助手の異変
「どうもおかしい。先ほど集まってもらっていた彼らから聞いた話では、小学生の間で"こっくりさん"が流行っているという事実は無いみたいなんだ」
帰っている間も、本務は一人で話し続けていたが、何となく聞く気になれなかった僕は「ああ」とか「うん」なんていう、気のない返事を返すだけの機械のように受け答えしていた。
「とりあえず、詳しい調査は明日からやることにしようじゃないか」
「わかった」
「それじゃあ、また明日」
全く頭に入ってこなかった一方的な会話から逃れたくて、軽く手を上げることで返事とした僕は、逃げるようにして彼女に背を向ける。背中に本務からの視線を受けているような気がして、早足も追加してやった。
食道に何かが詰まっているような不快感と、頭の隅に残るモヤモヤした何かを振り切りたくて、早足はやがて駆け足になり、ついには全力疾走になっていることに気が付いたのは、息を切らせて家の前で立ち尽くしているタイミングだった。
鍵を開けて家に入っても、誰もいない無機質な壁と床が、部屋の暗さと僅かな寒さ、そして孤独感を増長させるだけで、ますます気が滅入る。
それからはあまり覚えていない。
いつも通りに食事を済ませ、寝る準備をして、布団に入ったのだと思う。他人事のようになってしまうのは、意識がハッキリしたのが夢の中だったからだ。
夢だと確信したのは、隣を歩く本務が、まるで普通の女の子のように屈託なく笑うからで、夢でさえも彼女に振り回されるのかと思うと、苦笑いが浮かんでしまう。
僕らは何気ない住宅街の道を並んで歩いていた。
ただし、話かけてくる本務の声は、まるで音声を切ったテレビのように何も聞こえず、僕は曖昧な返事を返すことしか出来ない。現実にはあり得ない光景だから、僕自身が想像しきれないのかも知れないが、勿体ないとは思う。
そうして歩くうち、目の前に小学生の一団が現れた。彼らは僕らを指差し、口々に何かを言っているが、それも聞き取ることが出来ない。
しかし、不意に全員が口を閉じると、人垣が割れ、中心から一人の少女が出てきた。
それは、今日初めて会ったばかりの佳奈という少女だった。
少女はゆっくりと僕を指差し、何かを呟く。
すると、鎖骨の間を何かが通り抜けたような気がして、思わず視線を下に向ける。いや、向けてしまった。
そこにはピンポン玉ほどの穴が開いていた。
痛みは無い。けれど、色の無い液体が噴き出している。僕にはそれが、何か大事なもののような気がして手で塞ごうとするが、僅かな隙間から液体は体から逃げていく。
体から力が抜け、視界が狭まり、ついには地面に倒れ込んだ。コンクリートに広がっていく液体を、まるで血みたいだな、なんて思ってしまうほど現実味は無かった。
いつの間にか周りには誰もおらず、佳奈と呼ばれている少女だけが僕の傍に立っている。
少女は屈みこみ、耳元に顔を近づけると言った。
「いらないなら、貰ってあげる」
そこで目が覚めた。
窓の外はすでに明るくなっており、鳥たちの鳴き声やバイクの排気音が聞こえている。
不思議なことに、眠る直前まで感じていたはずの不快感は綺麗サッパリ消えており、普通に起き上がることが出来た。
枕元に置いてある時計を見ると、時刻はすでに八時過ぎ。どんなに急いだとしても遅刻は免れないだろう。けれど、焦る気持ちは湧いてこなかった。
どうせ遅刻なら、焦っても仕方がないと思ったのだ。
自分でもおかしいと感じたが、何故おかしいと感じるのかが分からず、首を傾げる。けれど、そんな考えも段々とどうでも良くなってきて、とりあえず学校へ行く支度を始めることにした。
朝食を摂り、服を着替える間も、昨日の事が頭の中を回り続けていた。それらを考えながら支度を進めるせいで、作業は遅々として進まず、結局は放課後になってから行けばいいと考えが変わっていく。
「これ、マズい……よな?」
* * *
「で、それが今日一日授業を受けず、放課後になってから学校へ来た言い訳かい?」
すでに一日の授業を終えて、帰宅する生徒がいる中で、一人学校へ向かう僕はさぞかし奇異の目で見られたことだろう。
理科準備室で本務に怒られながらも、そんな事を考えてしまう。
僕が上の空で話を聞いていることに気が付いた本務は、溜め息を吐きながら顎に手を当てて、何事かを考え始める。おそらくは僕の身に起きた現象についてだろうが、確信は得られなかった。どうも他人に対する感心すら薄れてしまっているようだ。
「考えられるとすれば、昨日の呪い袋が原因だろうね」
「そうかも」
「ただ、キミの友人に関しては、特に目立った変化は見受けられないから、一概にそうとは言えないかな」
「かもね」
ついつい気の無い返事を返してしまって、その度に本務がイライラしてきている事だけは分かる。
「お邪魔しまーす。おお、渡須。今日はどうしたんだ」
ついに堪忍袋の緒が切れたかのように彼女が口を開こうとした瞬間、空気が読めているのか、それとも読めていないのか、人によって意見が分かれるタイミングで麗度が入ってくる。手には、自身で集めたという情報の詰まった手帳を握っていることからして、佳奈という少女に関する情報を持ってきたのだろう。
「ああ、ちょっとね」
「そうか。それで、佳奈ちゃんの事なんだけどさ」
僕の曖昧な返事には気付かなかった事に加えて、部屋の雰囲気すらも無視したように手帳を開いた麗度は、ページを捲りながら話し始める。
「佳奈ちゃんと"こっくりさん"をやった子はいないみたいだ。それどころか"こっくりさん"が流行っているという事実も――」
「――ない。その辺りは把握しているから飛ばしてくれたまえ」
本務が苛立ったように手を振りながら話を遮る。麗度は苦笑いを浮かべながら次のページへと移った。
「ええと、それじゃあ佳奈ちゃんの家族は、親戚の葬式で県外に出ているらしい。佳奈ちゃんだけが学校があるからって一人留守番してるんだとさ。だから家族が異変に気が付くのには、もうしばらく時間がかかりそうだ」
「具体的には?」
「まあ、早くても明後日ぐらいかな。ちなみに佳奈ちゃんは今日学校に来てないって」
麗度の報告に、本務が度々質問を挟みながら会話を続けている。目の前で行われているはずなのに、まるでテレビでも見ているような気分だ。現実味がない。
「その話だけだと、何が取り憑いたのか分からないね」
本務が首を振りながら手を広げる。まさにお手上げと言ったところか。
しかし、その言葉に対し、麗度はニンマリと笑う。
「ところがどっこい、佳奈ちゃんはペットを飼ってたらしいんだ」
「ペット?」
「そ。正確に言えば親父さんのペットらしいけど、白蛇を飼ってたことがあるんだとさ」
「白蛇……ね……なるほど」
納得したのか、本務は頷いている。
蛇と言えば、狐の次にメジャーと言っても過言ではないくらい、人間に取り憑いたという話をよく聞く動物である。
「それなら、少女の身体の何処かに鱗のような痣か何かがあるだろう」
「それを見つければいいわけだな。了解」
どうやら取り憑いたのは蛇という仮定の下、これからは動いていくようだ。そうと決まれば、麗度が留まるはずも無く、有無を言わさぬ勢いで部屋から飛び出して行ってしまった。一体どうするつもりなのやら。
「一体どうするつもりなのだろうね」
考えていることは一緒だったようで、本務が思わずといった風に呟く。
「まあ、蛇なら呪う力は十分だろう。渡須クンの異変を解決する目処が立って良かった」
「そう、だね?」
嬉しそうに微笑む本務だったが、何となく納得がいかなくて首を傾げてしまう。
「なんだい? 不満そうだね」
「いや、そういうわけじゃないけど」
組んだ手の上に顔を乗せた本務が問いかけてくるが、自分でも理由が分からない疑問をどう説明すればいいのか分からない。ただ、納得できないのだ。
だが、理由を話せない以上、仮定の否定は無意味な言いがかりに過ぎない。
「やっぱり、何でも無いよ」
このまま行ってみればいいさ。そう考えた僕は曖昧な笑顔で返事とするのだった。




