。ともかく、それが壊れてくれてよかった。そうでなければ、キミはヤツに見つかっていただろうから」
携帯を持ったことがないなんて、今どきの女子高生としてあり得るのだろうか。それはそれとして、壊れてしまったのはショックだったが、今回はそれに救われたわけだ。もし、あの時画面が光り続けて、僕の影を生み出し続けたらと考えるだけでゾッとする。
「さて、以上が今回の事件のあらましだよ」
「待ってくれ、どうして最初から説明してくれなかったんだ。閉じ込められることも、影のことも、最初から知っていればもっと上手く事が運んだかもしれないだろ」
そうだ。今回の計画を最初から知っていれば、閉じ込められた地下室で暴れることも、携帯の電源を入れようとすることも、そして本務にケガを負わせることもなかったかもしれない。しかし、そんな僕の心を見透かしたように、本務は呆れたような溜め息をついた。
「……知っていたら、キミは承諾していたかい?」
「え……?」
「自分一人だけ安全な地下室で引きこもり、"影踏み鬼"が完全に消えるまで、ボクを危険にさらし、運が悪ければ子供たちまで危ないかもしれない計画を承諾できたかい?」
「それは……」
できない。助けてくれると言って、僕に救いの手を差し伸べてくれた彼女だけを危険に晒し、全く関係のない子供を利用するなんて。
「できないだろう? だから言わなかったのさ。……まあ、携帯ぐらいは没収すればよかったと、今では思うけどね」
「なんか……ごめん……」
「いいのさ。キミは依頼人で、ボクは探偵だからね。……さて、そろそろ料金の話をしよう」
「……え?」
「なに驚いているんだい。まさかお昼御飯を一度奢ったくらいで、全料金を支払ったとでも思っているのかい」
「あ、いや……それもそうか」
しんみりした雰囲気の中で、いきなり金の話を切り出してきたのには驚いたが、確かに今回の事は昼食一回分では割に合わないだろう。それだけ、危険な目にあわせたのだから。もう一度くらい昼食を奢ってやるくらいならいいかな。
「料金だが、事件の危険度、ボクが負った傷、拘束費、子供たちに配ったお菓子代、報酬を合わせて、二百四十七万六百二十七円だね」
……ん?
「待って、もう一度」
「二百四十七万六百二十七円だね」
「いやいやいやいや! ぼったくり過ぎだろう!」
メシ一回奢りとかじゃないのかよ! というか高すぎないか!
「そうかな。これでも学生割と奢ってもらった昼食代は引いてあるのだけど」
「そんな額をただの学生が払えるわけないだろ!」
「……分割でもいいけど?」
違う、そうじゃない。どうしよう、全然ふざけているようにも見えないし、本務は本気だ。初めて会った日からおかしな奴だとは思っていたけど、ここまで頭が残念だとは思ってなかった。
「契約書を書いたわけでもないし、そんな額を請求されるなんて不当もいいとこだろ!」
「……まさか、払わないつもりじゃないだろうね」
払うわけないだろ!
「……ほかの形じゃダメか?」
「ふむ……」
しばらく払う、払わないの押し問答を続けていたが、先に折れた僕は妥協案を探してもらうことにした。僕の申し出に、本務は顎に手をあてて、しばらく考え込んでいた。
「それじゃあ……ボクの助手として働く、というのはどうだろう」
「助手?」
「そう。ちょうど一人欲しいと思っていたところなんだ」
「それなら、まあ……」
「決まりだね」
本務は言質は取ったとでも言わんばかりに、ニヤリと笑うと立ち上がる。
「それじゃあ、今日のところはそろそろお暇させてもらうよ。明日、朝一番に理科準備室に来てくれたまえ。そこでキミの雇用条件を決めるとしよう」
「……わかった」
なんだかよく分からなかったが、あんな法外な額を払うよりマシだと思った僕は、本務の提案に頷いた。助けてもらったのは事実だし、怪我させたのも僕のせいなのだから、何らかの恩返しをしなくてはいけないとは思っていたから丁度いい。義理堅いのだ、僕は。
「それじゃあ、また明日。必ず来てくれたまえよ」
「ああ……送っていこうか?」
「いや、ここでいい」
僕のジャージを着たまま、破れた制服を持って玄関まで来た本務は、しつこいくらいに念押ししてきた。
「それじゃあ、おやす――」
「ただいまー」
最後まで言い終わらずに、扉を開けて帰って来たのは、僕の姉。姉は本務を見て、僕を見て、もう一度本務を見て固まった。そんな姉をよそに、本務は会釈するとそそくさと帰ってしまう。
「おかえり、姉さん」
「……アンタ、彼女連れ込んでナニしてたの」
「違う!」
なんか色々違う! 彼女じゃないし、ナニもしてない! しかし、今日あった出来事を話すわけにもいかず、説明に詰まった僕は、姉に延々と説教される羽目になり、姉が眠気を訴えて寝ていなければ朝まで続いていたことだろう。
――こうして僕は、探偵を名乗る変な女子高生の助手となったのだった。――