閑話 頑張れ助手くん 1
GWと言えば、学生であれば誰もが心躍る単語だと思う。
それはここ数年間、交友関係を断って半引きこもりのような生活をしてきた僕も例外ではなく、むしろ春休みという素晴らしい長期休暇が明けてからは、ずっと待ち望んでいる節すらある。
僕の家では奇妙な風習というか、伝統があり、毎年この時期になると祖父の家から呼び出しが掛かり、親族の未成年者は顔を出して何日か泊まらなくてはいけない。
ここで問題なのが、祖父の家への訪問は"招待"ではなく"徴集"であることで、年老いた老人が孫の顔を見たいなどという優しいものではなく、強制であることだ。これは僕が物心ついたころから傍若無人に振る舞っていた血の繋がった姉も例外ではなく、二十歳になるまでは共に祖父の家を訪ねていた。
なんでも、過去に一度祖父の徴集を無視したことがあるそうなのだが、けして詳細を明かそうとはせず、ただただ僕に、「お爺ちゃんの呼び出しは無視するな」と忠告してきて正直不気味だ。
ただ、祖父は毎年僕を歓迎してくれるし、振る舞いも落ち着いた気の良い優しい爺さんで、どうして姉がそこまで恐れているのか僕には理解できない。むしろ、僕にとっては待ち遠しいイベントですらある。
そういうわけで、今年も祖父からの呼び出しに応じて、僕は数時間かけて田舎へと向かったのだった。
* * *
『なんというか、キミの家庭は随分変わっているのだね』
「そうなのかも知れないが、お前にだけは言われたくないな」
『失礼な。一体ボクのどこが変わっているというんだい』
「……自分が変わってるって自覚が無いところとかかな」
まだ五月だというのに、頭上から降り注ぐ太陽光を遮るものが無いのと数十分歩き続けているせいで、留まることを知らない額の汗を拭いながら、携帯越しの本務に答えた。
しかし、歩いている間ずっと通話しっぱなしで、携帯を持つ腕がそろそろ限界だった僕の返答は若干適当になりつつある。
『それで? いつごろ戻るのかな』
「あー、GWが終わる直前かな」
『なんだって! それじゃあボクはこの数日間をキミという優秀な助手を取り上げられた状態で過ごさなければいけないというのかい』
「そんなに残念がってくれて僕も嬉しいよ……」
どう考えても、そうは思っていない本務の声に、僕は口先だけの感謝を述べておく。コイツに突っ込んでいたら身が持たない。
「そろそろ着くから切るよ。じゃあまたな」
『待ちたまえ――』
僕はそれだけ言うと通話を強制的に終了させた。すると山から降りてきた風が汗に濡れた肌を心地よく撫でてきて、まるで都会から解き放たれたような気分にさせてくれた。
そうして辿り着いた家は、周囲を畑に囲まれた平屋建てで、頭上を仰げば大きな鯉のぼりが泳いでいた。
「こんにちはー! 仁ですー」
「あらあら、いらっしゃい仁ちゃん! 疲れたでしょう? 上がってちょうだいな」
ガラガラと音を立てる引き戸を開けながら声を掛けると、奥から昭和ながらの割烹着を着た祖母が手を拭きながら出てきた。七十をとっくに越えているというのに、まだまだ元気で優しい婆さんだ。
「あなた、仁ちゃんが来てくれたわよ」
「おお! 仁か! よく来てくれたな。どれ、顔をよく見せてくれ」
祖母に案内されるまま居間に入ると、老眼鏡を掛けて新聞を広げていた祖父が僕を出迎えてくれた。爺さんは昔から、僕や他の親戚が来ると顔に手を当てて撫でまわしながらじっくりと見てくる。姉は嫌そうにしていたが、僕は爺さんのゴツゴツした手が嫌いではないので、素直に顔を差し出す。
「ふむ、どうやら良い友人が出来たようだ。去年までは随分と濁った眼をしていたからな」
「……友人?」
確かに麗度は良い奴だが、学校にいる間に話すだけで放課後に遊びに行ったりしているわけではない。それを友人と言えるかどうかは、正直怪しい。本務は友人というか、雇用主みたいなものだし……。
爺さんは僕の目を覗き込んでは、今どんな状態なのかを言い当てるのが得意で、昔は超能力者なんじゃないかと疑ったりもした。"影踏み鬼"に取り憑かれたばかりの時なんかは「悩みがあるんじゃないか」と聞かれたりもしたので、幼い僕がそう思っても仕方がない。
もちろん、今では人生経験から分かるのだろうと思っているが。
「今年は他に誰が来るのさ」
「ああ、お前の従妹二人が来る予定だ」
顔を放してもらったので、僕が尋ねると爺さんは上機嫌で答えてくれたが、内心ゲッソリした。
父方の叔父の娘である"渡須 舞"と"渡須 真帆"はそれぞれ高三と小五の姉妹で、姉の舞は僕が気を許せる数少ない女性であるが、妹の真帆は僕を毛嫌いしているのか何かとイタズラを仕掛けてくるのだ。去年なんて靴の中にガムを入れられた。
しかし、小学校五年生の従妹がイヤだから帰るとは言えず、僕は曖昧な笑顔で返事とする。
「それじゃあ、荷物を置いてくるよ」
「ああ、ゆっくりしなさい」
僕は仏壇に線香をあげ、手を合わせると、荷物を持ってあてがわれた部屋へと向かう。
毎年僕が使っている部屋で、七畳ほどの部屋の真ん中には干したばかりだと分かるフカフカの布団が敷いてあり、汗に濡れた服を着替えて布団にダイブすると、よっぽど疲れていたのか少し目を閉じただけで眠りへと落ちてしまった。
目が覚めたのは、玄関の引き戸を開ける音と二人分の女の子の声が聞こえたタイミングだった。
窓の外を見れば、陽が大分傾き始めていて、自分がどれだけ体力が無いのかを痛感させられる。ほんの数時間電車に揺られて、数十分歩いただけなのだけど。
眠い目を擦りながら居間へと向かうと、そこではボーイッシュな短い髪の舞と、髪をツインテールにした真帆が楽しそうに爺さんと談笑しているところだった。
「あ、仁くん。久しぶり」
「ああ、久しぶり。それに真帆も」
「……」
僕の姿を見つけると、舞は嬉しそうに声を掛けてくるが、真帆の方は睨みつけるだけで口を開こうともしない。
「あー……仁くん、荷物運ぶの手伝ってくれない?」
「いいよ」
「それじゃあ真帆はここで待ってて」
毎年の事だが、気まずい雰囲気が流れそうになると舞は気を使って、僕が真帆から離れられるようにしてくれる。もしかしたら逆なのかもしれないが。
僕は二人の荷物を持つと、舞と共に居間を出る。廊下を歩いているうちに、舞が話しかけてきた。
「ごめんね、真帆は人見知りが治らなくて」
「べつに気にしてないよ」
これも恒例の会話。舞は真帆が人見知りだから僕と口を利かないと思っているようだけど、どう考えても僕を嫌っている。そのため、僕の返事はどうしても冷たい口調になってしまう。
「それより、今年も二人が元気そうでよかった」
そのことを隠すために、僕は無理やり話を逸らす。
「ありがと。でも、そうでもないんだー」
舞はクスリと笑ったが、足を投げ出すようにして歩きながら暗い笑顔を浮かべた顔を俯かせた。
「なんかあったの?」
「仁くん、たしかオカルト詳しいよね」
僕が尋ねると、困ったような笑顔を浮かべながら振り向く。
「仁くんが中学生の時に、いっぱい話してくれたし」
「あー、そうかも」
完全に記憶から消し去っていた過去を言われて、僕は首を吊りたくなる衝動に駆られる。
たしかに中二病時代に、自分の影を何とかしようとして集めた情報をドヤ顔で舞に話していた気がするが、それは舞が楽しそうに聞いてくるからであって、けして自分の知識をひけらかそうとしていたワケではない……はず……。
「それでね、仁くんに相談したいことがあって」
「あ、ああ、いいよ。何?」
消したい過去を必死に脳内から振り払おうとしていた僕は、舞の声で我に返ると、彼女の瞳が思いの外近くにあることに驚き、思わず後ずさってしまう。しかし、その目は真剣そのもので、僕も表情を引き締めた。
「笑わないでね?」
「笑わないさ」
「……あのね、私、ユーレイに取り憑かれているみたいなの」
一瞬躊躇った舞の言葉に思わず眉を顰めてしまうが、その声は僅かに震えており、本当に怯えているように感じる。
「幽霊?」
「そう。でもただのユーレイじゃないと思うの」
舞は一呼吸置くと、おずおずと告げた。
「私に取り憑いてるのは多分……"生霊"だと思う」




