事件解決・・・・・・?
「この家に、大きな鏡はあるかい? 出来れば固定されていて、大きな物がいい」
本務は立ち上がると、部屋の中を見渡しながら問いかけた。
「え? あ、ああ、洗面台にあるけど」
「ならば、キミは金鎚か何か持って来たまえ」
お兄さんは立て続けに言われる本務の言葉を理解しきれていないようだったが、立ち上がって二階へと走っていった。
「本務、どうするつもりなんだ」
「呪いというのは、いつだって簡単に打ち消せるのさ」
僕の問いかけに、本務はウインクでもしそうな程の上機嫌で答えてくるが、僕には言っていることは全く理解出来なかった。しかし、その態度から解決方法が見つかった事だけは確信できる。
しばらく待っていると、お兄さんが戻ってくる。
探すのに手間取ったのだろう。呼吸は若干荒く、手にはよく見るような、普通の片手用のハンマーが握られており、事情を知らない人から見れば、かなり危ない人だ。
本務は満足気に頷く。
「では、紫鏡と対決しようか」
そして、洗面台へと一人、向かって行ってしまい、取り残された僕らは顔を見合わせる。お兄さんの視線は僕に何かを訴えかけていたが、ニッコリ笑うことで返事をしておいた。
洗面所には胸元あたりから上が見ることの出来る、ごく普通の鏡が壁に掛けられており、変わらず僕の背後には、あの禍々しい鏡が映っている。
「で、どうするんだ」
怯えたお兄さんが、なるべく鏡を見ないようにしながら本務に尋ねる。しかし、僕から見てもお兄さんの背後には何も映ってはいない。やはり、呪いを受けた本人にしか認識できないのだろうか。
二つの鏡を意識する僕らを余所に、本務はお兄さんに向き合う。その表情は真剣そのものだった。
「鏡を割りたまえ」
「……は?」
お兄さんは何を言われたのか分からないという風に、口を開いたまま本務を見つめる。きっと僕も全く同じ顔をしていることだろう。
「だから、その金鎚で鏡を割りたまえ」
しかし、本務はウンザリした態度でもう一度告げる。
「ま、待ってくれ。家の鏡なんて割ったら、両親に怒られるどころか殴られる」
「誰が壁の鏡を割れなんて言ったんだい」
「え?」
「割るのは"紫鏡"の方さ」
お兄さんは理解が追いついていないのか、戸惑っている。僕もそうだ。
しかし、僕の口からはいつの間にか質問が飛び出ていた。
「待て本務。どうやって"紫鏡"を割れって言うんだ」
「だから、金鎚を持ってこさせただろう」
「いや、そうじゃなくて。無いものをどうやって壊すかって話」
自分でも何を言っているのか、よく分からなくなってきたが、本務は理解してくれたようで、溜め息を一つ吐くと、ゆっくりと言い聞かせるように説明を始める。
「いいかい、"鏡"というのは古来から見えないモノを見るために使われてきたんだ。それは未来であったり、過去であったり、自分の顔であったりするわけだけど、共通点は一つ。必ず存在するモノしか映せない」
「……どういうことだ? 少なくとも未来は、まだ存在しないだろ」
「そうだね。けれど、昔の人々は本来見えないモノが見える鏡の力を勘違いしたのだろうさ。自分の顔だって見えないはずなのに、鏡は映してくれるから」
僕は本務が何を言いたいのか、まったく分からなかった。お兄さんを見ても、首を捻っており、その言葉の意味は読み取れていないようで、お手上げだとでも言うように肩を竦めている。
しかし、本務はゆっくりと首を振る。
「ただ、今重要なのは、鏡が映せるのは存在するものだけだという点だ」
その言葉に、僕はようやく理解した。
つまりは、"紫鏡"は実在するのだ。それが例え、自分の目で見えず、振れることすら出来なくとも。
本務は、まだ理解が出来ていないお兄さんに近づくと、人差し指を立てる。
「あとは簡単だ。鏡を通している間は見える。ということは背後に存在するということ。ならば、鏡で見ながら壊せばいいのさ。"紫鏡"をね」
「な、なら、どちらかが壊してくれ。俺は鏡を見てるから」
お兄さんは納得しきれていないようだったが、何とか言葉を絞り出す。それは男として酷く情けないようにも感じる言葉だったが、それも仕方のない事だろう。
僕にも見えているから分かるのだが、あの禍々しい鏡を叩き割れと言われても、正直困る。もし失敗し、何か酷い仕返しでもされたらと思うと、背筋が凍る。
けれど、お兄さんの悲痛な懇願に、本務は首を振った。
「申し訳ないけれど、"紫鏡"は本人にしか認識できない。キミにしか出来ないんだ」
「そんな……」
お兄さんの顔は一瞬、絶望の色に染まり、俯いてしまう。
しかし、すぐに顔を上げると、鏡の前に立った。
「これ、失敗したら一生呪ってやるからな」
「構わないよ」
本務の言葉に、お兄さんはニヤリと笑うとハンマーを大きく振り上げる。
「おらぁぁぁあああッ!」
振り子の原理で、後ろまで腕が振られた瞬間、何か固いモノにヒビが入ったような音が響いた。
「うらッ! おらッ! このッ!」
しかし、一度では割れなかったのか、お兄さんは何度も何度も腕を振り上げては下ろす。たまに洗面台に当たったりして鈍い音も混ざるが、それを気にする様子はない。
鏡を見ながら、ハンマーを振り上げ、叫び声をあげる姿は、狂気に満ちており、恐怖を感じる。
「おおぉぉおおお!」
一段と大きな雄叫びを上げ、腕を振り下ろした次の瞬間、ナニカが割れる音が響く。
お兄さんは肩で息をしながら、顔だけをこちらに向ける。その目には驚きと安堵が浮かんでいた。
「やった――」
お兄さんは歓喜の声を上げようとする。しかし、それを言い終えることは出来なかった。
その背後から、黒いモヤのようなモノが目の前の鏡に向かって、吸い込まれるように噴き出したのだ。
「本務!」
僕は咄嗟に、隣に立っている本務を庇うようにして抱きしめた。
チラリとお兄さんを見るが、黒いモヤに覆われていて、その姿を確認することはできない。
耳元では強風でも吹いているような凄まじい音と共に、何人もの怨嗟の声が囁いている。
失敗してしまったのだろうか。呪いを打ち消すのに失敗して、ここで死んでしまうのだろうか。
僕は固く目を閉じた。
――どれくらいの間、そうしていたのかは分からないが、抱きしめている本務の声が聞こえた。
「……渡須クン。あまり強く抱きしめられると、ボタンが当たって痛いのだけどね」
ゆっくりと目を開いてみると、周囲に立ち込めていたはずの黒いモヤは、すでに消えており、部屋の中はとても静かだった。
「大丈夫か本務!」
腕の中を確認すると、冷めた目付きでこちらを見上げている本務が、そこにはいた。
「とりあえず、開放してくれないかな」
「あ、ごめん」
僕が腕を広げると、服をパタパタとはたきながら、本務が離れていき、腕の中の温もりが消えた。
「そうだ、お兄さんは」
背後を確認すると、床に倒れ込んでいるお兄さんがいる。
慌てて近寄ってみるが、息はしており、どうやら気絶してしまったようだった。まあ、あんな目に合えば無理もない。
僕は乱れた制服を直している本務に向き直り、声を掛けた。
「終わったのか?」
「もちろんさ。これで事件は解決だよ」
本務は頷き、ニコリと微笑んだが、僕はどこか違和感を感じた。
しかし、それを尋ねようと口を開く前に、玄関の方から、多田村が帰宅した旨を伝える声が聞こえた。
「さて、まずはそこに倒れている彼を二人でリビングのソファにでも寝かせてやるといい。その後で、ボクらは帰るとしようじゃないか」
「え、手伝ってくれないのか」
「力仕事は男性の出番だと思うけれど?」
「はい……」
力なく項垂れた僕は、多田村を呼ぶため、ゆっくりと立ち上がるのだった。




