助手が探偵に出来ること
ぼんやりと薄目を開ける。
外はすっかり明るくなっており、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
上半身を起こすと、身体のあちこちから痛みが走ることから、昨夜調べものをしているうちに睡魔に負けてしまったことが分かる。現に、あれだけ目に痛かったパソコンの液晶画面が消えており、自動的にシャットダウンしていた。
「……あれ?」
自分の肩から滑り落ちた、覚えのない毛布に首を傾げる。夜の間に机に向かっていた僕は、上下ジャージで椅子に座っており、所謂「寝落ち」をやらかしていて何かを羽織る余裕はなかったはずだ。
「もしかして、姉さんかな」
なんだかんだと言いながらも、やはり弟を心配してくれているのだろうか。昨日も、うなされているのがうるさいと言っていたけれど、わざわざ起こしてくれたし。
ふと見れば、机の上にも折りたたまれたメモ用紙があった。
「こんな回りくどいことしないで、一言、心配してるって言ってくれればいいのに」
そんな捻くれたことを言いつつも、口元はついつい緩んでしまう。やはり、誰かに心配されるというのは嬉しいものだ。
丁寧に折りたたまれたメモ用紙を開くと、女性らしい丸い文字で短い文が書かれていた。
"エロ動画を漁って夜更かしはダメだゾッ☆"
「ちゃうわ!」
即座に紙を丸めて、ゴミ箱へ叩きつけるように捨てる。何を考えているんだあのバカ姉。
僕は溜め息を一つ吐くと、時計を見る。時間によっては急いで学校へ行かねば遅刻してしまう。
「……マジか」
もし、僕が寝不足で見間違えたのでもなく、時計が狂っているのでもなければ、時刻は十五時を回ろうとしているところだった。これでは遅刻どころか無断欠席だ。
背もたれに体を預けた僕は、そのまましばし天井を仰ぎ見てしまうのだった。
* * *
「やあ、おはよう。それとも、こんにちはの方が相応しいかな? けれど、学校を無断欠席をしておきながら放課後キッチリここへ来るとは、キミもなかなかやるじゃないか」
「なんで知ってるんだ」
慌てて着替えた僕は、学校へと向かう途中で連絡用アプリを使い、さり気なく入手していた多田村に今日も家にお邪魔する旨を伝える。彼は部活で一緒には行けないが、家には兄がいるので自由にしてくれということだった。
そうして、理科準備室へと駆け込んだ僕を、小説を片手に紅茶を楽しんでいた本務が笑顔で出迎えた。
「おおかた、昨夜はいやらしい画像でも漁って夜更かしでもしたのだろう?」
「違うっつの!」
姉といい本務といい、男子高校生に対する見方が少し偏りすぎていないだろうか。僕はあくまで健全だ。
しかし、本務は気にも留めていないかのように本を閉じ、紅茶の残りを飲み干すと、立ち上がる。
「さて、では行こうか」
「あ、多田村は来れないけど、好きに行っていいってさ」
「それは重畳」
一足先に歩き始める本務を、僕は慌てて追いかける。
「それで? 無断欠席した本当の理由はなんだい?」
前を歩く本務が、肩越しに話しかけてくる。角度的に表情は見えないけれど、からかうような口調からして、本当に僕が良からぬ事をして寝坊したのだと思っているのかもしれない。
「いや、大したことないんだけど、昨夜から紫鏡が見えるようになっちゃって」
何気なく言った言葉だったが、それを聞いた途端、本務は足を止めた。
「それは……それは今も見えているかい?」
「いや……ああ、窓に映る僕の後ろに見えるけど」
本務は振り返ると、僕の胸倉を掴む。
「どうして早く言わないんだ!」
僕を見上げる目は潤んでおり、表情はとても焦っているようで、いつも見ている本務とは別人のようだった。
「お、おい、本務?」
「ああ、まさかこんなにも早く影響が出るだなんて。ボクは大馬鹿だキミが危険な目に合うかもと思っておきながらそれでも突き放さなかっただなんて」
本務は僕から離れると、両目を手で覆い、何事かを呟きながら俯いてしまう。その声と肩は震えており、怖がっているように見え、その姿は普段の自信に満ち溢れた態度とは違い、今にもしゃがみ込んでしまいそうだ。
「本務!」
「すまない。本当に申し訳ない」
様子が一変した本務に驚いた僕は、肩を掴むと名前を呼んだ。すると、目から手を離した彼女は、目尻を赤くして僕に謝罪してくる。
「何を謝っているんだ? 感染するかもしれないと言ったのはお前だろ?」
「そうだ。けれど、キミに紫鏡が映る前には解決、もしくは解決の目処がつくと思っていたんだ!」
「これから探せばいいじゃないか」
何をそんなにも怯えているのか分からない僕は、とりあえず慰めてみるが、本務は懸命に首を振る。綺麗に整えられた髪が乱れ、それは彼女の精神状態を表しているようにも見える。
「違う! 紫鏡は本来、言葉で伝染するものだ。だからこそ二十歳までという期限が設けられる。しかし、見てしまった、あるいは見えてしまったものに、それは通用しないんだ! 透明な水晶が効かないのと同じように!」
そういうことか。つまりは、伝承通りの紫鏡は、ただの言葉である以上、大きな呪力は無い。そのせいで効果はじんわりと影響を及ぼし、個人差はあるかもしれないが二十歳までの猶予が出来てしまう。
しかし、紫鏡そのものを見てしまった人間には、本来の呪力のまま影響を及ぼす。ゆえに猶予は短く、それを本務は怖がっていたのだ。
「ごめん、ごめんよ……」
本務は目に溜めた涙を、今にも零してしまいそうな表情で僕を見つめ、謝り続けている。
僕は溜め息を一つ吐いた。最近は溜め息ばかりしているような気がする。
「本務、聞け」
本務の乱れた長い髪を整えてやってから、僕は本務を見つめる。
「お前はそれを解決するために依頼を受けたんだろう?」
「そうだ、けど、まだ紫鏡を見つけることすら出来ていないんだ。それなのにキミに」
「いいから聞けって」
本務が何かを言おうとするが、僕が少し強い口調で促すと、口を閉ざした。
「いいか、それを知るためにこれから多田村のお兄さんの元へ行く。そこで解決方法を見つけてしまえばいいのさ。僕のタイムリミットがどれほど短いかは分からない。でも、お兄さんより早く死ぬなんてことはないはずだ」
"死"という単語を聞いた瞬間、必死に留めていた本務の涙が、ついに零れ始めてしまった。頬を伝う雫は次から次へと流れ、止まる気配はない。
僕はニッコリと笑うと、ポケットからハンカチを取り出し、それを拭いながら話を続ける。
「それに悪い事ばかりでもない。紫鏡を見て気になることが一つあるんだ。それは必ずお前の、本務の一助になると思う。だから、それを使って僕を助けてくれれば、もう謝る必要はないんだ」
「それは……」
「悪いけど、今はまだ話せない。お兄さんにも確認してみないといけないからね。でも、絶対に役立つと思うよ。だから」
本務の涙はいつの間にか止まっており、不思議そうな顔で僕を見上げている。それが何だか面白くて、僕は笑ってしまいそうなのを隠すために声を詰まらせながら言った。
「だから、もう泣かないでくれ、探偵さん」
瞬きもせず、僕を見つめていた本務は、目を閉じる。すると、目尻に残っていた最後の涙が頬を伝う。
しかし、目を開けた表情は、いつもの自信に溢れた笑顔に戻っていた。
「本当に、キミというヤツは」
「元気になっただろ?」
「ふふ、どうだかね」
何だかとても恥ずかしい言葉を口走っていたような気がする僕は、ついつい軽口を叩いてしまう。けれど、本務もそれに合わせて軽口を返してくれた。
本務は僕からそっと離れると、いつも通りの姿で目の前に立つ。
「キミの言っていた情報とは確かに使えるのだろうね?」
その言葉に、僕は肩を竦めた。
「さてね、探偵であるお前の腕次第だと思うよ」
「言うじゃないか。それでこそ、ボクの助手だよ」
本務はニヤリとしながら腕を組む。その姿が、何故かとても似合っていて、僕は苦笑いを浮かべてしまう。
「それじゃ、多田村の家に向かうとしようかね」
「そうしよう。今日で解決して見せるさ」
満足げに頷いた本務が踵を返し、前を歩く。僕はそれについて行く。いつも通りの光景だ。
ふと思い出し、前を行く本務に声を掛ける。
「いつもあんな風に、しおらしくしていてくれても良いんだけど?」
その言葉に本務は立ち止まり、驚いた表情をして振り向いた。
「……バカ」
それだけ言って、再び歩を進めてしまう。心なしか、先ほどまでよりもペースが速い気がする。
僕は苦笑いを浮かべると、それを追いかけた。本務はやはり、その姿が一番似合うと思う。




